雫さんが手にした紙切れから、二人とも目を離せなかった。
どこか呆けたような声で、雫さんが言う。

「探してって、どういう意味だろ………」
「うん、誰、なんだろ、これ」
「子供の、字だよね」

二人とも脳裏に浮かんだのは、恐らく同じだった。
家族三人で並んで映っている、見ているこっちが微笑んでしまいそうな幸せそうな写真。
そして恐らく子供部屋だと思われる、この部屋。

「あの、写真の子供、かな」
「そう、なのかな」

同じことを考えていたのを証明するように雫さんが言った。
俺も曖昧に頷く。
そうは思うのだが、これだけでは、何も分からない。

「ねえ、どうする?」
「どうするって、言っても」

そんなの、決まっている。
動かないことが、一番だ。
余計な行動が、混乱を招く。
今までの経験で、よく分かっていることだ。
でも、この紙きれの存在を無視するのは、ちくちくと胸が疼く。

「開いてる、ね」

雫さんの言葉に閉まっていたドアに視線を送ると、さっきまでぴっちりと閉まっていたドアが少しだけ開いている。
まるで、俺たちを誘うように。
そこから何かが覗いているような錯覚に陥り、少しだけ背筋がぞっとする。
そういえば、今まで夢中で気付かなかったが、随分体が冷えている。

「1階の部屋は後一つだけ、だっけ」

雫さんは腕をさすった俺を怪訝そうに見てから、首を傾げる。
言われて、屋敷の構造を思い出す。
玄関を入ってすぐに廊下がずっと続いていて、右側に扉が四つ。
左側は窓が並んでいて、奥には階段が見えた。
そして階段の奥に、もうひとつ扉があったはずだ。

「ううん。階段の先に、一つ部屋があった気がする。」
「そうだっけ。うん、そうかも」

後、二部屋。
『人』の気配は全然しない。
阿部は、どこにいるのだろう。
あの足音の主は、何者なのだろう。
岡野は、無事なのだろうか。

「1階だけ、見てみない?」
「………」
「出るの、手間かかりそうだしさ。後二部屋だしさ。あんたのクラスメイトも、いるかもしれないし」

本当は何もせずに、天を待つのが一番正しい。
分かっている。
分かっているけど。

「………うん」

分かっているのに、頷いてしまった。
天が呆れた顔でため息をつく姿が、目に浮かぶ。
でも一階だけ。
後、二部屋だけ。

「………でも、何かあったら、すぐ逃げよう」
「うん、それは、勿論」

自分に言い訳するように言うと、雫さんもどこかほっとした表情で頷いた。
それから顔に緊張を滲ませ、わずかに開いたドアに手をかける。

「あいつ、いないよね」
「多分」

足音は、一度来たら、しばらくは訪れないようだ。
移動するなら今のうちだ。
雫さんが素早くドアを開くと、ギイっと音がなって心臓が飛び跳ねる。
向かいには大きな窓が一つあって、光が差し込んでいる。
相変わらず屋敷内に生き物の気配はない。
けれど警戒して足音を立てないように静かに、けれど素早く隣の隣の部屋に移動する。
思ったより長い距離に、鼓動がスピードを上げる。

「よし、ついた!」
「閉めるよ!」
「うん!」

素早く滑り込んで、ドアをしっかりと閉める。
振り返って薄暗い部屋の中を確認するが、さっきのように何かの染みがあったりするようなことはなかった。

「………ここは、普通だね」
「うん」

雫さんも肩から力を抜いて、ゆっくりを辺りを見渡す。
他と同じように埃のつもった少し据えた匂いにする部屋。
他の部屋よりも、なんだか狭く感じるのは、大きなクイーンサイズほどのベッドがあるせいだろうか。
ベッドが部屋の半分以上を占めている。

「夫婦の部屋、かな」
「そうっぽいね」
「何も、ないなあ」
「ベッドにクローゼットに鏡台かあ」

屋敷の中は、全ての部屋ががらんとしている。
他の家具は処分でもされてしまったのだろうか。
本当に最低限の家具だけ、残っている。
二人で辺りを見回し、恐る恐る捜索を開始する。

コツ、コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。

「………」
「………」

そして、また足音が響く。
二人同時に息を呑み、気配を消すように呼吸を整える。

コツ、コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。

やっぱり隣の部屋まで辿りつき、ノックを始める。

コンコン。
コンコン。

「………」
「………」

早く行け。
早く行ってしまえ。
汗をかいた手を握りしめながら、祈るように思う。

カチャ。

「え」

けれど聞こえてきたのは、足音ではなかった。
ドアが、開く音がする。

パタン。

「ど、どういうこと?」
「わ、分からない」

耳をすませて、隣の部屋の音を聞こうとする。
けれど、壁が思ったよりも厚いのか、隣の部屋からの音は、何も聞こえてこない。

「ど、どうしよっか」
「どうしようかと、言われても」

お互い顔を見合わせて、何も出来ずにおろおろとするばかり。
でもここから移動するのも躊躇われて、ただ突っ立っていた。
そのままどれくらい経っただろうか。

カチャ。

隣の部屋から、ドアが開く音がする。

パタン。
コツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ、コツ、コツ。

足音は、この部屋の前を通って、またどこかへと去っていく。
そういえばこの足音はどこから来ているのだろう。
奥にある部屋だろうか。

「………」
「………隣の部屋、入ってたね」
「う、ん」

先ほどまでとは違う。
隣の部屋に入っていた。
あの足音は一体何をしているのだろう。
阿部ではない。
阿部の足音ではないはずだ。

「………」
「………」

いくら考えても答えはでないので、考えることを放棄する。
考えても無駄なら、行動をしよう。
このベッドルームをある程度捜索するが、今度は特に何も見つからなかった。

「………もっかい、玄関チャレンジしてみようか」
「うん、そうしよう」

足音は階段の方へ去って行っていた。
だったら奥の部屋には、行かない方がいいだろう。
雫さんもあの部屋まで見ようとは言わなかった。

「じゃあ、あいつが来ない内にいこう」
「うん」

足音が去った今がチャンスだ。
扉を開けて、素早く飛び出す。
真正面の大きな窓から差し込む光が、薄暗いけれどやはり眩しくて目がくらむ。
廊下の左右を見渡すが、変わらず人の気配はない。

「………あれ」
「ん?」

なんだろう。
何か、違和感を感じる。

「三薙?どうしたの?」

突然立ち止った俺に、後ろにいた雫さんが聞いてくる。

「えっと」

何か、変だ。
何かが、違和感だ。

もう一回左右の廊下を見渡す。
けれど感じた違和感の正体が、なかなか掴めずに胸で渦巻いていた。





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