世界はそれほど優しくない。
明確な正解なんてない。
裏と表の区別もない。

ただただいい加減で、色々なものの輪郭や境界すら曖昧で適当。



***




三人でおやつをつまんでいると、私と彩のやりとりを見ていた宮守君がふと首を傾げる。

「岡野と槇って、本当に、すごく仲いいよな。小学校のころからの付き合いだっけ。どうやって仲良くなったの?」

聞かれて、彩がまた不思議そうに首を傾げる。
この子は、特に覚えてないんだろうな。

「どうって、同じクラスだったからだっけ?」

やっぱり、覚えてないな。
そうだよね、彩にとっては、たぶん、なんでもないことだから。

「まあ、そうかな。私がいじめられてたのを、彩がいつも助けてくれたの」

彩がちょっと鼻に皺を寄せる。
自分が正義の味方みたいに言われて、恥ずかしいのといたたまれないのだろう。
まさしく、私にとって彩は正義の味方なんだけど。

「あの頃は、なんだろ、このお節介でうるさいうざい子って思ってたんだよねえ」
「………悪かったな」

正直に言うとむっつり不機嫌そうに黙り込む。
お節介なのは、自覚してたのだろう。

「え、えと、槇?岡野?えっと、その」

宮守君が私の言葉と彩の態度に、おろおろと焦り出す。
まずいことを聞いてしまったと思ったのだろう。
その幼い態度に、つい笑ってしまう。
なんていうか、本当に同い年なのに幼い印象の子だ。

「あの頃はって言ったでしょ。今はだーいすき。ほら、昔の私、すごく性格悪かったから」
「………あんたは今でも性格悪いでしょ」
「うん。彩は昔から変わらず真っ直ぐだよね。そんなところが好き」
「嫌味に聞こえんだけど」
「疑り深いなあ。まあ、別に褒めてないしね。私はそんな彩が大好きってだけで」

宮守君がまたあたふたとして、少し考えて口を開く。

「あ、あの、えっと、じゃあ、いつ頃から、その、岡野が好きになったの?」
「そうだなあ」

そうだな、あれは、きっとあの時だ。
小学校、高学年だったかな。

『あんた、食べるの好きじゃないの?』
『え?』

何を言われたか、よく分からなくて聞き返す。
私を見下ろす少女は、その勝気そうな吊目でじっと私を見て、何気なく言った。

『つまらなそうに食べてるから』



***




今日も食卓には、溢れんばかりに食べ物が乗っかっていた。
お味噌汁、から揚げにスパゲッティ、サラダに肉団子。
おいしそうに湯気が立っていて、私のお腹はきゅるきゅると空腹を訴える。

「千絵ちゃんの好きなから揚げ、いっぱい揚げたのよ!」
「………うん、ありがとう」

私とそっくりの大きな体を揺らして、お母さんが満面の笑顔で、ご飯をたっぷり盛り付ける。
それを見て、空腹を感じながら、吐き気を覚えた。



***




「おい、そこのデブ、邪魔だからどけよ。道が通れないだろ」
「ほんと場所とるよな。邪魔。デブは隅っこにいけよ」
「まあ、隅っこにいても邪魔なんだけどな」
「豚だしな」

岸田君を筆頭とするいつもからかってくる男の子たちが、小突いてくる。
自分で触ったくせに、くせえ、豚菌がうつるとまたはしゃぎだす。
頭や背中を叩かれると、痛くて、でも言い返すと余計にひどくなるから、何もできない。
それに私がデブなのは、本当のことだ。

「うるっさいんだよ、あんたら。そういうガキみたいなことしかできないの!?」

すると、教室の反対側にいた女の子が、すたすたとやってくる。
背が高くてショートカットのすらりとした女の子。
私と違って痩せていて、とってもかわいい子だ。
私と同じように友達は少ないけど、彼女は堂々として、いじめられることもない。

「な、なんだよ、岡野!」
「そいつがデブなのは本当のことだろ!デブでブスだろ、本当のこと言ってるだけだよ」
「じゃあ、私も本当のこと言ってやるよ。馬鹿とチビは黙ってろよ」

賢くて頭と口のまわる女の子に、男の子はたじたじとなる。
私みたいなグズには強気でも、自分より強い人には途端に弱くなる。
それを見て少し滑稽に思うけど、別にざまあみろとも思わない。

「本当にお前うぜーよ、なんだよ、いい子ぶりやがって」

捨て台詞を吐いて、岸田君たちは教室の外に行ってしまう。
それを仁王立ちで見送った後、岡野さんが私を振り返る。
吊目気味の大きな目を、更に吊り上げて怒りで顔を赤くしている。

「あんたも、ずっと言われっぱなしになってるんじゃねーよ」
「ご、ごめんね、岡野さん。ありがとう」
「ふん。少しは言い返せよ」

そう吐き捨てて、さっさと、岡野さんも教室を出て行ってしまった。
私はただその背中を見て、ため息をつくことしかできない。

偉そうに。
うるさいうるさいうるさい。
なんでも持ってる、あんたに何が分かる。
私だって、言い返したい。
でも言い返したら余計にひどくされるだけだ。
あんたみたいな強い人間とは、違うんだ。
余計なことしないで。
あんたが口を出してくるから、更にあいつらは私に酷く当たってくる。

誰も構わないで。
放っておいて。
どうせ私を見下してるくせに。
私をかばって、いい気分になりたいだけなくせに。

「………」

教室で遠巻きにひそひそと囁きながらこちらを見ている気配を感じて、私は俯く。
こんな世界、いらない。
どこかへ行ってしまいたい。

優しいものもいいものも、この世界には全くない。



***




今日は大きなハンバーグがお皿に乗っている。
勿論いつものケチャップのスパゲッティも、ご飯も大盛りだ。
まん丸の顔に、お母さんは今日も満面の笑みを浮かべる。

「ほら、いっぱい食べなさい。今日もご飯いっぱい炊いたからね。ケーキもあるわよ」
「………」
「千絵ちゃん?」

私が箸を手にしないのを見て、母が不思議そうに首を傾げる。
目の前のご飯はおいしそう。
お腹が空いて、すぐにでもかぶりつきたくなる。
でも、それじゃ、また、太ってしまう。

「………あのね、お母さん。私、もう少し、ご飯、減らしたいな」
「え?」
「痩せたいの」

勇気を出して告げると、母がさっと顔色を変える。
哀しそうに顔を歪めて、私の頭を撫でてくる。

「なんでそんなこと言うの?千絵ちゃんは痩せる必要なんてないのよ?」
「だって、デブって、言われるの」
「誰がそんなこと言うの!お母さんが言いかえしてきてあげる!」
「そうじゃなくて!」

いつも私に優しくて、なんでも聞いてくれるるお母さんと、話が通じない。
私の気持ちを分かってくれない。
デブなのは、本当なのだ。
いじめる人たちは、悪い。
でも、痩せる努力をしない私も悪い。
私は、太っている。
だから、変わりたい。

「女の子は少しふっくらしてた方がいいのよ。お母さんだって痩せてないけど、お父さんが好きって言ってくれるでしょ?今の子みたいに、痩せることはないの」

でも、お母さんは困った子を見るように優しく笑って頭を撫でる。
話が通じない。
まるで、お母さんが、宇宙人のように見える。
いつもは、なんでもわかってくれる、私の心をすべてわかってくれるのに。
どうしてどうしてどうして。

「千絵ちゃんは、今のままでとってもかわいいんだから」

そういって、母がまんまるな顔にいつものように満面な笑みを浮かべるのだ。



***




「痛い!」

急にボールが飛んできて、顔に思いきり当てられた。
あまり反射神経もよくない私は、どうすることもできず、ただ顔を抑えうずくまる。
鼻がジンジンとして、つんとした痛みにボロボロと涙があふれてくる。

「うわ、泣いてるし。うける」
「あっちいけっつってんだろ。デブ菌うつんだよ!」
「くっせーんだよ、ブス」

ちょうどその時は岡野さんが教室にいなかった。
だから、狙ったんだろう。
またボールを拾い上げては、私を的にしてぶつけてくる。

「やっぱ的が大きいからすぐ当たるな」
「い、痛い、やめて」
「ブス菌退治ー」

けらけらと笑いながら、本当に楽しそうに悪意を発露する男の子たち。
どうして、人を傷つけながら、そんな楽しそうなの、嬉しそうなの。
最低最低最低。
消えちゃえ。
死んじゃえ。
どっか行け。

私がデブだからいけないの?
ブスだからいけないの?
こんなことされても、当然なの?

「お前らの方がくせーんだよ。あんたドブくさい。下水道に帰れば?」

そこに凛とした声が割って入った。
助かったとも思うし、余計なことするなとも思う。
ぐちゃぐちゃになった感情に、更に涙が出てくる、。

「うるせーんだよ、男女!いっつもこっちくんじゃねーよ!」
「てめーの方がうるせーんだよ。教室で大声あげんなよ」
「いちいちはいってくんじゃねーの、ブス!」
「私がブスならお前は顔面崩壊だろ」

岡野さんを殴ろうとした岸田君は、反対に殴られて蹴られて逃げ出した。
その後ろ姿はとてもみじめで滑稽で、笑ってしまいそうになる。

「だからさ、なんであんた何も言わないわけ。黙ってそんないじいじ笑ってたら、そりゃ誰だっていじめるよ。少しは言い返せよ、怒れよ」

岡野さんはいつものように、今度は私を詰る。
その言葉の一つ一つが胸に突き刺さって、じくじくと痛む。
うるさいうるさいうるさい。

「でも、ほら、本当に、私、デブで、ブスだし」
「それ以上にそのいじけた態度がムカつくんだよ。嫌じゃないの?」
「えっと、私、大丈夫、だから、岡野さんも、私を、助けなくて平気だよ?岡野さんまで、ひどいこと、言われるし」

笑いながら言うと、岡野さんはますます目を吊り上げる。
どうして、怒るの。
私は、可哀そうなのに。
どうして、私まで怒るの。
あいつらに怒るには分かるけど、どうして私に怒るの。

「だからなんでそんな暗いの。だいたいさ」

なおも言いつのろうとする岡野さんに、怒りと苛立ちが頂点に達した。
衝動のままバンと机を叩いて、睨みつける。

「うるっさいな!なんで岡野さんにそんなこと言われなきゃいけないの!?私だって、嫌に決まってるでしょ!でも、言っても、どうしようもなんないでしょ!私が言っても、またいじめられるだけでしょ!誰も、私のことなんて見てくれない!聞いてくれない!」

お腹の中にたまっていた怒りを吐き出す様に怒鳴りつける。
涙が溢れて息があがる。
最後まで言い切って、はっと我に返る。

「………」
「………あ」

岡野さんは、怒る様子もなく悲しむ様子もなく、ただびっくりして目をぱちぱちとさせていた。
私は急に覆ってきた罪悪感といたたまれなさと悲しみと自分への嫌悪感と、そして恐怖でいっぱいになる。
嫌だった。
嫌いだった。
でも、唯一話しかけてくれて来た人だった。
助けてくれた人だった。
その人に私は、なんてことをいったんだろう。
この人も、私から離れて行ってしまうだろうか。

「………」
「なんだ、大きい声出るんじゃん」
「………え」

怖くて俯いた私に聞こえてきたのは、なんだか楽しそうな声。
顔をあげると、岡野さんはにやりと笑っていた。
そう、にやり。
可愛らしい、優しい笑い方じゃない。

「それでいいじゃん」

そういえばこの人の笑顔を、見たことがなかった気がする。
でもなんて、不器用で綺麗な笑い方をする人だろう。

「………」

そして周りをきょろきょろと見渡して、クラスの中にいる人たちの視線が私たちに集まっているのを認めると、私の手をひっぱって外に連れ出す。
その手は柔らかくて温かかった。
歩きながら、前を向いたまま話す。

「前にさ、あんた、公園にいた私の弟泣いてる時、助けてくれたの覚えてる?」
「え」
「犬に追いかけれられてたらあんたが助けてくれて、飴もらって、送ってくれたんだってさ」

そういえば、そんなことがあっただろうか。
近くの公園で犬に追いかけられてる男の子がいた。
ただ、別に大きくもなく気の優しい犬で遊んでほしくて追いかけているようだった。
周りの大人たちは微笑ましそうににこにこ笑ってみていた。
でも、その男の子は本当に怖がっているのは分かったから、間に入って、犬を宥めた。
泣いていたから、飴を上げたんだっけ。

周りの人が自分の言うことを聞いてくれないもどかしさは、よく分かっていた。
だから、見ていられなかった。

「強くてかっこよくて優しいお姉ちゃんだって、言ってた」

岡野さんが立ち止まり、振り返る。
そして、ちょっと照れくさそうに笑った。

「あんたの言うこと、私が聞くよ」

その笑顔に、私はまた、胸が痛くなって、泣きたくなった。



***




「ねえ、お母さん」

どうにかしたい。
この世界をどうにかしたい。
もう痛い思いはしたくない。
デブなんて言われたくない。

「なあに?」

でもお母さんは、にこにこと笑っている。
またこの前みたいな哀しい顔をさせるのは、嫌だ。
また話を聞いてもらえないのは嫌だ。
でも、もう、デブでも、いたくない。

「今日はラーメン食べに行こうか。好きでしょ、千絵ちゃん。ね、お父さん」
「おお、いいなー」

お父さんがにこにこと笑って立ち上がる。
お母さんは聞いてくれない。
でも、お父さんなら聞いてくれるだろうか。
お父さんはお母さんと違って痩せている。
最近はちょっと太って来たけど、すらりとしている。
痩せたいという気持ちを分かってくれるのではないだろうか。

「あのね、お父さん、私ね、あんまり、食べたくないの。痩せたいの」

勇気を出して、お父さんに訴える。
するとお母さんがまた哀しそうな顔をする。

「まだ言ってるの?」
「どうしたんだ。ダイエットには早いだろ。千絵ぐらいの年の子はそれくらいでいいんだよ。気にするな」
「でもね、でも」

どうして聞いてくれないの。
どうして私の気持ちを分かってくれないの。
デブって言われたくないの。
もう痛い想いはしたくないの。
嫌な想いはしたくないの。
自信を持ちたいの。
岡野さんみたいに、強くなりたいの。

「あ、もしかしてラーメンが嫌だったのか?ステーキにでもするか?」
「あ、いいわね。ステーキハウス行こうか」
「ファミレスじゃないのかよ」
「たまにはいいでしょ」

お父さんとお母さんは笑って私の意思を無視する。
どうしてどうしてどうして。
どうして、私の言葉は届かないの。
どうして、いつもは私の言葉をすべてわかってくれるのに、分かってくれないの。

「ほら、帰りにプリン買ってあげるから機嫌なおせよ」

お父さんがそう言って笑って、頭を撫でる。



***




「でけー、弁当」
「しー、聞こえちゃうよ」

それは遠足の時だった。
お母さんが作ってくれたお弁当は他の子よりとても大きくて、恥ずかしくなる。
岸田君たちは岡野さんが隣にいるから寄ってこない。
でも他の子たちもこちらを見てくすくすと笑っている。

「からあげおいしそうだね」
「………いる?」
「本当?ありがとう、頂戴」

周りの声が聞こえているのか聞こえていないのか、岡野さんはいつも通りだ。
岡野さんは私をかばって助けてくれるけど、普段は別に一緒にいなかった。
でも、この前の時から、なんとなく一緒にいてくれる。
あまり話ははずまないけど、遠足でお弁当を一人で食べるのは辛いからよかった。
岡野さんもあんまり怒らなくなったし、一緒にいるのは、少し嬉しい。
このお弁当を一人で食べるのは辛すぎる。

「あんた、食べるの好きじゃないの?」
「え?」

何を言われたか、よく分からなくて聞き返す。
私を見下ろす少女は、その勝気そうな吊目でじっと私を見て、何気なく言った。

「つまらなそうに食べてるから」

おいしいでしょ。
好きでしょ。
千絵ちゃんは食べるの好きでしょ。
いっぱい食べようね。

「………」

母の声が、頭の中をぐるぐると繰り返す。
うん、好きだよ、おいしいよ、食べるの好きだよ、いっぱい食べるよ。

「あ、このからあげおいしー」

岡野さんがから揚げを口にいれて、にっこりと笑う。
本当に嬉しそうに。
楽しそうに。

「………そうか。そうだね」
「え」

そうか。
そうだ。

「………うん」

食べることは、好きだ。
でも、最近は嫌いだったんだ。
嫌いだった。
好きなんかじゃなかった。
何よりつらかったのは、それを、お母さんが気づいてくれないことだった。
私の言葉を、聞いてくれないことだった。
好きという言葉を、押し付けられるのが、嫌だった。

「そうか。分かった。ありがとう、岡野さん」
「え?何が?」
「ううん」

私は、食べることが、嫌いになっていた。
そんなことすら、分からなかった。
自分でも気づいてくれなかったことに、気づいてくれたのは、岡野さんだった。

そうだ、私は、嫌だったんだ。
食べることが、押し付けられることが、言葉を無視されることが。
そんなことに、ようやく気づけた。

「ありがとう、岡野さん。本当にありがとう」
「変なやつ」

岡野さんは不思議そうに首を傾げるだけだった。



***




お母さんは、本当においしそうに楽しそうにケーキを食べる。
ニコニコと笑って、とても幸せそうに食べる。

「お母さんは、おいしそうに食べるね」
「え?」
「食べるのが好きなの?」

お母さんはうんうんと頷く。
満面の笑みで。
この前は怒りすら感じた笑顔が、今日は素直に受け止められる。

「うん。美味しいもの食べるの、だーいすき」
「そっか」

するとお母さんは、ちょっと照れくさそうに顔を赤らめる。

「そう。それにね、いっぱい美味しそうに食べるお母さんが好きって、お父さんも言ってくれるしね」
「そうか。お母さんは、食べるのが幸せなんだね」
「幸せか。うん、幸せ。そして千絵がいっぱい食べてくれるのが幸せ」

ああ、お母さんは、私のことが嫌いなんじゃ、ないんだ。
その言葉で分かった。
お母さんの中で食べることは、とっても幸せなことなんだ。
だから、私に、その幸せを分けようとしてくれる。
私が大好きだから、自分の幸せを分けてくれようとしている。

ただその幸せの形が、私の幸せの形とは、違うだけ。
私とお母さんは、違う考えを持つ、違う人間なだけ。
私が痩せたいということは、お母さんの幸せを、認めないこと。
だから、お母さんはそこだけ、私の話を聞いてくれない。

私とお母さんは、まったく別の幸せを持つ、別の生き物。
そう分かってしまうと、後は楽だった。

「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」

だったら、私は、お母さんの幸せを壊さないように、自分の幸せを、守らなければいけない。
どうしたらいいのだろうか。
お母さんを悲しませないように、怒らせないように、自分の考えを、守らなければいけない。

大事なものを見失ってはいけない。
優しいものもいいものも、この世界には全くない訳ではない。
優しいものもいいものもいっぱいあって、優しくないものもよくないものもいっぱいあるだけ。
そして私にとって優しくないからといって、他の人に優しくない訳ではない。
ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃ。

お母さんのことは、好き?
お母さんのことは、好き。
お父さんのことは、好き?
お父さんのことは、好き。
食べることは、好き?
食べることは、好き。
でも食べ過ぎたくはない。
ほどほどに食べたい。

「お母さん、ご飯わたし、自分でよそっていい?」
「え?」
「後、今度料理も教えて?」

痩せるという言葉を言わなくなってしばらくして、様子をみて、言ってみた。
それまでも、取り分ける量を減らしたりして、少しづつ食べる量は減らしていた。
お母さんが不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの?」
「お母さんみたいにおいしいご飯、私も作りたいの。それに、女の子だったらなんでもできるようにならないとね」

女の子らしいことが大好きなお母さんは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
そして弾んだ声で頷いた。

「そうね。そうよね。じゃあ、今度から手伝ってくれる?」
「うん!」
「娘と一緒にご飯が作れるなんて、いいわね」

私が作る料理なら、何も言わないだろう。
勉強しよう。
自分の口に入れるものは、自分が納得したものにしたい。
太っているのはいい。
でも、自分が納得して、太りたい。

「私も、お母さんと一緒にご飯が作れて嬉しい」

私は、他の人とは違う人間。
他の人の言葉に、態度に、振り回されても仕方ない。
私は、私。

だから、私が納得するように、する。



***




「楽しそうにご飯食べてるね」
「うん、今日の給食おいしいね」

給食の時間、岡野さんが私の顔を見て首を傾げる。
給食の時間は嫌いだった。
デブであることを、からかわれるから。
でも、給食は美味しいし、栄養も整ってる。
家で食べる料理より、ずっと私の体にいい。

「最近明るいじゃん」
「そう?」
「うん」

昼休みにお話ししていると、岡野さんがなんだか嬉しそうに笑っていた。
一度吹っ切れてしまうと、心がとっても軽くなった。
周りの目もあまり気にならなくなった、
何を言われようと、どうでもよくなってきた。

「おい、デブだから邪魔なんだよ」

岸田君が私の席にわざとぶつかってくる。
最近ずっと岡野さんと一緒にいるから、あまり寄ってこなかったけど、我慢が出来なくなったんだろう。

岸田君は好き?
嫌い。
私に必要?
いらない。
なぜ彼は私に話しかけてくるの?
私を下に見て、満足したいからだ。

ずっと見ていたら分かった。
自分に自信のない人間ほど、人を傷つけて、下の人間を見つけようとする。
私が岡野さんに苛立ったように。
本当に自分に自信がある岡野さんのような人は、面白がって人を傷つけたりしたい。

「ごめんね、岸田君。でもどうして話しかけてくるの?」

私は振り向いて、岸田君に笑いかける。
泣いたら喜ばれる。
怒ったら喜ばれる。
だったら、笑ってやる。

私が笑っていることに、岸田君に言い返したことに、岸田君は目を丸くさせる。
取り巻きの二人も、びっくりしたようにしている。

「え、だって、邪魔だから」
「隅にいても、話しかけてくるよね。どうして?」

わざわざ見つけ出して話しかけてきて邪魔だと言われても困る。
あなたたちがわざわざ私を『邪魔な人間』にしたがっているだけなのに。

「はあ?何言ってんだよ、デブ。いるだけ邪魔なんだよ!見えちゃうんだから仕方ないんだよ!」
「岸田君たち、親切なんだね。わざわざ、探し出して、話しかけにきてくるもんね。外で遊んだりしないの?新井君とか、よくボール遊びしてるのに」
「な、だって」

わざわざこんな暗くてくだらないことしているのはなぜか。
それしか楽しみがないからだ。
クラスでもっとも中心人物のグループである新井君たちのグループに、彼らはいない。
それを卑屈に思っていることは、なんとなく分かった。

「一緒に遊ばないの?入らないの?」
「う、うっせーよ!ブス!」

確かに私はブスだ。
まだまだデブだ。
こっそりと、お母さんにばれないようにご飯を少なくして、痩せなければいけない。
でもそれとあなたたちは、関係ない。

「うん、私はブスかなあ。岡野さんはかわいいよね。男の子だと、新井君たちはかっこいいよねえ」

そう言うと、岸田君たちは顔を真っ赤にした。
人のことは言うくせに、自分が嫌なことを言われたら、すごく怒る。
なんて、くだらない人。

「なんなんだよ、うぜーよ、ブス!」
「てめーがな!あっち行けよ。わざわざこっち来るんじゃねーよ、暇人」

岡野さんがその綺麗な目でにらみつけると、岸田君たちは覿面に怯む。
本当に、弱い人たち。
なんでこんな人たちに、私は何も言えなかったんだろう。

「馬鹿じゃねーの!行こうぜ!」
「また来てね。遊ぶ人がいなくて暇な時にでも。私ぐらいしか、相手してくれないでしょう?私は友達少ないし、いつでもいいよ」

私たちから離れていこうとする岸田君に、最後に笑いかける。

「でも、私とお友達なんて、岸田君たちも友達いないみたいだね」
「誰が、お前なんかと友達になるかよ!」

そう言い捨てて、さっさと離れていく三人組。
ああ、馬鹿みたい。
おかしい。
情けない。
みっともない。

「言うじゃん」
「え、なにが?岸田君たちも親切だよね。わざわざ探しにまできてくるんだから」

岡野さんはにやりと楽しそうに笑う。

「さっきのあんた、ちょっとカッコよかった。私みたいに、殴ったりするんじゃなくても、やり返す方法、あるんだね」

岡野さんが嬉しそうに褒めるから、嬉しくて熱くなってくる。
私はカッコよくなんてない。
ただ、性格が悪いだけだ。
それに、私一人だったら、こんなこと言えなかった。
私の話を聞いてくれる人が、隣にいると分かってるから、あんなこと言える。

「かっこいいのは、岡野さんだよ」

岡野さんは好き?
好き。
大好き。
大切。

「あのね、今まで、ごめんね。庇ってくれたのに、あんまりお礼も言えなかった」
「別に私がやりたくてやってたことだし」
「でも、ありがとう」

そう言うと岡野さんは仏頂面になって、黙り込んだ。

「あの、岡野さん、よければ、これからも、仲良くしてくれるかな」

岡野さんは必要?
必要。

この人に憧れる。
この人のお節介で少し説教臭くてうざいところも、好き。
それがこの人。
この人の真っ直ぐさが、好き。
この人にはなれないけど、傍にいたい。
傍にいれば、私も少しは、真っ直ぐになれるかもしれない。

「………」

岡野さんがそっぽを、唇を尖らせる。
怒らせただろうかと、不安になる。
やっぱり私なんか嫌だっただろうかと、怖くなる。

でも、この人は、私が嫌いだったら、きっとそう言ってくれる。
私のことを気付いてくれた人。
見ていてくれた人。
正直な人。
だからどんな答えが帰ってきても、私は、納得できる。

「彩、でいいよ」

岡野さんは小さい声で、ぼそっと言った。
そっぽを向いたままの耳は、真っ赤になっていた。

「仲のいい子は、名前で呼ぶから」

胸が、いっぱいになる。
熱くなる。
嬉しくて、嘘じゃなく、自然と笑いがこぼれた。

「じゃあ、私も千絵って呼んでね」

岡野さん、彩は、にやりと赤くなった顔で笑った。
不器用で不自然な笑い方は、本当に綺麗だった。



***




「彩がね、私が悩んでたこと、気づいてくれたの」
「へ?あんたなんか悩んでたの?いじめられても気にしてないのかと思ってた」

ああ、本当に、彩にとってはどうでもいいことだったんだなあ。
私はあの言葉で、本当に本当に救われたのに。
まあ、そんなところが彩らしいんだけど。

「いじめは、あんまり気にしてなかったかな」
「そうだよね、あんた図太いし」

昔から変わらず、失礼な子だ。
私ほどじゃないけど、彩がクラスで浮いてたのも仕方ないとは言える。

「まあ、昔は大人しくて言い返すこととか出来ない子だったかな。あの頃のあんたはかわいかったー」
「彩はあの頃の私の方が好き?私は昔も今も彩が好き」

聞くと彩はそっぽを向いて、唇を尖らせる。
その耳を真っ赤にさせながら。

「今のあんたがのが、マシ」
「もう、本当にツンデレだなあ」
「誰がツンデレだ」

可愛くてかっこいい、真っ直ぐな彩。
嫌なところもあるけど、やっぱり大好きだ。
理解できないことも、考えが合わないこともいっぱい。
でも だからこそ好き。
だからこそ楽しい。

「いいなあ」

私と彩のやりとりを見ていた宮守君が目を細めてぼそりという。
彩が不思議そうに首を傾げる。

「何が?」
「幼馴染って、なんかいいな。絆っていうか、歴史っていうか、感じる」

羨ましそうに憧憬を滲ませて、キラキラとした目でこちらを見ている。
素直な素直な言葉と感情。
友達がいなかったという彼は、友達というものにすごい憧れを持っている。
切なくなるほどに、友達を、欲している。

この子に友達がいなかったというのも、なんだか不思議な話だ。
いじられ体質ではあるかもしれないが、いじめられっこ体質ではないと思う。
なんだか、不思議。
宮守君は、不思議。

「絆は、もうあるよね?ね、彩?」
「ふん」

彩がまたそっぽを向いて、耳を赤らめる。
本当に素直じゃない。
可愛い親友のとっても、かわいい一面。

「もうすぐで、一年分出来るだろ。これから、作ってけばいいでしょ」

それから小さな声で吐き捨てるように言う。
すると、宮守君は顔をぱあって効果音がしそうなくらいに輝かせる。

「うん!ありがとう!」

そして、眩しいほどに嬉しそうに笑った。





TOP   NEXT