「三薙、広間には近づくなと言ってあっただろう」 「知らねーよ!」 三薙は吐き捨てるように言い、不貞腐れた顔でそっぽを向く。 一矢は静かに、けれど怒気を孕んだ声でもう一度弟の名を呼んだ。 「三薙」 三薙はその声に一度びくりと震えて怯える表情を見せるが、すぐにそれを隠すようにきっと長兄を睨みつける。 「うるさいな!兄貴なんて、大嫌い!」 「三薙!」 そのまま年の離れた兄に背を向け、立ち止まることはなく走り去ってしまった。 残された一矢はその背を見つめて軽くため息をつく。 「逃げられたの?」 黙ってソファに座っていた双馬が、その様子を見て漫画雑誌から顔をあげる。 一矢は特に感情を荒げることなく肩を竦める。 「どうしたんだ、あれは」 「あー、なんかクラスでからかわれたみたいだぜ。僕とかしゃべり方がオカマっぽいとか」 「なるほどな」 もう一度一矢がため息をつく。 早いのか遅いのか分からないが、どうやら反抗期らしい。 素直すぎるぐらいに素直な弟は、クラスメイトのからかいも素直に受け止めたようだ。 「兄貴、ねえ」 「あいつが言うとなんか浮いてるよな」 「ま、お前の口調がもっと早くうつるかと思っていたから、遅いぐらいだったな」 今度は双馬がソファに座りながら肩を竦める。 乱暴で意地悪な次兄を、三男はそれでも尊敬し憧れている。 その行動の真似をしたがることが多いので、もっと早くうつるのではないかとも思っていたのだ。 「で、どうするの?」 「どうするかな」 「ま、放っとけば」 「うーん」 一矢が首を捻っていると、そこに先ほどの三男よりも小さな影が現れた。 静かに居間に入ってくると、じっとその大きな目で兄達を見上げる。 「………」 「四天、どうした?」 一矢が問いかけると、四天はちらりと廊下の方に視線を向ける。 そして見かけにそぐわぬ、酷く落ち着いた声で言った。 「お兄ちゃん、どうしたの?」 「叱ったら拗ねてな」 「ふーん」 四天はもう一度ちらりと廊下を振り返る。 そして何かを考え込むように俯いた。 「………」 「どうかしたか?」 「………別に」 それ以上何か言うこともなくくるりと踵を返す。 そして、静かに足音も立てないまま、居間から去っていった。 残された一矢が、再度軽くため息をつく。 「四天もか」 「あいつはすっかり可愛げなくなっちゃったな。泣かなくなったし、三薙に対して態度が冷たくなった」 「なるほど。先宮について行ってからか」 「………多分」 「そうか。少し四天にも話を聞こう」 「………うん」 双馬は何か言いたげにして、けれど何も言わずに頷いた。 「三薙はとりあえず放っておくことにする」 「生意気にも反抗期かねえ」 「お前は年中反抗期だけどな」 「反骨精神の現れだもーん」 双馬の言葉に、一矢が苦笑する。 それからソファに座った次兄の髪をくしゃくしゃと撫でる。 鬱陶しそうに双馬が首を振ってその手から逃れる。 「なんだよ。ガキ扱いすんなよ」 「顔色が悪い。今日は早めに休め」 「だいじょーぶ、だいじょーぶ」 「体調管理も仕事だ」 「………はーい」 一矢の厳しい、けれど労わりに満ちた言葉に双馬は小さな声で返事をした。 それを聞いてから、一矢も居間から出ていこうとする。 すると、双馬はソファに座って漫画雑誌に座ったままぼそりと言った。 「………兄貴も、あんまり無理するなよ」 一矢は振り向いて、微笑んだ。 「ああ、ありがとう」 「三薙」 三薙が目を開いたのに気付いて、一矢が顔を覗き込む。 そして三薙の汗で濡れた髪をそっと掻きあげた。 「大丈夫か」 供給を怠ったせいで倒れた三薙は、力を受け渡した後も、弱っていたせいか発熱して寝込んでしまっていた。 熱に浮かされて焦点の合わない視線で、一矢を見上げる。 「………一兄」 「なんだ、兄貴は終わりか?」 「………」 茶化すように笑うと、三薙がくしゃりと顔を泣きそうに歪める。 そして一矢から顔をそむけるようにして体を横にして枕に顔を埋める。 「三薙、体は大丈夫か?」 もう一度聞くと、三薙は小さく消え入りそうな声で言った。 「………ごめんなさい」 「ん?」 一矢が何でもないように言うと、三薙がちらりと視線を向ける。 大きな目がみるみるうちに潤んでいく。 「ごめんなさい」 「何がだ?何に謝ってる?」 三薙はもう一度顔を枕に埋めて、身を縮こまらせる。 何かから逃れるように体を丸くする三男を、長男が抱えあげる。 「おいで」 ベッドに座りこみ、細く骨ばった体を抱き上げる。 三薙は顔を隠すように、一矢の肩に顔を擦りつける。 「まだ体が熱いな」 「………ごめんなさい」 「何に対して謝ってる」 もう一度聞くと、三薙がぎゅっと一矢のシャツを掴む。 それから絞り出すような震えた声で続ける。 「………酷いこと言って、ごめんなさい。言うこと聞かなくて、ごめんなさい」 一矢はふっと息をつく。 するとびくりと、三薙が怯えるように体を震わせる。 「………ごめんなさい」 「酷いこと、についてはいい。気にしてない。だが注意はお前に必要なことだ。今回の供給についてもそうだ。ちゃんと納得してるか?」 「………うん」 「納得してないことがあったら、聞かないで逃げるんじゃなくて、俺にちゃんと伝えろ」 「………うん」 「納得出来てないことはないのか?」 三薙は肩に顔を埋めたまま、思い切り首を横に振る。 一矢は自分にしがみつく体を一旦引きはがし、もうすでに泣いている三薙の顔を持ち上げる。 「三薙。ちゃんと答えろ」 「………一兄の言うことは、正しいことだから。俺のため、だから。間違ってるのは、俺」 「俺も絶対的に正しい訳じゃない。間違うこともある。だから納得出来てなかったら言っていい」 「一兄の言うことは、絶対正しい!間違ってない!」 三薙はまっすぐに一矢を見つめ、まるで怒るように言った。 少し面喰ったように言葉を失った一矢だが、すぐに苦笑する。 「そうか。分かった」 その笑顔に、三薙はほっとしたように肩の力を抜いた。 「………今まで、ごめんなさい」 「分かった。納得してるならいい」 「………」 三薙が唇をぎゅっと一度噛みしめる。 一矢がその唇を親指で解くと、三薙は涙をぼろぼろとこぼす。 「僕、俺、役立たず、だ。一兄や双兄に、力貰わないといけない。何も出来ない。弱い。なのに、こんな我儘、ばっかり。ごめんなさい。ごめんなさい」 ぼろぼろぼろぼろと後から後から涙をこぼし、しゃくりあげながら謝る。 一矢がその背を引き寄せると、三薙はしがみつきながら不安そうに見上げる。 「………俺のこと、嫌いに、なった?」 一矢が苦笑しながら、首をゆっくりと横に振る。 そして一言一言ゆっくりと区切るように話す。 「嫌いになんてならないよ。三薙はいい子だ。俺はお前を嫌いになったりしない」 まあ、注意したり叱ったりはするがな、と茶化すように言って一矢が笑う。 それを聞いて、三薙が一矢の胸に顔を埋め、涙でシャツを濡らす。 「………ありが、とう」 「ああ」 「ごめんなさい」 「ああ」 そのまましばらく、一矢にしがみついたまま三薙は泣き続けた。 |