「わ、と」 「あ、ごめんなさい!」 ノックしようとしたら、いきなりドアが開いて顔を打ちそうになった。 咄嗟に避けたから無事だったが。 中から髪の長い清楚な女の子が出てきて、慌てて謝る。 焦ってわたわたと頭を下げる様子はかわいい。 「いや、こっちこそごめんね。来てたんだね。もう帰るの?」 「はい、遅くならないうちに帰ります」 「うちの人間に送らせようか?」 「大丈夫ですよ、まだ明るいんだから」 だんだん夜が早まってきていて、まだ十九時前とはいえすでに夜は結構暗い。 この辺は治安がいいとは言え、かわいい女の子一人で歩かせるのは、やっぱり心配だ。 俺の顔が曇ったのが分かったのか、栞ちゃんは白い頬をちょっと膨らませる。 「もう、しいちゃんも三薙さんも毎回同じやりとりするんだから」 「そうは言っても栞ちゃんが心配なんだよ」 「ふふ、ありがとうございます」 ちょこんと小首を傾げて笑うと、長い黒髪がさらりと肩から落ちる。 やっぱりかわいい子だなあ、と思っていると栞ちゃんの後ろからかわいくないのが現れた。 「もっと言ってやってよ。送るって言ってるのに」 栞ちゃんと話していて和んでいた心が一気に落ちる。 なんでいるんだよ。 まあ、それは当然なんだけど。 ここはこいつの部屋だから。 栞ちゃんがくるりと振り返って、年下の彼氏を諭すように指を突き付ける。 並んで見ていても、やっぱり栞ちゃんが年上には見えないんだけど。 「しいちゃんは受験生だし、お仕事もあって忙しいでしょ。駄目だよ。ちゃんと勉強して、休める時は休んで」 「勉強も体調管理もしてるよ。知ってるでしょ」 「知ってるけど。でも私もしいちゃんが心配なの!」 「俺もかわいい栞が心配」 なんだこの空間。 また俺は邪魔者か。 俺が空気読めない人みたいじゃないか。 ていうか本当にこの二人はいつでもどこでもいちゃつくのはやめてくれないだろうか。 寂しい一人身には厳しすぎる。 「………」 「あ、三薙さんしいちゃんにご用事ですよね。ごめんなさい」 「いや、あの………」 「私もう帰りますから。すいません、邪魔しちゃって」 多分邪魔なのは俺の方だから消えます、と言う前に、栞ちゃんはドアからすっと一歩前へ出る。 そして玄関の方向へ行こうとして、足をとめた。 俺に向き合って、深々と頭を下げる。 「三薙さん、しいちゃんとお仕事ですよね。お気をつけて。お勤め恙無く果たされること、お祈りしております」 「ご期待に添えることができるよう、微力を尽くします」 俺も深々と頭を下げて、激励の言葉に礼を返す。 栞ちゃんは顔をあげると、念を押すように真剣な顔でもう一度俺と弟の顔を見る。 「二人とも、本当に気をつけてくださいね」 「うん、ありがとう」 「俺に失敗なんてあると思う?」 俺のお礼と四天の生意気な言葉にふふ、とかわいらしく笑った。 そして長い廊下をぱたぱたと急ぎ足で去って行った。 その小さくかわいらしい後ろ姿を目で追う。 栞ちゃんの何がいいって、彼女といると俺が大きく感じる。 ぼーっと見ていると隣にいたかわいくないのが先ほどの彼女に向けるのとは全く違う低い声で聞いてきた。 「で、兄さんはなんの用事?」 「あ、えっと、供給してもらおうと思って。明日から仕事だろ」 「ふーん」 面白くなさそうに鼻をならして、それでも部屋に入れてくれた。 四天の部屋は意外なことに結構汚い。 古文書やら漫画やら呪具やらゲームやら、ものが多すぎて床に溢れている。 余っている部屋も物置もいっぱいあるんだから片付ければいいのに、部屋に置いておきたいらしい。 雑然としているくせに、ルールに則って置き場所は決まっているらしく、変な言い方だが綺麗な汚さだ。 まあ、汚さでは双兄がダントツトップだから、そう思えるだけかもしれないが。 どこに座ろうかと周りを見渡して、結局いつも通りベッドの上に腰かける。 四天は勉強机の椅子に腰をかけた。 そして机に頬杖をついて、どこか嘲るように俺の顔を見る。 「少しは反省してるのかな。素直に供給受けにくるなんて」 「………今回は、せめて、足手まといになりたくないから」 「本当に?また勝手に動き回って話を大きくしたりしない?」 いきなりの嫌みに腹が立って反射的に言い返しそうになる。 しかし、嫌みを言われるだけのことはしているのは自覚しているのでぐっとこらえた。 この前は本当に、四天に迷惑をかけた。 仕事も後始末も、何もかも任せきりだった。 役に立たないどころか、仕事を増やした。 大きく深呼吸して、四天の目を見つめ返して答えた。 「………努力する」 「努力ねえ。この前も同じこと聞いたけどね」 厭味ったらしい言い方。 落ち着け、俺が悪い。 怒るな。 感情的になったら、駄目だ。 落ち着いて、先を考えて、行動しろ。 何度もそれで失敗してきただろう。 「………今回は、お前の言うことちゃんと聞く。勝手に動かない。何かする時には、ちゃんとお前に相談する」 「出来るなら苦労しないけどね。足手まといの尻拭いまでさせられると、仕事が倍だよ」 「………っ」 足手まとい。 その言葉が、何よりも胸に突き刺さった。 どうせ俺はなんの力もない。 力溢れる四天に比べて、ちっぽけすぎる存在だ。 お前に、役立たずに生まれた俺の何が分かる。 俺だって、足手まといになんて、なりたくなかった。 お前みたいに、一人で仕事をしたかった。 言い返そうとして口を開けて、なんとか拳を握りしめてこらえた。 力のないのは本当。 足手まといなのは本当。 それを自覚して、その上で何を成せるか、考えろ。 そう、学んだのだから。 「………悪、かった。今回は気をつける」 俯いて、床に積み上がった本を無意味に数える。 落ち着け、怒るな。 最初にこの部屋にやってきた理由を、思い出せ。 「供給、してください」 四天の顔は見れない。 あのすかした涼しい顔を見たら怒りが再発してしまいそうだ。 キっと、四天の座った椅子が錆ついた音を立てる。 「今回は逃げ出さないんだね」 言われた言葉の意味が咄嗟に判断できなくて、顔をあげる。 四天がベッドの近くまで来ていた。 先ほどまでの小馬鹿にした表情は消えている。 いつも通りのどこか飄々とした無表情になっていた。 ふ、とため息をついて肩をすくめる。 「さて、それじゃ供給するよ」 「………うん」 ベッドに座り込んだ俺に、腰をかがめて四天が顔を近づける。 俺は目を閉じて、大人しく従った。 ここで何か文句を言っても、意味はない。 「宮守の血の絆に従い、此の者に恵みを」 四天が簡略化された呪を唱えたのが聞こえた。 顎を持ち上げられ、柔らかく温かい感触を唇に感じた。 いつまでたっても、慣れない奇妙な感触。 「んっ」 ちらりと舌をくすぐられて体が跳ねる。 四天の唾液を感じると同時に、白い力が俺の中に入ってくる。 「ん、ふぁ」 膨大な力の流れを感じて、頭の中が白い力で埋め尽くされる。 体の隅まで熱が行き渡っていく。 脳が焼き切れるような気持ちよさに何も考えられなくなる。 かすかに餓えていた体は、貪欲に力を求める。 欲しいものを与えてくれる存在に、縋りつく。 支えてられなくて、天にしがみついたままベッドに沈み込む。 自然、天も俺にひっぱられて俺の上に倒れ込んだ。 密着した体からも力を感じて、肌がぴりぴりと痺れる。 「ん、ん」 もっともっともっと。 俺の中を、満たして。 「………は、あ」 四天の力で体の中がいっぱいになって、俺は満足から息をつく。 体から力が抜けていく。 何もかもから解放された、充足の時間。 とろとろと眠気が襲ってきて、閉じた瞼が重くて開けない。 「大丈夫?」 「うん、ありがと………眠い」 「いいよ、寝ていけば」 「ありがと………天」 礼を言って、最後になんとかうっすらと目を開ける。 天の部屋の天井の木目が、涙でうるんでいるせいかぼやけている。 近くにある天の顔は、苦く笑っていたような気がした。 すぐに目を閉じてしまったのから、気のせいかもしれないけれど。 |