「ワラシ………モリ……」 下がっていた視線を戻すと、白い花の中、毒々しいまでの赤が浮かび上がっていた。 赤い着物を身にまとい、肩で切りそろえたつややかな黒髪がさらりと風に揺れる。 あどけない顔に大人びた表情を浮かべた、美しい少女がそこにいた。 足元には、あの化け物を一人従えている。 本能的な恐怖で一歩後ろに下がる。 傍らにいた天が自然体ながらも、全身に力をみなぎらせる。 そんな俺たちを見て、無邪気にワラシモリは笑う。 「ふふ、なんにもしないよ」 くすくすと笑う少女は、やっぱり大人びていてどこか妖しい。 場の空気が、一変している。 神社のように清浄な、けれど近づきがたい人を寄せ付けない、空気。 とても清らかなはずなのに、なぜか今はそれを禍々しく感じた。 「今日はお祭り。この子たちも落ち着くよ。大丈夫。ただ、お礼を言いに来たの」 「………お礼?」 「雛ちゃん、見つけてくれてありがとね。これで、お祭りできるよ」 ワラシモリは、真っ赤な唇を持ち上げて、にっこりと笑う。 その言葉に、俺は貫かれたような痛みを感じる。 聞きたくない。 知りたくない。 わずかな、希望を、信じたい。 「………ワラシモリ」 「なあに?」 「………ワラシって、なんだ」 天が袖をひっぱるが、それをはねのけた。 弟の言うことを聞かなければ、ひどい目に遭うのは分かっている。 けれど、これは、俺も知らなければ、いけないことじゃないのか。 目を背けては、いけないのではないか。 「お祭りのね、主役よ。私のお友達になるの」 ワラシモリは大人びたすまし顔で、俺の目を見つめて、そう告げた。 その言葉が意味することは、たぶん俺の想像と違っていない。 「雛子ちゃんが、ワラシ、なんだな」 だから、由紀子さんは。 だから、ワラシモリは。 「雛ちゃんは、私のお友達よ。ずっとずっと、生まれた時から、決まっていたの」 足から、力が抜ける。 かくんと、その場に跪く。 なんとなく、気づいていた。 脳裏に、引っかかっていた。 由紀子さんの行動。 ワラシモリの発言。 東条家の空気。 天の制止。 多分、俺は分かっていたんだ。 由紀子さんの言葉を聞いた時に、気づいたんだ。 でも、知りたくなかった。 気付きたくなかった。 信じたく、なかった。 「お兄さんも、小さな女の子だったらよかったんだけどね。そうしたら、お友達になれた。でもね、お友達増えたよ。ね、望」 ワラシモリの言葉が、更に俺を追い詰める。 美しい少女が横に跪く化け物の頭を愛おしげに、撫でる。 望。 それが、そいつの名前か。 目の前が、真っ暗になる。 もう何も見たくなくて、シロツメクサに、顔を埋める。 「な、んで………」 俺の情けないかすれた言葉に、あどけない少女の声が告げる。 「望むのは、ヒト。求めるのは、ヒト。捧げるのも、ヒト、よ」 顔は見えない。 けれど、ワラシモリが無邪気に笑っているのが、分かる。 「この村はね、昔はね、いっぱい困ってたの。寒かったり、暑かったりして、お米とれなかったりしたの。そうするとね、みんなご飯食べれないよね。だから、いらない子、捨てたの。森に皆で捨てたのよ」 口減らし。 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。 知った時は悲しい話だが、遠い世界のことだと感じていた。 「そうしたら、この子たちいっぱい産まれたの。この子たちもお腹空くし、寂しいよね。だからね村に行くのよ。お母さん会いたいよね。ご飯、食べたいよね」 俺が、この手にかけた、三匹の化け物。 動いていたものを、動かなくした。 あれは。 それじゃ。 「でもね、それじゃ村の人困るから。今度はわたしを作ったの。私の一番最初の元はね、東条家のずっとずっと昔の、娘だったの。今はもうお友達がいっぱいいて、最初の意識はほとんど残ってないけどね。私が、この子たちの面倒をみるの。私、この子たちのお母さん代わりよ」 ふふ、とワラシモリが楽しそうに笑う。 どこか誇らしげに。 「でも、私もね、ずっとは、面倒みられないの。疲れちゃうの。だから、お祭りでね、お友達から力をもらうのよ」 それが、21年の、ワラシモリの大祭。 力を失うワラシモリに、力を供給する祭り。 ワラシモリの新たなお友達となる、ワラシを捧げて。 「大変は、あまりなくなったけど、邪気が多いと、穢れと共に、富も舞い込むわ。この村は、こんな山奥なのに、お金いっぱい。でも邪が多すぎると困るから私が面倒見るの」 そうだ。 捨邪地には、邪と穢れと共に富も舞い込む。 人の欲を煽るのも、また邪だから。 豊かな土地、豊富な資源、優れた人材。 そんなものを与えるのも、邪だ。 この村も、どこかで、その恩恵を受けているのだろう。 「望むのは、ヒト。求めるのは、ヒト。捧げるのも、ヒト、よ。ね?」 顔をゆっくりと上げると、少女は口の前で指を一本たてて笑った。 そうだ。 雛子ちゃんも 由紀子さんも。 そして、ワラシモリも。 全ては、ヒトの為せること。 「そして、唆すのは、お前ら化け物だな」 けれど、そこに静かな声が割って入った。 座りこんだ俺の前に出て、四天が皮肉げに笑う。 「…………」 「そんなの、兄さんに言ってどうするの?なんの意味もないよね。お前らは本当に兄さんみたいのを嬲るのが大好きだよな」 「ふん、宮守の業の深きには敵わぬわ。お前らの罪深さには、さすがの妾も震えがくる。恐ろしい恐ろしい」 がらりと口調を変えて、古風な話し方でワラシモリが憎々しげに四天を見つめる。 そんな表情をすると途端に相容れぬ存在と、感じる。 神と邪は、紙一重。 代償を与えて何かを授けてくれるのが、神。 ああ、この子は、本当に、神なのだ。 四天はもう一歩前に出て、ワラシモリの小さな体を見下ろす。 白い力がゆらりと全身を覆う。 「そんな怖い顔をするな、小童。怖くて泣いてしまいそうだ。此度の祭りは、楽しめた。そこの宮守の坊主のおかげよ。礼を言いに現れたまで」 顎で俺をさして、ワラシモリは打って変わってくくっと、毒を含んで笑う。 白く小さな手を、祈るように胸の前で組む。 「げに美しきは、母の愛よ。由紀子の奴、娘のためなら甥だろうと、躊躇しなかったわ。たとえ宮守の坊主であろうと誰であろうと、少女でなければ駄目だと言うのに。なんと素晴らしき盲目の、無償の愛であろう。妾は感動でうち震えたぞ」 芝居がかった言い回しで、ワラシモリが花畑でくるくると回る。 赤い着物が翻って、花をついばむ蝶のように、美しい。 「さて、由紀子の邪心に火をつけたのは、誰かの。運命を受け入れようとしていたあの女に、希望を見せてしまったのは、誰だろうな。類いまれなるワラシの素質を持つ坊主」 俺に視線を向けて、意味ありげに笑う。 黒い感情が、胸を蝕む。 俺に執着していた、由紀子さん。 俺が現われて、誰かを身代わりにすることを、思いついて、しまったのだろうか。 そして、望君は。 「くっくく。ああ、楽しかった。次の祭りは21年後か。仕方ない。しばしの退屈を受け入れようぞ。次も由紀子か美奈子の娘か、それとも分家の娘か。管理者とは大変なことよの。今の当主も、娘を二人、妾に捧げている。哀れな哀れな。ヒトとはなんとも哀れなものよの。ああ、悲しい悲しい」 顔を覆い泣き真似をしながらも、笑いをこらえないワラシモリ。 怒りは感じない。 ただ悲しみと、恐怖を感じた。 「次も宮守の人間と会えることを、心待ちにしておるぞ。次くるのは誰かの。そこの坊主はもう一度、合間見えることができるかの」 「失せろ」 低い声とともに、天の白い力が放たれる。 きゃはははは、と軽やかな笑い声を立ててワラシモリは姿を消した。 「さよなら、お兄さん。ありがとう。楽しかったわ」 耳元で、そっと、小さな声が囁いた。 そして、後には何も残らない。 何もなかったように、ただ白い花が一面に咲いている。 「………俺は、また、守れなかったんだな」 ただ、助けたかったんだ。 いなくなった彼女の笑顔を、もう一度見たかっただけなんだ。 それだけ、だったんだ。 でも、現実は、惨く俺に突き刺さる。 もう、彼女の笑顔は、見ることができない。 「あのね、余計な事をするのは反省してほしいけど、兄さんの責任じゃないことで無理矢理落ち込む必要はないんだけど」 天の呆れたような声が、聞こえる。 でも、無力感が身を貫き、何も答えられない。 「………」 「また、泣く」 目の前が滲む。 花畑がぼやけていく。 嗚咽が、堪え切れない。 ああ、こんなに綺麗な花畑なのに。 「これは、この家のしきたりなの。兄さんにはどうしようもできないこと。わかる?」 「………ごめ……、ごめん」 分かっている。 俺が嘆いても、どうにもならないんだ。 俺が来ても来なくても、雛子ちゃんはワラシとなっていた。 でも。 それでも。 俺が来なかったら、望君は助かっただろうか。 雛子ちゃんも、もしかしたら、何か別の道があったんじゃないだろうか。 あのまま由紀子さんが、雛子ちゃんを守り切れていたら。 なにか別の未来があったんじゃないだろうか。 天の深いため息が、また響く。 俺の腕をとって、ひっぱりあげる。 脱臼した右腕ではないけれど、打ち身だらけの左腕も、強く痛む。 「………これが俺達の『仕事』だよ。兄さん」 黒い眼が、俺をじっと見つめている。 天の、静かな声が花畑にそっと消えた。 新幹線の停車駅に向かう車の中。 高そうな車の乗り心地は悪くない。 悪路でも揺れずに静かなエンジン音で俺たちを運ぶ。 まだ発熱しているし、薬のせいで眠いのに、眠りにつくことができない。 隣を見ると、天は窓の外を見ていた。 俺は、前で運転するおじさんに聞こえないぐらいの小さな声で尋ねる。 「………お前は、気づいていたんだよな」 「まあ、薄々ね。童の神社で、童社。となると、祭神は子供。それで娘の潔斎ね」 「………由紀子さんの、ことも」 「想像はついたね。婆さんも分かってたんだろうけど。たぶん、望君のことも、あの子がどこにいるかも気づいてたでしょ。動揺全くしてなかったし。全く当主ってのは、食えない生き物だ。兄さんに手を出すのは、さすがに想定外だったんだろうけど」 そうか。 何も気づいてなかったのは、俺だけだったのか。 そして一人バタバタとして、混乱を招いたのか。 また、俺が、邪を呼び寄せたのか。 「人前で泣かない」 「………」 泣いてはいない。 でも、どうしようもない闇が、身を喰らう。 なんで俺は、なんの力もないのだろう。 どうして、うまく行動できないのだろう。 「て、ん………」 「せめて、その顔を他家の人間に見せないで。いっそ寝て」 天の大きな手が、俺の頭を引きよせ自分の膝に乗せる。 ジーンズをはいた足は堅く、骨ばっていて痛い。 でも、温かい。 今は、反発心も沸いてこない。 体の力を、抜く。 「……ありがとう………」 「だから、兄さんは仕事なんて、しなくていいんだよ」 少しだけ苛立った、天の声。 そうかも、しれない。 俺はただ、何もせずに生きているほうが、いいのかもしれない。 目を、閉じる。 暗闇が広がる。 かすかな振動と、頭にのった大きな手の温かさを感じる。 手に持った、かさかさの花輪を握りしめる。 『約束よ』 小さな少女の明るい声が、聞こえた気がした。 |