「とりあえず、座りましょう」 「はい」 玄関に面した部屋で、志藤さんと二人で真ん中に座りこむ。 今のところ玄関にも窓にも、何かがいる気配がない。 ひとまず、危機は去ったようだ。 今のうちに体力を戻しておこう。 まあ、体力より力の残量数が問題なんだけど。 俺の場合は、休んでいても力が回復しないから。 「そういえば、一体何があったんですか?」 沈黙でいるのも気が詰まるので、志藤さんに話しかける。 熊沢さんからは詳しく聞く暇はなかった。 というかあの人も詳しいことは知らなかったようだ。 志藤さんが目覚めたら詳しく聞く、としか言ってなかったし。 志藤さんは頭を押さえながら思い返すように顔を顰める。 けれど結局は首を緩く振った。 「それが、よく分からないんです。見回しをして歩いていたら、急に結界が壊れて、その後急に目の前が暗くなって、気を失って………」 「そう、ですか」 「………すいません」 志藤さんはまた落ち込んでしまったようで肩を落としてうなだれる。 そのあまりにもしょんぼりとした様子に慌ててしまう。 「いえいえいえいえ!突然の出来事なんだから仕方ないです!」 「………けれど、私がもっと気を引き締めていたら」 俺の言葉に、それでも志藤さんは哀しげな顔をするばかり。 年上のしっかりした人だと思っていたのだが、なんだか随分頼りない。 こういう人だったのか。 励ますのはどうやら逆効果のようなので、方向性を変えることにする。 「言っても仕方ありません。終わったことです。今はどうやってここを守るかどうかを考えましょう」 「………はい」 「落ち込むことは後でも出来ます。とりあえず朝まではここで堪えなくてはいけません。気を引き締めていきましょう」 「はい」 俺の言葉にようやく顔をあげて、頷いてくれる。 どうやら今度は気分を持ちなおすことが出来たようだ。 自分で言いながらどの口で偉そうに言ってるんだ、なんて思うけれど、はったりだろうが志藤さんが元気になってくれるならいい。 志藤さんが困ったように小さく笑う。 「なんだが、私は三薙さんを誤解していたようです」 「え?」 「いえ、なんでもないです。すいません」 志藤さんはかぶりをふって、辺りを見回す。 つられて耳を澄ませば聞こえてくるのはわずかな風の音や、双兄の寝息、俺達の立てる僅かな物音。 気配を感じ取ろうと意識を研ぎ澄ませるが、特に変わった様子はない。 志藤さんもそれが分かったのか、ふっと息をつく。 「………どうやら、静かになったみたいですね」 「そうですね。このまま朝まで頑張りましょう!」 「はい」 それからゆっくりと立ち上がった。 「お茶でも、淹れますね。キッチンがありましたよね」 「あ、はい。でも、少し休んでいた方が」 「いえ。大丈夫です。せめてこれくらいはさせてください」 まだ少し顔色は悪かったがふらつくことはなさそうなので、任せることにする。 こういう時、何かできることがあるなら、していた方が気が紛れるだろうから。 何もできないということほど、辛いことはない。 「あっ」 けれど息を飲む声が聞こえて、俺も慌てて立ち上がって廊下に向かう。 「志藤さん!?」 廊下に出てすぐそこにある小さな流し。 その前にある双兄のいる部屋の襖に、志藤さんは背を預けるようにして立ち竦んでいた。 目を見開いて流しの上にある窓をじっと見ている。 「………っ」 その曇りガラスがはまった窓には、誰かが張り付いていた。 黒く見える影が、両手をべったりと窓に乗せこちらをじっと見ている。 「………下がってください」 顔は見えない。 顔があるのかどうかも、分からない。 ただ、黒い人の形をしたものが、じっと中を覗きこんでいる。 「大丈夫です。ここの結界は破られたりしない。大丈夫」 硬直している志藤さんの手を引いて、そっと部屋に入るように促す。 同時に家の周りの様子を窺うが、結界に綻びはない。 そのまま元いた玄関先の部屋に戻り、また座り込む。 しばらく息を潜めて気配を殺していたが、あいつは追いかけてくる様子はない。 二人して大きな息をついた。 「………すいません、また取り乱して」 「いえ、あれは驚きます。なんか雑多なものばかりですね。大きかったり小さかったり、話したり話さなかったり」 また落ち込みそうな志藤さんに、冗談めかして軽口を叩く。 志藤さんは笑いはしないが頷いてくれた。 「そう、ですね。一貫性がない」 「返してって、どういうことなんだろう」 「私には………すいません」 「あ、だからいいですから!」 また志藤さんが俯きそうになるので、慌てて止める。 本当に落ち込みやすい人だ。 言動に気をつけないと、どこで傷つけてしまうか分からない。 「明日になったら双兄か熊沢さんに聞いてみましょう」 俺の言葉に、志藤さんの顔色がさっと更に蒼白になった。 さっそく失敗したことを知る。 「くま、さわさんは………」 熊沢さんの不在に気がついたらしい。 わずかに唇を震わせて、恐怖を顔に浮かべる。 俺は務めて冷静に答えた。 「母屋の方を護っています」 「そん、な」 声は今にも消え入りそうで、とても痛々しい。 どうにかして励ましたくて、畳について震わせている手に、自分の手を乗せる。 志藤さんの手はとても冷たかった。 「大丈夫です。熊沢さんは大丈夫」 「でも………」 俺だって心配だ。 今すぐに外に出て熊沢さんの安否を確認したくなる。 でも、ここで離れる訳にはいかない。 熊沢さんは俺を信じて、ここを任せてくれたのだから。 それに正直行っても足手まといになるだけだろう。 「あの人なら何があっても大丈夫ですよ。強いんですから」 「………」 だからはったりでもいいから、笑ってみせる。 落ち込んで反省して後ろ向きに考えて暴走するのは簡単だ。 でもそれじゃ、どうにもならない。 俺の役目はここで結界を維持して双兄と志藤さんを守ること。 「明るく考えましょう。暗く考えたって、いいことなんてないんだから。どちらにせよ明日まで結果は分かりません。だったら明日までは楽観的に考えましょう」 熊沢さんは大丈夫。 俺よりもずっと強くて経験を積んでいる人。 俺なんか、心配するだけでもおこがましい。 「熊沢さんを、信じましょう」 ぎゅうっと手に力を込めると、冷たい手に少し体温が移った気がした。 志藤さんは俺の顔を呆けたように見ている。 「………」 「大丈夫です」 もう一度繰り返すと、ようやく小さく頷いてくれる。 まだ焦りと恐怖は抜けきらないけれど、その顔に冷静さが戻ってきている。 「三薙さんは」 「はい?」 「………三薙さんは、強い人ですね」 「え、はあ!?」 思いもよらないことを言われて、上擦った声が出てしまった。 俺が強いなんて、そんなの、言われたことがない。 いや、違う。 一人だけ言ってくれた。 「落ち着いていて、心が強いです」 「そ、そんなことないです!」 慌てる俺に気付くことなく、志藤さんはため息をつく。 なんだかとっても既視感を感じる。 「私は、普段は気を張っていますけど、いざ何かあると、こんな風になってしまう。だからいつも熊沢さんにも迷惑をかけているし………」 どこかで聞いた言葉。 弱くて、迷惑をかける存在。 自分の行動で人に迷惑をかけて、心底落ち込む。 ああ、そうだ。 志藤さんの言動、それは全て俺のもの。 「あ、あの、えっと、なんていうか俺が偉そうに言った言葉は、全部俺が言われてきた言葉なんです」 志藤さんが顔をあげて、不思議そうに俺の目を覗き込む。 年上の男性のその子供のような視線に、恥ずかしくなってきてしまう。 なんか偉そうなこと言ってるなって思ったら、そうだ俺の言ったことは、全部俺が言われてきたこと。 「俺、俺はすごく弱くて、だから人に迷惑かけてばっかりで、いじけて、後ろ向きで………」 弱く弱くて、何も出来なくて、人に迷惑かけてばかりで。 それで落ち込んで、何かをするのが怖くなって、更に何も出来なくなる。 そんな悪循環。 自己嫌悪に陥るばかり。 「それで、一兄や双兄や熊沢さんに、いつも言われてるんです。必要以上に自分を卑下するな。出来ないことを思い悩む暇があったら出来ることを精一杯やれ。その後で出来ないことをどうするかを考えろって。だから、えっと」 なんだか自分で何を言っているのか分からなくなってきてしまった。 だから、落ち込む必要はなくて。 「えっと、その」 握っていた手を離して、握り拳を作る。 「だから、今出来ること、やりましょう!」 無理矢理話を〆ると、志藤さんが驚いたように目を瞬かせる。 やっぱり強引すぎただろうか。 兄弟達や熊沢さんのように、言葉がうまく使えればよかったのだが。 俺の言葉じゃ、まったく説得力がない。 ああ、もう俺って本当に駄目な奴。 って、俺まで落ち込んでたら駄目だから、強気でいかないと。 「………はい」 ぐるぐるしていると、志藤さんは表情を緩めて、頷いてくれた。 蒼白だった顔に、赤みも戻っている。 どうやら、少しは俺の言葉も役に立ったようだ。 「頑張りましょう!」 「はい」 返事も、力が入っている。 これならきっと大丈夫だろう。 コツ、コツ、コツ。 志藤さんの息を飲む声。 また、どこからか音が聞こえる。 風の音だろうか、それとも何かが、再度来たのだろうか。 それにしても、どれだけいるのだろう。 熊沢さんは無事だろうか。 家の周りに張ってあった結界はとても強いものだったのに。 「どうして、結界は、破られたんだろう」 「私の力が………」 「関係ないですから!」 そしてまた俺の不用意な発言に志藤さんが落ち込みそうになる。 励ます立場になって、分かった。 俺って結構面倒な性格だったかもしれない。 |