終業のチャイムがなり響く。
ガタガタと近くの教室から椅子を引く音がする。
にわかに、辺りが騒がしくなる。

「三薙?」

黙り込んだ俺に、不思議そうに佐藤が話しかけてくる。
もやもやとする。
うまく、まとまらない。

「三薙ったら!」
「あ、なに?」
「もー、無視しないでよ!無視できないようにしちゃうよ!………ん?」

佐藤が頬を膨らませて拗ねてみせたと同時に、ドアの外に、人の気配がする。
俺と佐藤が同時に、ドアに視線を向ける。
トントンと軽いノックの音がして、そっと保健室のドアが開いた。

「失礼します………。あ、宮守君、大丈夫?」

そっと入ってきて部屋の中を見渡したのは、ほんわかとした雰囲気の友人。
俺の姿をみとめて、ふわりとほどけるように笑う。

「………槇」
「あれ、千津もいたんだ?」
「チエも来たんだー」

佐藤が明るく笑って、俺の寝るベッドから一歩離れる。
さっきとまったく態度は変わらない。
そう言えば、佐藤は、ほとんど、態度は変わらないな。
ただ受ける印象が、180度違うだけだ。

「千津、授業はどうしたの?」
「終わってからすぐ来たんだよ」
「わあ、宮守君たら、モテモテだね」

槇は佐藤の答えをきいて、からかうようにくすくすと笑う。

「そんなじゃないよ」

思わず、短く即座に返事をしてしまった。
ああ、ここは、照れる様子を見せた方が、よかったのだろうか。
いつも通りを装うのって、難しい。
俺はいつも、どんな態度を、とっていたっけ。
槇は俺の返事を気にする様子はなく、心配そうに覗き込んでくる。

「大丈夫、宮守君?顔色悪いけど」
「………大丈夫。ありがと。そろそろ教室、戻ろうかな」
「でも、先生いないね?」
「さっき用事あるって出て行っちゃった」
「じゃあ、もう少しいようか。空けるわけにはいかないし」
「………そうだな」

もう少し休んでいたい気はするけど、佐藤と一緒にいるのは嫌だ。
息がつまって、苦しい。
考えも、まとまらない。
一人で考え事したいのに、こんなじゃ、考え事なんて出来ない。

「彩は先生に呼ばれちゃったから、これないんだ。ごめんね」

岡野の名前が出て、思わず心臓が跳ね上がる。
焦って首を横に振る。

「や、別に、来なくていいし」
「え、来なくていいの?彩はいらない?」
「い、いや!いるけど!」
「そうだよね、いるよね」
「ま、槇!」

顔が熱くなってくる。
ああ、もう、人が悩んでるのに、槇はいつもこうなんだから。
人をからかって、槇は楽しそうにくすくすと笑う。
それから首を傾げて、朗らかに聞いてくる。

「お昼は食べられそう?」
「うん。もう戻れる」

元々、これはズル休みのようなものだ。
ただ授業を受けていられない気分だっただけで、昼はみんなで食べたい。

「お昼は千津も一緒に食べようね?」
「うん、もっちろん!」

槇は隣の佐藤にも笑いかける。
佐藤はお団子を揺らして大きく頷いた。
そして佐藤が、思い出したと言うように手を口にあてる。

「あ、やっば!私次の現国あたるんだった。先に戻るわ」
「大変。頑張ってね」
「うん、じゃあ、二人とも、また後でね!」

それが本当なのかどうか、分からない。
何か企んでるんじゃないか、なんて思ってしまう。
佐藤のことは、理解なんて、出来そうにない。

「………私は、彩からのメールで知ったんだけど、千津は、どうして知ったんだろうねえ」
「え」
「宮守君が、保健室にいるってこと」

槇は朗らかに笑ったまま、ぼそりと呟く。
けれど、その言葉にはどこか冷たいものが含まれていた。

「んー、藤吉君が教えたのかな」
「か、な」
「そう」

それだけ言って頷くと、俺に向き合って表情を少し正す。

「今、話しても平気かな?」
「………待って」

今から槇が話すことは、きっと、さっきみたいな朗らかな内容じゃないだろう。
手早く呪を唱えて、結界を張る。
あの二人に気づかれてうるさく言われるかもしれないけど、なんとか誤魔化そう。
トイレで、盗聴器みたいなのはないか、全部調べてはいるから、そっちも大丈夫だとは思う。

「平気?」
「多分。あんまり、変なことは、言わないで。小さな声で」
「分かった」

辺りの気配を探って、誰もいないことを確かめる。
これなら、平気だろう。
槇は俺の言葉に、こくりと頷く。
そしてそっと声を低くして、もう一度聞いてきた。

「………宮守君、大丈夫?」
「………」

その大丈夫?は、俺の今の体調のことじゃないだろう。
きっと、色々な、意味が、含まれている。
槇は、本当に鋭い。

「私に出来ること、ある?」
「………」

槇には、笑っていてほしい。
最後まで、俺の日常を崩さないでほしい。
望むことは、望めることは、きっと、それだけだ。

「………槇」
「なあに?」

でも、つい縋るように、聞いてしまう。
ほんわかとして柔らかい、けれど芯がしっかりとしていて強い、この女の子に、 答えを、求めてしまう。

「俺は、逃げてもいいのかな?」

前に槇は、逃げていいと言った。
全て放り出していいと言った。
その言葉を、もう一度、くれるだろうか。

「宮守君が逃げたいなら、いいと思うよ」

想像通り槇は躊躇いなく頷いて、俺の言葉を肯定してくれた。
逃げてもいい、のか。
俺は、逃げてもいいのか?

「逃げたいの?」

そして、聞き返される。
逃げたいのか。
逃げる。
そりゃ、逃げたい。
こんなのもういやだ。
全部放り出して逃げてしまいたい。
でも。

「………違う」

それは、絶対に後悔する。
全てを放り出して、逃げてしまうには、色々と知りすぎてしまった。
もっと前に逃げる決心が出来ていたら、よかったのだろうか。
でも俺が今逃げたら、栞ちゃんか五十鈴姉さんが代わりに奥宮になる。
それを横目で見ながら、全てを捨てる。
天のことも、放り出すことになる。
志藤さんにも、もう会えないかもしれない。
いや、それだけじゃなく、俺が逃げたら、志藤さんは酷い目に遭わないだろうか。
それを知りながら、逃げることは、したくない。
できない。

「………」

逃げたい。
でも、もう逃げるには、遅すぎた。
それに、何も為せず、逃げ出すことはしたくない。
じゃあ、俺はどうしたいんだ。
どうしたらいいんだ。
俺の望み。
考えても考えても、答えは出ない。

「俺は、俺の大事な人に、笑っていてほしい、だけなのにな」

望んでることは、それだけなんだ。
ただ、俺と、そして俺の周りの大事な人たちが、ささやかで温かなものに満ち溢れていること。
それだけなのに。

「大事な人が、笑っていればいいと思うよ?宮守君にとって、本当に大事な人がね」
「………槇」
「宮守君の手が届く、話したことがある、優しくされたことがある、楽しかった思い出のある、そんな人だけ、大事にすればいいよ」

槇は俺の目をまっすぐに見つめて、穏やかに笑っている。

「宮守君を大事にしてくれた人の幸福だけを、望めばいい」
「………」
「それ以外は、いらない」

俺を大事にしてくれた人。
俺が大事な人。
俺が、大事にしたい人。

「私はそうってだけだけどね。私は、私の周りの大事な人だけ、幸せならそれで十分」
「岡野、とか?」
「うん。そうだね。彩にはいつまでも笑っていてほしい。真っ直ぐでいてほしい」

優しくて強くてまっすぐな、岡野。
槇は、俺のように明るいものに、焦がれているのだろうか。
こんな縋るような、祈るような気持ちを持っているのだろうか。

「だから、宮守君にも笑っていてほしいなあ」

俺も、笑いたい。
岡野と槇と一緒に笑いたい。
笑って、温かい時を過ごしたい。

「私はね、宮守君」

槇が、ちょっと困ったように笑って首を傾げる。

「私は性格が悪いから、私の大事な人以外どうでもいいの。宮守君が何に悩んでるのか分からないけど、宮守君が幸せでいられるなら、他の人はどうでもいい」
「………」
「一矢さんも双馬さんも四天君も、宮守の家なんて、私にとってはどうでもいい」
「………っ」

宮守の家なんて、どうでもいい。
天と同じような言葉。
でも、天とは全く違う言葉。
天の言葉は宮守に囚われているからこその言葉。

「宮守君はご家族がとっても好きだから、こんなこと言うのは申し訳ないんだけど」

槇は、本当に宮守なんてどうでもいい。
槇は、俺を想ってくれている。
俺のために、宮守なんてどうでもいいと言ってくれる。

「もし、おうちの事情で、宮守君が笑っていられないとかだったら、それは私、嫌だなあ」
「………槇、俺は」

どうしたらいい。
目の前の小さな女の子に、縋りそうになってしまう。
答えを求めたくなってしまう。
何も知らないのに。
巻き込みたくないのに。
駄目だ駄目だ駄目だ。
落ち着け。

「うん?」

その柔らかな声に、泣きそうになってしまう。
唇が震える。

「俺は」

けれどその時、ドアの外に気配がした。
前のめりになっていた体を起こして、警戒する。

「宮守君?」

ドアはノックもなしに、すっと開いた。
そしてそこにいたのは、穏やかそうな中年の女性。

「宮守君、起きてるの?あら、お見舞い?駄目じゃない、寝てないと」
「ごめんなさい、お邪魔してます」
「もうすぐ授業始まるわよ」

養護教諭の先生は入ってきて、困ったように肩を竦める。

「そうですね、そろそろ戻ります。宮守君はどうする?」
「後少しだけ、休んでから、戻る」

後1時間、休ませてもらおう。
ますます、授業からは遅れてしまうな。
まあ、もう、授業なんて、どうなるにせよ、俺には関係のないものになるんだろうけど。

「来てくれて、ありがとう、槇」

宮守の家なんて、どうでもいい。
そう言って、全てから目を瞑って逃げてしまえば、楽だったんだろうな。
でも、今、槇の話を聞いていて、それは出来ないと思い知った。

「宮守君は、もっと自分の好きなようにしてね。お願いだから」
「………うん」

槇はそっと耳元でそう囁いて、名残惜しそうに後ろを振り返りながら保健室を出ていく。

俺の、好きなように、する。
家を、捨てることは出来ない。
逃げることも、出来ない。
栞ちゃんや五十鈴姉さんを犠牲になんてしたくない。
だからと言って、このシステムを続けるための礎になんてなりたくない。
こんなの、終わらせたい。

考えろ考えろ考えろ。
選べる選択肢はそう多くない。
助けを借りられる手も、ほとんどない。
その中で、まだマシなものを見つけろ。
自分に出来ることを見極め、出来ることを為せ。

そうだ。
そうずっと、一兄も四天も、教えてくれた。





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