今日も三限後に荷物をまとめていると、岡野が気付いて寄ってくる。 「宮守、今日も早退?」 「うん。明日か明後日は休むかも」 このまま解決の糸口がつかめないなら、とりあえず泊まり込みもしてみようって思っている。 なんでもいいから、手掛かりが欲しい。 まあ、理想は泊まり込んだら、怪異が起こって原因が分かって、祓って終わり、みたいな感じだけど。 そんなうまくいったら苦労しないよな。 「そっか…。結構大変?」 「俺には大変だな。分からないことばっかりだし」 本当は、一兄が単独でやったり、四天だったらもっと早く出来るんだろうな。 もしかしたら分家がやったとしても、もっと早く出来るのかもしれない。 けれど俺には分からないことばっかりだ。 一つ一つ確かめながらやるしかない。 今まで、何かを考えるのは、天や熊沢さんに任せてしまっていたので、楽だった。 本当に俺、甘えてたんだな。 「怪我だけはすんなよ」 岡野が無愛想に言って、俺の頭を軽く小突く。 指輪が当たって痛いけど、岡野の言葉が嬉しくて額からふわりと温かさを感じる。 「………ありがと」 「旅行台無しにしやがったら許さないからな」 ふんと鼻を鳴らして冷たく言う。 派手な化粧をしたきつい印象の美人の岡野だと、より怖く感じる。 最初の方は結構ビビってたりもしたけれど、今はそれが岡野の言い方なんだって知ってる。 強くて優しくて、頼もしい女の子。 こんな子が、彼女だったらきっと楽しいんだろうな、なんて思って、慌てて打ち消した。 誰も聞こえたりしてないのに、誤魔化すように全く関係のない話をする。 「岡野ってさ、お姉ちゃん?」 「は?」 「妹とか弟いる?」 「妹と弟がいるけど?」 「やっぱり」 なんか、そんな感じがしたんだよな。 俺への接し方とかが、なんだか二人の兄や、双姉を思いだす。 きつくて乱暴だけれど、でも優しくてしっかりもの。 予想通りだったのが嬉しくて、つい笑ってしまうと、岡野はよく手入れされた眉を吊り上げた。 「何だよ」 「いや、だって、しっかりしてるだろ。すごいお姉ちゃんって感じ」 「はあ?馬鹿にしてるの?」 「え!?褒めてんだよ!?」 本当に純粋に褒め言葉だったのだが、どうやら岡野にはそう聞こえなかったらしい。 目を吊り上げて、口をへの字に引き結ぶ。 俺は慌ててフォローするのだが、岡野はふん、と鼻を慣らしてそっぽをむいた。 「どうせババ臭いわよ」 「誰もそんなこと言ってねーだろ!」 「口うるさいババアで悪かったな」 「だから言ってないって!」 なんとかなだめようとするが、岡野は聞いてくれない。 なんでだ。 俺はそんな変なことを言ったか。 「はいはい、そこまでそこまで」 「宮守君、遅れちゃうんじゃないの?彩もそれぐらいにしておきな」 俺が困惑していると、藤吉と槇が入ってきてくれた。 槇がにこにこと笑いながら、ぽんぽんと俺の腕を叩いてくれる。 「大丈夫だよ、宮守君。彩は照れてるだけだから」 「あ、ありがとう、槇」 「宮守君、ストレートだよねえ」 「え?」 困ったように小さく笑った槇に、俺は首を傾げる。 なんだろうと考える前に、藤吉にヘッドロックをかまされた。 「ていうか宮守、俺には感謝の言葉はないの?」 「え、え?」 「せっかく岡野から救ってやったのに。宮守は女の子しか興味がないのね」 「人聞き悪いこというな!感謝してるよ!」 「そんな薄っぺらな言葉はいらない」 今度は藤吉が絡み始めた。 いや、まあ、そりゃ女の子のほうが興味あるけどさ。 いや、そうじゃなくて。 「ほら、宮守君、またのっちゃってる。早く行きな」 「あ、ありがとう、槇」 またまた助けてくれたのは槇だった。 ふわふわとした女の子は、そっと俺を藤吉から引きはがしてくれた。 本当に槇って天使のようだ。 「それじゃ、俺行くわ、じゃあな!」 俺は鞄の抱えあげて、友人達に手をふる。 皆は、ひらひらと手をふって、送り出してくれた。 「頑張ってね」 「気をつけろよ」 「お土産よろしくな」 うずうずと、体中がむずがゆくなる。 やっぱり学校って、いいな。 「あ、一矢さん、三薙さん!」 学校の前まで迎えに来てくれていた一兄と合流して、そのまま幼稚園へと向かう。 事前に連絡した通りの時間にロビーに入ると同時に、島田先生が駆け寄ってきた。 お迎えにしては大げさすぎるし、随分と顔色が悪い。 「島田先生?どうしたんですか?」 問いかけると、表情を曇らせ、俯く。 そして小さな声で、そっと言った。 「………それが、また」 周りの温度が、少し下がった気がした。 俺と一兄は顔を見合わせる。 それから、島田先生と同じように声を顰める。 幼稚園の中からは子供達の歓声が聞こえてくる。 賑やかでのどかな光景からはひどく不釣り合いな俺達。 「………何があったんですか?」 「今日の朝来たら、職員室の、私の、その……机が、切り刻まれていて」 「本当ですか!?」 「………はい」 沈んだ顔で肩を落とす島田先生が痛々しい。 でもどうしたらいいのか分からなくて、とりあえず事務的なことしか口に出来なかった。 「見せてください」 「こちらに来てください」 促され、職員室に訪れると、島田先生が言った通り机が、カッターか何かで切り裂いたような跡があった。 業務用のスチールで出来ているベージュ色の両袖机。 その上に敷かれていた机のカバーや、袖机が執拗に何度も何度も切り裂かれている。 思わず息を飲む、悪意に満ちた光景だった。 「他の、人の机は?」 辺りをぐるりと見回して机を確認するが、他に同じような状態になっている机はないようだ。 職員室に残っていた園長先生ともう一人の先生に視線を投げかけるが、二人は揃って首を振る。 「わ、わたしの、机だけなんです」 震える声で、島田先生が俯く。 今にも泣きそうに、顔をくしゃくしゃと歪めている。 「………わ、私、怖くて。帰る時、ちゃんと施錠は、しているはずなのに」 「お、落ち着いてください。大丈夫です」 「で、でも」 島田先生の二重の目の目尻に涙が浮かぶ。 大人の女性の涙に、どうしたらいいのか分からずにパニックになる。 「大丈夫です。とりあえず座ってください」 横にいた一兄が自然に出てきて、椅子を引き出し島田先生の手を引く。 島田先生はこくりと頷いてされるがままにそこに座る。 「怪我はないですか?」 「あ、は、はい」 一兄が島田先生の足元に座りこみ、見上げるようにして問う。 島田先生の青ざめていた顔に、朱が差す。 「荷物とか、そのほかのものは平気だったんですか」 「あ、机の上に置かれていた、カレンダーとか写真は破かれていたんですけど、それ以外は、引き出しにいれてあったから」 「そうですか、まだ怪我がなくてよかった」 長兄が男らしい顔に微笑みを浮かべると、さっきとは打って変わって顔を赤くした先生は呆けたようにその顔を見つめている。 よかったと思う反面、なんだろう、この訳もない憤りは。 「大丈夫、私と三薙が、必ず解決します」 「は、はい。お願いします!」 こくこくと、島田先生は何度も頷いた。 「………一兄の女殺し」 職員室を後にした俺たちは、二人揃って幼稚園の庭に面した廊下を歩く。 園庭で遊んでいた顔見知りになった子供たちが手を振ってくれるから、こちらも返す。 俺の恨み事に、一兄は軽く肩をすくめる。 「なんだいきなり」 「双兄より、一兄の方が性質悪いよな」 「人聞きの悪いことを言うな」 苦笑して、俺の頭をぽんぽんと叩く。 一兄は確かにかっこいいし、頭もいいし、スタイルもいいし、礼儀正しいし、いやもう、本当に非の打ちどころないんだけどさ。 ああ、でもなんだ、このやりきれない気持ちは。 一兄は大好きだ、大好きだ、大好きなんだけどさあ! 「………一兄、ずるい」 「お前ももう少し経験をつめばこれくらいは出来るさ」 自信に満ちた笑顔でそんな嘘を朗らかに吐く一兄。 嘘だ、そんなはずがない。 17年間非モテだった俺が、急に女の扱いに慣れるはずがない。 学校でも双姉にも遊ばれまくっている俺が、女の人を手玉にとれるはずがない。 「まあ、お前は今ぐらいがちょうどいいけどな」 「よくない!」 俺だって一兄みたいにスマートに女性をあしらえるようになってみたい。 夢のまた夢だけどさ。 黙りこむ俺に、一兄はくすくすと笑って軽く頭を叩いた。 それから表情をすっと変える。 「お前はこれから、子供達の昼食をとるんだったな」 「あ、うん。この前とは別の教室でそうしようかなって」 子供達は、何かを知っている。 けれど、しゃべってくれない。 もう少し、仲を深めてみたら、話してくれるだろうか。 分からないが、やってみるのは悪くないだろう。 「そうか。俺はちょっと幼稚園を見て回る」 「あ、うん。分かった」 「じゃあ、しっかりな」 「分かった。一兄も気をつけて」 俺たちが来てから初めて見たあからさまな異変。 それは予想以上に毒々しい悪意に満ちていた。 今は物で済んでいるが、人にも危害が及ばないとは限らない。 一兄だったら大丈夫だとは思っているが、心配だ。 「ああ、ありがとう。お前も気をつけて」 「分かった」 今度は静波先生が担任をしている年中のとら組でご飯を食べさせてもらうことにした。 昨日と同じように挨拶をして、子供達に輪に加えてもらう。 年長組との会話に比べると、随分と幼くも感じる。 一つ違うだけで、随分と成長しているんだなって感心した。 それでも、珍しい年上の人間に素直に懐いてくれるのは変わらず、とてもかわいらしい。 「ねえねえ、お兄ちゃん、英語お話できる?」 「え、えいご?」 「今度ねえ、英語の先生がくるんだよ」 マジか。 最近の教育は進んでいるんだな。 「この後音楽の時間だよ。私ね、太鼓なんだよー」 「へえ、俺も聞きたいな」 「うん、聞かせてあげる!」 そんな会話をしながら、楽しく昼食は過ぎて行った。 なんとか、警戒心はといてくれたらしい。 こうしている時は、特に何も感じないんだけどな。 「あの、三薙さん」 昼食が終わって片づけをしていると、静波先生がそっと話しかけてきた。 子供達の様子を見ながら、声を顰める。 「はい」 「あの、職員室の、机の件って」 「………ああ」 職員室で起こったことだし、職員は全員知っているのだろう。 静波先生は不安に顔を陰らせてそっと問う。 「あれも、なんかオバケの仕業、なんですかね」 「まだ分かりません。調査中です。すいません俺たちがいるのにこんなことになってしまって」 「あ、いえいえいえ。そういう訳じゃないんですけど」 慌てて手を振って否定してくれるが、こちらとしては不甲斐なさに落ちて込んでくる。 泳がせておきたいということで結界も何も張ってなかったが、今日は張っておいた方がいいだろうか。 せめて職員室だけでも。 「島田先生に、なんかとり憑かれてるんですかね」 「………まだなんとも」 「………そうですか」 つまらなそうにふうっとため息をつく静波先生。 申し訳ないが、本当にこっちとしてもまだ全てが手探りだ。 「先生、何か知ってたりしないんですかね」 「何か心当たりがあるんですか?」 「あ、そういう訳じゃないんですけど、いっつも気の強い先生が、あんなにしょんぼりしてるからって、あ、えっと、しっかりしてる先生が」 「まあ、あんなことがありましたからね」 「はあ」 静波先生の失言はスルーしておくことにしておく。 園長先生を除いて島田先生と、もう一人の金子先生という人が先生方の中では年長だから恐れられる立場なのかもしれない。 先生っていう職業も、色々大変そうだなあ。 「先生ー!康太君がこぼしたー!」 「あ、今行くね!」 ちょっと目を離したすきに、子供が何かやらかしたらしい。 子供の一人が大声で泣いている。 静波先生は慌てて駆けて行った。 俺は隅でおしゃべりをしていた子供達に近寄っていく。 えっと、名前は確か。 「司君、玲奈ちゃん、里奈ちゃん」 「あ、お兄ちゃんなあに?」 「何?」 大きな目であどけなく見上げてくる。 俺はちょっとためらってから、聞いてみることにする。 「最近さ、幼稚園で変なことってある?」 「変なこと?」 不思議そうに首を傾げる三人。 今度はどんな変化も見逃さないように、心構えをする。 ビビるなよ、俺。 「変な噂、とか、変な人を見たとか、不思議なことがあったとか、ない」 三人はきょとんとした顔で見つめ合った。 そして俺を見上げて、里奈ちゃんが口を開く。 「変な人はね、ついてっちゃいけないんだよ」 「あ、うん、そうだね」 もっともだ。 いい教育をされている。 「不思議なこととか、なかった?怖いこととか?」 「怖いこと?」 「あ、玲奈ね、この前お化け屋敷いってね」 司君と玲奈ちゃんと里奈ちゃんは口々に明後日な方向に話し始めた。 そこには全く変わった様子はなく、無邪気でかわいらしい子供達がいるだけだった。 |