その後、三沢によって連れてこられた店は、黄色を基調とした店だった。
空が濃いオレンジから藍へとその色を変えようとする時間帯、店の中は老若様々な女性でひしめき合っていた。
買い物帰りの主婦らしき女性から、冬子達と似たような制服姿の女の子まで。

冬子が初めてとなるその場所に足を踏み入れると、途端にむせ返るような甘い匂いに包まれた。
甘い甘い焼き菓子の匂い。
入り口のすぐ横には、バラエティ豊かなドーナツが飾られている。

こ、これは何かしら。
お菓子屋さん…?ドーナツが沢山あるけど…。
ガラスケースに入っていないけど、これはオブジェかしら…。
お客さんは…店内で色々と召し上がってるようだけど…。
…あれは餃子?と、何か麺類?
もしかしてここは学食と同じようなシステムの食堂なのかしら。
ああ、そうね!テーブルの上にトレイが乗ってるし!
うん、それなら大丈夫、食券を買って、そしてそこのトレイをもって、あそこのカウンターで食品と交換するのね!

さりげなくきょろきょろと周りを見渡しながら、冬子は自分なりの推理を展開する。
納得がいくと、不安げに寄せていた眉をほどき、ほっと息をはいて肩の力を抜いた。
そして今度は券売機を探そうとする。
視線をさまよわせていると、隣にいる少女がはしゃいだ声をあげた。
「どれにする、館乃蔵さん?私はやっぱりポンデかな。あ、でもフレンチクルーラーも捨てがたい。て、あれ、どうしたの館乃蔵さん?館乃蔵さーん?」
三沢が隣に注意を向けると、長い黒髪の少女は挙動不審なまでに落ち着かない動きを見せていた。
あたりを見渡したかと思うと、ガラスのはめ込まれたドアから外に目を凝らしたり、奥の座席を背伸びするように探してみたり、カウンターの下を腰をかがめて覗き込んだり。
お嬢様らしからぬその奇怪な行動に、三沢が恐る恐ると声をかける。
「た、館乃蔵さん?」
「あ、ご、ごめんなさい」
冬子はようやく気づいたように、三沢に視線を戻す。
その頬は、少し赤らんでいた。
「どうかしたの?何か探し物?」
「あ、えっと、その………」
首をかしげてかわいらしく聞く三沢に、冬子はまた視線を泳がせる。
「館乃蔵さん?」
再度問う三沢に、冬子は下唇を一度軽く噛むと、ちょっとうつむき加減で口を開いた。
「その…………」
しかしその声はどんどんと小さくなり、最後には聞こえなくなってしまう。
「なーに?」
それでも三沢は辛抱強く、冬子の口元に耳を寄せた。
急に至近距離に詰め寄られ、驚いて一歩引きそうになる冬子。
しかし、その足をどうにかして引きとめることに成功した。

そのやり取りはついこの間のことを想起させた。
目の前の少女は、軽薄な男を思い出させる。
その無神経さも、不躾さも、明るさも、大らかさも。

「あ、その……」
「うん」
「け、券売機って、どこかしら……」
「はあ?」
ようやく出てきた言葉に、素っ頓狂な声を上げる三沢。
「だ、だから券売機は……」
「え、えーと、なんで券売機……?」
もう一度少し上ずった声で繰り返す冬子に、眉を寄せながら問う三沢。
「だって、食券が買えないでしょう……?」
「しょっけん?」
その後、詳しく事情を聞いた三沢は、場もわきまえず爆笑した。
しゃがみこんで、涙目で。

本当に、目の前の少女はあの軽薄な男を連想させる。
その笑い上戸なところも。



***




「いやー、ごめんごめん!悪かった!本当にごめんね!」
ようやくドーナツを手に入れることが出来た二人は、奥にある座席へと移動した。
仲良く二つづつ並べられたドーナツを前に、手を合わせて平謝りする三沢。
「いえ、結構よ。私が世間知らずなことは、重々承知しているし」
そう言いながらも、目元を染めて口を尖らせている冬子。
「本当にごめんって。ほらほら、ドーナツ食べて食べて。おごりおごり」
「………ええ」
ここのドーナツは三沢のおごりだった。
冬子は強固に辞退しようとしたが、三沢はさっさと会計をすませてしまったのだった。
システムが分からない冬子には、会計の方法も、値段の相場も分からない。
言われて、たどたどしい手つきでナプキンに包み、小さくちぎって口元に運ぶ。
「ん!」
一口入れた途端、目を大きく見開く冬子。
「だ、大丈夫!?やっぱりまずかった!?口に合わなかった!?は、吐いて吐いて、はい!」
慌てて冬子の前に両手を差し出す三沢。
「おいしい!」
「は?」
「おいしい、すごい、面白い食感ね!」
「あ、そう」
呆気にとられたように手を引く三沢。
冬子が口にしているドーナツは、その食感が売りの、球体がいくつもつながったような形態のものだ。
顔を綻ばしながら、優雅な動きで、しかしものすごい勢いでドーナツを平らげていく。
その様子を呆然と見守りながら、三沢もだんだんと頬を緩めていった。
「ぷっ、くくくく」
そして唐突に噴出した三沢に、ようやく冬子が手を止める。
「あ、ご、ごめんなさい。はしたなかったしら…」
そっとドーナツを皿の上に戻し、赤らめた頬で口の周りをナプキンでぬぐう。
三沢はそんな冬子をにこにこと見つめた。
「はしたないって……、実生活で使ってる人初めて見た。いやいや、ちょっと意外だったから」
「意外?」
「館乃蔵さんがこんな風に、ドーナツにがっつく姿は想像できなかったなー」
「が、がっつくって……」
「あ、ごめんごめん。でも親しみやすいなー、って。なんか嬉しい」
がっつく、という単語からはマイナスイメージしか思い浮かべることが出来ない。
しかし目の前の快活な少女は嬉しそうに満面の笑顔を浮かべながら冬子を見ている。
冬子はその真っ直ぐな視線にますます頬を赤らめて、うつむいた。
「もっとこう、なんつーかツンケンしてて感じ悪い人なのかと思ってた」
「………私ってやっぱりそんなイメージなのね」
「うーん、やっぱね、誰ともしゃべらないし、お高くとまってる感じだし、正直ここに誘った時も、こんなところで食事なんて出来ないわ!とか言われるかと思った」
ズケズケとストレートに切り込んでくる言葉に、冬子は改めてショックを受ける。
わかってはいたが、改めて聞かされると耳も胸も痛い。
そうして暗い顔になった冬子を気遣うためか、三沢が言葉を続ける。
「でもカズの言ったとおりだね。結構かわいい」
「か、かわ、かわいいって……」
言われなれない言葉に慌てる冬子。
そんな冬子を三沢は相変わらずにこにこと見ている。
「いやー、よかった。この前のこと、これでチャラにならないかな?本当にシツレーなこと言っちゃってごめんね!」
冗談めかした言葉で、けれど顔を真剣に改めて、机に両手をつき、頭を勢いよく下げる。
今日何回、三沢には謝られているだろう。
何度も繰り返す言葉に、意味が軽くなるようにも感じるが、その潔さに冬子は胸がちりりと痛んだ。
冬子には、出来ないこと。
けれどしなければならないことだった。
「頭を、あげてちょうだい」
「あ、うん。許してくれる?」
眉を下げて、ゆっくりと顔を上げる三沢。
冬子は一度大きく息を吸い、吐く。
そしてしっかりと三沢と目を合わせた。
「ごめんなさい」
「はい?」
「その、ごめんなさい。私こそ、失礼なことを言って。あの言葉は本当にひどかったわ。心から、謝罪します」
そうして先ほどの三沢のように、机に手をつき頭を下げる。
「へ?へ?」
「失礼だったのは、私のほうだわ。貴方は、私を愚弄しようとしたのでもなくただ、思ったことを口にしただけだったのでしょうし」
そう、あの時のことを思い出して、自分の行動を見返して、そういう結論に至った。
三沢にしろ、春日にしろ、ただ正直なだけなのだろう。
冬子を馬鹿にしようとか、笑ってやろうとか、そういう意志はないのだ。
ただ正直すぎて、少し軽薄なのだが。
しかしそんなところも、意地っ張りな冬子にはないもので、うらやましくもある。
「ぐ、ぐろうってまた難しい単語を…。あー、でもほら、私がシツレーだったのは本当だし。確かにちょっと無神経だし」
「でも、私の方が失礼だった」
「いやいや、私が悪かったって」
「いえ、私が!」
「私だって!」
興奮して声を荒げた二人の間で、コーヒーのカップが音をたてて揺れた。
その音に思わず二人で言葉を切る。
そうしてまた顔を見合わせた。
どちらともなく、口元が緩む。
「じゃ、二人とも悪いってことで」
「……そうしていただけると、ありがたいわ」
ちょっとはにかんで、三沢に微笑みかける冬子。
そんな冬子に、三沢は満足そうに頷いた。
「あー、よかった。無事仲直りできて」
「その、ごめんなさい。無駄な意地をはったりして」
「もうごめんなさい、はいいよ。ふふ、本当にカズの言ったとおりだった」






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