「お前の軽率な行動が、邪を招く。何度も言ったはずだ」 「………はい」 狩衣に身を包んだ父の低い声に、平伏する。 先日の一件では、家にも随分迷惑をかけた。 父や母、宮守一統の力を借りて、あの件は何事もなかったかのように済まされた。 天の使鬼が、平田に化け家族に顔を見せ、その後失踪。 捨邪地であるあの家で消えた、という痕跡はなくなった。 その時様子が変だったということもあり、家出で落ち着いたようだ。 早々に捜索などが打ち切られたのは、宮守の家が手をまわしたせいもあるのだろう。 夏休みに入ったことも手伝って、大きな騒ぎにはならなかった。 そして平田は誰からも忘れられていくのだろう。 それでもきっと、家族はずっと覚えているのだろうけれど。 「以後、身を慎むように」 「はい、申し訳ございませんでした」 「では、さがっていいぞ」 言われて、立ちあがり青く真新しい畳を踏みしめる。 障子に手をかけ、少しためらう。 「父さん…、その」 「どうした?」 「あの時は………」 本当に、平田を、核にするしかなかったのか。 他に方法は、あったのではないか。 助かる方法が、あったのではないか。 「………いえ、なんでもないです」 聞いてどうする。 もう、どうしようもない。 もう、手遅れだ。 聞いて、どんな答えを期待している。 それを聞いて、どうするつもりだ。 どちらにせよ、俺には、何もできなかった。 父が何かを言う前に、俺はその場を立ち去った。 「三薙(みなぎ)」 庭に面した廊下に出ると、低く落ち着いた大人の男の声が聞こえた。 その大好きな声に、俺はすぐに後を振り向く。 「一兄(いちにい)!」 そこには長身の精悍な顔つきの男が穏やかに微笑んで立っていた。 俺より頭一つ分高い背に、男らしく、けれどよく整ったかっこいい顔。 綺麗に筋肉のついた体は、ダークグレーのスーツがよく似合った。 「俺もいるぞ」 「双兄(そうにい)も!」 その後ろには、長兄よりも更に高い背をもつ、けれどずっと細身の長髪の男の姿。 色を抜いた金茶の痛んでいる髪を、緩く後ろで結っている。 この髪型は、かなりかっこよくなきゃ痛いと思うのだが、少しだらしない、けれど男の色気を感じる双兄にはよく似合っている。 立派な学生なのだが、ホストのようだ。 「いつ、帰ってたの!?」 「さっきだ。先宮(さきいみや)に報告を」 「あ、父さんに?」 「ああ」 俺は片山町の幽霊屋敷で失態をみせ、帰ってすぐに寝込んだ。 気がついたら、二人の兄はすでに仕事で出かけていた。 それから、今日まで1週間半ほど会っていなかった。 尊敬する二人の兄に会えたことは、鬱々していた心が少しだけ浮上する。 「………大丈夫か?」 帰ってきたばかりのはずなのに、すでに事情は知っているらしい。 一兄は心配げに眉をひそめ、俺の髪をくしゃりと撫でる。 「………俺は、平気だ、けど」 俺はなんともない。 ここにいて、平和に暮らしている。 気絶していて何も知らない佐藤はともかく、岡野や槇、阿部は俺を胡散臭げな目で見るようになった。 平田の失踪も、不審に思っているようだ。 何も聞かれてはいないが。 もう、親しく話すことは、きっとないだろう。 それは仕方のないことだ。 俺がすべて招いたこと。 受け入れるほかない。 それでも俺は、ここにいる。 でも、平田は、戻ってこない。 「後悔だけしても、何にもならない。次は気をつけろ」 一兄はそう言って、慰めてくれる。 だが、反省も後悔も、人一人の存在と引き換えにするにはあまりに重い。 「引き込まれるってことは、そいつにもなんか業があったのさ。この世界はうまいこと出来ている。きっと、どちらにせよ、イケニエになった奴はいずれ死んでただろ。気にすんな気にすんな」 「双馬」 「すいませーん」 双兄の言葉に、一兄がたしなめるように名前を呼ぶ。 次兄は舌を出して、にやりと笑った。 そんな蓮っぱな態度が、よく似合う人だ。 「だが、双馬の言うことも一理ある。お前が気に病んでもどうにもならない。後悔で足を止めるな。精進を続けろ。繰り返すな」 「………はい」 長兄は、優しさと厳しさでもって、俺の肩を叩く。 その大きな手に、頼もしさを感じる。 そして身が引き締まるような、確かな温かさをもらう。 一兄と一緒にいると、安心できる。 自分のいたらなさに恥じ入ることはない。 ただ、前向きに精進をつもうという気に、なれる。 何をしても、どうにもならない、なんて自棄にならない。 一兄の色は、深い深い青。 濃く深い揺るがない、青。 新月の夜の、星がよく見える空の色。 自分を厳しく律し、常に努力を怠らず血の滲むような修練の末に手に入れた、青。 俺の憧れの色。 「兄貴は堅いなあ。いいんだよ、三(みつ)。俺たちの稼業は、どうせ誰かをイケニエにすることで出来上がっている。お前一人がイジけててもどうにもならねーよ。俺のおかげでゴミ捨て場が一つ綺麗になったぐらいに思っとけ」 一兄の肩に腕をかけ、双兄が馬鹿にしたように笑う。 双兄はどこか露悪的なところがある。 清濁分かれず異ならずの言葉を基とする、宮守の家への皮肉のように。 俺は困って、ただ笑う。 双兄のように、開き直ることはできない。 俺にもっと力があれば、また別の結果があったのではないかと、思うから。 兄達のように、力を持ち、その上で全力を尽くした上にある結果ではない。 脆弱な俺の精神と力が招いた、結果だ。 俺の表情に、双兄が器用に片眉をあげて苦笑する。 「お前も真面目だな。ま、後で気晴らしにどっか連れてってやるよ」 ぽんぽんと、少しだけ乱暴に頭をはたかれる。 結局双兄も俺を気遣う。 二人の兄は、頼もしく温かく優しい。 大好きな、一兄と双兄。 優しいけれど厳しさの勝る父と母よりも、遊んでくれて優しい兄達の方がずっとずっと近しい存在だった。 強く優しい兄達。 俺も大きくなったら、二人のように強くなれると思っていた。 「また、力が少なくなっているな」 一兄の手が頬にかかり、顔を上げさせられる。 まっすぐに見つめられて、目を逸らす。 そういえば、あれからまた、供給を怠っている。 別に、わざとではないのだけれど。 「………俺か、双馬から供給をうけるか?」 俺が、供給をしない訳を知っている兄は気遣うように聞いてきた。 双兄も軽く頷いて、それに同意する。 少しだけ心が揺れる。 兄達からもらうほうが、ずっとずっと気が楽だ。 だが。 「いや、一兄達は仕事帰りで疲れてんだろ。大丈夫、天からもらう」 末弟の名を聞いて、二人の兄は少しだけ顔を曇らす。 一兄は、さっきよりも顔を曇らせる。 「大丈夫か?」 「大丈夫だよ。ささっともらってくる。もう、後悔したくねーし」 そうだ、もう力の供給を怠ったとかくだらない理由で、あいつらに利用されたくない。 弱いなら、せめて、自分の出来ることを、しなくては。 「四天がなんか生意気言ったら、俺に言えよ。お兄様がしめてやる」 「そん時は頼むぜ、双兄」 双兄の言葉に場が和み、笑う。 二人から力の供給を受けられたら、どれほどいいだろう。 でも、父と母から、なるべく供給は天から受けるように言われている。 俺もそれが、一番いいことだと分かっている。 誰よりも、もしかしたら当主の先宮たる父よりも、力を持っているのは四天なのだから。 |