急に、意識が現実に引き戻される。

「ん………」

何が自分を起こしたのか分からなくて、目を開けて周りを見渡す。
薄暗い明かりがついた、バスの車内。
カーテンの向こう側は、夜のようで、暗い。

「トイレ休憩だって。俺、行ってくるから」

隣の天に小声をかけられて、ようやく思い出す。
そうだ、バスに乗っていたんだ。

「俺も行く」

目を擦って、眠気をはらって立ち上がる。
まだ眠っている人が多い車内を、そっと抜け出して外に出る。
初夏の夜の風はまだ冷たくて、むき出しの腕に鳥肌が立つ。

外はまだ全然暗くて、空には星が散っている。
真夜中だというのに、周りには何台ものバスが止まっていて、その先には乗用車もたくさんある。
静かなのに、ざわめいている。
なんだか、不思議な空間。

「………車いっぱいだな」
「ん?」
「ん、なんか、夜のサービスエリアってこんな感じなんだ」
「昼とは別の空間みたいだよね」

以前旅行に行った時に、昼のサービスエリアには寄ったことがある。
あの時はもっと賑やかで、人が溢れていた。
今は車は溢れているのに、人はいない。
不思議な、空間。
夜の学校にちょっと似ているかもしれない。

トイレをさっさと済まして、バスに戻る。
休憩時間は15分ほどで、まだ明るい建物の中を見たりする時間はない。
ちょっと残念。

「後、4時間くらいかな。やっぱ足も腰も痛い」

天が腕を伸ばして、首を左右に曲げる。
俺も支えるところのなかった肩とか首が痛い。
車内で寝るのは、やっぱり窮屈だ。

「俺も痛い。みんな痛くないのかな」
「痛いだろうけど、バスは安いからね」
「安いんだ」
「電車よりは」

そういうものなのか。
電車もバスもそう乗ることがないので、相場が分からない。
本当に俺、世間知らずだな。

「みんな、どこ行くんだろうな」

バスの中には多種多様な人がいた。
女性も男性も、老いも若きも、格好もさまざま。
これだけ共通点がない人が集まっているのを見るのも、不思議だ。
当たり前のことなんだけど、色々な人がいて、色々な別のことを考えて、生きているんだな
世界がどこまでも広がっていくような、不思議な感覚。
悩んでいる自分がちっぽけにも感じてくる。

「仕事とか遊びとか帰省とかかな?冬はスノーボード用の高速バスとかあるみたい。寝て起きたらスキー場」
「あ、便利だな、それ。でもスキー場つく前に疲れそう」
「確かに」

スノーボードか。
この窮屈なバスで寝て、すぐに運動ってみんな元気なんだな。
スノーボードが疲れるものなのかどうかは分からないけど。

「天、スノボしたことある?」
「学校の自然教室で行ったよ」
「そっか。いいなあ」

雪にはそれほど惹かれることはなかったけど、でもスノーボードは楽しそうだ。
雪山を滑るって、どんな気持ちなんだろう。

「スノボとかもしてみたかったな」

でも、たぶん、出来ることはないんだろうな。
ちょっと残念。

「時間だ。行こう」
「あ、うん」

天が腕時計を見て、さっさと歩きだす。
俺も慌ててその後ろを追いかけた。



***




ちょっと渋滞して遅れたらしいけれど、バスが到着したのは早朝と言っていい時間だった。
着いたのは割と大き目な駅だったけれど、人もまばらで空いてない店も多い。

「さてと、少しちゃんとしたところで休みたいね」

天が肩をバキバキと鳴らしながら、ため息交じりにぼやく。
確かに、ハードな運動した後にバスで寝たので、あまり疲れがとれていない。
眠りも自然と浅いものだったし。

「うん。でも、まだ早いよな。ホテルのチェックインってだいたい3時ぐらいだろ?」
「よく覚えてたね」
「この前ホテルとかいっぱい泊まったからな」

それくらいは覚えている。
宿はチェックインが3時で、チェックアウトが10時っていうのがスタンダード。
まだ中には入れないだろう。
俺の言葉に天が小さく笑う。

「なんだよ」
「いいえ。ま、確かに早すぎる。何も出来ないね。とりあえずご飯食べよう」
「うん」

バスに乗ってすぐにパンを食べたとはいえ、腹は減っている。
ちょっとうろついてその辺にあったファミレスに入った。
朝のファミレスは朝食を取る人がいるらしくて、結構賑わっていた。

「あ、金って平気か?俺も一応、財布、持ってきたけど」

天から連れ出される時、とっさにポケットにいくつかのものを突っ込んできたのだ。
まあ、中身はそれほどじゃないけど。
天は俺の言葉に、肩をすくめる。

「平気。現金持ってきてる。カードもある」
「カードって!?え、未成年って作れるんだっけ?」
「志藤さん名義。作ってもらった」
「ええ!?いいのか、それ!?」
「よくはないだろうけど、引き落とし口座の金は俺のだから」

志藤さん、本当に天にいいように使われて、大丈夫だろうか。
断ること、できるんだろうか。
それにしても、置いてきちゃったけど、志藤さん、大丈夫かな。
でもまあ、俺たちに連れ出されるより、あそこにいて、俺に関係ないって証明された方があの人のためだろう。
志藤さんが、今後、幸せに過ごせると、いいな。

「こういう時はお金もらっててよかったって思うよ。お金なきゃ何もできない」

仕事の度に報酬をもらっていた弟は、間違いなく俺より金持ちだろう。
金の使い方も知ってる。
俺は、金をどういう風に使えばいいか、どうやって使うか、あまり知らない。
欲しいものを買うことはあったけど、高速バスの切符をどうやって買ったらいいか、ホテルの予約をどうしたらいいか、分からない。

さすがに行動も金も全部弟任せって、さすがにちょっと肩身が狭い。
といっても、何が出来るかと言われると、何もできないんだけど。

「………なんか、本当にごめん。お前に任せっきりで」
「いいよ、どうせあぶく銭だし。で、注文決まった?」
「あ、待って」

天は本当になんでもないように言って、さっさとメニューを見て注文を決める。
俺も慌ててメニューを開き、和定食セットに決める。

「そういえば、ファミレスの朝メシ。前に双兄にも連れてきてもらったな」

朝にいきなり起こされて、ファミレスに連れ出されたことがあった。
あの時はバイキングってことで、色々なメニューをとれる形式だった。
珍しくて、楽しくて、美味しかった。
双兄はそうやって、俺をいつも新しいことを教えてくれた。

「双兄って、色々なところ連れてってくれたな」

無理やり連れて行かれることも多かったけど、でもそれでも最終的には楽しかった。
友達がいなくて行動範囲も狭い俺には、双兄が連れて行ってくれるところはいつだって新鮮でドキドキした。

「兄さんを生贄するって罪悪感から目を逸らしたかったんでしょ。楽しい思い出を残してあげたいとか言って、いい兄ぶって、結局自分の罪悪感軽減」

天がつまらそうに言い放つ。
本当にこいつは、双兄が嫌いだな。
思わずちょっと笑ってしまう。

「身も蓋もない」
「だってあの人、本当に何も考えてないからね。自分のことしか考えないで、メソメソメソメソ鬱陶しい。何もできないなら熊沢さんと一緒に大人しくしてりゃいいのに」

なんとも辛辣だ。
まあ、色々迷惑かけられてたみたいだし、仕方ないのかな。
俺は双兄の気持ちは分かってしまうから、そんなこと言えない。
双兄よりも、一兄の方が複雑な気持ちだ。

「一兄は、双兄が俺に構うのはよかったんだな。友達はダメだったのに」
「家族はオーケー。家族に依存して、でも楽しい思い出があって、あの地に、人に執着が出来ればむしろいい。双馬兄さんがやってたのは、奥宮育成ゲームにばっちり沿ってる。本人はそういうつもりはないんだろうけどね」
「………」
「一矢兄さんが、無駄なことをするわけがない。双馬兄さんの不安定さも、全て見越して動いてる。本当に、当主として完璧な人だから」

昨夜は本気の殺し合いと言ってもいいようなことをしていながら、天の言葉の中には一兄に対しての悪意は見えない。
双兄のことはさも嫌そうに話す癖に、一兄のことは慕っているようにすら見える。

「お前、一兄のことは尊敬してるよな」
「うん、尊敬できる人だと思うよ。まあ、さすがの一矢兄さんもあのタイミングで双馬兄さんがバラすとは思い至らなかったみたいだけど」

やっぱり、天は一兄のことは尊敬してるんだな。
三人いる兄の中で、唯一敬意を見せるのは一兄だけな気がする。

「………俺も思わなかったんだよな。あの人が一人でそんな決断できるわけがない」
「天?」

天がぼそりとつぶやいた言葉の意味が分からなくて聞き返す。
けれど天はゆるりと首を横にふった。

「なんでもない」

そんな話をしているうちに、頼んだものが運ばれてきた。
リーズナブルな朝食は、それでも物珍しくて美味しかった。
天のパンケーキも少し分けてもらい、二人で物足りなくてサイドメニューのポテトを頼んだところでようやく落ち着いた。
食後のお茶を飲んでいるところで、天がいじっていた携帯を片手に席を立つ。

「ちょっと待ってて」

残された俺は、黙ってお茶を啜る。
さっきよりもファミレスの中は人が増えている。
窓の外は通勤なのか、スーツ姿の人が行きかっている。
日常の当たり前の風景。
でも、どこか遠い、風景。
昨日は、ここにいるなんて、考えてなかったな。
今日はもう、一兄と儀式をする予定だった。

「………これで、大丈夫かな」

考えていたことが、不意に口をついて出てしまう。
はっとして口をつぐみ、周りを見渡す。
誰も聞いているはずがない。
天もいない。
ほっと、息をつく。

「お待たせ。行こうか」
「え、どこに?」

天が戻ってきて、いきなりそんなことを言う。
こいつは本当に唐突すぎる。

「宿とれた。お願いしたら今から使わせてくれるって」

まだ10時前だ。
交渉したら使わせてくれるのか。
あ、でも前に川に落ちた時も、宿入らせてもらったっけ。
お願いすれば、どうにかなるものなのか。
会計を済まし、バスに乗ると言う天は、駅に向かいかけた足を止めた。

「ああ、買い物していこうか」
「買い物?」
「そう、肉買おう」
「う、うん?」

なぜ、唐突に肉。
宿に入ったら、食事は出てくるものじゃないのか。
おやつ、おやつなのか。
まあ、確かに天は見かけに似合わず肉好きでよく食うけど。

「貸別荘借りたの。テラスでバーベキューできるって。俺と二人だけど、我慢してくれる?」

混乱する俺に、天は小さく笑って、説明してくれる。
聞いて自然と顔がにやけてしまった。

「………うん!」

そういえばもう夏だ。
みんなとバーベキューをするはずだった。



***




借りたという貸別荘は、バスで1時間、徒歩で15分ほどのところにあった。
別荘みたいなものが沢山集まっているところだが、まだ夏休み前のせいか閑散としている。
別荘の群れの入り口にあった管理室で鍵を借りて、部屋に入る。
丸太で作られた、大きなテラスがあるこじんまりとした家。

「へえ、結構綺麗だね」
「ログハウスって、奴かな?」
「かな?」

中に入ると意外と奥行きがあって広々としている。
割と古そうだが、掃除は行き届いていて綺麗だ。

「広いな!あ、二階もある」

奥には階段もあり、二階に上がれるようになっている。
靴を急いで脱いで、階段を目指す。

「風呂は温泉らしいよ」
「何それ、すごい!」

天の声を聞きながら、後で風呂も見ようと決める。
階段を上った後のスペースは思ったより狭かったが、屋根裏部屋のように天井に傾斜があって、ベッドが二つあった。
そのベッドの上にちょうど、窓がついている。

「屋根に窓がある!なあ、天窓がある!」
「へえ」

下から聞こえる天の生返事を聞きながら、今度は下に降りる。
すると天は買ってきた食材を冷蔵庫に入れているところだった。

「あ、ごめん!」

慌ててキッチンに向かい、一緒に食材を冷蔵庫に入れる。
キッチン内を確認すると、包丁や鍋や電子レンジなど、一通りの調理器具はそろっているようだった。
別荘ってすごい。
その後はリビングに面した大きな窓をあけて、テラスを確認する。

「ここでバーベキューできるのかな」
「みたいだね。夜に機材持ってきてくれるってさ」
「へへ」

懐かしいな。
楽しかったな、あのバーベキュー。
もう一回、したかったな。
でも、今夜天と一緒に出来るなら、嬉しい。
楽しみだ。

「じゃあ俺は、風呂入って少し寝る」
「うん」

あくびをしながら天が浴室に向かおうとする。
その背中を見て、現実に目を逸らしてはしゃいでいた気持ちがすっと、静かになっていく。
ずっと気になっていたことが、口をついて出る。

「………なあ、天。俺がいなくなったら、奥宮って」
「聞いてどうするの?ここまで来たらどうにもならない」

天はつまらなそうに振り返って、面倒くさそうに言い放つ。
あまり答えたくないのだろう。
でも、聞いておかなければいけない。

「………栞ちゃんか?」

天は諦めたように大きくため息をつく。
そして肩を竦めてなんでもないように言った。

「栞だろうね。五十鈴さんでは調整が間に合わない」
「………っ」

分かってはいた事実に、声が漏れそうになる。
やっぱり、栞ちゃんになるのか。

「じゃあ、このままだと、栞ちゃんが」
「栞は、奥宮になる気はない。なることには承諾するだろうけど、寸前で放棄してくれるはず。それももう、相談済み」

放棄って、それは、何を意味するんだ。

「だからこそ、このタイミングでよかった。先代奥宮が死ぬ前だったら、五十鈴さんにもまだ可能性があった」
「………」
「今なら兄さんもいない。五十鈴さんは間に合わない。だったらもう俺と関わりがあったと言えど、栞しかもういない」

胸の中で、ぐるぐると嫌な感じに気持ち悪いものが渦巻く。
眩暈がする。
吐き気がする。
分かってた。
そんなの、分かっていた。

「栞ちゃんは、儀式しなくて、いいのか?」
「大丈夫、そういう風に作られてるから。誰とでも対になれるように。まあ、儀式しない分つながりが薄いから、弱いんだけどね」

なんでもないことのように淡々と告げる天。
あんなに仲睦まじい二人だったのに。
あんなに慕い合っていた二人だったのに。

「天は、それで、いいのか」
「栞は奥宮になろうがなるまいが、いずれ寿命だ。だいぶガタが来てる。まあ、兄さんも一緒だけど、兄さんは供給を続ければまだまだ先まで持つ。たぶん限界は栞の方が早い」

俺もそう、先は長くない。
一兄と天、二人から供給を断たれたらそれで終わりだ。
でも、それよりも栞ちゃんの方が先、なのか。

「そして俺も、こんな風に家に離反したらただじゃ済まないだろうね。成人してるならともかく、未成年の身でいつまでも逃げられるわけがない」
「………」
「どっちにしろ終わりしかないなら、家を道連れにしたほうがすっきりするでしょう。栞も同じ意見。これは俺たちの意思だ」

だから兄さんはこれ以上気にしないでただ付き合ってくれればいい、と天はそう言った。
ぐるぐるぐるぐるぐる、頭の中にも胸の中にも気持ち悪いものがいっぱいだ。

「じゃあ、風呂借りるね」

天はそれだけ言って、浴室に向かって行った。
自分の運命も、愛しい恋人の運命もすべて理解し、受け入れた上の静謐。
天は、今のこの状況を受け入れている。
それが例え虚勢だとしても。

「………そんなの、分かってた」

分かってた。
そんなの全部分かってたんだ。

「うん、分かってたんだ」

でも、ただこの逃避行が、俺には楽しくて仕方なかったんだ。





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