そこは、乳白色の暖かい世界だった。 「………三薙」 澄んだ、女性にしてはやや低めの声が響く。 現れたのは白いワンピースを着た手足の長いすらりとした女性。 俺の姿を認めて優しく笑う。 「お疲れ様、三薙。私達を守ってくれてありがとね」 「………ううん、双姉」 なんて返事をしたらいいか分からなくて首を横に振る。 双姉が顔を曇らせて、俯く。 「………なんで、教えてくれなかったの、順子ちゃんのこと」 しばらく迷ってから、出てきたのはまるで双姉を責めるような言葉だった。 双姉は悪くないと分かっているのに。 でも、知っていたら、もっと違ったかもしれない。 もっと、別の行動が取れたかもしれない。 そんなことはないと分かってはいるのだけれど。 自分でも双姉へ甘えているのだと、分かっている。 「三薙が、そういう顔をするから」 双姉は怒ったりせず、ただ申し訳なさそうな顔をしながら言った。 今にも泣きそうな声に、罪悪感が胸を突き刺す。 「順子ちゃんと、ただ純粋に遊んで欲しかったの。負い目も同情も感じずに」 「………」 「辛い思いをさせたわね。ごめんなさい」 確かに最初から知っていたら、俺は順子ちゃんの前でうまく笑えただろうか。 純粋に遊べただろうか。 ずっと眠っていることについては、同情していた。 けれど、家のために、こんなにも長い時間、眠り続けていた。 そのことを知って笑っていられただろうか。 「………ううん」 双姉が俺の手をそっと握る。 その白い手は滑らかな感触がするような気がした。 それから目を逸らしながら言う。 「三薙が仕事を続ければ、こういうこと、沢山あるわ。それでも続ける?」 「………天も、言ってた」 「私はあなたに辛い思いをしてほしくないわ」 「………」 俺は何もしなくてもいい。 ただ普通に過ごせばいいだろうと、言ったのは天だったか。 そんなのは嫌だと、言い返した。 今はどうだろう。 どう考えているだろう。 「………こんな辛い思い、するのは嫌だ」 「そうよね」 哀しい思いも痛い思いもしたくない。 辛い事情なんて、知りたくない。 「何が、正しいのか、分からない。前みたいに、ただ何も知らずに仕事したいって言えない」 前はただ、憧れと無知があるだけだった。 役立たずの俺でも、家の役に立ちたかった。 それだけだった。 今は仕事が楽しいだけのものではないと、知っている。 「でも」 「三薙?」 「でも、一兄も双兄も双姉も天も、同じことしてるなら、俺だけ逃げたくない」 俺だけ、痛みを知らないなんて嫌だ。 俺だけ、のうのうと生きているなんて嫌だ。 「………」 双姉がくしゃりと今にも泣きそうに顔を歪める。 涙がこぼれるかと思ったが、その前に双姉の細い腕が俺に絡みついた。 優しい感触が俺を包み込む。 「三薙、大好きよ。愛してるわ。あなたの優しさを愛してるわ」 「俺は、優しくなんかないよ。仲間はずれが嫌なだけ」 やっぱり根底にあるのは、役立たずなのが嫌だ。 兄弟の中でみそっかすなのが嫌だ。 そんなくだらない感情なのだ。 「………だから、天も俺が嫌いなのかな」 双姉がぎゅっとまわした腕に力を込める。 そして耳元で優しく囁いた。 「四天はあなたが嫌いなんじゃない」 「そう、かな」 「うん」 それから体を離して、じっと俺を見つめた。 双兄によくにた面差しは、それでも女性らしい繊細さがある。 優しくけぶるように笑う女性は、やはり次兄とは違う。 「………夢が、終わるわ。順子ちゃんから今後の予知は授かった。仕事は終わり」 今日で終わりだと、双兄は言っていた。 順子ちゃんの夢に入れるのは、今日までだ。 そしてまた順子ちゃんは深い深い眠りにつく。 三つ目神の目を、守るために。 「順子ちゃんの心肺機能は衰えてきている。そろそろ代替わりでしょうね。また新たな巫女が三つ目神の力を授かり眠りに落ちる。順子ちゃんは最後の最後まで眠り続ける」 双姉が感情を押し殺すように淡々と告げる。 最後の最後のその瞬間まで、順子ちゃんは7歳の少女のまま。 「三つ目神の力を失ったら、これまでその力で保ってきた命も失われる。機械の力を借りているとはいえ、根本にあるのは神の力」 眠って、半年から一年に一度、予知を受け取るための人間が訪れるだけ。 そしてこのまま、眠り続け、眠りながら終わる。 「和則さんは、この流れを断ち切りたかったのかもしれないわね。そして、最後に順子ちゃんに会いたかったのかな」 最後の最後まで、巫女が目覚めることはない。 目覚めてしまえば、力が失われてしまうかもしれないから。 「分からない、けどね」 双姉が苦みを含んだ声で言った。 それからにっこりと笑って俺の手を引く。 「順子ちゃんに会いにいきましょう」 「うん」 「笑って、会ってあげてね」 事情を全て知りながら笑って会うのはどういう気持ちなのだろう。 笑顔を浮かべて、ずっとずっと終わらない時を繰り返す。 俺よりもはるかに双兄と双姉の方が辛いだろう。 「………分かった」 それなら二人のこれまで築き上げてきたものを、俺が壊す訳にはいかない。 二人は、変えられない現実なら、せめても順子ちゃんを楽しませたいと思っているのだろう。 事実、俺達には何も出来ない。 他家の事情に、口を挟む訳にはいかない。 「さ、行きましょう!」 双姉がひらりと手を閃かせると、何もない空間に扉が現れる。 度会の母屋の玄関。 現実と比べて随分新しかったのは、順子ちゃんが最後に見た玄関が新しかったからなのだろう。 感じた違和感は、全て60年という年月の隔たり。 「あ、三薙君!」 扉を開けて庭に訪れると満面の笑みを浮かべた順子ちゃんが近づいてくる。 肩で切りそろえた黒髪が古風で愛らしい、目の大きな可愛い子。 その髪型も服装も、古めかしいのも当然だ。 相変わらず夢の中は光に満ちている。 輝かしいまでに木々の緑も青々として、生命力に満ちている。 順子ちゃんが現実で見ていた世界は、こんなにも綺麗だったのだ。 「順子ちゃん、遅くなってごめんね」 俺はなんとか笑顔を作って順子ちゃんの前にしゃがみこむ。 順子ちゃんはかわいらしく頬を膨らませる。 「本当だよ!もう!いっぱい遊んでくれるって言ったのに!」 「ごめんごめん。今日は一緒に遊ぼう」 「うん!あのね、缶蹴りしよ!」 俺の手を引いて、順子ちゃんが走り出す。 それからふと、思い出したように言った。 「かっちゃんにも会いたいなあ」 「………」 「この前会った時に、喧嘩しちゃったの。だから早く仲直りしたいな」 胸がきりきりきりきり痛む。 声が震えそうだ。 堪えろ。 俺が、ここで全てを台無しにする訳には、いかないのだから。 「順子ちゃんは、かっちゃんが大好きなんだね」 「うん!」 「そっか」 眩しいばかりの笑顔で頷く無邪気な少女。 彼女は永遠に7歳のまま、純粋なまま。 「三薙君も好きだよ!」 「あはは、ありがとう。俺も順子ちゃんが大好きだよ」 双姉が俺の反対の手を握ってぎゅっと力をいれる。 俺も双姉の細い手を握り返した。 「あら、私は?」 「お姉ちゃんも大好き!」 順子ちゃんが笑う。 「でもね、一番はかっちゃん!」 痛む胸を抑えて、俺も笑う。 この世界は美しく輝いている。 彼女が暖かな世界を感じていることに安心する。 ただただ美しく優しい世界が、酷く切なくて、苦しい。 そして、ひたすらに純粋でいられる少女を少しだけ羨ましくも思った。 |