『でねでね』 古くからの友人の話は終わりのない泉のように続く。 いい加減耳にタコが出来そうな、恋人との甘い生活。 たまにはいいけど、こう頻繁じゃさすがにうんざりしてくる。 「はいはい」 『もー、ちゃんと聞いてよ!』 「あんたのノロケはもう飽きた」 怒る友人に答える声も、おざなりになる。 すると受話器越しの友人はふっとため息をついて、話を変えた。 『野口君は最近どうなの?』 「………」 聞かれるだろうなとは思っていたが、それはあまり聞かれたくないことだった。 想定はしていたことなのに、思わず黙り込んでしまう。 するとその一瞬で察したのか、友人は呆れたように声をあげた。 『また喧嘩?』 喧嘩した訳ではないのだ。 ただ、全然会えていない。 それだけだ。 お互い仕事で忙しい。 そんな、簡単なこと。 それでも、前に女に囲まれていたあいつを見た時から、心に育った不安は消すことが出来ない。 あいつは、認めたくないが、それなりにモテる。 前よりは人当たりよくなって、なんだかジンさんに最近似てきた。 私なんかと付き合ってるの、いい加減飽きてきてるんじゃないだろうか。 そう想像すると怖くて仕方なくて、向こうにふられる前に、私から捨ててやろうって思ってしまう。 だから強がって、馬鹿なことも言ってしまう。 「なんかもう、腐れ縁みたいなもんだしさ。潮時なのかなあ」 『またマイナス思考!不安ならちゃんと本人に言いなさい!』 何度も何度も似たような話に付き合わされている友人は、さすがに怒って叱りつける。 まあ、それは当然のことだ。 何年たっても、私のマイナス思考は改善されることはない。 「………はい」 だからこれ以上友人に愚痴ることも出来ずに、素直に頷きため息をついた。 「久しぶり」 久々の恋人の家に行くと、恋人は相変わらずのチェシャ猫のような笑みを浮かべていた。 私は厭味ったらしく答える。 「本当に久しぶり」 本当はもっと可愛く返したいと思うのに、不安心は態度を硬化させてしまう。 こんなことしてたら、本当に飽きられてしまうかもしれない。 分かっているのに、どうしようもできない私は本当の馬鹿だ。 「うわ」 けれど扉を閉めた途端、私の態度も気にせず眼鏡の男はいきなり抱きついてきた。 私はもう何年も経つのにいまだに気恥ずかしく思いながらもすげなく返す。 「何よ」 「はあ、三田の匂いだ」 「嗅ぐな!」 本当にくんくんと鼻を鳴らしながら、首筋に顔を埋める馬鹿の頭を殴る。 こいつの変態は、とうとう矯正することはできなかった。 「だって、ずっと会いたかった。癒される」 そのストレートな言葉に、胸が痛くなって、嬉しくなる。 でも可愛くない私は、可愛い言葉なんて返せない。 「………別に、機嫌なんて取らなくていいよ」 「何が?」 「そんな、なんか媚びるようなこと言っちゃってさ。別に飽きたなら飽きたでいいよ」 お互い、特に野口が忙しくて、二カ月も会えなかった。 仕事柄綺麗な女性に囲まれることが多い野口は、私なんかよりもっともっと魅力的な人を知っている。 そう思うと、不安で仕方なかった。 可愛くない私なんて、捨てられちゃうんじゃないかって何度も何度も思った。 「はあ」 首筋に顔を埋めながらため息をつく野口に、私は自分で言っておきながら怒らせたんじゃないかと怖くなる。 「ああ、その卑屈な物言い、確かに三田だ。癒される」 けれど野口はうっとりとしたように、腕に力を込めて私を抱きしめる。 その言葉に、ほっとして涙が出そうになる。 けれど出てくるのは憎まれ口だ。 「うっさい!」 「放っておかれて寂しかった?」 「………」 黙ってしまったら、答えているのと一緒だろう。 野口はくすくすと私に抱きつきながら笑った。 「悪い。でも俺も三田断ちしてるんだからイーブン」 「どういう理屈だよ!」 「いや、イーブンじゃなくて俺の方が辛くない?俺が三田に触らないんだよ?俺が三田に会わないで二カ月だよ?俺の方が辛いでしょ。ひどいな三田は」 「放っておいたのはお前だろ!」 「三田だって忙しいって言って断った。ひどい。俺はこんなに三田に触りたかったのに」 相変わらず意味の分からない理屈で、馬鹿なことを言ってくる野口。 その言葉にムカムカしながらも喜んでしまう自分が情けない。 まだ野口が私を欲しがってくれていることが、嬉しくて仕方ないのだ。 「わ、私の方が、会いたかった!」 「………」 だからつい素直に言ってしまうと、野口は一回黙りこんで体を離す。 じっと真面目な顔で見つめられると、顔がどんどん熱くなっていく。 付き合って何年たっても、素直になるのは、難しい。 変わらない私たち。 変わらない関係。 「すいません、我慢できません。三田が悪い。この場合は三田が悪い」 靴を脱がされ引きずられ、リビングまで連れて行かれるとソファに押し倒された。 されるがままでいると、野口は私のブラウスに手をかける。 「え、え」 「禁断症状。三田が足りない。食べたいです。もう右手じゃ耐えられません」 「アホか!いい年してお前は猿か!」 出会った時から変わらない馬鹿な言葉に、私は暴れてその手を外そうとする。 けれど野口は私の抵抗を楽しむように、暴れる脚をとってキスをする。 その些細な感触にも、体温がじわりと上がってしまう。 「んっ」 野口がくすくすと笑いながら、ちゅ、ちゅ、と音を立てて脚にキスを落とす。 「本当だよな。恋愛なんてテンションダウンして当然。セックスなんて飽きて当然。ずっと一緒の女と恋愛するなんて不可能。だからこそ愛を育てて、別の絆を作るんだろうけど」 そしてそのまま体を倒して、今度は唇にキスを落とす。 久々の感触に、とうとう涙がこぼれてしまった。 野口はその涙を自分の舌で掬いあげる。 「俺の家系はどうも愛が重すぎるみたい。やっぱりどっか壊れてるんだな。あんたがいまだに好きで仕方ない。どんなにヤっても物足りない。触っても触っても飽きることがない」 「………っ」 「麻薬みたい。触れない間、暴れ出しそうだった。何もかもかなぐり捨ててあんたに会いたかった。あんたが別の誰かに笑いかけてるのかと思うと、気が狂いそう」 「おまえ、おかしいっ」 「うん、あんたに狂ってる」 何度も何度も唇にキスを落とす。 そしてそのうち舌が口の中に入り込んできた。 「んっ、ん」 よく知った熱い舌は、私の中を自由に掻きまわす。 その間にもブラウスがはだけられ、ブラ越しに胸にそっと揉まれる。 体を震わせる私に、野口は唇を離して、いやらしい顔で笑う。 「ね、三田、三田。大好き。大好き、大好き」 鼻に、額に、頬に、首筋に、好きだと繰り返してキスをする。 いつのまにか脚は大きく開かされ、その間に野口を挟んでいる恥ずかしい格好。 「だから、俺を抱きしめて、好きって言って、脚を開いて俺を咥えこんでイッて?」 「最後が余計なんだよ!」 「泣きわめいて俺に縋って、背中に爪を立てて?」 この前の時に、背中を傷だらけにして喜ばれたのを思い出す。 顔が、体が、野口に触れられているところ全てが熱くて仕方ない。 体の奥も、じわじわと熱がともって、もう燃えてしまうんじゃないかと思う。 野口はキスを繰り返しながら楽しそうに笑う。 「あんたに飽きるなんてある訳ないだろ。俺の要求に全部応えてくれる物好き女なんて、あんたぐらいなんだから」 「………馬鹿っ!」 「そう馬鹿。さて、今日は何からしようか?」 「………っ」 何も知らなかった私は、野口の体しか知らない。 そして野口に全てを教え込まれた。 多分普通のことから、絶対普通じゃないってことまで。 こんなの誰にも言えやしない。 「ねえ、由紀、とりあえず好きって言って、抱きしめて?」 野口が甘えるように顎にキスをして、強請る。 仕方なく私は、その薄い背中を強く強く抱きしめた。 野口の香水の匂いが強くなって、頭がくらくらする。 「………好きだよ」 「もう一回」 「好きだよっ、良が好き!この馬鹿!」 言葉と共に噛みつくようにキスをすると、野口は蕩けそうに笑った。 「幸せ。大好き、由紀」 「でさ」 「うん?」 くたくたになった体を放り出して、ベッドで二人で寝転んでいる。 こんな風に終わった後に抱きしめられてだらだらする時間は大好きだ。 終わった後すごい冷たくなる奴もいるって聞くけど、野口は終わった後も始まる前も最中も、どこをとってもねちっこい。 今も私の体を撫でながら、時折キスを繰り返している。 眼鏡のない顔は、どこか幼い。 「やっぱり俺は三田がいないとろくなことしなさそう」 「は?」 「変なことしそうになったら止めてくれる人が必要だろ?」 それは思い出すのも恥ずかしい、告白の時の言葉。 事あるごとに出されるそれは、野口にとっては特別な言葉らしい。 「だからやっぱり三田がずっと俺の傍にいてくれないといけないでしょ?」 「………私がいない間に、何をやったんだお前は」 「それはまあ、ご想像にお任せします」 本当に何をしたんだ。 こいつは目を離すとロクなことをしやしない。 「だからね」 想像して怖くなっていると、野口は私の手をとる。 きゅっと、左手の薬指が締め付けられるような感触。 「………なに、これ」 慌てて顔をあげると、慣れない感触がする場所には、鈍い銀色に光るリングがあった。 恐る恐る野口に視線を移すと、野口はやっぱり意地悪くチェシャ猫のように笑っていた。 私の反応を楽しむように。 「あんたを縛る鎖。永遠の墓場への招待状。これでちょっとやそっとじゃ、俺からは逃げられない」 「………」 「病める時も健やかなる時も、俺のことだけ考えて。俺を縛って俺に縛られて」 どうしよう、どうしようどうしよう。 顔が見られなくて、私は俯き野口の剥き出しの胸に顔を埋める。 ぎゅっと私を抱きしめた恋人は、楽しそうに話す。 「ハネムーンはどこにしようか。砂漠でのプレイと、海中プレイ、どっちがいい?」 そしてせっかくシリアスに感動していた私のテンションを台無しにするのだ。 たまには素直にロマンチックにしてくれればいいのに。 でも仕方ないから私もいつもと同じように返す。 「お前は一体何をするつもりだ!」 「どうせなら、したことないプレイがいいよね。まあ、どっちもちょっと感染症が怖いか。プールの方がいい?」 「変わらない!」 でも、こんな風に軽口を叩いてくれるから、私も気が楽なのだ。 変わらないで、いられるのだ。 「ウェディングドレスに頭突っ込むってのもやりたいし、白無垢脱がすってのも夢だよなあ。うわ、楽しみ。一生に一回だし、忘れられない式にしよう」 「一回死んどけ、ボケ!」 本当に変わらない私たち。 変わらない関係。 「それで、由紀。答えは?」 「………」 そんなの、もう、決まっている。 あの時から、決まっているのだ。 「あんたみたいな馬鹿、野放しにできるか、馬鹿野郎!」 こんな奴、放置なんて、しておけないのだ。 ますます強く抱きしめられて、耳元で弾むような声が囁く。 「うん。俺から一生目を離さないでね。大好き、由紀。一生飽きられないように頑張ります」 変わらない私たち。 変わらない関係。 けれど多分、少しだけ変わる関係。 野良猫と野良犬は、飼い主を見つけて室内飼いになるのだ。 |