自分の自制心が強くないことは十分思い知っている。

感情的で短絡的で衝動的だ。
だからこそ普段はその感情をすべて抑え込む努力はしている。
冷静に、穏やかに、熱くならないように。

けれど一度箍が外れると、どうしようもならない。
祖母を持ち上げ落とそうとした時の感触を覚えている。
兄を殴りつけた時の音も耳に残っている。
俺を悪しざまに罵りリンチしようとした奴らの悲鳴も刻み込まれている。
そしてそれと共にあった愉悦の感情も、覚えている。

俺は元来、人を傷つけることを厭わない人間なのだろう。
そして感情を抑え込む箍は、笑ってしまうほどに脆い。

だが、人を傷つけるのが俺の本能なのだとしても、後に残るのは後悔のみだ。
血まみれで倒れる人間を見て嘲笑うことは、もうしたくない。

兄のように慕う人からもらったお守りは、俺の感情を驚くほど抑えてくれた。
その分、それを失おうとした時は、より酷く暴走したが。
だから、取り上げられたお守りの代わりに、ひとつひとつ自分に戒めをすることにした。
箍を一つ一つ、強めていく。

眼鏡をかけ、一人称を改め、スーツを身に纏った。
そうしている自分は、本能のままの化物のような自分とは違うのだと、そう思いこむ。

ある程度の効果はあった。
眼鏡をして、スーツを身にまとっているときの自分は、理性的な人間なのだと思えた。

それでも、簡単に理性は吹っ飛ぶのだけれど。



***




たとえば今。

自分を装うためのアイテムを外した自分は、簡単に本能が勝りそうになる。
浴室から聞こえてくる、シャワーの音。

『体洗ってもらうのとか、難しそうですね』

冗談交じりに笑って言う無邪気な言葉に、馬鹿みたいに体が熱くなった。
本当なら、全てのお世話をして差し上げたい。
私の残滓が残る幼いお体の隅々まで洗い清め、湯船に入れて、くつろがせて差し上げたい。
穏やかな表情で私に身を預けるあの方が見たい。

昨日簡単に清めはした。
自分のものと、私のもので汚れたお体を、丁寧にタオルで拭うと、その刺激すらお辛いのかびくびくと微かに震えるのが愛しくて仕方なかった。
中に散々に吐き出したものを掻きだすときは真っ赤になって抵抗を示されたが、やや強引にすると、目をつぶってしがみついてこられた。
震える睫毛と、絶え絶えに吐き出す吐息の熱さに、もう一度痺れるような衝動を覚えた。
さすがにお疲れのご様子だったので、なんとかこらえたが。

「………っ」

私は馬鹿か。
何を考えている。
ああ、駄目だ。
一晩中抱きしめて眠ったあの方の匂いが、未だに離れていかないことをリアルに感じてしまう。

今、浴室に入っても、きっと怒られないと思う。
驚いて、でも恥ずかしそうに嬉しそうに笑ってくれるだろう。
体を洗うと言うと一度は拒絶して困り、それでもさせてくださるだろう。
そのままもう一度あの体に触れて、押さえつけ、この熱を注ぎ込もうとしても、あの方は、受け入れてくださる。

カタン。

「わあ、すいません!」

突然の物音に驚いて飛び上がり、誰にともなく謝る。
周りには誰もいない。
どうやら、三薙さんが浴室で立てた音だったようだ。
まだ心臓が早く波打っている。

「………私は、馬鹿か」

自分の妄想を振り切るために頭を強く横に振る。
それから浴室の前から離れた。
シャワーの音なんて聞いているからいけない。

「片づけを、しよう」

とりあえずベッドサイドに戻って、周りを片付ける。
サイドテーブルにおいてあった眼鏡をかけると、少し落ち着く。
度の入っていない眼鏡は世界を一枚隔ててくれて、それだけ俺は少しだけ冷静さを取り戻せる。

次にサイドテーブルに置いてあったのはチューブ式のハンドクリーム。
ホテル暮らしで三薙さんや四天さんが乾燥されることなどもあるかもしれないと思い、一応持ってきていたのだが、思わぬところで役に立った。

「………」

粘性のクリームをたっぷりと中に塗り付けると、そこは酷く熱く、そして予想外に柔らかく私の指を受け入れてくださった。
音を立てるようにかき混ぜると、恥ずかしがって身をよじる
中の熱さに、指にも性感帯があるのかと錯覚するほどに、自分も快感を覚えた。
早く、自分のものを穿ち、暴きたくて、逸る気持ちを抑えるのに必死だった。
ひくついて誘うように蠕動するそこに、思いきり突き立て、例えあの方が泣き叫ばれても押さえつけて、何度も何度も揺さぶりたかった。

「だから、やめろ!!」

何しているんだ、私は。
独り言を言い始めるとは、もう末期だ。
落ち着け。
冷静になれ。
わずかな理性をかき集めろ。

「………」

何度も深呼吸して、どうにか、妄想を振り払う。
何かを考えるのをやめ、機械的にベッドサイドに置いてあったものを片付ける。
そして今度は下に落ちている三薙さんの室内着のズボンを見つける。
そういえば、これも私が脱がしたんだ。
あの幼く純粋な方の服を、奪い取ってしまう、罪悪感にも背徳感にも似た高揚感。
だから、やめろ、馬鹿か。

また深呼吸してズボンを拾い上げると、一緒に脱がした三薙さんの下着も出てきた。
三薙さんらしい、少年らしさを感じる、シンプルな、トランクス型だ。
三薙さんが一日身に着けていた下着。
三薙さんの、あの甘い匂いはするのだろうか。

「それは駄目だ!!!」

思わず持ち上げかけた手を、慌てて離す。
それは越えてはいけない一線だ。
いやもうとっくに越えてる気はするが、駄目だ。
それだけは駄目だ。

「…………」

冷静になれ、志藤。
何をとち狂っているんだ。
そろそろ、三薙さんも出てきてしまう。
そうしたら早く準備して、ダイニングに行かなければ。

そうだ、四天さんがお待ちになっている。
私もシャワーを浴びたら早くダイニングに向かわないといけないだろう。
今のうちに準備だけしておこう。

四天さん。
あの鋭く敏いお方は、私たちに何があったかなど、すぐに悟ってしまわれるだろう。
私よりもずっと年下でいらっしゃるのに、常に冷静で洞察力のある方だ。
あの方は、どういう反応をされるのだろう。
いや、その前に私はどういう反応をすればいいのだろうか。
あの方が、三薙さんを大切に思っていらっしゃることは、確かだと思う。
口では冷たいことを言いながらも、けれど助けを求める三薙さんの手を振り払うことはなさらない。
それが道具として大切なのか、家族愛としてなのか、それとも他の感情があるのか、私には分からないけれど。
あの方は三薙さんを、どう思っていらっしゃるのだろう。

三薙さんに、初めて触れた人間。
あの方の熱に乱れる表情を、初めて見た人間。
あの方に、閨での作法を教えた人間。

私がすべて、教えて差し上げたかった。
あの方の無垢さを、私の色を染め上げたかった。

それだけでも忌々しいのに、三薙さんの中からは、四天さんの気配がする。
それがマーキングのように感じて、時に激しく不快になった。
その痕跡をすべて消し去ってしまいたい衝動に駆られた。
昨夜も感じた、酷い怒りと苛立ち。

四天さんがいなくなれば、あの気配も消えるのだろうか。

「いや待て、四天さんは尊敬できるお方だ」

そう、尊敬し、信頼できる、とても強く賢いお方。
あの方に仕えることが出来るのは嬉しく誇らしい。
それは、間違いない。

そもそも、私が割り込んだ形だ。
こんなことを考える方がおかしい。
本当に、もうどうしようもない。

「志藤さん?出ましたよ」
「うわ!!」
「し、志藤さん!?」

ほとんど片付けは終わっていないのに、三薙さんが出てきてしまった。
慌てて振り向くとそこにはバスローブ姿で、髪を濡らし、顔を上気させた三薙さんが立っていた。

「………っ」
「志藤さん?」
「す、すいません!シャワーお借りします!」
「は、はい!」

そのまま顔を見ないようして、慌てて浴室に逃げ込んだ。
そしてドアを閉めると、うずくまる。

「………俺は、馬鹿か」

本当に、自分の理性の脆さに、絶望する。



***




なんとか出発した車を走らさせていると、三薙さんが看板を見て無邪気な声を上げる。

「あ、道の駅だ!」

この前寄った道の駅がとても楽しかったらしい。
声には喜色がたっぷりで、それがお可愛らしくて思わず頬が緩んでしまう。

「お寄りになりますか?」
「………いいですか?」

いいですかと言いながら、その顔はもう期待でいっぱいだ。
そんな仕草もお可愛らしい。

「四天さんも、よろしいでしょうか」
「いいですよ」
「やった!今度は何があるかな!」

そして辿り着いた道の駅はこの前よりも小規模だったが、三薙さんがお目当てのさまざまな食事があった。

「あ、あっちのフランクフルトうまそー!」

現地の牧場で作っているらしい、手作りソーセージを使用しているようだ。
巨大ソーセージと銘打っている看板が見える。
三薙さんがそれ見て、ちょっと首を傾げる。

「すごくでかくて太いな。あれじゃ、口に入りきらなそう」

冷静になれ冷静になれ冷静になれ志藤。

「大丈夫ですか?」
「………はい」

四天さんが涼しい顔で、聞いてくる。
俺はなんとか答えた。
本当に嫌になるほど、この人は敏い。

「あ、飲むヨーグルトだって、うまいかな」
「どうだろう。俺乳製品そんな好きじゃないし」
「お前本当に好き嫌い多いよな。ま、いいや飲んでみよっと!志藤さんはどうします?」
「わ、私は結構です」

ソーセージはやめたらしく、今度は同じ店の乳製品に目をつける。
店に向かって飛び出していき、飲むヨーグルトを一つもって戻ってくる。

「すげー、濃厚そう。どろどろ」

わくわくとした表情で蓋をあけ、口をつけると一気に煽る。

「ぶはっ、けほっ、けほっ」

そして、気管にでも入ったのか咳き込んだ。
慌ててポケットからハンカチを取り出す。

「三薙さん、大丈夫ですか!?」
「あー、もったいない、こぼしちゃった。これすごい濃い。もうどろどろ」
「………っ」

手にも零したのか、白く濃いヨーグルトで汚した顔と手を見せつけてくる。
苦しそうに眉をしかめながら、口の周りのヨーグルトを舐めてみせる。

「すごい勢いで出てきたから、飲み込みきれなくて」
「ど、どうぞ、お使いください!」
「え、は、はい!ありがとうございます!」

押し付けるようにハンカチをお渡しして、後ろを振り向きしゃがみこむ。
冷静になれ、冷静になれ。

「思春期じゃないんですから」

四天さんが呆れたようにつっこむ。

「………頼みますから、どうか、おかまいなく」
「立てます?あ、そっちじゃなくて」
「どうか、お願いですから………」

自分の自制心が強くないことは十分思い知っている。
嫌になるほど毎日思い知る。






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