三人でたい焼きを食べながら、ぶらぶらと夕暮れの中を歩く。
商店街はもしかしたら家の人間がいるかもしれないから、少しだけ外れた人気のない道。
この前と同じぐらい、またはそれ以上に美味しく感じる。
隣に誰かいるだけで、食べ物はずっと美味しく感じる。

「たい焼き、美味しいですね」
「は、い」

志藤さんはなんだか神妙な顔をしてもそもそと上品に食べている。
それはとても真面目な顔で、なんだか難しい数学の問題でも解いているような表情だ。

「美味しくないですか?」

たい焼きは嫌いだっただろうか。
心配になって顔を覗き込むと、志藤さんは照れたように目を伏せた。

「実は、初めて食べました。美味しいものなんですね」
「ええ!?」

たい焼きを食べたことがない人が、いるものなのか。
いや、いるか。
でも驚いてつい声を大きくしてしまった。
志藤さんはますます照れたように、頬を赤らめる。

「あまり縁がなくて」
「縁って」

たい焼きとの縁ってどんなだ。
俺だって多分ないぞ。

「こういう屋台で食べたりするようなもの、ですか。そういうものに縁がなかったんです。熊沢さんがたまに色々連れて行ってくれたりするんですけど」
「あ、俺も同じです。双兄がよくこういうの食わせてくれて」
「そうなんですか」

一兄も色々連れて行ってくれたけれど、こういうB級グルメとかゲーセンとかは全部双兄が教えてくれた。
俺も双兄がいなかったらたい焼きと縁がなかったかもしれない。
そういうところでは、言わないけれど双兄にはすごく感謝してる。

「友達いなかったから、双兄が色々連れまわしてくれたんです」

そこで志藤さんが俺の言葉に少しだけ眉を潜めた。
いつものノリでつい言ってしまったが、友達いなかったとか堂々と言うことじゃないな。

「えっと、暗い話をしました。すいません」

志藤さんが慌てて、首を勢いよく横に振る。

「あ、こちらこそすいません。三薙さん、友達が多そうなのに」
「全然です。人づきあい、苦手だから。最近は、少し出来ましたけど」

少ないけれど、そんなこと気にならないぐらい大事な大事な友人が出来た。
弱くてへたれな俺でもいいと言ってくれる、何も出来なくても何も言わなくても受け入れてくれる。
俺も受け入れたいと思う、そんな友達が出来た。
志藤さんが堅くなっていた表情を和らげる。

「私も友人は少ないです。人づきあいが苦手て」
「あはは、情けないですね、俺達」
「ええ、本当に」

お互い思わず苦笑してしまう。
前から思っていたが、やっぱり志藤さんと俺はどこか似ているのかもしれない。
弱くて、強くなりたくて、ネガティブで、人づきあいが苦手で。
親近感がどんどん沸いてくる。

「志藤さんって、なんか本当に親しみが沸きます」
「え、と」

なんだかにやにやとしてしまっていると、横から視線を感じた。
そこにはチーズ味のたい焼きをしっぽから食べていた弟が、呆れたような目でこっちを見ていた。

「なんだよ」
「いや、別に」
「どうせ、身内しか遊んでもらえない寂しい奴だよ」
「何も言ってないのに」

目は口ほどに物を言いって、本当だ。
完全に寂しい奴らだな、こいつらって目で見ていた。
まあ、否定はしないけど。
ていうか否定すると逆に哀しくて出来ないけど。

「兄さん、警戒心ないしどんな人にも懐くから友達が出来ないのが不思議だけどね」
「馬鹿にしてんのか」
「今はしてないよ」

いつもはしてるんだな。
それも分かってるけどさ。
俺だってなんで友達ができないのか知りたいぐらいだ。
いや、原因は腐るほど沢山あるんだけどさ。

「でも、三薙さんは本当に人を和ませる空気をお持ちだと思います」
「え、と」

ぶつぶつと愚痴を言っていると、横からいきなり不意打ちを食らった。
どうも志藤さんは俺を美化しているきらいがある。
嬉しいけれど、困ってしまう。

「嬉しいです、けど」
「きっとこれからご友人が沢山出来ると思います」
「そう、だといいんですけど」
「ええ、きっと」
「その、じゃあ、志藤さんも友達になってくれますか」

冗談めかして聞くが、内心は心臓バクバクだ。
実は自分的にはすでに友達な気分でいた。
人と付き合う時に感じる遠慮やてらいを志藤さんには感じない。
珍しく強気に出れる、かわいい年上の人。
これからも仲良くしてほしい。
勘違いじゃなければ、志藤さんも俺のことを嫌いじゃないと思う。

「………それは、その」

けれど志藤さんは困ったように眉を下げた。
胸がずきっと痛くなった時に、隣から大きなため息が聞こえた。

「兄さん、あまり困らせないでおけば。その人が大事なら余計にね」
「………」
「兄さんが完全に一矢兄さんの前でその人と親しいってことを隠せればいいけどね。無理でしょ?」

俺が一兄に隠し事するなんて、確かに無理だ。
あまりじっくりと顔を突き合わせることのない父さんはともかくとして、一兄だったら俺が嘘をついているなんて一目で見破ってしまうだろう。
本当に変だ。
ただ、好きな人と仲良くなりたいだけなのに。
宮守の宗家なんて、落ちこぼれの俺には関係のないことだ。

「………なんで熊沢さんは大丈夫で、志藤さんは駄目なんだろ」
「熊沢さんは弁えてるから。双馬兄さんの専属みたいなものだしね」

天が軽く肩をすくめて、小さくなったたい焼きの頭を口の中に収める。
ゆっくりと何度か咀嚼して、飲み込む。
それから志藤さんに視線を向ける。

「その人みたいに必要以上に宗家に近づこうとする人は駄目」
「………」
「天!」

顔色が一気に青くなった志藤さんをかばうために、天の前に立つ。
志藤さんが俯いて、震えているのが分かる。

「もうし、わけございません」
「謝ることなんて、ないです!」

天は俺達を冷たい目で見据えてから、鼻で小さく笑う。

「別にあなたを咎めてる訳じゃないです。俺は別にどうでもいいし。ただ、今後もうちにいたいなら気をつけた方がいいってだけで」

確かに、天の言葉は正しい。
天に怒るのは、間違っている。
あまりに出過ぎた使用人が、いつのまにかいなくなっていたということは以前にもあった。
でも、せっかく、仲良くなれたのに。

「………一兄だって、話せば、分かってくれない、かな」
「試してみれば。俺は一応止めておくよ?」
「………」

一兄は優しい。
とても優しくて、俺を誰より甘やかしてくれる。
けれどその一方で家のしきたりや礼儀なんかには酷く厳しい。
自分を常に律している人だから、相手にもそれを求める。
そういえば小さい頃に遊んでくれた使用人の人と遊びに行きたいっていったら怒られたことがあったっけ。
一兄は優しいけれど、怒るととても怖い。

「………」
「まあ、選ぶのは兄さんだけどね」

本当に変だ。
一兄のことも父さんのことも尊敬しているし好きだけれど、こういう時いいようもない感情を覚える。
あの人達が守ろうとしていることも、分かるのだけれど。
けれど、感情が納得しない。

「でも、俺は、志藤さんが、好きです。友達になりたいって思います」

志藤さんの息を飲む音が聞こえる。
どうやっても、心は誤魔化せない。
だって、藤吉や岡野達と、志藤さんは何も変わらない。

「だから、家で話せなくても、友達になりたいって、勝手に思ってます」
「………」
「出来ればたまにこんな風に、一緒に、出かけたいです」

たまにでいい。
この人と友人なんだと、感じていたい。

「あ、勿論、志藤さんの迷惑にならない程度で!」

しかし志藤さんが困った顔をしていたので、慌てて首を横にふった。
また困らせてしまった。
俺は子供のようだ。
ようやく出来た友達を、引き留めて泣きわめく子供。

「………すいません、こんな子供みたいな我儘」

本当に我儘だ。
親しくして困るのは、きっと俺より志藤さんの方だ。
俺の我儘で、志藤さんに迷惑をかけてはいけない。

「………いえ、その、ありがとうございます。嬉しいです」

けれど、志藤さんもはにかむように笑ってくれた。
相変わらず困ってはいるようだけれど、それでも表情がやわらいでいる。
その言葉が、その場つなぎの適当なものではないと伝わってくる。

「私も、三薙さんとこんな風に話せると、嬉しいです」
「………志藤さん」

嬉しくて嬉しくて、胸が熱くなってくる。
我儘なのは分かっている。
でも、出来るのならば迷惑をかけない程度に、仲良くしたい。

「それなら、せいぜい気をつけてうまくやるんだね」
「天」

黙って俺達を見ていた天が、肩をすくめる。
そして無表情に淡々と話す。

「父さんも一矢兄さんも宮城も、あの人達は目敏いよ。嫌になるぐらいにね。双馬兄さんはそういうの下手だから、熊沢さんに頼った方がいいかもね」

その言葉に驚いて、一瞬言葉が出てこなかった。
思わずまじまじと天の顔を見てしまう。
綺麗な白い肌の上に、絶妙な間隔で目鼻が配置されている。
綺麗な綺麗な弟。

「何?」

じっと見ていると天が小さく首を傾げる。

「………なんか」
「はい?」
「お前、変」

余りにも驚き過ぎて、思わず本音を言ってしまった。
天が眉を寄せて渋面を作る。

「何が?失礼だね、いきなり」

天が不機嫌になるのは、当然だ。
確かに俺が失礼だ。
けれど、いつもと違う様子の弟に、動揺が隠せない。

「………だってお前、親切だ」
「親切?」
「いつもだったら、こんなアドバイスみたいなこと言わないだろ」

いつもだったらなんか嫌みや皮肉の一つも言って冷笑を浮かべているだろう。
俺と志藤さんのつたないやりとりなんて、鼻で笑い飛ばすだろう。
天が俺の言葉に、苦笑の形に唇を歪める。

「まあ、俺にとってはどうでもいいってこともあるかな」
「ことも?」

こともってことは、他にも理由があるのか。
聞くと天は、小さく喉で笑った。

「この前から頑張って兄さんが俺に近づこうとしてくれてるでしょう?だから俺も兄さんに歩み寄ってみようかと思って」
「………」
「どうしたの?」

天が薄く笑顔を浮かべながら、黙りこんだ俺に聞いてくる。
一瞬だけ考えて、正直に言った。

「………気味が悪い」
「本当に失礼だね」

俺の言葉に、けれど天は気を悪くした様子もなく笑った。
本当に分からない。
天を理解したいと思う。
けれど、どこまでいっても弟は不可解だ。
今の言葉だって、本当には聞こえない。
冗談か嘘なんじゃないかと思う。
けれど、もし本当ならば、少しは近づくことができたのだろうか。

「………でも、本当だったら、嬉しいと思う」

だから、隠さずに伝えた。
もしも本当だったら、その気持ちは受け止めたいと思うから。
少しでも兄弟として、近づきたい。

「………」

天は呆れたような怒ったような困ったような、何とも言えない表情を浮かべていた。
その表情が表わすものは、俺にはよく分からない。
そのまましばらく無言で歩く。
そして家まで後2ブロックほど来たところの角を曲がる。
沈黙がさすがに気になったので、どうしたのかと聞こうとして、その時全身に違和感が走った。

「………え」

ずるりと水の膜でも通り抜けたのような、全身を襲う違和感。
どこかに、入った。
そんな感じがした。

「………三薙さん」

志藤さんも気付いたのか、さりげなく俺を庇うように寄りそう。
当然、弟も気づいているだろうと、隣を見る。

「天、これって」
「油断してたな。何かの術の中に迷い込んだっぽい」

天が焦った様子もなく淡々と言った。
けれど表情は堅く、緊張はしているようだ。

「じゅ、つ?」

特に何かが起こる様子はない。
ただ夕暮れの住宅街の道が、続いている。
左右に並ぶ家、電信柱、真っ直ぐに続くアスファルトの道。

「二人とも、俺から離れないでね。こっち」

手招きして、俺たちを呼びよせる。
志藤さんと俺は逆らうことなく天に近づく。
天は俺たちが十分に近づいたことを確認して歩きだす。
その後ろを離れないようにぴったりと付いていく。
天はそのまま元来た道に戻り、角を曲がる。

「………え」

そして、そこには夕暮れの住宅街が続いていた。
左右に並ぶ家、電信柱、真っ直ぐに続くアスファルトの道。
それがずっとずっと果てしなく続いている。
こんなに長い道では、なかったはずだ。
奥には大通りが見えていたはずだ。

「なんで、道が、だってさっきは」
「それに、音」
「音?」
「何も聞こえない」

そう言えばさっきまでは遠くに車の音や雑踏の音、家の中から話し声やテレビの声などの生活音なんかが聞こえていたはずだ。
気がつけば、今は完全の無音。
あり得ない、世界。

「さて、どうしようかな」

天が表情を変えないまま、首を少しだけ傾げた。





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