黒輝は俺を乗せているのにも関わらず、軽やかな足取りで地を駆ける。 それを見て、龍神は身をかがめてくれる。 けれど体の半ば辺りまで首をもたげたところで、首を僅かにふって目を細め歯を食いしばるような仕草を見せる。 何度かをそれを繰り返すが、それ以上身をかがめることはない。 まるでもがいて、苦しんでいるようだ。 どうやら龍ももっと身をかがめたいようだが、出来ないらしい。 あの刀のせいだろうか。 その間にも黒輝が龍神の尾に辿りつき、飛び上がる。 「わ」 振り落とされそうになってぎゅっと堅く滑らかな毛を握りしめる。 痛くないだろうか。 でもこれくらいしないと落とされそうだ。 「うわ!!」 黒い狼は乗っている人間の都合は気にせず、龍神の体を、たん、たんと身軽に駆けあがって行く。 世界が横になったり、斜めになったり、目がぐるぐると回る。 駄目だ、これじゃ本当に振り落とされる。 咄嗟に黒輝の首にしがみついて、身を伏せる。 黒輝が苦しくないかと思ったが、特に気にすることなく龍の体を上って行く。 息もあがらない様子は、本当にこいつは鬼なんだなと改めて思わせる。 龍は俺たちが上りやすいようにじっとして、なんとか刀に近づきやすいようにしてくれている。 このままだったら後少しで辿りつけるだろう。 そこで首を伸ばして龍の体を見たところで気づいた。 龍の首、といっていいのか分からないけれど、頭の下の後ろ辺りに刺さった刀、その辺りから何か変なものが沸き出てる。 「なに、あれ」 黒い帯状の霞みのようなものが、刀の辺りからいくつもいくつも漂っている。 そこだけ黒い霧に覆われてるように、黒い帯が巻きついてる。 「………血?」 あの黒いのは血だろうか。 そう思った瞬間、黒輝が小さくぐるっと唸って身を捻った。 突然の重力に頭が思い切り殴られたように揺らされる。 「え、なっ」 驚きと抗議を込めて、声を上げると、今まで俺たちのいたところに黒いものが通り過ぎる。 なんだと思う前に、また黒輝が今度は器用に龍の背の上で宙返りをする。 「わ、まった!」 目をつぶって、強く黒輝の体にしがみつく。 脳がぐらぐらと揺らされて、吐き気がする。 そのまま体を揺さぶられて、なんとか目を開くと、先ほどより刀から遠ざかっていた。 黒輝が距離を取ったらしい。 ここなら、龍の体が平らになっていて、落ちることもなさそうだ。 ひとまず、ほっと息をつく。 「な、に、何が?」 黒輝が小さく唸って、刀の方を顎で指す。 つられてぼんやりとしたままそこを見ると、先ほどの黒い帯が俺たちを威嚇するように首をもたげていた。 帯というより、黒い蛇が何匹もいるかのように、ゆらゆらと意志をもって動いている。 「あ、あれって」 さっきの黒いのは、あれか。 意志と悪意を持っているらしいあれは、俺たちを襲ったのか。 刀の力か、龍の血か、集まった邪気か何かだろうか。 「黒輝、今のって」 「刀の力と龍神の血で作用して敵対者を妨害しているようだな」 黒輝の声が説明して、俺はもう一度目を凝らす。 黒い蛇のようなものは、いまだに俺たちをじっと見ている。 これ以上近づけば、さっきと同じように襲われるというのは、本能的に理解できた。 「どうすればいい」 「あれに触れないように刀に辿りつけばいい」 「って、簡単に言っても」 あれ、そういえば黒輝が話している。 また人型になったのだろうか。 いや、でもしがみついてる感触は堅くて艶やかな毛並みのままだ。 「うわ!」 視線を落として、俺は思わず手を離した。 そして落ちそうになった慌ててもう一度しがみつく。 「怖い!黒輝それ怖い!キモイ!頼むから完全にどっちかになってくれ!」 「………」 黒輝は狼の体に、人間の顔という中途半端な変化を遂げていた。 怪談話の人面犬のようだ。 無駄にイケメンなだけ、余計に気持ちが悪い。 「お前は面倒だ」 黒輝はとても不満そうに、それでも人型になってくれた。 よかった。 本当によかった。 こんな時になんだとは思ったのだが、ホラーだった。 俺は自然と人型黒輝におんぶされる形になる。 おんぶというか、俺が首にしがみついてる感じだけど。 「下りろ」 「あ、ご、ごめん!」 「お前、武器はあるか」 「えと、あ、ある!」 袂には、一兄が貸してくれた懐剣が入っている。 鈷もあるが、この場合はこっちの方がよさそうだ。 袂から取り出し、小刀袋の組紐を解く。 小刀袋はそれ自体に封印の効果があったので、取り出した途端一兄の力が濃厚になる。 途端に黒輝が嫌そうに眉を寄せた。 「………それは長子のものか。通りで嫌な気配がした」 「ああ、守りの力が入ってるから」 邪を退ける守護の力を込めた刀は、鬼である黒輝には毒なのだろう。 なにしろ、これ自体で結界を張れるぐらいの力は込められている。 「あ、これで結界を張って、刀の元へ行けば………て、黒輝が駄目か」 「お前があそこまで一人で行けるのならば構わない」 「………多分、無理だ」 結界を張って黒輝に乗ることは出来ないだろう。 だからといって、完全に垂直になっているようなところもあるので、俺が一人で、あの蛇をかわしながら刀まで辿りつくのは、かなり困難だろう。 となれば、道は一つだ。 「………刀で振り払いながら、あそこまで行く?」 「それしかなかろう」 「………だよな」 それもまた、とても困難な道だ。 黒輝に乗って、さっきのように振り回されながら、刀であれを薙ぎ払う。 出来るだろうか。 「儂に刃を向けるなよ」 「わ、分かってる」 でも、やらなければいけないのだ。 顔をあげれば、ここからは天の入った泡が、さっきより近く見えた。 天の顔は穏やかで、苦しんでいる様子はない。 ただ真っ白で人形のように端正な顔は、まるで作り物めいてみえて、怖くなる。 天には頼れない。 だから、やらなければ、いけない。 俺しか出来ないのだ。 そう、俺がやるんだ。 「なるべく避けるから最小限振り払え」 「う、うん、ありがとう」 黒輝が淡々とフォローのような言葉を告げてくれる。 そう、大丈夫だ。 黒輝も協力してくれるのだ。 目を瞑って、何度か深呼吸をする。 落ち着け落ち着け落ち着け。 落ち着け。 大丈夫だ、出来る。 青い青い、海の色。 澄み渡った空の下の、空の色をたっぷりと吸った海。 ああ、そうだ、きっと、その海の下は、こんな世界なんだろう。 こんな、青と白の、美しい、静謐の世界。 心がすっと、落ち着いて行く。 「うん、行こう」 「どちらにせよ、迷ってる暇はなさそうだ」 「え」 目を開けて顔をあげると、こちらの様子を見ていたかのような蛇が、さっきより距離を詰めてきていた。 じわりじわりと、こちらに這い寄ってきている。 「っ」 「乗れ」 「わ、分かった。ありがとう、頼む、黒輝」 黒輝が身を伏せ、変化を始める。 そしてその手を足が獣の足に変わり、黒い毛を生やし始めたところで黒輝が告げる。 「おそらく、あの刀の抵抗を受けるだろう。あれは龍を制する役目を持ち、主の血筋を決めている刀だ。お前の手に落ちるのは嫌がるだろう」 「そ、そうなんだ」 「お前は抑え込もうなどと考えるな」 「え、じゃあ、どうすればいいんだよ!?」 どちらにせよ、龍を制するような刀が、俺の力でどうにかできるとは思わないけれど。 黒輝の全身が黒い服から、黒い艶やな毛に変化していく。 そして頭が毛ですっかり覆われる直前に静かに言った。 「飲み込め。お前なら出来る」 心臓が跳ね上がる。 血が熱くなっていく。 お前なら出来る。 それは、麻薬のように俺を甘く高揚させる言葉だった。 |