黄色と赤を基調とした攻撃的な色彩の店内。
ちょうど学校が終わる時間帯、店内はにぎやかに活気づいている。
明るい笑い声、和やかな雰囲気。

しかし今、そんな空気とは相容れない少女が、カウンター前に直立していた。



***




少女、冬子は凛と背筋を伸ばし、綺麗な仕草で立っていた。
けれどその顔は強張り、どこか青ざめてすらいる。
唇を強くかみ締め、手を握り締めていてた。

(三沢さん……じゃなくてゆゆ、ゆっこは『ふぃっしゅばーがー』のセットでポテトをサラダに変えてもらう。飲み物はウーロン茶。春日君は『びっくまっく』のセットで『えるさいず』セットにしてコーラ。私はハンバーガーのセットで飲み物はアイスティー)

頭の中で何度も覚えて来た事を反芻する。
作法を叩き込まれたとはいえ、やはり始めての経験に体が堅くなる。
握った手のひらは、嫌な汗をかいていた。
思わず席について自分を見守っているであろう2人に助けを求めたくなる。
けれど、1人でやらなければいつまでも成長することはできない。
後ろを振り向かず、大きく息を吸って、吐く。

(冬子、あなたは館乃蔵の娘。そしておばあさまの孫。そう、私はなんだってできるはずよ)

自分で自分に言い聞かせ、最後にもう一度大きく息を吐く。
前に並んでいた人間が、ちょうどトレイを受け取った。
次はもう、冬子の番だ。
冬子は知らず下がっていた目線を上げ、覚悟を決めた。

(さあ、行くわよ、見てらしておばあさま!)

「いらっしゃいませ!」
見事な営業スマイルで一礼する店員。
「あ、は、はい」
「店内でお召し上がりですか?」
「え、ええ?」
そんなことは2人からレクチャーされていない。
予想外の出来事に冬子は裏返った声を上げる。
「お持ち帰りですか?」
「え、えと、その……」

(落ち着いて、落ち着くのよ冬子。この人の言っていることを良く聞いて)

目の前の人間は、不振な動きを見せる冬子にも笑顔を崩さない。
その様子に、冬子もどうにか落ち着いてくる。
胸のあたりを握り締め、店員の言った言葉を反芻する。

(店内で食べるか、持ち帰るか、ね。持ち帰りもできるのね)

落ち着いて考えれば、なんとも簡単な言葉。
自分がどんなに焦っていたかを知る。
それに気づき、冬子は少し肩の力を抜いた。

「お客様?」
「ごめんなさい。その、店内で頂くわ」
「はい、それではご注文はお決まりですか?」
「ええ、ハンバーガーのセットと……」



***




一度緊張が解けた後は、なんとか無事注文を告げることが出来た。
終わりが見えてきて、冬子の顔もほころんでくる。
「それでは、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
相変わらずの完璧な営業スマイル。
「あ、ええ。後一つ」
冬子は最後の締めくくりにかかろうとして、カウンターにおいてあったメニューに目を落とす。
しかし、そこには目的のものを見つけることが出来なかった。
目を見開き、もう一度メニューをじっくりと見直す冬子。
だが、やはり見つけ出すことは出来ない。

(……な、ないわ。ど、どうして!?どうしたらいいのかしら)

「お客様?ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「あ、えと、ちょっと待っていただけるかしら、え、と、その……」
「どうなさいました?」
「そ、その……」
「はい」
「す、『すまいる』ってメニューに載っていないのだけれど……」
「は?」



***




山と商品の乗ったトレイを危うげに持ち、とっていた席に帰ってくる。
待っていた2人は、そろって安っぽいテーブルに突っ伏して小刻みに震えていた。
その様子に、目尻を紅くしたまま唇をかみ締める冬子。
少し乱暴にトレイをテーブルに下ろす。
「……ちょっと」
それでも2人は顔を上げない。
小刻みに震えている理由は、明白だ。
「ちょっと2人とも!」
さすがに語気を強くし、怒鳴りつける。
その声で2人はようやく顔を上げた。
2人。
新しく出来た冬子の友人。
春日一清と三沢優子。
明るく優しく、かたくなで意地っ張りな冬子の心に入り込んできた2人。
冬子の大切な人間になりつつある2人。

けれど、騒々しく少し軽薄で、悪ふざけがすぎるところがあった。

あげた顔は想像通り、涙さえ浮かべ、笑っていた。
幼馴染の付き合いゆえか、2人の動作はどこか似通っている。

「ご、ごめ、ほ、本当にやるとは……」
「た、館乃蔵すげえ!お前本当にすげえよ!!!」

反省の色なく、ぴくぴくと頬を引き攣らせる2人。

「2人とも、悪ふざけがすぎるわよ!」

冬子の平手が、2人を見舞った。



***




「ごめん!本当にごめん!館乃蔵!」
「ごめんね、ごめん、本当にごめん」
むすりと不機嫌そうに黙り込む冬子に、必死で頭を下げる2人。
頬がわずかに赤くなっている。
「もう、知らないわ」
「そんなこと言わないで!」
「ね、本当にごめん〜。これも親愛の表現なんだよー!」
取りすがるような左右からのステレオ放送。
けれど今度こそ、冬子の機嫌は直らない。
「貴方達は、本当にいい加減すぎるわ。わ、私あんなに恥ずかしかったの初めてよ」
「ごめん、館乃蔵ー!館乃蔵様」
「館乃蔵さん、許して!冬子様!」
本当に目の前の2人の仕草は似通っている。
ぺこぺこと、どこか滑稽な動作で頭を下げる2人に、冬子はだんだん怒ることも馬鹿らしくなってくる。
まだまだ短い付き合いだが、なんとなく分かっている。
この2人に、悪戯心はあっても、悪気はないのだ。
単に、楽しいと思ったことを実行してしまうだけ。
ふー、と大きくため息をつくと、冬子はつりあがった眉を下げる。
「もう、いいわよ」
下げていた頭を挙げて、顔を輝かせる幼馴染達。
「本当!?」
「マジ!?」
その様子に、やっぱり冬子は怒れなくなってしまう。
なんだか、近頃、2人に甘くなっている気がする。
「ええ、でも次はないわよ!三沢さんも、春日君も!」
それでも、釘を刺すことは忘れない。
どこまで効果があるかは分からないが、際限なく悪ふざけを続けられても困る。
『ありがとう!!』
2人同時に手を取られて全開の笑顔。
慣れないストレートな感情表現に、赤面する冬子。
「わ、わかったから、は、離して!」
こんな風に、他人と触れ合うことは、まだまだ慣れない。
特に、男性だからか、春日に触れられることは一際緊張が高まった。
2人は胸をなでおろす。
「よかったー。こんなことで嫌われたらどうしようかと思った」
「カズが悪ふざけするからいけないんじゃん!」
「最初に言ったのはお前だろ!人にせいにすんなよ!」
「はあ、あんたがさ……!」
「2人とも悪いの!!!」
『はい』
そのまま言い合いに発展しそうになるところを、冬子の一喝で静まる。
三沢は場を取り繕うように、冬子の向き合った。
「ね、まだ私のゆっこって言えないの?」
「え、そ、その……ごめんなさい。努力はしているんだけれど……」
「まあ、いいけどね、本当に面白いね、館乃蔵さん」
責める様子はなく、困ったように微笑む。
そこで冬子は、以前から考えていたことを口にする。
「あ、そ、それでね、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ」
「ああ、はいはい、どうしたの」
「そ、その、私は、あなたのこと、ゆ、ゆ、ゆっこ、て言うじゃない?」
ようやく呼ばれた名前に、頬を緩める三沢。
「うん、そうだね。えへへ、嬉しいなあ」
その笑顔に、冬子も自然と笑顔になる。
三沢の笑顔が、嬉しい。
「そ、それでね、だからね、わ、私のこともね……」
「あ、もしかして名前で呼んでいいの!?」
「そ、その出来たら、お、お願いしたいんだけど……」
「うっそ!嬉しい!うん、呼ぶ呼ぶ!」
本当に嬉しそうに、身を乗り出して冬子に近づく。
少し身を引いた冬子だが、とどまってはにかむように微笑んだ。
こういうことを、自分から言えるようになったことも、進歩だと感じる。
「あー、どうしようかなー。私がゆっこで、一応あだ名だし、館乃蔵さんもなんか……」
それまで黙って女2人の成り行きを見守っていた春日がそこで口を挟む。
「そうだな、なんかこうあだ名があった方が親しみがわくかも」
「だよね。何がいいかなー。冬子だから『とーこ』で伸ばしてもね」
「とーちゃんとか」
「それはどうよ!」
ぽんぽんと進む会話に付いていけずに、冬子はとりあえず成り行きを見守る。
「じゃあ、いっそ苗字とかどうよ」
「館乃蔵でしょー、館乃蔵館乃蔵、『タッチ』とか」
「『タッチ』、野球やらなきゃだめじゃん!」
「じゃあ、伸ばすよ、伸ばせばいいじゃん。『タッチー』」
「タッチー!いいんじゃね!?」
「ねえねえ、どうよ『タッチー』?」
げらげらと笑いながら、いきなり冬子に話をふる。
問われた冬子は目を白黒させる。
「え、え、え」
「あっははは、やっぱり館乃蔵さんに『タッチー』はないよね」
「だよなー。ごめんごめん。やっぱ普通に名前でいいんじゃね?」
「だよねー……」
「え、ええ!?」
と、そこで声を上げたのは、話題の中心人物、冬子だった。
その声は、どこか不満げだ。
「ええって、館乃蔵さん……?」
「あ、あの、その、わ、私は、別に、た、『タッチー』でも……」
「いや、そんな無理しなくてもいいんだよ、館乃蔵?」
「む、無理なんかしてないわ!」
顔を赤くして身を乗り出す。
お嬢様らしからぬその仕草に、春日と三沢は顔を合わせる。
春日が冬子のほうを向いて、恐る恐る口を開く。
「え、えーと、もしかして『タッチー』がいい、とか……?」
ますます顔を赤くする冬子。
顔をうつむかせると、気づかないほど小さく首を縦に振る。
「あ、わ、わ、私、そういうあだ名とかで、呼ばれたことって、その、なくて、だ、だから、ちょ、ちょっとそういうので呼ばれてもいいかな、って……」
恥ずかしそうに身を縮め、視線をそらしながら、しどろもどろと理由を口にする。
その顔は、りんごのように真っ赤だった。
『……………』
「………」
沈黙が落ちる。
長いようにも短いようにも感じるの空白。
「か、かっわいいな、おい!」
切り裂いたのは、やはり春日だった。
叫ぶと同時に立ち上がり、向かいの席に座っていた冬子の頭を抱え込む。
「もー、本当にツボなんだけど、お前!近頃どうしちゃったよ!」
「ちょ、ちょ、ちょっと、か、春日君………っ!」
じたじたと冬子が暴れるのも気にせず、抱え込んだ頭をぐりぐりと撫で回す。
冬子は羞恥と混乱と、なんだかよく分からない感情で頭が真っ白になっている。
「あー、もうお前本当にいいな!かわいい!」
「〜〜〜〜〜っ」
撫で回す手が、頭から背中に移動してくる。
冬子はすでに恐慌状態だ。
そしてそれを救ったのは、やはり三沢だった。
「だからやめろ、この変態!」
春日の頭に容赦ない拳をたたきつけると、冬子に負担のないように引き剥がす。
「いって、何すんだよ!!」
「それはこっちの台詞だ!」
顎で冬子をさす三沢。
冬子は目を潤ませ、無言で固まっていた。
「あ、あ、あー……」
「ほんっとうにこの馬鹿!!!」
三沢の一撃がもう一度春日を襲う。
春日は頭を抑えながら、深々と腰を下げる。
「その、ごめん、館乃蔵」
「え、え、ええ」
まだ混乱状態のまま、冬子はそれでも頷く。
「本当にごめんね!止められなくて!」
「え、ええ」
何度も壊れた機械のように頷く。
ショックが中々に大きかったらしい。
三沢はさらに一発隣に座っていた春日に食らわせると、顔を緩ませ小首をかしげた。
「ね、それじゃ、『タッチー』て呼んでいいいの?」
「え?」
「館乃蔵さんの呼び方。『タッチー』でいい?」
何を言われたか分からず聞きかえす冬子に、再度問う三沢。
数瞬の後、冬子は青ざめていた頬に血を上らせ、恥ずかしそうにうつむいた。
「その、あなたがよければ、そう呼んでくれるかしら」
「う」
顔の下半分を押さえて、うつむく三沢。
「どうしたよ?」
挙動不審な幼馴染に、春日はジュースを飲みながら問う。
「い、いや、あんたがタッチーをぐりぐりしたい気持ちがちょっと分かるわ」
「だろ?したいだろ!?」
「だからってすんな!」
そこで気をとりなおして、再度嬉しそうに頬を赤らめる冬子の向きなおす。
「それじゃ、これから改めてよろしく、タッチー」
冬子は、その日一番の笑顔を見せた。



***




「ねえねえ、じゃあさ、俺もタッチーって呼んでいい?」
照れあいながらタッチーゆっこと呼び合う2人に、どこかすねて頬を膨らませる春日。
「だめ」
間髪いれず即答する三沢。
「なんでだよ!?」
「これはあたしが勝ち取った権利なの!あんたなんかに呼ばれたら台無しじゃない!」
「はあ、なにそれ!おーぼーおーぼー!!!」
「横暴って漢字で書いてみろ!」
結局は三沢に勝てない春日は、今度は冬子に向きなおす。
「じゃあ、冬子って名前呼びでどうよ?俺もカズでいいから!」
その言葉に、冬子はまたまた固まる。
どんどん顔が、紅くそまっていく。
鼓動のスピードが、跳ね上がる。
「そ、そ、それは、や、やめて、ちょうだい」
「えー、なんでだよ。俺に呼ばれるのいや?」
「そ、そうじゃなくて」
「俺だけ仲間はずれかよ」
ちょっと寂しげに口を尖らす春日に、慌てて思い切り首を振る。
「そ、そうじゃないの!そうじゃないのよ!」
「じゃあいいじゃん、冬子」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」
「冬子」
「だ、だめ!!!!」
立ち上がり、机を叩く。
もはや顔といわず、全身が赤く染まっている。
「わ、私、だ、男性に、お兄様とかお父様以外に、な、名前で呼ばれたことないから……」
だからやめてくれ、と続けようとした冬子に、春日が満足気に笑う。
「じゃあ、俺が初めてか。うわあ、光栄!よろしく冬子」
「っっっっっっっ!!!!」
「今日は、1人でよく頑張ったな、冬子」
そうして固まっている冬子の肩に手をかけ、ゆっくりと座らせる。
「冬子の友人として、お前が頑張っているのは嬉しいよ」
されるがまま座った冬子の、つややかな黒髪を優しく撫でる。
されている方は、また目尻に涙が浮かんでいる。
「冬子」
ちょっとかすれた低い声は、どこまでも優しい。
けれど、今の冬子には、それは暴力にすら思えた。


「その辺にしておけよ、カズ」


その後、呆れた声の三沢の鉄拳制裁で止められるまで、春日のイジメ(?)は続いた。





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