「三薙さん、顔色が悪いわ。まだ調子が悪いの?」

母さんが心配そうに、俺の顔を伺ってくる。
今日の朝食の席には、父さんと母さんと天がいる。
父さんも眉を顰めて、俺に視線を向ける。
思わず目をそらしてしまう。

「あ、いえ、ちょっと寝不足なだけです。大丈夫です」

昨日の夜はあまり眠ることが出来なかった。
うとうととして、浅い眠りについては、嫌な夢を見て飛び起きる。
そんなことを繰り返していて、寝た気になれない。

「そう?無理しないでね。今週はまた大事な儀式があるんでしょう?」

その言葉に余計に胃がずしりと重くなる。
また、あの儀式をしなければいけないのだ。
今となっては、あの儀式をする必要性も、よくわからないけど。
どうせ俺が奥宮になるのなら、力の供給をするのに、なんの意味があるのだろう。

「………はい、ありがとうございます。大丈夫です」

でも、何も知らない母さんにそんなことを言う訳にはいかない。
それに、二人から力の供給を受けているから、体の調子がいいのは確かだ。
負担が大きい二人の方が許容してくれてるのだから、俺に文句を言う資格はない。
無意味なことかもしれないれど。

「本当に、具合悪かったら帰ってきてね」

母さんは歯切れの悪い俺の言葉に、ますます顔を曇らせる。
ああ、いけない、心配させたらいけない。

「はい。あ、今日は友達と約束があるんです。夕飯を食べてこようと思うのですが、いいですか?」

俺は務めて笑顔を作り、話題を変える。
そう、今日は楽しいことがあるのだ。
岡野の手料理を食べれる。
それを思うと、鬱々としていた気持ちが、わずかに軽くなっていく。

「あら、そうなの。それはいいけれど」

母さんはちらりと父さんに視線を向ける。
父さんはわずかに表情を緩めて頷いた。

「お前の体調がいいなら構わない。無理はするな」
「はい、ありがとうございます」
「あまり遅くならないようにね」
「はい」

そうだ、今は楽しいことを考えよう。
今日夕飯を食べに行って、楽しい思い出を作って、それから、考えよう。
それまで、後少しだけ、考えたくない。
楽しいことで、頭の中をいっぱいにしていたい。

あの日双兄に連れられて行った奥宮から、世界はがらりと変わってしまった。
でも、夢だったようにも思える。
何も変わらないんじゃないかとこんな風に話していると思えてくる。
そんなわけは、ないのに。

「あの、そういえば、双兄は」

そういえば双兄を、あの日から見ていない。
自室で反省してるって、天は確か言っていたっけ。
正直双兄の顔を見るのはまだ怖い。

「双馬さんも体調が悪いということで休んでるの。あの子は飲みすぎかしら。困ったものね。後で様子を見に行かなくちゃ」
「そう、ですか」

母さんが困ったようにふうっとため息をつく。
体調が悪いのか。
ほっとしたような、そうではないような。
話をしたい気はする。
でも、まだ話をしたくない気もする。
なんで双兄は、あんなことをしたのだろう。

「ごちそう様でした」

その時天が手を合わせて挨拶を終え立ち上がる。
相変わらず静かに食べる奴だ。

「はい。気を付けていってきてね」
「気を付けて」
「はい。行ってきます」

母さんと父さんに見送られ、天がすたすたと出ていく。
俺も慌ててその後を追う。

「あ、俺もごちそう様でした!」
「あら、あんまり食べてないじゃない」
「すいません!」
「もう、いってらっしゃい。ちゃんとお昼は食べてね」
「はい」

出かけるための身支度を整えて、玄関先にいる天に追いつく。

「天、一緒に行こう」
「いいよ」

天はあっさりと頷いた。
そういえば、こいつは別にこういう時に拒否をしたりはしなかった。
まあ、嫌味を言うことはあったけど。
それに親しげという訳でもなかった。
どこかよそよそしかったのは、天も一緒だ。

そういえば、奥宮に連れて行ったのは、天だったのは思い出した。
でも、その後、どうなったんだろう。
その後、何があったのだろう。
そもそもなぜ、天はあそこに俺を連れて行った。
俺はなぜ忘れた。
それに、天はどうしてその後、俺によそよそしくなったんだろう。

「兄さん?」
「あ、ごめん」

ぼうっとしていたら車道によりすぎていたらしい、軽く腕をひかれて我に返る。
全部話すと言われているけど、いつ話してくれるのだろう。
知りたい。
何も分からない。
でも何も知りたくない。
何も考えたくない。
もうこれ以上、怖いことは知りたくない。
頭がぐちゃぐちゃしてきて、それを吐き出したくてため息をつく。

「どうしたの、何があったの、って聞いてほしい?」

俺のそんな態度に、天が皮肉げに聞いてくる。
その態度に苛立ちを覚えるが、怒る気力も今はない。

「………双兄、大丈夫かな」
「さあ。俺も会ってないから知らない」

寝込んでいた俺だけではなく天も会ってないのか。

「あの日、から?」
「うん。あの日は会ったけどね」
「そっか」

もう少し落ち着いたら、双兄にも会いに行こう。
今は頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない。
少し整理して、それから話を聞きに行こう。
そう決めて、空を見上げる。
空は夏に近づいて青さを増しているように見える。

「暑くなってきたな」

長袖のシャツがじんわりと汗ばんでしまいそうな陽気だ。
そういえば、バタバタしているうちにもう5月だ。

「そういえば、もうゴールデンウィークか」
「そうだね。真ん中が空くのが面倒くさいけど」
「どうせなら休みにしてくれればいいのにな」

土日休んでまた学校へ行って、それからゴールデンウィークだ。
どうせならそのまま休ませてくれればいいのに。

「まあ、どっちにしろ、どこにも行けないけどさ」
「そうだね。休暇なんてうちには関係ないし」

でもそれなら、学校へ行きたいかもしれない。
皆の顔を見て、話したい、会いたい。
いつまで一緒にいられるか分からないんだから、もっと一緒にいたい。
そう考えると、休みなんてもったいない気がしてくる。

でも休みの間は家族と過ごせるだろうか。
俺が休みで暇なら、忙しい人たちに合わせて会う時間が増えるかもしれない。
みんなと過ごすのも大切な時間だけれど、一兄や双兄や天や父さんや母さん。
それに志藤さんたちとも一緒に過ごしたい。

「一度ぐらい、家族旅行って、行ってみたかったな」

一度も家族全員で遠出なんてしたことがない。
全員で行事のために宮守の管理地内を移動したのがせいぜいだろうか。
勿論遊びにいった記憶なんてない。
一度ぐらい、家族旅行をしてみたかった。
みんなで行くとあんなに楽しいんだから、きっと家族でいってもすごく楽しい。

「後、海行きたいなあ。行けるかな。みんなで海、行きたい」

もう一度、みんなで旅行も行きたい。
海へ行きたい。
行くとは言っていたけれど、今年はみんな受験だし、やっぱり忙しいだろう。
でも来年か再来年、いけるだろうか。
一度でいいから、海に行きたい。
青い海が、見てみたい。

「………」

天がふと立ち止まり黙ってこちらを見る。

「天?」

俺もつられて立ち止まる。
天はじっとしばらく見つめてから、顔を歪めた。
笑うような、睨むような、なんとも言い難い表情。

「本当に、すごいね」
「え」

そして肩を竦めた。

「あの日から、一週間だ。たったの一週間」

天は前を向いて歩き出し、指折り数える。
それから喉の奥で笑った。
俺も慌ててその後ろを追いかける。

「それなのに、全部終わってる」
「………え」
「まあ、兄さんはそういうものなんだけどね」

もう一度肩を竦めて、はっと息を吐き出す。
どこか苛立ったような態度に、何か怒らせたのかと不安になる。
俺のなにが、天を怒らせたのだろう。

「天、どうしたんだ?」
「ううん。ごめん」

それから天はこちらに視線を戻す。
その表情は、少しだけ柔らかいものになっていた。
冷たい手が俺の頬にそっと触れる。

「顔色が本当に悪いね。眠れない?」
「………うん」

天が優しく目を細める。

「そう。眠れなかったら、俺の部屋にくればいい。話し相手ぐらいにはなるよ」
「え」

そんなことを言われるとは思ってなくて、呆けた声が出てしまう。
目を丸くしているだろう俺の表情を一瞥して、天が小さく笑う。

「大事な体だしね」

天の言葉にどう答えたらいいか分からず、ただその綺麗な顔をじっと見つめることしかできなかった。



***




また暗く沈んでいた心は、クラスメイトの女の子の顔を見て浮上する。
暗く濁ってどろどろしていた感情が、綺麗な水に押し流されていくようだ。

「あ、お、岡野、おはよう」
「はよ」

岡野はつれなくて手をひらりと振っただけ。
でも、それは別に怒ってるわけじゃないと知っている。
耳がわずかに赤くなっているのを知っている。

「おはよ、三薙」
「おはよう、誠司」

ふわりとした気持ちで席に着くと、藤吉もやってきて笑いかけてくれる。
太陽のような笑顔は、同じように気持ちを明るくしてくれる。
やっぱり学校は、好きだ。
ここが好きだ。

「三薙、顔色悪いけど、大丈夫?」
「あ、うん。平気。ありがとな、誠司」
「うん。あんまり無茶してご家族にも心配かけるなよ」
「………うん」

一兄も父さんも、心配してくれていた。
二人も同じように苦しんでいた。
俺ばかり、心配をかけるわけにもいかない。

「勿論俺たちも心配するんだからな」
「………うん、ありがと」
「泣くなよ」
「泣かねーよ!」

優しい。
俺の周りには、優しい人に溢れている。
俺は恵まれている。
皆に同じように優しさを返したい。



***




「あ、岡野」

放課後になって、岡野の姿をきょろきょろと探す。
するといつの間にか後ろからやってきていた槇が、俺の腕を取った。

「さ、宮守君、いこっか」
「え」

槇は俺を見上げて、柔らかくにっこりと笑う。
内緒にしておけといっていたのは、岡野だ。
俺は言ってない。
だから俺が岡野の家に行くのは知らないはずだ。
じゃあ、槇が行こうと言っているのはどこだ。
何か約束していたっけ。

「………バレた」

混乱してただじっとにこにこと笑う槇を見ていると、やってきた岡野がぼそりとそれだけ言った。
暗い顔でとても不本意そうだ。

「あ、そうなんだ」

よかった、俺の態度かなにかからバレたのかと思った。
そんなことしたら殴られそうで怖かった。
俺からバレなくてよかった。

「槇も一緒なんだ。槇はよく岡野の家に行くの?」
「がっかりした?」
「え?」

なんのことか分からず首を傾げると、槇が困ったように笑った。

「うーん、そうかあ」
「何?どうかした?」
「ううん」

何もないって様子ではなく、小さくため息をつく。
なんだろう、何かしただろうか。

「バレたっていうか、結局彩に誘われたんだけどね。どうしたらいいか分からないって」
「チエ!」
「あはは」

岡野が怒って眉を吊り上げて、槇は朗らかに笑う。

「え、と、岡野なんか、困ってた?俺、お邪魔するの悪かったかな。そうだよな、夕飯時とか、迷惑だよな」
「そうじゃない!」
「え」

岡野がとても怖い顔をしている。
俺はまた何かしてしまっただろうか。
怒ってるわけではないと思うんだが。
これは照れ隠しだろうか。
でもちょっと怖い。

「まあまあ。さ、なんかお土産買っていこうか、宮守君」
「あ、うん」

そういえばそうだ。
招待されるなら何かお土産を買っていかないといけないだろう。

「槇がいてくれてよかった。俺、そういうの思いつかなかった」
「そっかあ。うん、私も喜んでくれて嬉しいけどね」
「え?」
「ううん。さ、いこ」

何がなんだか分からないまま、槇にやや強引に押し出される。
岡野はなんだか不機嫌そうにむっつりとしていた。
でも、予定変更はないようで、槇おすすめのケーキ屋に向かうことになる。
道中、隣で一人朗らかに話していた槇が俺を見上げる。

「宮守君、この前お見舞い行ったときから、元気ないね。大丈夫?」

槇は、おっとりとしているけれど、とても鋭い。
人をよく観察していると思う。
でも岡野にも藤吉にも気づかれているから、俺が分かりやすいだけなのかもしれない。

「え、あ、うん。もう元気だよ。風邪も治ったし」
「うーん。なんか、悩んでる?」
「そいつは年中悩んでるだろ」

岡野の冷たいつっこみに、槇はあっさりと頷いた。

「そういえばそうだね」
「う」

いや、そりゃそうなんだけどさ。
まあ、悩んでない時がないけどさ。

「でも、どんな悩みでも、話聞くぐらいは出来るから、何かあったら言ってね」

槇は優しく笑って穏やかな声で、そう言ってくれる。
その声を聴いていると胸に温かいものが満ちてくる。

「ありがとう、槇」
「宮守君は、優しいからね。抱え込まないようにね」

優しいのは、槇のほうだ。
厳しいところもあるけれどとても穏やかで優しい。
この穏やかな空気に、いつも癒されている。

「そいつは、うじうじ暗いんだよ」
「………ひどい」

岡野は冷たく言い捨て、そっぽを向く。

「ま、最近はよくなってきたけどね」

学校は好きだ。
だって。大好きな人たちが、待っているから。





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