あっさりと笑顔で言われたその言葉に、浮かんだのは小気味いい高揚感だった。 苦笑と共に、心が、軽くなっていく。 本当にお前は、傍若無人で、自分勝手。 「そもそも勝手に約束させたくせに」 「でも、頷いたのは兄さんでしょ」 「果たせないなら、お前が、俺を殺すのか?」 「そう、約束を果たせないぐらいだったら、約束自体なくしちゃう」 天が剣を持ち直し、前を見据え対峙する。 一兄も剣を構え、後ろにいる使用人も、藤吉も佐藤も今にも動き出しそうだ。 「だから兄さん、迷わないでね。逃げ切るだけでいい。早く切り上げないと、事態は悪化するだけだから。散らばってる人たちが集まってくる」 そうだ。 放っておけば、家の人間はどんどん集まってくる。 そうしたら、もう、終わりだ。 数で押されたらいくら天でもどうすることもできない。 今は黒輝と白峰も入れるなら、五対四。 どうにか、ならないでもない、状況だ。 時間は、ない。 「覚悟、決めてね」 また、覚悟か。 奥宮になる覚悟。 逃げる覚悟。 決める覚悟。 捨てる覚悟。 限りある選択の中から、選び取り、自分の道を切り開く、覚悟。 「いくよ、兄さん。道が出来たら、塀の向こうを目指して。俺は気にしなくていい。兄さんさえいなくなれば、どうとでも逃げられる」 天はそれだけ言い置くと返事をする暇もなく、前傾するような体制で走り出す。 そのまま一兄に向かって真っすぐ走り、その剣を横薙ぎにする。 キィン! 一兄はその一撃を自分の腹の前でなんなく受け止める。 そして天の剣を受け流すと、そのまま下から掬いあげるように天に切りつける。 「あ………」 二人とも、持っているのは刃を潰した模擬刀じゃない、真剣だ。 一兄も天も刀身に反りのない真っ直ぐな、古い形の直刀を好む。 一兄の方がわずかに細く、天のが太目な刃をしている。 「ふふ、久々だね、一矢兄さんと打ち合うの」 「ああ、腕を上げたな、四天」 切り結ぶ合間に楽しげに話しながらも、お互いに隙は見せない。 一太刀でも入ったら、致命傷にすらなる斬撃。 けれど、躊躇する様子は見せない。 見てるだけで、こちらの心臓が竦みそうになる、打ち合い。 怖い。 嫌だ。 ああ、いつだっけ。 天が、人に剣を向けても、なんとも思わないって、言っていたっけ。 それが例え、実の兄でも、躊躇いはないのか。 一兄も、弟を相手にしても、何も、思うところはないのか。 ヒュッ! 動くこともできずに、ただ二人を見ていると、風を切る音がした。 ざわりと悪寒が走って反射的に、その場から身を引く。 「う、わ!!」 「ちぇー、逃げられた。ほら、三薙、部屋に帰るよ」 いつの間にか接近していた佐藤が空を切った拳をいったん引いて、ショートパンツから伸びた足を俺の胴めがけて振りかぶる。 上半身を反らして避けたものの、油断していたのもありバランスを崩して倒れこみそうになる。 けれど、二歩ほど後ろに下がってなんとかこらえる。 「くっ」 「ほらほら、危ないよ!」 けれど楽しげに笑う佐藤はその隙を見逃すはずがない。 更に踏み込んで、その手を顔に向かって突き出してくる。 避けら、れない。 目はつぶったら、駄目だ。 「あっ」 「がう!」 痛みに備えて歯を食いしばったが、その前に佐藤の腕に黒い影が襲いかかった。 佐藤がすんでのところで体をひねり、その影から逃げる。 「あはは、ワンちゃん、すごいすごい!」 黒輝がその鋭い牙で、佐藤の腕に噛みつこうとしていた。 一歩ひく佐藤を追い詰め、更にその喉に食らいつこうとする。 「ぐぅっ」 その瞬間、黒輝と俺の足に、何かが絡まって、動きを制止される。 蔦のような形をした何かは、そのまま足から上にするすると這い上がり、俺たちの体を絡め取ろうとする。 濃い紺色の力で出来た蔦。 「………っ、宮守の血の力よ、我に害為すものを、その刃で切り払え!」 一兄の懐剣ほどじゃないが、今持っている剣も、それなりに力はある。 供給されていて満ち足りているせいで、力の練り上げるのはスムーズに行えた。 剣に自分の力を乗せて、黒輝と俺を絡め取る蔦を払い落とす。 「………誠司っ」 この力の色には、質には、覚えがある。 何度か、俺を惑わせ、弄んだ、結界の力。 「………」 佐藤の後方で、藤吉は、また何か呪を唱えている。 俺の方を見て、苦しげな顔をするが、術を解く気はないようだ。 「ほら、次行くよ」 「佐藤、………っ!」 そしてまた佐藤が、黒輝をいなしながら、俺に腕を振りかぶる。 顔を狙われたそれを避けるものの、喉に、鋭い痛みが走る。 熱いものが、喉から伝い落ちる感触。 「惜しい!」 佐藤の手にはいつのまにか、小ぶりな手のひらのほどの刃物が握られている。 コールタールのようなどろどろの気持ちの悪いもので胸がいっぱいになって、吐きそうになる。 こいつも、俺を傷つけることに、一切の躊躇は、ないのだ。 「ほらほら、ワンちゃんもおいで!」 藤吉の再度の術を振り払おうとしている黒輝に、佐藤がその手を振りかざそうとする。 「さ、せるか!」 慌てて詰め寄り、肩を佐藤の体に当てようとする。 けれど、佐藤は身軽に横に避けながら、俺の肩をはたき力を反らす。 「三薙がぁ、私を、殴れるの?」 「………っ」 そしてにやにやと笑いながら、またそのしなやかな足で俺の足を狙ってくる。 その場に跳んで、それを交わすが着地と同時に距離とつめられる。 「ぐうっ!」 「おっと」 けれどその前に藤吉の術を解いたらしい黒輝が、佐藤に体当たりをして、跳ね除ける。 当たったものの、身をひいて力を散らしていたのだろう、倒れこむことはない。 けれど今度はこっちから距離を詰めて、その顎に掌底を当てようとする。 「っ」 わずかに佐藤が少しだけ焦りの表情を見せようとした時、隣から何かの気配を感じた。 「!」 何も考えず、後ろに倒れこむようにして、その場から離れる。 そして、手をつき、勢いのまま、なんとか立ち上がる。 「な、にっ」 俺がいた場所を、鳥の形をした、何かが過ぎ去る。 あれは、式鬼か。 力をたどって、飛ばした主を探すと、その人は白峰と今は向かい合っていた。 あれは、家の使用人の人だ。 あまり、関わりのない人だが、顔は知っている。 一瞬こちらをちらりと見るが、今度は自分に喰らいつこうとしている白峰に視線を戻す。 意識がすべて藤吉と佐藤に向かっていたが、あちらからも、攻撃される可能性があるのか。 「天」 そして、そういえば天と白峰は三人と対峙しているのだ。 一兄と、使用人の人二人。 一兄と天が切り結んで、白峰が二人を相手取っているが、さすがに荷が重い。 時折天に攻撃をしかける使用人を、天がなんとか避けている。 その隙を逃さず、一兄が距離を詰める。 天と白峰が、分が悪い。 中々反撃に結びつかず、後退している。 「早く、どうにかして、天を、助けなきゃ」 あれじゃ、天と白峰は、いずれ負けてしまう。 真剣を使っているのだから、大怪我する可能性がある。 そんなの、見たくない。 「どうにかするって、どうするの?」 耳元で可愛らしい声が響いて、慌てて振り向いてその場を蹴りつける。 けれど俺の足は空を切る。 「くっ」 そのまま振り向きざまに、佐藤に向かって走る。 鞘に入ったままの剣を振り払い、追い詰めようとするが、佐藤は身軽でなかなか捕まえられない。 もっと、リーチが欲しい。 俺も一兄や天のように、剣を使っていればよかっただろうか。 まあ、今更考えても仕方ない。 「がうっ!!」 黒輝が、俺の横から迫っていた大きな虫のような形をした式鬼をその歯で受け止める。 けれど三体いた式鬼のうち一体は止めきれず、こちらまでくる。 手に持っていた剣で振り払い、その動きを止める。 大した力を持っていない式鬼は、それで消滅し、その場に落ちる。 この式鬼は、さっきのものとは違う。 これは、藤吉のものか。 「く、そ!」 術を使って後方支援の藤吉と、前線で俺らの足止めをする佐藤。 どちらを先に、止めればいい。 藤吉を、先に、止めるか。 黒輝を佐藤に、任せて、俺はあちらに走ればいいか。 ちらりと佐藤の後ろを見て、藤吉の位置を確認する。 けれど、さっきいた場所に藤吉はいなかった。 どこ、に。 その瞬間、ピリピリとした、後ろから殺気を感じる。 圧されるように振り返ると、そこにはまるで大きく口を開いた獣のような世界の切れ目が広がっていた。 切れ目の奥は暗くて黒くて、何も見えない。 これは、結界、か。 「っ、宮守の血において、命ずる、消えろ!」 呪を唱えてる、暇もない。 ただの単語の集まりを口にして、雑に力を込めて、剣をふるう。 中途半端な術をふるうと、力の消費も激しく、体に負担がかかる。 ざくりと、音がして、それでも、術を解くことに成功する。 「………はっ」 「ほらほら、余所見しない」 一瞬気を抜いた隙に、思いきり脇腹に衝撃を感じた。 「かはっ!!」 衝撃のまま、体が宙を浮き、地面にたたきつけられる。 肺を突き上げられ、呼吸が一瞬止まる。 「一発入ったー!」 はしゃいだ声が、聞こえる。 目の前がちかちかする。 駄目だ、動かなきゃ。 「死ななければ、いいんだよね?骨の一本や二本、いっても、いいよね?」 その言葉とともに、思いきり胸が蹴りつけられる。 「げほっ、げほ、かはっ」 駄目だ、倒れこむな。 動け動け動け動け。 地面に転がるようにして、なんとか体を起こし、片膝をつく。 腹を庇いながら、霞む目で佐藤の姿を探す。 「ほらほら、行くよ!」 佐藤の足は目の前にすぐ来ていた。 顔面を蹴りつけられそうに、なる。 駄目だ。 「がう!!」 けれどまた、黒輝がその足に食らいつこうとして庇ってくれる。 「ちっ、もう、うざったいなあ」 佐藤は忌々しげに吐き捨てて、その足で黒輝の腹を蹴りつける。 黒輝はわずかに呻いて、体を離す。 「兄さん!」 天の声が、聞こえる。 黒輝が、俺の前に立ちはだかってくれる。 こんなの、駄目だ。 俺のために、二人が傷つくなんて、そんなの駄目だ。 「………やられて、たまるかっ」 まだ痛む体を、ごまかしながら、立ち上がる。 何も分からずただ動かしていた体に、意識を向ける。 今までは、ただ戸惑っていた。 どうしたらいいか分からず、混乱していた。 でも、今は、違う感情が、全身を支配していた。 「もう、お前らに好きにされるなんて、まっぴら、だ!」 誰かに好きにされるなんて、御免だ。 もう、こんな風に弄ばれるなんて、嫌だ。 佐藤も藤吉も、一兄も、少しは痛みを知ればいい。 俺ばっかり苦しい思いをするなんて、理不尽だ。 辛い想いをした天が、俺のために怪我をするなんて、許せない。 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。 もう、嫌だ。 こんな痛いのも、辛いのも、苦しいのも、お前らに好きにされるのも、天が痛い思いをするのも、嫌だ。 「お前らだって、痛い目に遭えば、いいんだ!」 剣に力を纏わせる。 辺りを静かに見渡して、状況を確認する。 最後の意趣返し、だ。 これくらい、許されるよな。 これくらい、許してよ。 害のなかった道具にだって、怒りはあるんだ。 生贄の山羊だって暴れて人に怪我させることくらいあるだろう。 |