「兄さん、手当するよ」 天の苛立って刺々しい声が聞こえる。 でも体が動かない。 だらしなく部屋の隅に蹲ったまま、動く気にならない。 手足が、重い。 あの後、どうやって屋敷に戻ったかは覚えてない。 足の裏が歩けないぐらいひどいことになっているので、裸足で走ったようだ。 俺は、ご家族に伝えたんだっけ。 どうだったかな。 確か、大騒ぎになって。 美奈子さんが、泣いていた気がする。 天に、引っ張ってこられて。 ぼんやりと、記憶に霞がかかっているようだ。 手も足も、じくじくと痛む。 打った背中も肩も痛い。 白い着物が真っ赤に染まっている。 「余計なことして怪我して、コンディション最悪。本当に何しにきたの?」 不機嫌に吐き捨てられる。 されるがままになっていると、泥やら血やらでどろどろになった服を乱暴に脱がされた。 襦袢も汗と血で薄汚れていた。 腕と足をまくられ、齧られた痕や、打ち身と切り傷だらけの肌がむき出しになった。 「服くらい一人で着替えられないの?兄さんいくつ?本当に、どれだけ人に手間かけさせるんだか」 溜息とともに、天が面倒そうに俺の腕をとる。 手際よく消毒をされ薬を塗られ、包帯を巻かれていく。 口調もその手も優しさはないが、巻かれる包帯は綺麗だ。 「だから、兄さんは仕事なんてしないで普通に生活した方がいいって言ってるんだよ」 イライラと、抑えきれないように舌打ちをする。 ここまで感情を露わにしている天も、珍しい。 右腕を包帯だらけにされて、今度は左腕をとられる。 「自分に責任が取れること以外するな、と何度も言ったよね?もうしないって、兄さんも言ったよね?どうして、俺の言うことを一つも聞いてくれないのかな。なんかの嫌がらせなの?」 何も答えることができない。 かすかに納得したり反発したりしているが、表に出すほどの感情になる前に消える。 手足が、じくじくと痺れる。 体が痛い。 それしか、感じられない。 考えられない。 「そうやって、黙って傷ついてれば、誰かがなんとかしてくれる?」 何も反応しない俺に、天は呆れたようにため息をつく。 傷に食い込むようにわざと腕を握られる。 「楽でいいね。俺が手当してくれて、俺が仕事を片付けてくれる。そして誰かが望君を生き返らせてくれる?」 馬鹿にしたように、鼻で笑われる。 でも、それにいつものようにムカついている余裕もなかった。 天の出した名前に、心臓がひきつれるように痛くなる。 「………望君」 煮しめを食べようとして、顔をしかめていた。 食堂から出る時に、手を振ってくれた。 その手は、本当に小さくて。 小さくて小さくて、頼りなくて。 「ほら、足出して。兄さんがここで傷ついてても、何にもならないんだよ。兄さんがしたことは話を大きくしただけ。東条家の迷惑になっただけ。俺たちが出来るのは、仕事だけなんだよ」 足を強く引っ張られる。 怪我だけじゃなくひねってもいたらしい足にズキンと痛みが走り、小さく呻く。 「っ、痛い」 「そりゃ痛いだろうね。こんな怪我してたら」 「痛い………」 包帯を巻きながら、天の手は容赦ない。 足が痛い。 ずきずきと、痛む。 痛い痛い痛い。 足が痛い。 腕が痛い。 肩が痛い。 背中が痛い。 どこもかしこも痛い。 「……痛い、天、痛い」 「ああ、そう」 「痛い、よ………痛い」 俯いた目の先の薄汚れた白い襦袢に、ぽたぽたと水滴が落ちる。 ぽたぽたぽたぽた、水滴が後から後から落ちてくる。 灰色のシミが、広がっていく。 「痛い、痛い………天」 「また泣く」 はあ、とまた溜息をつかれた。 でも、目から零れてくる水が止まらない。 小さな体が、壊れていた。 あんなに小さく頼りなかったのに。 ふっくらした手が、もう動かない。 痛かった。 俺なんかよりきっとずっと、痛かった。 ご飯を食べていた。 笑っていた。 でももう、笑顔が見られない。 「いた……、いた、い………」 包帯だらけの手で顔を覆う。 腕だけじゃなく、手の平もずきずきと痛む。 転んだり草をかき分けたりしたから、小さな切り傷が沢山ある。 痛くて痛くて仕方ない。 痛くて、涙が止まらない。 せっかく巻いてもらった包帯が、濡れていく。 また、溜息が聞こえた。 天が、小さく呪を唱える。 そして乱暴に引き寄せられ、顎を上げさせれた。 「ん」 抵抗する力もなく湿った唇が重なって、温かい呼吸が吹き込まれる。 天の息が、口の中に広がる。 開いた口から舌が重なり、唾液が流し込まれる。 「んっ」 呼吸と唾液と、力が流れ込んでくる。 飲み込むと、冷たかった体にゆっくりと熱が灯っていく。 凍っていた血が熱で溶けていくように、体温が戻っていく。 いつものように膨大に注ぐのではない。 染みわたらせるように少しづつ力が流し込まれる。 意識が白く染まっていく。 痛みが、和らいでいく。 気持ちがいい。 体の中から温まっていくのが。 接している体が温かいのが。 気持ちいい。 温かい。 力が抜けていく。 後ろに倒れそうになって、温もりが離れていく。 離れたくなくて目の前のシャツにしがみつくと、大きな手で腰を支えられた。 温かい。 不安が、溶けていく。 恐怖が、薄れていく。 体中に熱が行きわたっていくのを感じながら、瞼が重くなる。 完全に閉じる前に見えたのは、凪いだ夜の海のように静かな黒い目。 徐々に闇に沈む意識の中で、かすかに声が聞こえた。 「………おやすみ」 そして、意識が黒く染まった。 |