さて、後三日。 そう思うと、寂しくはある。 朝起きて、今日は何をしようか考える。 後三日。 そう思うと、なんだかやり残したことがいっぱいある気がするのだ。 特に、この世界でやったことなんて、ないんだけど。 何かをやらなきゃ、と無意味に思う。 用意してあった水差しから盥に水をついで、顔を洗う。 身支度を整えていると、扉が小さくノックされた。 開けていいと、声をかける。 遠慮がちに開かれた扉から、顔を出したのはかわいい金髪の少女。 「おはようございます。セツコ様」 「おはよう、エミリア」 そばかすをうっすらとした化粧で誤魔化した少女は、朝から爽やかににこりと笑う。 今日の服を着る手伝いにきてくれたのだろう。 衣裳部屋から持ってきてもらった服を身につけながら、私は昨日の出来事をエミリアに告げる。 「あ、ねえ、えっと、あのね、ネストリから、聞いた?」 「何をですか?」 「私、帰るの。えっと、家に」 「え」 後ろのリボンを結んでいたエミリアの動きが一回止まる。 その反応は聞いていなかったのか。 振り向いて、驚いて目を見開いている少女を見つめると、呆けていたエミリアははっと表情を正した。 「帰ってしまうのですか?」 「………うん」 「………そうですか」 残念そうに、眉を下げて泣きそうに顔を歪める。 こんな風に素直に寂しがられると、なんだか嬉しくなる。 この子は私を、好きでいてくれたのだ。 けれどエミリアは健気ににっこりと笑って顔をあげた。 「寂しいです。でも、家族は一緒が、いい。セツコ様、家族会える、うれしい」 「………うん」 「子供、会って、ほしかった。セツコ様に、見せたかった」 えっと、それは見たかった気がするけど、なんかコンプレックスが刺激されそうで、ちょっと嫌だわ。 勝ち組女の幸せなところなんて、ぶっちゃけ積極的に見たくはない。 私はその話はスルーして、笑ってエミリアの手をとった。 水仕事が多いこともあり、少しかさついている。 でも、優しく温かい、労わりに満ちた手だ。 「私も、寂しい。本当に、ありがとうね。エミリアがいたから、私、えっと、うまく暮らせた」 「いいえ、最初、************、すいませんでした。仲良くなって、よかった」 「えっと?*********?」 「あ、えっと」 エミリアは久々のジェスチャーを始める。 肩を抱いてぶるぶると体を震わせるような、仕草。 ああ、そういえばエミリアと最初に会った時、なんか怯えられたっけ。 私もジェスチャー読み取るの、うまくなったなあ。 「オビエル、ね」 私も、怖がるような顔を作って体を震わせて見せる。 それで、エミリアは通じたらしい、力いっぱい大きく頷く。 「はい!」 「そういえば、エミリア、オビエル、してた」 あの時は、イライラしたっけ。 思いだして笑う。 するとエミリアも同じように困ったように笑った 「すいません」 「もう、オビエル、ない?」 「はい!セツコ様、大好きです。優しい。………貴族の女性、怖い。でも、セツコ様、やさしい」 ああ、そういうことで、好意を持っていてくれたのか。 まあ、そりゃそうだ。 私貴族じゃないし。 セレブじゃないし。 人に世話されるより自分でやったほうが早いって何度も思うし。 だからちょっと苦笑して、分かり切っている真実を告げる。 「えっと、私、貴族、違う」 「でも、陛下の、お友達」 「無理矢理、連れてこられた、だけ。私、エミリアと一緒、働いていた」 「そうなんですか!?」 「そうよ。今と、同じようなこと、してた」 「どんなこと、してたんですか?」 「あのね………」 ああ、今日の予定決まった。 今日はアルノの仕事のお手伝いをしたら、時間が許す限り、エミリアをお話しよう。 この世界で出来た、私の年下の友達。 帰っても、覚えていたい。 そして後二日。 今日はネストリと、いつもの勉強会。 もう必要もないのだけれど、なんとなく習慣づいてしまった。 暇だしね。 アルノと交流した後は、悪魔と地獄の時間。 いつも通りのフルコース。 「今日も、お疲れ様です」 「はい、お疲れ様」 勉強が終えると、エリアスはお茶が乗ったトレイを持って現れた。 これもいつもの流れ。 なんだか、最後が近いと思うと、なんとなく寂しい。 お茶のいい匂いが、悲しさを募らせる。 だから私は久々にお茶を口にして、笑ってエリアスに礼を言う。 「ありがとう。お茶、おいしい、エリアス」 「ありがとうございます」 エリアスも同じようににっこりと嬉しそうに笑う。 頬をそめて、褒められた子供のように。 その顔を見て、微笑ましさでいっぱいになる。 いつもならいくつだよお前って思うが、今は純粋に可愛い。 別れるとなると、心も広くなるもんだ。 「色々、ありがとうね。感謝、してるわ」 「え、あ、あの、いえいえいえいえ!私、何もできなくって………」 「うん、まあ、あまり、役にはたってない」 つい切り捨てると、エリアスはショックを受けて俯き黙り込んだ。 声に出して笑って、フォローしてあげる。 「冗談よ。助かったわ。助けて、もらった」 「あ、いえ、あの時はすいませんでした。助けるの、遅くなりましたし………」 「あそこに私がいるのも、知らなかったんでしょ?しょうがないわ」 あの時、エリアスは何も告げられず、場所だけ教えられたらしい。 だからあの時あんなに驚いていたのだ。 私を助けるために、本来の目的がおろそかにならないように、ということらしい。 鬼か、あの悪魔。 本当にエリアスがきてくれてよかった。 今なら素直に感謝してあげてもいい。 「無事でよかったです」 「エリアスは強いのね」 見た目はへたれなのに。 その言葉は飲み込んで、あの時垣間見たエリアスの剣技を思い出す。 まあ、私には強いか弱いかなんてさっぱりわからないが、あいつらがあんなにあっという間にやられてたってことは多分強いのだろう。 エリアスは頭を掻いて恥ずかしそうに視線を落とす。 『エリアスは、この国で一、二位を争う剣の使い手ですよ』 『はあ!?』 『一応文官の扱いですが、陛下の護衛も兼ねてますから』 そこに悪魔が、解説をいれる。 予想外の言葉に、私はもう一度マジマジとエリアスを見る。 体の線があまりよく分からない服のためか細く見えるが、実はがっしりしていることを知っている。 姫だっこなんて難易度高いことをやってのけることも、知っている。 へたれにくせに。 『………はあ。人は見かけによらないのよねえ』 あれ、ちょっと待った。 優しくて。 穏やかで。 文官やってるくらいだから頭もよくて。 しかも日本で言う、首相秘書みたいな仕事?してて、金も人より持ってるわよね。 公務員よね? その上強くて、美形。 もしや、理想の結婚相手なのでは。 思わずじーっと、エリアスを眺める、というか舐めるようにみる。 「せ、セツコ…?」 エリアスが怯えたように一歩下がる。 その怯えた表情も、またいいかもしれない。 そこでまた話をぶった切ったのは悪魔だった。 『ただ、剣を振るってると理性が飛んで、敵味方区別が付かなくなるんで、戦には向かないんです』 『そんな奴を護衛にするな!ていうか凶器を持たせるな!』 『まあ、陛下がやられることはないでしょうから』 まあ、確かにあのおっさんは殺しても死にそうにない。 刺しても普通に走って酒飲みそうだ。 『ミカ?強いの?』 『強いですよ。剣で成り上がったお方ですから。ただ剣よりも戦略、戦術に長けていますが』 『エリアスとどっちが強いの?』 『試合形式で戦ったら、エリアスでしょうね。実戦では分かりません』 へえ、エリアスは実戦にあまり向いてないのかな。 というかまあ、さっきの話聞いていたらそうか。 そして時々忘れそうになるけど、ミカって王様なのよね。 多分こっちの世界ではかなりカリスマ性のある、実力者。 普段見ていると全くそんな感じはこれっぽっちもしないのだが。 『一、二位って言ったわよね?ほかに強い人は?あんたは?』 『エリアスと競るぐらいの剣技の持ち主は、あなたの知らない人ですね。ちなみに私は肉弾戦は嫌いです。あんな泥臭いことするのはいやですね。見るのはともかく』 まあ、そういう奴よね、こいつは。 聞いた私が馬鹿だった。 私は悪魔を無視して、もう一度エリアスに視線を移す。 「エリアス、強いのね」 「あ、いえ、まだまだです」 エリアスは嬉しそうにはにかみながら、頭を書いて俯く。 もう絵に描いたような年下男の魅力にあふれている。 ちょっと頼りなくて、でも実は実力があるって。 もう。 「くー!やっぱりかわいい!!」 「せ、セツコ!」 私はエリアスの頭を抱え込むようにして抱きしめて頭をぐしゃぐしゃとした。 エリアスはじたばたと暴れて、それでも本気の抵抗はしない。 そんな風に遊びながら、時間はあっという間に過ぎて行った。 そんなこんなで、結局四日経ってしまった。 特に惜しんで泣くようなこともなく、何か盛大にすることもなく。 この年になると別れにも慣れてくるわ。 寂しくは、あるけどね。 まあ、ちょっとしたショートステイ。 今思えば、いい思い出だったかもしれない。 いや、言い過ぎた。 悪い思い出ばかりじゃなかった。 ご飯は結構おいしかった。 特に果実系の酒とフルーツ、野菜の素材の味はよかった。 肉は臭みがあったけど、悪くなかった。 連れて行ってもらった市場は楽しかった。 買い物し放題も楽しかった。 うん、こう考えると、結構楽しかった。 アルノも、エミリアもエリアスも、やさしかった。 楽しかった。 彼らと別れるのだけは、やっぱり辛い。 『さ、セツコ。そこに座ってください』 物思いに耽っていると、ネストリに指示をされた。 そこはこの世界で一番はじめに訪れた、狭い小部屋。 ミカとネストリとエリアスが、そして途中からはアルノが、そしてたまに私が一緒に酒盛りをした部屋。 この世界の中でも、馴染み深い部屋。 酔っぱらったミカが踊りだして、ネストリが鬱陶しそうに魔法だかなんだかで攻撃して、ケンカになって部屋を壊しそうになって、エリアスが半泣きで止めたりして。 アルノがいたらアルノの一喝で場は鎮まる。 私もミカに、酒をぶっかけたりしたなあ。 今、私はここに訪れた時に来ていたパジャマ代わりのジャージを着て、座っている。 あの時と同じ状況。 缶ビールは、持ってないけどね。 でも、なんか鮮明に思い出すことができる。 ビール飲みながら愚痴って、全く見えない将来象に不安を抱えていたあの時。 酒で気分を紛らわして、眠る日々。 婚活しようと、気合いを入れていた時だったなあ。 それがいきなり気がついたら、ディズ○ーランドも真っ青な西洋建築の真ん中に放り出されて、イケメンパラダイスツアー。 言葉は通じないわ、男どもは全員アホだわ、トイレが使いづらいわで、最悪は日々。 死にかけて、殺されかけて、殺しかけて。 ああ、もうそれもおさらば。 あの、慌ただしくて退屈だけれど、平和で懐かしい日々に、帰る。 『セツコ、目を閉じて』 『分かった』 頷いて、ひとつ息をつく。 いよいよだ。 目を閉じる前に、一回だけ周りを見渡す。 取り囲むように、座る私を見下ろす人たち。 この世界で、ずっと交流を深めてきた人たち。 アルノは眼が合うと優しく微笑んで、頷いてくれた。 その笑顔に、胸がきゅーんと、引き絞られる。 この人と別れるのが、何より辛い。 でも、彼も私が帰ることを望んでいる。 ああ、出来れば持って帰りたかった。 エミリアはちょっと悲しそうに眉をひそめて、でも笑ってくれた。 握りこぶしを作って、緊張しているようだ。 今日も夜なのに、わざわざ来てくれた。 優しい子。 若くて美人で人妻。 妬ましいけど、それでもそれ以上に好きだったわ。 あなたみたいに、素直になれるといいと思う。 エリアスが、相変わらず情けない表情でぎこちなく笑った。 最初から最後まで、この子は半泣き顔のイメージだ。 ああ、一度か二度だけかっこよかったっけ。 かわいくて、かっこいいなんて、最高ね。 後五年もしたらきっといい男になる。 それを見れないのは残念だわ。 五年後もこのままだったら、それは引くけど。 ミカはヒール役の俳優みたいに性格悪く笑って、肩をすくめた。 賭けは俺の負けだな、とかさっきなんか言っていた。 この馬鹿は最後まで本当にどうしようもない。 でも、本当に帰ってほしくはない、と加えていたけれど。 そういうところが、このおっさんの憎めないところだ。 『あなたの世界を思い浮かべて』 ネストリの声が脳裏に響く。 ああ、この最悪デバガメ痴漢術ともお別れだ。 きっと、1週間の便秘の後のお通じよりもすっきりするだろう。 バイバイ悪魔、いつか天罰下れ。 『はいはい、では、術を始めます。強く、あなたの世界を思って』 『うん』 ネストリがなんだか呪文らしきものを紡ぎ始める。 分かる単語が全くない。 まるで歌みたいに、不思議なリズムで不思議な言葉が、綺麗な声で紡がれる。 そのなんだか眠くなるリズムを聞きながら、私は元の世界を思い出す。 白米。 刺身。 から揚げ。 マカロン。 おいしいケーキ。 スーパー銭湯。 マッサージ。 エステ。 ネイル。 お父さん。 お母さん。 部長。 課長。 後輩。 懐かしい人たち。 懐かしい街並み。 帰るわ。 もう、そこに帰るわ。 そこに、帰りたいの。 さようなら、アルノ。 さようなら、エミリア。 さようなら、エリアス。 さようなら、その他大勢。 脳裏の中が徐々に白く染まっていく。 ふわり、と体が浮くような感触がした。 |