「兄貴に『うぜーんだよ、馬鹿兄貴!いちいち構うんじゃねえよ、このブラコン!生え際やばいんだよ、若ハゲ野郎!!』って言ってこい」
「できるかそんなこと!」

対戦ゲームで負けた俺に待っていたのは、双兄からの過酷な試練だった。
あまりにあまりな罰ゲームに、瞬間的に噛みついてしまう。
双兄は顔をただして、俺を見下ろす。
まるで仕事中のような厳しい顔に、思わず身が竦む。

「自分でなんでもすると言ったんだろう。一度した約束も遂行できないのか、お前は」
「そ、それは………」
「自分で口にしたことぐらい、責任をもて」

そう言われると、何も言えなくなる。
双兄に無理やり言わされた気もするが、確かに言ってしまったのは俺だ。
なら責任は、持たないといけない。
大人しくなった俺に、双兄は顔を少し穏やかにして俺の肩にぽんと手を置く。

「それにな、お前は兄貴に心酔しすぎだ。少しくらいは兄貴離れしないとな。反抗期もないのはよくない。高校生にもなったんだから一発ここらで盛大に反抗してみろ!」
「余計なお世話だ」
「一人前になるために、さあ行け三薙!お前ならできる!」

くそ。
どうしてあの時、なんでもするよ!なんて言っちゃったんだろう。
ノリノリで廊下の先を指さす双兄を見て、俺は肩を落とした。



***




「ほら、行ってこい」
「………他のにしようよ」
「まだ言ってんのか!ばかもん!この軟弱ものが!俺はお前をそんな風に育てた覚えはない!」
「何キャラだよ、それ」

どうしても気が進まなくて、一兄の部屋の前でうだうだと抵抗している。
ていうか、おかしいだろう。
わざわざ部屋に訪れて、うぜーんだよ!て、それシチュエーション的に間違ってるだろう。

「あ、ほら、出てきた。行け!」

そう言って、背中を突き飛ばされる。
突然の暴行に反応できず、俺は廊下の角から二、三歩よろめき、一兄の前で見事にこける。

「三薙?」
「あ、えっと、一兄」

一兄が驚いて目を丸くしながら、転がる俺を見下ろす。
男らしい眉、二重の目、薄い唇、どこまでもかっこいい、俺の理想の体現。
一兄に褒められると、ふわふわして天にも昇る気持になる。
一兄に怒られると、地の底に突き落とされた気分になる。

「何してるんだ、三薙?」

大きな手が、俺の手を掴み引っ張り起こしてくれる。
幼いころからこの手に抱かれ、この手に叱られた。
父さんよりも母さんよりも、近しい手だった。
みそっかすの俺を、優しく厳しく導いてくれた人だ。
誰よりも尊敬する、大好きな兄。

「………あ」

い、言えない。
言えない。

けれど、背中には監視の目が突き刺さる。
逃げられない。
冗談だと分かれば、一兄は別に怒らないだろう。
下らない事をするなと、苦笑してゲンコツをくらうぐらいだろう。
節度を守ってさえいれば、大らかな人だ。

「えっと」

立ちあがらせてもらうが、顔が見れなくて俯く。
廊下の古いが綺麗に磨かれた床の木目が目に入る。

「用でもあったのか?」

優しく問いかける声。
言いたくない。
が、自分で播いた種だ。
責任は取らなきゃ。
後で一兄には、土下座してでも謝ろう。

ぎゅっと目をつぶる。
いけ!

「う、うぜーんだ、だよ、馬鹿兄貴っ!」

声がひっくり返った。
体が震えている。
えっと、それからなんだっけ。
なんて言うんだっけ。

「………三薙?」

一兄の声が平坦になっている。
顔が見えない。
あまりにも申し訳なくて、怖くて、俺は木目を見ている。

「あ、いちいち、か、構うんじゃ、ねえよ、このぶら、ブラコン野郎、生え際……」

そこで、詰まってしまう。
荒く息をついて、なんとか絞り出そうとする。

「はえ………」

が、やっぱり無理だった。
これ以上は、ダメだった。

「ご、ごめ、ごめん、なさい……」

目尻に涙が滲む。
一兄にこんなこと言うなんて、いくら罰ゲームに負けたとは言え、自分で自分が許せない。
自分で自分の大切なものを汚した気分だ。

「ひっ、く、ごめ、ごめんな、さ」

情けなく、涙がボタボタと流れてくる。
鼻が詰まって、うまくしゃべれない。
頭の上から、大きなため息が聞こえてくる。
呆れられた。
恐ろしくて、びくりと肩が揺れる。

「ご、ごめ」

もう一度謝ろうとするが、それは頭に置かれた大きな手で遮られた。
困ったような声が降ってくる。

「分かった、分かったから。気にしてないから泣くな」
「…………」

顎を持ち上げられ、一兄の顔を直視することになる。
怒られるかと思ったが、長兄は困ったように笑っていた。

「いち、に」
「一体何やっているんだ、お前は」
「ごめんなさい!!」

とうとう俺は盛大に泣きだしてしまった。
高校生にもなって情けないと思うが、一兄の前ではどうしても子供返りしてしまう。
一兄に嫌われたら、と思うと目の前が真っ暗になって、深い穴に落ちて行くような気になる。

一兄は苦笑して、俺の頭をくしゃくしゃに撫でる。
最初から分かってはいたけれど、本当に怒ってないと認識できてその場に座り込みそうになる。

「分かった分かった。本当にしょうがないな、お前は」
「いち、にい、ごめ、んなさい」
「気にしてない。というかそれくらいで怒るほど俺は心狭くないつもりだぞ」

笑い混じりに抱きこまれ、背中と頭をぽんぽんと撫でられる。
一兄の部屋のお香の匂いがして、体から力が抜けていく。
小さい頃泣いていた時のように、おおらかにあやされる。
本当に自分がガキみたいで、どうしようもない。
いくら涙腺弱くても、たかが罰ゲームで泣くなんて。
ガキすぎて、恥ずかして、もう色々自己嫌悪で消えたい。

そのまましばらく慰められると、ようやく気持ちも落ち着いて涙も止まる。
取り乱してしまって恥ずかしい。
体を離して見上げると、一兄は眼を細めて笑って、もう一度俺の頭をくしゃくしゃにした。

「さて」
「一兄?」

そして表情を改める。
低い声が、それを命じる。

「出てこい、双馬」



***




「お前なあ、俺の罰ゲームになってんじゃねーか!」
「ごめん!でもやっぱり一兄に文句を言うのは無理!なんか俺の本能的に無理!」

頭を押さえながら、双兄はいまだにぶちぶち言っている。
一兄のゲンコツは、本当に痛そうだった。
どちらにせよ双兄も、一兄には逆らえないように出来ている。

「本能ってなあ」

俺の言葉に、深く深くため息をつく双兄。
そんなこと言われても、生まれた時から叩きこまれた長兄への畏怖と敬愛はちょっとやそっとじゃ消せない。
友達いないけど特に世をすねる理由もないから、ぐれることも難しい。
よって一兄に反抗することは不可能だ。

双兄は長い髪を邪魔そうに後ろに払う。
そして、頷いてくれた。

「分かった」
「あ、終わり!?」
「他のことにしよう」
「まだやるの!?」
「当たり前だろ。このままじゃ被害にあってるの俺だけじゃねえか」

もう解放してもらえるかと一瞬喜びかけた俺は、まだ続く試練に肩を落とした。
双兄が顎に手をあてて思案する。
俺は何を言われるかとびくびくと随分と高い位置にある顔を見上げる。

双兄は兄弟の中で一番背が高い。
顔は母さんに似て女性的だが、それがなんとも言えない色気がある。
黙っていれば、本当にかっこいいのに。
黙っていればなあ。

真面目な顔をしている次兄をじっと見つめる。
双兄は思考時間が終ったらしく、引きしめた顔のまま俺に視線を合わせる。
そしてまた無茶を言い始めた。

「四天に、『今までありがとう。いつもひどいことばっかりいってごめんね。意地ばっかり張ってるけど、本当はいつも感謝してる。大好きだよ、愛している、我が弟よ!』って言ってこい」
「無理!」
「さっきみたいな文句じゃないぞ」
「想像するだけで無理」

次なる試練を、即座にまた却下する。
けれど双兄は細めの眉をしかめた。

「お前、簡単なことやってたら罰ゲームになんねーだろ」
「で、でもさ!」
「つべこべ言うんじゃねえ!ほらいくぞ!」

そしてそのまま、首根っこをつかまれて、四天の部屋まで引きずられた。



***




部屋に着くと、四天はちょうど部屋から出てきた。
くそ、なんてタイミングがいいんだ。
いっそいなければよかったのに。
今日に限ってなんでいるんだよ。
双兄に背を押され、俺は今度は転ばずに四天に向って二、三歩歩いた。

「兄さん?」
「………四天」
「どうしたの?」

突然現れた俺に、四天は小さく首を傾げる。
俺は四天の前に立って、また床の木目を視線でなぞる。

「その………」
「うん」
「えっと」
「うん」
「あの………」
「うん」

中々次の言葉が出てこない。
ていうか、なんて言うんだっけ。
やばい、頭が真っ白。

「だから」
「用がないならもう行っていい?」
「用はある!」

相変わらず冷静な弟に、俺は咄嗟に顔をあげた。
ここでもギブアップしたら、今度は何をさせられるか分からない。
ここが妥協点だろう。
さっきみたいに人を傷つけるような罰ゲームじゃない、感謝の言葉を言うだけだ。
むしろ、いいことだ。

「できば早くしてくれるかな?俺やること色々あるんだよね」
「うん………」

どうせ俺と違ってお前は忙しいよ。
くそ。
お前は何もかも持ってるよ。
力も、仕事も、信頼も、彼女も、友達も。
嫉妬と羨望で、腹の中がぐるぐるする。

違う。
こんなことしてる場合じゃない。
頭をぶるぶると振って気分を変えようとする。

「………なに?」
「なんでもない、あのさ」
「うん」

顔をあげると、まだ四天は俺の前で待っていた。
引きこまれそうなほど真っ黒に輝く眼が、俺を見ていた。
人形のように整った中性的な顔だが、意志の強そうな眉は一兄に似ている。

冷たくてひどいやつだけど、変なところ律儀だ。
いや、四天はこういうところは、元々律儀だ。

人の話は、ちゃんと聞く。
どんなに忙しくても、俺が話しかければちゃんと待っていてくれる。
聞いてくれる。
相手にしてくれる。

まあ、聞いてくれるからと言って、言うこと聞いてくれたり楽しく話ができるかっていうとまた別の話なんだが。

でも、こんな態度の俺でも、嫌わないでいてくれる。
こんなの俺の一方的な嫉妬なのに、それでも無視したりしない。
嫌みはいうし、冷たくされるけど、その態度に怒ったりもしない。
俺が馬鹿な真似をした時は怒るが、後始末してくれる。
まあ、俺に対して怒るだけの思い入れも興味もないのかもしれないけど。

でも、嫌みたっぷりで乱暴だが、いつも、助けてくれる。
それが、たとえ家からの命令でも、後で面倒くさくなるよりマシという理由だったとしても。

「その………ありがとう」

俺が言うと、天は軽く眉をひそめた。

「は?」

こっぱずかしくて屈辱で、目を伏せてまた床の木目をなぞる。
これは罰ゲーム。
これは罰ゲーム。

頭の中で、何度も繰り返して動悸を抑える。
双兄に無理矢理やらされているんだ。
だからしょうがないんだ。

「その、いつも、お前に、文句ばっかり、言ってるけど、でも俺、本当は、感謝してる。いつも色々、あり、がとう」

あれ、これであってたっけ。
なんか忘れた。
なんかこんな感じだった。
頭真っ白だ。
いいや、だいたいあってるだろ。
えっと、後は。

『大好きだよ、愛している、我が弟よ!』

そうだ、思い出した。
えっと。

「………」
「だいす………」

き、と言いかけて、一気にそこで顔に血が集中した。
我に返ったともいう。

「って言えるか、馬鹿!」
「俺は言えって言ってないよ」
「分かってる!」

そう、言ったのは双兄だ。
いくらなんでもそこまで言えるか。
感謝の気持ちはいい。
感謝の気持ちは百歩譲っていいとしよう。
だがこれは無理だ。

四天は軽くため息をついて、廊下の壁に背を預けて、少し長めの髪をかきあげた。
相変わらず眉はひそめられたまま。

「ていうか気持ち悪い」
「お前、人の感謝の気持ちをなんだと思ってるんだ!」

めったにない俺の感謝の言葉を、弟はそう切り捨てた。
それどころから、秀麗な顔を歪めて嘲笑う。

「で、今度は双馬兄さんのどんな口車に乗ったの?」
「……………」

ばればれだ。
考えてみれば、罰ゲームでありがとうって言わされたっていうのも、ひどい話だ。
本当は思ってないってことを言わされたということだ。
これで四天が騙されたら、俺はどうしていたんだ。
騙されて馬鹿じゃん、とか嘲笑っていたのだろうか。

それは、人の心を弄ぶような、行為だ。
気付いて恥ずかしくて、また顔を伏せる。

「まあ、いいけど。できればあんまり俺を巻き込まないでね。双馬兄さんもね」

最後の言葉は、廊下の奥のほうに向けられた。
そっちもばればれだ。

「じゃあ、俺行くね」

そう言って、四天はしなやかに身を翻して反対方向に去っていった。
俺はただ弟にひどいことをしたのが恥ずかしくて、俯いている。

「俺が用意したセリフと随分違うじゃねえか」
「…お、覚えらんないよ」

いつのまにか後ろに立っていた双兄の腕が頭の上に乗る。
体重をかけられるとずっしりと重くて気分と共に沈み込んでいく。

「たまには兄貴だけじゃなくて、弟にも素直になってみろ」

双兄のため息混じりの声が、頭に直接響いた。



***




でも、四天。
多分、あの言葉だけは、嘘じゃなかったんだ。





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