放課後はすぐに訪れてしまった。
もっとずっと、あそこにいたかった。
岡野と槇と一緒にいたかった。
日常を感じていたかった。
変わらないものを、確かめたかった。

でも、ずっと一緒にいたら、何を言い出すか分からなかった。
全てを吐き出して、岡野と槇にすがってしまいそうだった。
それが、二人にとって、迷惑にしかならないと分かっているのに。
そしてなにより、それが二人に変化をもたらせてしまうのに。
そんなの、嫌だ。
二人にはあのままで、いてほしい。

大切な大切な、友人。
俺が自分で作った友人ではない。
お膳立てしてもらって作り上げた、大事な繋がり。
でも、それでも、二人と出会わなくてよかったとは、思えない。
それがどんなきっかけであろうと、どんな思惑があろうと、会えなくてよかったなんて、思えない。

二人と、会えてよかった。
岡野と槇がいてくれて、よかった。
こんな幸福をもらえるのなら、仕組まれた出会いであろうと、よかった。

「三薙、どこか寄ってくか?」

隣にいる藤吉が、気を使ってくれている。
でも、黙って首を横に振る。

家に向かう足は、自然と重くなる。
またあの暗く重い家に、帰るのだ。
冷たく優しい檻の中に、入っていくのだ。
でも、あそこ以外に俺が帰る場所はない。
俺の世界は、あの小さな家の中だけ。

「誠司、送ってくれなくてもいいよ」
「そんな風に言うなよ。一緒に帰ろう」
「………別に、逃げないから、平気だよ」

逃げても見つかる。
抵抗すればねじ伏せられる。
消えれば迷惑がかかる。
岡野に槇に栞ちゃんに五十鈴姉さんに。
もう、考えるのも、面倒くさい。
だったら何も考えず、帰ればいい。
そしたら明日はまた、学校に行けるのだから。
それなら、いい。

「そういう訳じゃないよ」
「………そう」

藤吉はやっぱり困ったように笑う。
どうしてそんな表情をするのだろう。
藤吉も、苦しいのだろうか。

でも、そうだよな。
藤吉だって好きで、俺を騙していたりする訳じゃないのだろう。
父さんだって一兄だって天だって、そうだ。
仕方ないから、やってるのだ。

こんな嫌な思い、誰だってきっと、したくない。
人から恨まれるなんて面倒なこと、したくないだろう。
しかもこんな手の込んだやり方で、自分の時間も使って、俺に付き合うなんてしたくないだろう。

いっそ憎まれてる方がよかった。
佐藤のように、楽しんでいるのなら、よかった。
義務で俺に接してるといわれるより、何かしらの感情が欲しかった。

「元気になったら本当にどっか行こうな。どこに行ってもいいって、言ってるから」
「うん………」

寄せられる想いが鬱陶しい。
嫌な役目をこなしている人たちを憎むことなんて出来ない。
でも、だからといって、同情なんてしたくない。
そんな余裕はないんだ。
人を思いやってる余裕はないから、そんな弱弱しい仕草は見せないでくれ。
どうして、ただ憎ませてくれないんだ。
胸が痛くて、罪悪感が苛む。
疲れるから、何も考えたくないのに。

「………」

二人並んで黙って歩く。
話すことは浮かばない。

「あ………」

人気のない道に差し掛かったところで、不思議な気配を感じる。
悪意のある視線のような、もの。
気のせいだと思いそうなほど、かすかな違和感。

「三薙、待って」

藤吉が手をつかむ前に立ち止まり、辺りを見渡す。
どこか、後ろの、上の方だ。

「なに、これ」

藤吉が小さく舌打ちをして、鞄の中からペットボトルの水を取り出す。
そして素早く円を描きながら、呪を唱える。

「この身は世界、この身は境界、現にありて、夢を見る。なにものも我が夢を触れることは能わず」
「誠司!?」

聞いたことのない呪の形だが、それが形作るのは結界だということが分かる。
慌てて藤吉に駆け寄ろうとすると、とんっと胸を軽く押されて水でできた円の中に入れられる。

「ごめん、ちょっと、入ってて」

藤吉が悪戯ぽく笑った瞬間、世界が閉じた。
目の前にいた藤吉も、辺りの住宅街も、消え失せる。

「誠司!?」

慌てて前に出るが、そこにはまったく、知らない世界が広がっていた。
どこまでも続く原っぱは地平線の向こうまで何もない。
薄曇りで、白っぽい青空。
吹き抜けるのは冷たい風。
どこか寂しく、どこか懐かしくなるような、風景。

「あ………」

この空気は知っている。
何度か、経験したことがある。

「結界」

どこまでもリアルなのに、非現実な感覚。
双姉の夢の中にも、似ている。
夕暮れの街の中、幽霊屋敷、そして、あのマンションの夢にも似た気配。

「やっぱり、今までの結界は、誠司だったんだ」

俺を、閉じ込めたのは、藤吉だったのか。

「そっか」

なんとなく、気づいてはいたけれど、改めて知るとやっぱり胸がしくしくと痛んだ。
もう、傷つくことなんて、ないと思ったのに。
まだまだ、痛みは忘れられない。

なんで、あんなことをしたのだろう。
天は知らなかった。
多分、一兄はすべてを知っている。
俺を危険な目に遭わせて、何をしたかったのだろう。
仕事も合わせて、経験を積ませて、どうしたかったのか。
藤吉の作る怖い世界で、何をさせたかったのだろう。

「でも、この世界は、怖くないな」

荒涼とした風景だけれど、寂しいだけで、悪意や怖さは感じない。
なんで、ここに閉じ込めたのだろう。
なんか変な気配を感じた途端、閉じ込められた。
少し焦っていたようだった。
だったら、突発的な出来事だ。
つまり、宮守の家のことじゃない。
他の、ことだ。

「………俺を、守ってくれた?」

ここに閉じ込めて、かばってくれたのだろうか。
なんとなく、そんな風に思った。
それが正しいのか分からないけれど。
でもそれなら、こんなところに一人でいていいのだろうか。
藤吉一人を危険な目に遭わせてないだろうか。

「出れるかな」

結界の力の流れを感じ取ろうと目を瞑る。
突発で作った結界だからか、割と結び目は簡単に見つかりそうだ。
でも、これを解いたら、藤吉にも影響があるだろうか。
力を跳ね返すことになったら、藤吉に攻撃することになるかもしれない。

「………誠司」

どうしたらいいんだろう。
ここに一人でいるのは、嫌だ。
でも、出てもいいのだろうか。
どうしたら、いいのだろう。

「あ」

その瞬間、世界がほころびた。
空が草原が崩れていく。。
ほろほろと渇いた土が風で吹き飛ばされるように、脆く消え去っていく。

「ごめん、お待たせ」

世界の向こうには、何事もなかったかのように藤吉が立っていた。
苦笑している様子には、どこも変わったところはない。
怪我とかは、なさそうだ。

「今の、何が、あったんだ?」
「………ちょっと、お客さん」

何がなんだか分からない。
呆然として問うと、藤吉は困ったように首を傾げた。

「すぐ帰ったから、三薙は何も心配しなくていいよ」

それは気遣いなのだろうか。
それとも、都合の悪いことを隠そうとしているのだろうか。

「………また、俺は何も、知らされないのか?」

それなら、もうそれでもいい。
どうせ、俺はすべてのことから、蚊帳の外だ。
俺自身のことですら、何も知らない。
ただ、やっぱり辛くて、愚痴るように言ってしまった。

「………宮守の、多分親戚の誰かか、神祇院か、他家か、様子を見に来てたみたいだ」

藤吉は、困ったようにしながらも、答えてくれた。
驚いて顔をあげる。

「なに、それ」

なんか前にも、聞いたことがあるっけ。
言っていたのは天だったか。
家の中にもたまに、入りこんでいるって。
うちの様子を探るために、使鬼を忍ばせてくるような人がいるって。
本当にそんなものが、いたのか。

「宮守は力のある管理者だから、その分周りの目も集まるんだ」

力のある管理者の家。
それは知っている。
でも、なんで今ここに現れるんだ。
さっき感じた視線は、確かに俺に向けられていた。

「俺を、見に来たの?」

だとしたら、理由は一つしか考えられない。

「俺が、奥宮だから?」
「………」
「俺が奥宮って、知られてるの?奥宮が誰かって見に来たの?」

藤吉が眼鏡の向こうの目をそっと伏せる。

「見当をつけられてるって、ところかな。たぶん他の人のところにもそれなりにいってると思う」
「見当?」
「奥宮がどんな存在かを探りたいのかも。それが真実どんなものかは、知られてない。でも、そういう存在がいることは知られている」

奥宮がどんな存在を知らない。
アレを知らない。
奥宮を探りたいのか。
奥宮が誰かを知りたい。

「………力ある、管理者の一族」

奥宮。
そして先宮。
何か、ひっかかる。
なんだろう。
奥宮を、知りたいのか。
奥宮を、なのか。

「最近ちょっと、多いみたいだから、気を付けて」

藤吉が軽く俺の腕を引いて、歩き出す。
つられるがままに歩いて、隣を見る。

「誠司は、俺を守ってくれてたの?」
「………」

藤吉はうんとも、違うとも言わない。
でもきっと、守ってくれたのだろう。

「そうだよな、大事な、道具だもんな」

俺は、大切に愛された道具。
皆が俺を、守ってくれる。

「昔から、こういうの、あったのかな。もしかして」

天は知ってるようだった。
結構あるような口ぶりだった。

「俺、全然、気づかなかった」
「三薙は、最近力が満ちているから、気配に鋭くなったんだと思う」

そうか。
確かに今は一兄と天の供給も復活して、これまでになく力に満ちている。
指の先々まで、力に溢れている。
今までは邪に襲われても翻弄されて逃げ惑うことしかできなかったけれど、今なら軽くいなせそうだ。
色々な経験も積んだし、術もある程度実戦で使えるようにもなっている。
昔とは、大違いだ。

「でも基本的に無視した方がいい。偵察したいだけで、危害を加えてくるようなのはめったにいないから。気づかないふりで家に帰ればいい」
「………もしかして、昔から、見ていて、くれたのか?」

藤吉は前を向いたまま、答えない。
仲良くはなかったけれど、傍にいた。
中学生の頃から、そこにいた。
もしかして、その頃から守っていてくれたのだろうか。

「皆も、守ってくれてたのかな」

一兄も双兄も天も、俺が気づかないうちに、俺を守ってくれていたのだろうか。
目に見える危険から、目に見えない危険まで。

「皆、俺を、大事にしてくれてたもんな」

俺が思っていたよりも、守られていたのだろうか。
気づかないように、守ってくれていたのだろうか。
何もできず、翻弄されることしかできない俺を、庇護してくれていたのだろうか。
きっと、そうなのだろう。

「でも、俺、その割には結構危険な目に遭ってたよな」

思い返して、少し笑ってしまう。
兄や弟や藤吉が守ってくれていても、それでも邪に魅入られ怖い目にあった。
それによって酷い目にあったことは数えきれない。
友人になりかけた人を失ったことだって、一度や二度じゃない。

「どんだけ、ドンくさくて弱いんだろ」

皆の守りをもってしても、守りきれないほどの要領の悪さと弱さ。
自分で自分が情けなくて、笑ってしまう。

「………」

危険に襲われて、泣いて帰って兄たちや弟にすがった。
あの人たちがいれば、大丈夫なのだと、逃げ帰った。
そして皆の顔を見て、心から安心した。
挙動不審な行動を繰り返すせいで、人が周りに寄り付かなかった。
そのために、友人になりかけた人を失ったことだって、一度や二度じゃない。
俺の周りには誰もいなかった。
俺がいていい場所は、家だけなのだと、そのたびに思った。

「………用意されてた?」
「………」

藤吉は前を向いたまま、こちらを見ない。
俺は、引きずられるようにして歩く。

「昔、鬼や邪に襲われても、助けられなかったのは、わざと?危険な目に遭ったのも、それで、守られたのも、わざと?」
「………」
「岡野と槇も、俺のために、用意してくれたんだよな。だったら、危険も安心も、全部、用意されてた?」

俺は一人だった。
出来かけた友人は俺が馬鹿なせいで全て失った。
俺が安心できる場所は家だけだった。
心が許せるのは、家族だけだった。
それでも、はじめてできた友人は、家によって用意されたものだった。

「全部、全部、用意、されてた?」

用意された危険。
用意された安全。
用意された孤独。
用意された友人。
用意された痛み。
用意された喜び。

「本当に俺の世界は、全部、嘘だったんだな」

藤吉は、答えない。
そうか、俺の世界には、何一つ、俺が選んだものは、なかったんだ。





BACK   TOP   NEXT