目の前には広い広い海が広がっていた。 少し狭いが私の住んでいるところの海とは違う、綺麗な海。 夏の強い光を反射してきらきらと光っている。 人が少なくて、静かだ。 周りは岩場に囲まれて、海岸は閉じられており、なんだか秘密基地みたいだ。 堤防の上からは遠くまで見渡せた。 海も空も真っ青で、境界線がないような気がした。 「うわー、綺麗だねえ」 「そうか?」 地元の人間だからか、駿君は感動が薄いようだ。 もったいない。 「すっごい綺麗だよ。うちのほうの海は人が多いし、水は汚いし」 「ふーん」 駿君は分かったような分からないような顔をして海を見渡していた。 慣れてると分からないものかなあ。 「ここっていいよね。ご飯おいしいし、海綺麗だし、自然が綺麗だし」 「住んでる人間にとっては結構不便が多いけどな」 まあ、そりゃ住むのと遊びにくるのでは違うよね。 たまにくるだけじゃ分からない苦労とか多いだろうし。 特に雪国だから冬は大変そうだし。 CDショップとか近くにないのはちょっと不便だけど。 「でも、私おじいちゃんち好きだよ」 「お前、ここ好きなの?」 「うん」 大きく頷く。 好きなのは本当。 前までは本当になんとも思ってなかったんだけど。 この前、冬に来た時から、ここが大好きになった。 おじいちゃんもおばあちゃんも好きだし。 ……駿君もいるし。 「そっか。よかった」 「やっぱり地元を好きになられると嬉しい?」 「うーん、ていうか俺長男だし」 「へ?」 「やっぱり親置いてく訳にもいかねえしな」 「は?」 なんの話なんだろう。 今の会話の流れでどうしておばさんの話に? 「なんでもない」 駿君は一方的に話を打ち切るとさっさと、砂浜へ向かう階段を降りていってしまう。 うーん、なんなんだろう。 「あー、肩凝った」 駿君は下に降りながら手で肩を揉んでいる。 なにやらお疲れのご様子。 「泳ぐ前になんで疲れてるの?」 「誰かさんがバスの中でぐーすか寝てよっかかってきたから」 「う」 「しかもよだれたらすし」 「え、うそ!?」 慌てて口元を拭う。 て今拭っても遅いと思うんだけど。 そんなこっ恥ずかしい真似をしたの、私!? 駿君はくるりと振り返ると、ぽんと私の頭を撫でる。 「うそ」 そうして意地の悪い笑いを浮かべる。 うー、くそ。 撫でられた頭から熱が伝わった気がした。 なんだか、駿君の仕草が大人っぽくなった気がする。 前も確かに大人ぽかったけど、なんだかもっと。 なんか、どきどきする。 なんか、ずるい。 海の家は2軒あった。 そのうちの一軒を借りて荷物をロッカーに預け、着替える。 この夏初めて着るおニューの水着だ。 バーゲン品だけど。 キャミとスカートがセットでついているやつ。 更衣室の鏡を見る。 やっぱ…ちょっと二の腕やばいかな。 う、うーん。 でももうしょうがないよね。 いかないと。 来年は、もっとダイエットしよう…。 決意と覚悟を心に、ようやく外に出ることにした。 駿君はもうとっくに着替えていたらしく、外でシートを広げていた。 「駿君ごめん、お待たせ!」 駿君が声に気づいて振り返る。 「おそ……」 開口一番文句が飛び出す…と思いきや駿君の動きが止まった。 どうしたんだろ? 「駿君?」 「……」 「駿君!?」 「え、は?何!?」 ようやく気づいてくれる。 本当にどうしたんだろう。 「どうしたの?」 「……なんでもない」 あ、そっぽ向いちゃった。 変だなあ。 シートを広げ、上に色々と荷物を置いている。 仕方ないので私もシートの上に移動する。 タオルとか色々置かなきゃいけないし。 あ、そうだ。 私はシートの前に回りこんで、駿君の前に立つ。 「ね、ね、駿君、似合う?」 私はちょっとスカートを持ち上げてポーズを作って見せる。 いや、多分返ってくる言葉は分かってるんだけどさ。 どこがとか、馬子にも衣装とか、調子のんなとか、でもやっぱりおニューの水着だしさ…。 「……似合ってる」 ほらね。 て。 「えええ!!!」 駿君はちょっと目を逸らしたまま立っている。 えーと、ちょっと待った今のは聞き間違いとかでなく…。 「え、ちょっと待った駿君今なんて!?」 「だから、似合ってる。かわいいよ」 今度は目を合わせてそう言った。 言葉もさっきより、はっきりしている。 う、わうわうわうわわわわ…。 か、顔が熱くなってきた。 頬に手を当てると、熱い。 うわ、今絶対私顔真っ赤だ。 な、なんだろ、なんでこんなことに…。 は、恥ずかしい!! 「…………」 「…………」 駿君の耳も赤い。 ど、どうしようこの状況。 照れる…。 いや、なんていうか正直…。 ものすごい嬉しい……。 だって駿君から褒められるなんて、もしかして初めてでは…。 心臓がものすごいバクバクしている。 「あ、その!」 「……何?」 駿君は耳は赤いものの、なんだか冷静だ。 くそう、悔しい。 「えと、ありがとう」 「はい」 ちょっと笑って、頷いた。 うー、くそ、本当になんか大人っぽいぞ!駿君! 駿君は膝丈のダボダボとしてるパンツ型の水着を着て、上にパーカーを羽織っている。 パーカーの前を開けているからお腹とかは見える。 腕や足と比べて、体は白い。 部活焼けかな。ちょっと面白い。 あ、でも駿君。 「何?」 思わずちょっと笑ってしまった私に、駿君が怪訝そうに問う。 「あ、駿君、背も伸びたし、すごい大人っぽくなっちゃったなと思ってなんか悔しくて…」 「そう?」 「うん、でもやっぱりこうやって見ると線とか細くて中学生なんだな、て、いた!」 殴られた。 痛い。 「なんで!?」 「うるさい」 あ、またそっぽ向いちゃった。 だからちょっと安心した、てつなげようとしたのに。 あんまり、前に進んで欲しくないな…。 なんだか置いていかれてしまうみたいで、寂しい。 私の方が、4つも年上なのにな…。 「で、お前泳げるの?」 「泳げるよ!」 うわ、疑いの眼差し。 こう見えても小学校の時は水泳教室に通っていた。 「ふーん、で、それは?」 駿君は私の持っているものを指差す。 「……浮き輪」 「なんで?」 「………そりゃあ、遊ぶため」 「ふーん」 じーっと私を見つめる駿君。 その目はとっても懐疑的だ。 な、何よ、本当に泳げるんだから! 「本当だよ!」 「へー」 う、うううう。 「……泳げるけど、息継ぎできなくて長い間水の中いられません」 「はい、よろしい」 うう、水泳教室は3ヶ月で止めてしまい、結局息継ぎまで出来なかった。 一応平泳ぎもクロールも出来るけど、せいぜい15mほどしか泳げない。 特に波がある海では立ち泳ぎも出来ないから、浮き輪なしでは、辛い。 「最初から素直に言えばいいのに」 だって言ったら馬鹿にするじゃんよー…。 「お前浮き輪なんて持ってきてたの?」 「ううん、おばさんに借りた」 「あいつもいつのまに……」 駿君はなにやらぶつぶつ言っている。 海に行くことを告げたら、おばさんは快く貸してくれた。 この前はスキー道具も一式借りてしまったし、おばさんには世話になりっぱなしだ。 お礼をいったら「いいのよ、長いお付き合いになるんだし」と言われた。 まあ確かにおじいちゃんの家のお隣だし、長いお付き合いになるよね。 これからもおばさんとは仲良くしていきたいな。 「じゃあ、泳ぐか」 ようやくこっちに戻ってきた駿君。 パーカーを脱いでいる。 やっぱり細いけど、男の子だなあ。 綺麗に筋肉がついている。 ていうか細いな。二の腕とか足とか…うらやましい。 思わずその二の腕に手を伸ばしてしまう。 あ、細いけどやっぱり筋肉ついてる。 私のぷよぷよの二の腕とは違って、堅くてしなやかだ。 いいなー。 「なんだよ!」 思いっきり振り払われる。 そんな嫌そうな反応しなくてもいいのに。 「いや、細くていいなあ、て」 殴られた。 痛い。 「なんで!?」 「やかましい!!」 私はまた駿君の機嫌を損ねてしまったらしい。 理不尽だ。 熱い日差しの中、いっぱい泳いで、海の家でやきそば食べて。 夏の海をとっても満喫した。 駿君はとっても泳ぎが上手くて、すごい沖のほうまでいけて。 私の浮き輪をひっぱっててくれたりして、私も沖の方までいくことができた。 やっぱりちょっと怖かったけど、自分ではとてもいけない沖まで行くのは楽しかった。 駿君がいるから、心強かったし。 まあ駿君自体が怖いと言う話もあるけど。 私が怖がって暴れてバランス崩したりしたら怒られるし殴られるし。 浮き輪から落ちて溺れそうになったら怒られるし殴られるし。 うっかり離岸流に乗ってしまって流されたら怒られるし殴られるし。 海の家から帰る途中で道に迷ってしまってふらふらしてたら怒られるし殴られるし。 それで今、余所見して歩いてたら落ちていたガラス片でざっくり足を切ってしまって怒られて殴られた。 「この馬鹿」 「……ごめんなさい」 じくじくして痛い。 結構深く切ってしまったようで、血がだらだらと流れている。 自分でも直視できない。 二人で座り込んで、駿君は私の足を診ている。 持ってきたタオルで止血をしているようだが、オレンジだったタオルがどんどん赤く染まっていく。 う、貧血起こしそう。 「海の家で道具を借りるか。砂とか入ったらヤバイ」 そう言って駿君は私の膝の裏と腕の下に腕を入れる。 て、駿君もしかしてそれは…。 「え、駿君それはちょっと…っ、てうわ!!」 言い終える前に二人で倒れこんだ。 駿君も前のめりに膝をつき、私は砂の上に放り出されて尻餅をつく。 「いたたたた」 やっぱり……。 この体格差でお姫様だっこは無理だよ…。 「しゅ、駿君大丈夫?」 膝をついたまま、顔を上げない駿君。 だ、大丈夫かな。駿君も怪我したりとか。 「くそ!」 小さく毒づく。 やっぱり怪我したとか?大丈夫かな? 「大丈夫、駿君?」 「……お前重い」 「ひど!」 そりゃあ確かに駿君より体重あるかもしれないけどさ! 一応標準体型なんだから! 駿君は不機嫌な顔をしたまま、私に背を向けた。 え、ちょっと置いてっちゃうの!? と思ったらそこにしゃがみこんだ。 「ほら、乗れよ」 あ、なるほど、おんぶか。 「大丈夫?私……重いよ?」 駿君が言ったとおり。 「いいから乗れ!」 「はい!」 不機嫌な低い声で命令される。 条件反射で駿君の肩に手をかけた。 駿君はちょっと立ち上がるのに苦労したようだが、どうにか立ち上がれる。 今度は倒れることはない。 そうして二人でゆっくり歩き始める。 「ごめんね、重いよね」 「本当だよ。いい加減その注意力散漫なの直せ」 「うう……ごめんなさい」 ひどい言い草だけど、自分が悪いので何も言い返せない。 駿君には迷惑かけっぱなしだ。 自分が情けなくなってくる。 私は情けないままなのに、駿君はどんどんたくましくなっていく。 悔しくて、寂しい。 骨ばった筋肉質な肩にかけた手に力をいれた。 熱をもった駿君の体は、温かい。 なんだか寂しくて、その背中にもたれかかる。 「……鈴鹿」 「何?」 「あんまりひっつくな、アバラがあたって痛い」 アバラ…? 「ひど!アバラの前にはちゃんと胸があるんだから!」 え、ていうことは駿君の背中には私のささやかな胸がひっついている訳で。 そういえば今はばっちり水着な訳で。 「う、っわわわわわ!」 慌てて駿君の背中から身を離す。 と、ついでに手も離してしまったせいで、バランスが取れなくなった。 後ろにひっくり返る…っ! 「わわわ!!!」 寸前で駿君が前かがみになってバランスをとり、後ろにひっくり返る危機は免れた。 「この、馬鹿!」 「………ごめんなさい」 駿君の低い声に、私はできる限りひっつかないように、もう一度駿君の背に手をかけた。 「……ごめんなさい」 本当に、自分が情けない。 「お姉さんの面倒見て、いい弟さんね」 海の家のおばさんは手当てをしてくれた後にそう言った。 弟、か。 確かに年齢差をみたらそうだよね。 でも、私より駿君の方がずっと賢くて、頼りになる。 情けなくて、悲しい。 駿君はさっきからずっと不機嫌だ。 やっぱり、ものすごく面倒かけたからなあ。 不機嫌な時の駿君はとても怖い。 今日もいっぱい怒られたし殴られたし。 「ね、駿君」 「ん?」 私の足のせいで、バス停までゆっくりと歩く。 駿君は一歩前を歩いて背中しか見えないものの、私に歩調を合わせてくれてる。 海沿いの道は、夕焼けで赤く染まっていた。 右手の海は今度は赤くきらきらと光っている。 「今日はありがとう」 いっぱい怒られたし殴られた。 けど、それは全部私のためだ。 私がドジをするたびに、駿君はいつだって助けてくれる。 怖くて乱暴だけど、とっても強くて頼りがいのある年下の男の子。 「ごめんね、今日はいっぱい迷惑かけて」 駿君は後ろからでも分かるような、大きなため息をついた。 そうしてこちらを振り返る。 その顔は、笑っていた。 「慣れてるよ」 そうして、手を差し出してくる。 私はその手に、自分の手を重ねる。 ちょっと汗ばんで、熱い。 二人とも、潮の香りがした。 「いつも、ありがとね、駿君。いっつも助けてくれてありがとう」 「そう思うんなら、もう少しドジを減らしてくれ」 うう。返す言葉もございません。 それでも駿君は笑っていて、手を握ってくれている。 頼りがいがあって、強くて、賢くて。 かっこいい駿君。 隣に並んだ駿君を見つめた。 その視線に気づいたのか、駿君もこちらを見る。 赤くそまった顔が珍しく、柔らかい優しい笑顔を浮かべていた。 心臓が跳ね上がる。 う、わ、なんだこれ。 どうしたんだこれ。 動揺を悟られないように目をそらす。 この前真壁さんとあった時と同じような、けれどそれとはまったく違う痛み。 胸が苦しい。 締め付けられる。 すごく苦しくて、駿君とつないだ手を離したかったけど、それと同じぐらい離しがたい。 夕方でよかったと思った。 顔が熱かった。 |