「もう、大丈夫なの?」

正月休み中に体調を崩していた俺を、岡野がじと目で見ている。
冬休みが終わるころには完全に治っていたし、今はもうなんともない。
それでも岡野は時折こんな風に聞いてくる。

「平気だってば!」

確かに謳宮祭の時に倒れてから、しばらく熱が出て寝込んでしまった。
でもあれから二週間近く経っているから、本当になんでもないんだ。

「ほら、救急セットも持ってるし」

俺はポケットからいつでも持ち歩いているブルーのポーチを取り出す。
すると岡野はつまらそうに唇を尖らせて鼻を鳴らした。

「ふん」

それから俺に背を向けてすたすたと歩いていってしまう。
どうやら照れ隠しのようで、本当に可愛い。
岡野を見るたびに、あのクリスマスの夜のうずうずするような気持ちが蘇る。
この感情に名前をつけたいような、つけたくないような。
不思議な気持ちだ。

「彩の最近よくしてるピアスかわいいよね」
「うわ!」

ぼうっと岡野の後ろ姿を見守っていると、いきなり話しかけられた。
隣を見ると槇がにこにこと優しく笑っていた。

「彩によく似合ってるね」
「ま、槇」

多分、岡野は誰にも言ってないはずだ。
あの時から、その話はしてないけど、多分言わないと思う。

「宮守君。ありがとね。なんかあったらなんでも言ってね」
「え、えと」

それだけ言い置くと、槇はさっさと岡野を追いかけていってしまった。
言ったのだろうか。
それともばれたのだろうか。
どうなんだろうか。

「宮守」
「は、はい!」

そしてまた名前を呼ばれて、驚いて飛び上がる。
すると俺の後ろにいた眼鏡の友人も同じように飛び上がった。

「な、何!?」
「あ、藤吉。な、なんでもない。ごめん。どうしたの」

後ろを振り返ると、藤吉が驚いた様子で心臓を抑えてる。

「ごめんな、どうしたの」
「あ、この映画見たいんだけど行かない?」
「どれどれ」

藤吉が俺に雑誌に載っている映画の紹介を指さす。
一通りあらすじを見ると、中々に興味をひかれた。
興味がなくても、藤吉に誘われたら言ってしまうだろうけど。

「うん、見たい。行こっか」
「ありがと!いつ行こうか」
「あ、今日はちょっと家の用事があるから駄目なんだ。明日とかでもいい?」
「いいぜ」

じゃ、明日なと言って藤吉が雑誌を仕舞う。
それからちょっと不思議そうに首を傾げた。

「家の方、また仕事?大丈夫?」
「あ、どうなんだろ。わざわざ父さんからの呼び出しなんだよな。仕事なのかな」

ただ、この前倒れてから修行も控えて少し静養するように言われている。
仕事じゃないと思うのだが。

「仕事なら、明日は無理かな」
「あ、分からない。ごめん、後でメールするな」
「うん。よろしく」

例えこんな風にキャンセルしても、許してくれる友達っていいな。
ていうか、まあ、キャンセルしたら許してくれない友達とかいないんだけど。
そんなバリエーションに富んだ友達はいない。

「誘ってくれてありがとな」

でも、今の友人達だけでも十分幸せ。



***




「三薙様、先宮がお待ちでございます。お早く広間に向かわれますように」
「あ、はい。承知いたしました」

家に帰ってくると同時に、宮城さんが静かに出迎えてくれた。
俺は荷物を宮城さんに預けるとそのまま広間に向かう。
仕事なんかの話の時に使う広間に呼ばれると言うことは、やっぱり仕事なのだろうか。

「先宮、三薙が参りました」

襖の前で跪き、中に声をかける。
するとすぐに許可が返ってきた。

「入れ」
「失礼いたします」

頭を下げて襖を開けると、そこには先客がした。

「え」

一兄と天が広間の中央で座って、父さんと対峙していた。
予想外で、思わず呆けた声を上げてしまう。

「どうした。入れ。そこに座れ」
「あ、はい」

一兄と天の真ん中を指し示され、俺は慌ててそこに正坐する。
二人は特に表情を変えることなく、静かに座っている。
今度の仕事は一兄と天と一緒、ということだろうか。
心強いが、この二人が一緒じゃないといけない仕事というのは、どれだけ大変なのだろう。
俺には荷が重い気がする。

「今日呼んだ用件は、お前の体についての話だ」
「俺の、あ、私の体ですか?」

しかしどうやら仕事の話ではないらしい。
俺の体のこと、というと、力のことだろうか。
あまり触れられたくない話に、心が沈んでいく。

「ああ。お前も分かっている通り、お前は誰かに力を供給してもらわねば生きていくことが出来ない」
「………っ、は、い」

俺が生きていくには、必ず誰かの力が必要になる。
誰かに供給してもらわなければいつか、力を失い干からびるだろう。
あの飢えの果てに死ぬというのは、どんな苦しみなのだろう。
人に迷惑をかけて生きていきたくなんてない。
けれど、死にたくなんてない。

「お前がそのように生れついたのは、私達の責任でもある。気に病まなくていい」
「………」

それでも、生まれつきだと分かっていても、気にしないことなんて出来ない。
一兄も双兄も天も、仕方ないことだと言ってくれる。
でも、一人では生きていけないというのは、人に迷惑をかけつづける存在だというのは、苦痛でしかない。

「………」

父さんが、俺の顔を見て、少しだけ間をおく。
そんな風に父さんが躊躇うのは珍しい。
それから、静かに口を開いた。

「………最近、供給の頻度が高くなっているのには、気付いていたか?」
「え」
「力の減少が早まっている」

父さんと言っている意味が、分からない。
なんのことかと考えて、すぐに思い至った。

「………あ」

そういえば、最近、力を供給してもらう頻度が増えていた気がする。
何度か、この前してもらったばかりだったのに、と思ったのを覚えている。
それに、後少しだけなら問題ないと思って動いたら、すぐに飢えが来ていた。
あれは力の使いすぎが原因だと、思っていたのだけれど、でも、そういえば、思い至ることばかりだ。
なぜ、分からなかったんだ。
確かに、力を失う速度は早まっている。
なんで、気付かなかった。
いや、違う。
気付きたくなんてなかった。

「………」
「心当たりがあるようだな」

体温が急激に冷えていく。
それなのにじわりと全身に汗を滲む。
力の減少が早まって、供給の頻度が増える。
今はいい。
これがこのまま続けて、更に早まって行けば、俺はいったいどうなるんだ。

「この前の謳宮祭の時も、力の減少により倒れただろう」
「あ、れは………」
「このままでは、供給が間に合わずいずれ枯渇してお前は死ぬだろう」
「………」

ストレートに言われて、言葉を失った。
死、という言葉がすぐ目の前に来た時、人はどんな反応をするのだろう。
全然リアリティがない。
実感が、湧いてこない。
けれど、全身が寒くて、目の前が真っ暗になっていく。
体の震えが、止まらなくなっていく。

あの飢えの果てに苦しみながら死ぬ。
そんなの、嫌だ。
怖い、怖い怖い怖い。

「安心しろ。防ぐための手段はある」
「え………」

その言葉に、俯いていた顔を上げる。
何か、俺の力が失われないための方法があるのだろうか。
藁にもすがる思いで、汗で湿った拳をぎゅっと握る。

「お前の枯渇を食い止めるために一矢か四天、どちらかと共番の義を行う」
「とも、つがいのぎ?」
「ああ、供給者との繋がりを深め、常に一定の力を供給することで急激な力の減少を防ぐ」

父さんの言葉の意味を、ゆっくりと脳内で反芻する。
つまり、一兄と天から、常に力の供給を受けるようになるってことか。
それは、今まで以上に、二人の負担が増えることを意味する。

「で、でも、それだと、一矢兄さんや四天の負担が大きいのではないでしょうか」
「事あるごとに力を供給するよりは、常に一定の力を与える方が供給者にとっても負担が少ない」

本当、なのだろうか。
今でさえ二人には負担がかかっている。
これ以上は、迷惑をかけたくない。
でも、死にたくは、ない。

「………で、でも」
「今の形よりもずっと双方の負担が少ない形だ。お前が成長し、体が出来あがってきたからこそ出来る」
「………それだと、俺はその供給者の、一生負担になりつづけるんですね」
「これは二人とも了承済みのことだ」

俺はこれから一生、二人のお荷物になって、生きていかなければいけないのか。
でも、その儀式を行ったら、もうそれ以上供給を受ける必要はないのだろうか。
それなら、今よりは迷惑をかけなけいのだろうか。
でもやっぱり、二人の力を常に消費し続けるのは、負担なのではないだろうか。

「いずれにせよ、成長に伴い消費する力が増えたが、それに力の生成が間に合っていない。自滅するのもそう遠くはないはずだ。共番の義は行わなければいけない」
「………」

二人の迷惑には、なりたくない。
でも、このまま干からびて死ぬなんて、嫌だ。

「先ほども言った通り、お前の一生にも、相手の一生にも関わる話だ。まだ時間はある。熟慮の上、結論を出せ」
「けつ、ろん?」
「一矢か四天、どちらかを選べ」

その言葉に、俺は両隣りにいる長兄と末弟を見る。
二人はただじっと前を向いて、静かに座っている。

「俺が、ですか」
「そうだ。生涯、共生しながら生きていく人間だ」

一兄か天、どちらかに、一生力をもらいながら生きていく。
二人はこれからそれぞれの人生があるだろう。
それなのに、俺という存在が、二人の人生に染みを落とす。

「………共生じゃなくて、これじゃ、寄生だ」

二人の力を食い荒らしながら、意地汚く生きていく。
でも、そうしないと、俺は生きていくことが出来ない。

「もう一度言うが、これは二人とも了承済みの件だ。お前が気に病む必要はない」

父さんは相変わらず落ち着いた低い声で、宥めるように言う。
けれど、そんな言葉で、納得なんて出来ない。
他に方法はないのだろうか。

「でも……」

俺の抗議を遮って、父さんは先を続ける。

「儀式は三度の交接によって完了する」
「交接?」

聞いたことのない言葉。
どういう儀式の手順なのだろう。

「く、くく」

その時、隣から、噴き出す声が聞こえた。
まだ少年の幼さを残す高い声。

「天?」

左隣を見ると、天が体を震わせて笑っていた。
父さんの前で、こんな態度を取るような奴じゃない。
けれど、思わずといった様子で、口元を抑える。

「く、くく、だって………あっはは」
「四天」

一兄が低く叱責する。
けれど天の笑い声は止まらない。

「ごめんなさい。だってさ。くっ、くく。日本語って分かりづらいね。交接、情交、交歓、共寝、交合」

くすくすと笑いながら指折り数えて、単語を連ねる。
その言葉が、やっぱり頭の中に入ってこない。

「いっぱいあるな。すごい」

けれど天が言っている言葉がなんとなく、自分が忌避するような内容だということがじわりじわりと伝わってくる。
いや、分かってる。
言葉の意味も、理解している。

「まだ分かりづらいかな。簡単に言えば、性交かな」
「………」

はっきりと、理解した。
けれど、信じたくない。
天の言っている意味を、理解したくない。

「セックスが一番分かりやすいのかな」

天が、英語って分かりやすいねと、まるで英語の構文でも見ているかのように朗らかに言う。
それから俺の方を見てにっこりと笑った。

「つまり、兄さんは俺か一矢兄さんとエッチしないと死んじゃうってこと」
「………は!?」

俺はそれまで話していた自分の体のことも忘れて、ただ間抜けな声を上げた。





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