黄色と赤を基調とした攻撃的な色彩の店内。 ちょうど学校が終わる時間帯、店内はにぎやかに活気づいている。 明るい笑い声、和やかな雰囲気。 しかし今、そんな空気とは相容れない少女が、カウンター前に直立していた。 少女、冬子は凛と背筋を伸ばし、綺麗な仕草で立っていた。 けれどその顔は強張り、どこか青ざめてすらいる。 唇を強くかみ締め、手を握り締めていてた。 (三沢さん……じゃなくてゆゆ、ゆっこは『ふぃっしゅばーがー』のセットでポテトをサラダに変えてもらう。飲み物はウーロン茶。春日君は『びっくまっく』のセットで『えるさいず』セットにしてコーラ。私はハンバーガーのセットで飲み物はアイスティー) 頭の中で何度も覚えて来た事を反芻する。 作法を叩き込まれたとはいえ、やはり始めての経験に体が堅くなる。 握った手のひらは、嫌な汗をかいていた。 思わず席について自分を見守っているであろう2人に助けを求めたくなる。 けれど、1人でやらなければいつまでも成長することはできない。 後ろを振り向かず、大きく息を吸って、吐く。 (冬子、あなたは館乃蔵の娘。そしておばあさまの孫。そう、私はなんだってできるはずよ) 自分で自分に言い聞かせ、最後にもう一度大きく息を吐く。 前に並んでいた人間が、ちょうどトレイを受け取った。 次はもう、冬子の番だ。 冬子は知らず下がっていた目線を上げ、覚悟を決めた。 (さあ、行くわよ、見てらしておばあさま!) 「いらっしゃいませ!」 見事な営業スマイルで一礼する店員。 「あ、は、はい」 「店内でお召し上がりですか?」 「え、ええ?」 そんなことは2人からレクチャーされていない。 予想外の出来事に冬子は裏返った声を上げる。 「お持ち帰りですか?」 「え、えと、その……」 (落ち着いて、落ち着くのよ冬子。この人の言っていることを良く聞いて) 目の前の人間は、不振な動きを見せる冬子にも笑顔を崩さない。 その様子に、冬子もどうにか落ち着いてくる。 胸のあたりを握り締め、店員の言った言葉を反芻する。 (店内で食べるか、持ち帰るか、ね。持ち帰りもできるのね) 落ち着いて考えれば、なんとも簡単な言葉。 自分がどんなに焦っていたかを知る。 それに気づき、冬子は少し肩の力を抜いた。 「お客様?」 「ごめんなさい。その、店内で頂くわ」 「はい、それではご注文はお決まりですか?」 「ええ、ハンバーガーのセットと……」 一度緊張が解けた後は、なんとか無事注文を告げることが出来た。 終わりが見えてきて、冬子の顔もほころんでくる。 「それでは、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」 相変わらずの完璧な営業スマイル。 「あ、ええ。後一つ」 冬子は最後の締めくくりにかかろうとして、カウンターにおいてあったメニューに目を落とす。 しかし、そこには目的のものを見つけることが出来なかった。 目を見開き、もう一度メニューをじっくりと見直す冬子。 だが、やはり見つけ出すことは出来ない。 (……な、ないわ。ど、どうして!?どうしたらいいのかしら) 「お客様?ご注文は以上でよろしいでしょうか?」 「あ、えと、ちょっと待っていただけるかしら、え、と、その……」 「どうなさいました?」 「そ、その……」 「はい」 「す、『すまいる』ってメニューに載っていないのだけれど……」 「は?」 山と商品の乗ったトレイを危うげに持ち、とっていた席に帰ってくる。 待っていた2人は、そろって安っぽいテーブルに突っ伏して小刻みに震えていた。 その様子に、目尻を紅くしたまま唇をかみ締める冬子。 少し乱暴にトレイをテーブルに下ろす。 「……ちょっと」 それでも2人は顔を上げない。 小刻みに震えている理由は、明白だ。 「ちょっと2人とも!」 さすがに語気を強くし、怒鳴りつける。 その声で2人はようやく顔を上げた。 2人。 新しく出来た冬子の友人。 春日一清と三沢優子。 明るく優しく、かたくなで意地っ張りな冬子の心に入り込んできた2人。 冬子の大切な人間になりつつある2人。 けれど、騒々しく少し軽薄で、悪ふざけがすぎるところがあった。 あげた顔は想像通り、涙さえ浮かべ、笑っていた。 幼馴染の付き合いゆえか、2人の動作はどこか似通っている。 「ご、ごめ、ほ、本当にやるとは……」 「た、館乃蔵すげえ!お前本当にすげえよ!!!」 反省の色なく、ぴくぴくと頬を引き攣らせる2人。 「2人とも、悪ふざけがすぎるわよ!」 冬子の平手が、2人を見舞った。 「ごめん!本当にごめん!館乃蔵!」 「ごめんね、ごめん、本当にごめん」 むすりと不機嫌そうに黙り込む冬子に、必死で頭を下げる2人。 頬がわずかに赤くなっている。 「もう、知らないわ」 「そんなこと言わないで!」 「ね、本当にごめん〜。これも親愛の表現なんだよー!」 取りすがるような左右からのステレオ放送。 けれど今度こそ、冬子の機嫌は直らない。 「貴方達は、本当にいい加減すぎるわ。わ、私あんなに恥ずかしかったの初めてよ」 「ごめん、館乃蔵ー!館乃蔵様」 「館乃蔵さん、許して!冬子様!」 本当に目の前の2人の仕草は似通っている。 ぺこぺこと、どこか滑稽な動作で頭を下げる2人に、冬子はだんだん怒ることも馬鹿らしくなってくる。 まだまだ短い付き合いだが、なんとなく分かっている。 この2人に、悪戯心はあっても、悪気はないのだ。 単に、楽しいと思ったことを実行してしまうだけ。 ふー、と大きくため息をつくと、冬子はつりあがった眉を下げる。 「もう、いいわよ」 下げていた頭を挙げて、顔を輝かせる幼馴染達。 「本当!?」 「マジ!?」 その様子に、やっぱり冬子は怒れなくなってしまう。 なんだか、近頃、2人に甘くなっている気がする。 「ええ、でも次はないわよ!三沢さんも、春日君も!」 それでも、釘を刺すことは忘れない。 どこまで効果があるかは分からないが、際限なく悪ふざけを続けられても困る。 『ありがとう!!』 2人同時に手を取られて全開の笑顔。 慣れないストレートな感情表現に、赤面する冬子。 「わ、わかったから、は、離して!」 こんな風に、他人と触れ合うことは、まだまだ慣れない。 特に、男性だからか、春日に触れられることは一際緊張が高まった。 2人は胸をなでおろす。 「よかったー。こんなことで嫌われたらどうしようかと思った」 「カズが悪ふざけするからいけないんじゃん!」 「最初に言ったのはお前だろ!人にせいにすんなよ!」 「はあ、あんたがさ……!」 「2人とも悪いの!!!」 『はい』 そのまま言い合いに発展しそうになるところを、冬子の一喝で静まる。 三沢は場を取り繕うように、冬子の向き合った。 「ね、まだ私のゆっこって言えないの?」 「え、そ、その……ごめんなさい。努力はしているんだけれど……」 「まあ、いいけどね、本当に面白いね、館乃蔵さん」 責める様子はなく、困ったように微笑む。 そこで冬子は、以前から考えていたことを口にする。 「あ、そ、それでね、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ」 「ああ、はいはい、どうしたの」 「そ、その、私は、あなたのこと、ゆ、ゆ、ゆっこ、て言うじゃない?」 ようやく呼ばれた名前に、頬を緩める三沢。 「うん、そうだね。えへへ、嬉しいなあ」 その笑顔に、冬子も自然と笑顔になる。 三沢の笑顔が、嬉しい。 「そ、それでね、だからね、わ、私のこともね……」 「あ、もしかして名前で呼んでいいの!?」 「そ、その出来たら、お、お願いしたいんだけど……」 「うっそ!嬉しい!うん、呼ぶ呼ぶ!」 本当に嬉しそうに、身を乗り出して冬子に近づく。 少し身を引いた冬子だが、とどまってはにかむように微笑んだ。 こういうことを、自分から言えるようになったことも、進歩だと感じる。 「あー、どうしようかなー。私がゆっこで、一応あだ名だし、館乃蔵さんもなんか……」 それまで黙って女2人の成り行きを見守っていた春日がそこで口を挟む。 「そうだな、なんかこうあだ名があった方が親しみがわくかも」 「だよね。何がいいかなー。冬子だから『とーこ』で伸ばしてもね」 「とーちゃんとか」 「それはどうよ!」 ぽんぽんと進む会話に付いていけずに、冬子はとりあえず成り行きを見守る。 「じゃあ、いっそ苗字とかどうよ」 「館乃蔵でしょー、館乃蔵館乃蔵、『タッチ』とか」 「『タッチ』、野球やらなきゃだめじゃん!」 「じゃあ、伸ばすよ、伸ばせばいいじゃん。『タッチー』」 「タッチー!いいんじゃね!?」 「ねえねえ、どうよ『タッチー』?」 げらげらと笑いながら、いきなり冬子に話をふる。 問われた冬子は目を白黒させる。 「え、え、え」 「あっははは、やっぱり館乃蔵さんに『タッチー』はないよね」 「だよなー。ごめんごめん。やっぱ普通に名前でいいんじゃね?」 「だよねー……」 「え、ええ!?」 と、そこで声を上げたのは、話題の中心人物、冬子だった。 その声は、どこか不満げだ。 「ええって、館乃蔵さん……?」 「あ、あの、その、わ、私は、別に、た、『タッチー』でも……」 「いや、そんな無理しなくてもいいんだよ、館乃蔵?」 「む、無理なんかしてないわ!」 顔を赤くして身を乗り出す。 お嬢様らしからぬその仕草に、春日と三沢は顔を合わせる。 春日が冬子のほうを向いて、恐る恐る口を開く。 「え、えーと、もしかして『タッチー』がいい、とか……?」 ますます顔を赤くする冬子。 顔をうつむかせると、気づかないほど小さく首を縦に振る。 「あ、わ、わ、私、そういうあだ名とかで、呼ばれたことって、その、なくて、だ、だから、ちょ、ちょっとそういうので呼ばれてもいいかな、って……」 恥ずかしそうに身を縮め、視線をそらしながら、しどろもどろと理由を口にする。 その顔は、りんごのように真っ赤だった。 『……………』 「………」 沈黙が落ちる。 長いようにも短いようにも感じるの空白。 「か、かっわいいな、おい!」 切り裂いたのは、やはり春日だった。 叫ぶと同時に立ち上がり、向かいの席に座っていた冬子の頭を抱え込む。 「もー、本当にツボなんだけど、お前!近頃どうしちゃったよ!」 「ちょ、ちょ、ちょっと、か、春日君………っ!」 じたじたと冬子が暴れるのも気にせず、抱え込んだ頭をぐりぐりと撫で回す。 冬子は羞恥と混乱と、なんだかよく分からない感情で頭が真っ白になっている。 「あー、もうお前本当にいいな!かわいい!」 「〜〜〜〜〜っ」 撫で回す手が、頭から背中に移動してくる。 冬子はすでに恐慌状態だ。 そしてそれを救ったのは、やはり三沢だった。 「だからやめろ、この変態!」 春日の頭に容赦ない拳をたたきつけると、冬子に負担のないように引き剥がす。 「いって、何すんだよ!!」 「それはこっちの台詞だ!」 顎で冬子をさす三沢。 冬子は目を潤ませ、無言で固まっていた。 「あ、あ、あー……」 「ほんっとうにこの馬鹿!!!」 三沢の一撃がもう一度春日を襲う。 春日は頭を抑えながら、深々と腰を下げる。 「その、ごめん、館乃蔵」 「え、え、ええ」 まだ混乱状態のまま、冬子はそれでも頷く。 「本当にごめんね!止められなくて!」 「え、ええ」 何度も壊れた機械のように頷く。 ショックが中々に大きかったらしい。 三沢はさらに一発隣に座っていた春日に食らわせると、顔を緩ませ小首をかしげた。 「ね、それじゃ、『タッチー』て呼んでいいいの?」 「え?」 「館乃蔵さんの呼び方。『タッチー』でいい?」 何を言われたか分からず聞きかえす冬子に、再度問う三沢。 数瞬の後、冬子は青ざめていた頬に血を上らせ、恥ずかしそうにうつむいた。 「その、あなたがよければ、そう呼んでくれるかしら」 「う」 顔の下半分を押さえて、うつむく三沢。 「どうしたよ?」 挙動不審な幼馴染に、春日はジュースを飲みながら問う。 「い、いや、あんたがタッチーをぐりぐりしたい気持ちがちょっと分かるわ」 「だろ?したいだろ!?」 「だからってすんな!」 そこで気をとりなおして、再度嬉しそうに頬を赤らめる冬子の向きなおす。 「それじゃ、これから改めてよろしく、タッチー」 冬子は、その日一番の笑顔を見せた。 「ねえねえ、じゃあさ、俺もタッチーって呼んでいい?」 照れあいながらタッチーゆっこと呼び合う2人に、どこかすねて頬を膨らませる春日。 「だめ」 間髪いれず即答する三沢。 「なんでだよ!?」 「これはあたしが勝ち取った権利なの!あんたなんかに呼ばれたら台無しじゃない!」 「はあ、なにそれ!おーぼーおーぼー!!!」 「横暴って漢字で書いてみろ!」 結局は三沢に勝てない春日は、今度は冬子に向きなおす。 「じゃあ、冬子って名前呼びでどうよ?俺もカズでいいから!」 その言葉に、冬子はまたまた固まる。 どんどん顔が、紅くそまっていく。 鼓動のスピードが、跳ね上がる。 「そ、そ、それは、や、やめて、ちょうだい」 「えー、なんでだよ。俺に呼ばれるのいや?」 「そ、そうじゃなくて」 「俺だけ仲間はずれかよ」 ちょっと寂しげに口を尖らす春日に、慌てて思い切り首を振る。 「そ、そうじゃないの!そうじゃないのよ!」 「じゃあいいじゃん、冬子」 「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」 「冬子」 「だ、だめ!!!!」 立ち上がり、机を叩く。 もはや顔といわず、全身が赤く染まっている。 「わ、私、だ、男性に、お兄様とかお父様以外に、な、名前で呼ばれたことないから……」 だからやめてくれ、と続けようとした冬子に、春日が満足気に笑う。 「じゃあ、俺が初めてか。うわあ、光栄!よろしく冬子」 「っっっっっっっ!!!!」 「今日は、1人でよく頑張ったな、冬子」 そうして固まっている冬子の肩に手をかけ、ゆっくりと座らせる。 「冬子の友人として、お前が頑張っているのは嬉しいよ」 されるがまま座った冬子の、つややかな黒髪を優しく撫でる。 されている方は、また目尻に涙が浮かんでいる。 「冬子」 ちょっとかすれた低い声は、どこまでも優しい。 けれど、今の冬子には、それは暴力にすら思えた。 「その辺にしておけよ、カズ」 その後、呆れた声の三沢の鉄拳制裁で止められるまで、春日のイジメ(?)は続いた。 |