叶グッジョブ! 日頃ろくでもないことしかしないと思っていたけど、たまにはいいことする! この恩は1年間は忘れない! 本校舎の2階。校庭側から差し込む日差しが、明かりをつけていない8畳ほどの小さな教室に温かい陽だまりを作っている。 隅にある小さなコンロの傍らに、逆行を浴びて影になっている長身があった。 白い髪が、光を反射し輝いている。 背筋の伸びた綺麗な姿勢で、お茶を入れている。 先日から生徒会手伝いの身分になっている有川だ。 あの日の突然の神崎からの勧誘。 当然、有川を含む他の人間は驚いた。 といっても有川はわずかに眉を動かしただけだったが。 それに乗り、強引に話を進めようとする加奈。 にこにこと笑う寺西。 つっこみを入れながらも特に反対はしない吉川。 そんな中、有川はただ「考えておく」とだけ言ってその日はお開きとなった。 次の日「よろしくお願いします」の言葉と共に、有川が生徒会室の扉を開けたとき、加奈は喜びのあまり机の上に乗っていた湯飲みを2つ割った。 ああ、幸せ……。 毎日、放課後の度に思う存分想い人を眺められる幸福。 加奈のせっかく整った顔は、ぐだぐだに緩みきっている。 「加奈?」 あー、加奈って呼ばれてるよ。名前呼ばれてるよ。 なんか急に自分の名前が、とても大切なものに思えてくる。 くー!幸せ! 「加奈?」 もう一度呼ばれる。 気がつくと、本人が目の前にいた。 紅茶が入ったカップを差し出している。 しまった!鎖骨に見とれている隙に! 「あ、ありがとう」 慌てて差し出されたカップを手に取った。 そのままぐいっと一気飲み。 「ぷはー!うまい!」 「どうも」 無表情ながら、有川にも嬉しそうな雰囲気が漂っている。 これもまた、幸せなひと時。 有川のお茶はお世辞ではなく、おいしい。 紅茶のみならず、コーヒー、日本茶、中国茶。 これは、彼が生徒会に入って以来皆から重宝されている点だった。 道具だけは、何でも形から入る寺西が面白がって揃えたものが前からあった。 しかし、寺西は大雑把だった。更には飽きっぽい。 一、二回使われたまま、後は放って置かれた。 他のメンバーも、特にこだわりのある人間はいない。 生徒会室の片隅で、茶器は埃をかぶっていた。 それらの役目を再び思い出されたのは、有川が来てから。 彼は、見事な手際で薄汚れていた茶器を復活させ、お茶の味なんて何も分からなかった加奈にさえ、好評を得た。 もっとも加奈は、欲目によって3割増し位には美味しく感じているのかもしれないが。 「お茶ってさ、私どうでもよかったんだよね。味の違いなんかさっぱり分からないし。いや、今もこの葉っぱは何、とかはさっぱり分からないんだけどさ。でも本当はこんなにおいしんだねー」 お代わりをついでもらいながら、加奈は言う。 「ありがとう」 有川はますます嬉しそうだ。 有川は表情があまり動かない。 一見、無愛想に見えるし無感情に見える。 しかし、少し付き合ってみるとそれは違うということがすぐ分かった。 彼は、本当はとても感情が豊かだ。 動くのは眉と目元、それに口の端がほんの少しだけ。 けれど、そのわずかな動きで沢山の感情が伝わってくる。 それに素直で、実直だった。 言われたことは疑わずにすべて受け入れるし、少々のことでは怒らない。 ただ間違ったことには怒るし、叱る。 生徒会に入った時、神崎から「新しく入ったメンバーは芸をしなきゃいけない」と言われ、信じた。 固まったまま3分経過した時点で、寺西が「脱げばいい」と言った。迷い, また2分経過したところで、脱げコールが起こり、シャツのボタンに手をかけた。 吉川がちょうど入ってきて止めなければ、脱いでいただろう。 その後、騙されたことにちょっと腹をたてた。 しかし、神崎が人間性を見たかった、ほんの少しやりすぎたが仲良くなりたかった、とふいた。 信じた。すまなかったと謝った。 逆に慌てて、ふざけていた3人が平謝りした。 そんなところが、加奈には好ましかった。 「本当に響ちゃんは料理上手だよね。同じ主婦仲間として叶尊敬しちゃう。もうこのスコーン最高!」 神崎が背に寄りかかり、不安定に傾いた椅子に座りながらお菓子を食べている。 響は今日、お菓子を作って持ってきた。 わずかに塩味のきいた焼き菓子は、サクサクとして中身はふわふわだ。 つけるのは、それも手作りだというブルーベリージャムと、ゆるくホイップされた生クリーム。甘いものが苦手な加奈も後引くおいしさだった。 「もう一個食べる!慎二と幹がこないうちに食べる!」 加奈が5個目に手を出そうとした時だった。 「もう終わり」 さっと皿をひく有川。 「えー!」 「後は、2人の分」 「いらないって!今食べちゃえば分からないって!平気平気!」 「…ダメだ」 「…えー」 まだ未練がましそうに皿を見つめる加奈に、困ったように眉を下げる有川。 そんな顔をされては、加奈は引き下がるしかない。 「……分かった」 しぶしぶ引き下がる。 「そうそう、あんまり食べると太っちゃうよ。昨日も豚丼特盛ドカ食いしてたでしょ。それにワガママ言ってたら響ちゃんに嫌われちゃうよー」 自分はまだ3個目を食べながらちろりと加奈を見る。 うっ。 加奈自身それは、思っていた。 自分の性格が、贔屓目に見ても男性に好かれるとは思わない。 別にそこらの連中にどう思われようと加奈は一向に構わないが、有川に嫌われるのは、イヤだ。最初はネコをかぶろうと思っていたが、出鼻をくじかれたせいで本性をさらけ出しまくりだ。 おそるおそる有川に目を向ける。 「響ちゃんだってこんなワガママ娘ヤダよねー?」 今度は有川に視線を向ける神崎。 有川は少し首をかしげた後、横にふった。 「いや」 「え?」 「加奈は、今のままでかわいいと思う」 ぐは。 机に突っ伏す加奈。 有川のものいいはダイレクトでストレートだ。 「……響ちゃんも物好きだねー」 呆れたような口調に、色々とつっこみたかった加奈だが、今は何も言えない状態だ。 「加奈は自分に正直で、自分を曲げない。すごいと思う」 「……それはわがままで高飛車ってことかな」 「それに元気で、行動力がある。加奈を見ているのは楽しい」 「すごいプラス思考だね、響ちゃん……」 どこか感心したように言う神崎。 「まあ、長所と短所は紙一重だしねー」 悟ったように言って、神崎は少し冷めかけた紅茶をすする。 しかしいまだ有川の発言を噛み締め中な加奈には関係なかった。 「この短時間で気づくんだー。…妬けるな」 ぼそりと呟いた神崎の言葉は、2人の耳には届かなかった。 「そういえば有川は1人暮らしなの?」 ようやく復活した加奈が、ずっと気になっていたことを尋ねる。 帰りにスーパーで買い物していくし、神崎と料理の話で盛り上がったりしている。 どうやら家事をしているのは有川らしい。 かちゃん、と音をたてて有川の持っていたカップが傾く。 机に少し、紅茶がこぼれた。 「有川?」 「…すまん、手が滑った。……1人暮らしだ」 「あ、やっぱそなんだー!」 両手をパン、と胸の前で合わせる。 「家から遠いから?」 ここぞとばかりに身上調査をしようとする加奈。 有川はあまり自分のことを話さない。というかあまり自分から話をしない。 そのかわり、聞かれた事は話す。話すこと自体は嫌いではないらしい。 「そう」 「じゃあ家事は全部有川がやるの?」 首を縦に振る。 「お母さんに仕込まれたの?1人暮らしする前にーとか」 もし家事が好きなお母さんなら大変だ。 お世辞にも家事が得意とは言えない加奈だ。特訓が必要かもしれない。 「いや」 否定する有川。 「母さんは、俺が小学校の頃死んだから」 淡々と述べる。表情は変わらなかった。 「あ、えと」 加奈は予想していなかった返答に、戸惑った。 今まで、自分の周りで死というものを感じたことがない。 父方も母方も祖父母は健在だ。 そして友人でも身近な人間を亡くした人間はいなかった。 「えーと、その、ご病気で…?」 おそるおそる聞いてみる。 なんと言ったらいいのか分からず、つい出てしまった。 「……病気。…そうだな、病気で」 元々体が弱い人だったから、と付け加える。 そしてちょっと眉をしかめて、右側のこめかみを押さえた。 「あ、有川?……大丈夫」 辛そうなその様子に、加奈は聞いたことを後悔した。 しかし、有川は一つ頭をふると、またいつもの無表情に戻る。 「いや、大丈夫だ。ちょっと頭が痛かっただけ」 「そっか、その…えと」 そう言われても、自分の中での気まずさは抜けない。 加奈はますます困惑した。 どう言ったら有川を傷つけなくてすむのか、無神経ではないのか、分からなかった。 少なくとも、傷つけることはしたくなかった。 だからと言って、普段から大雑把に生きている加奈には、いい言葉が浮かばない。 考え込む。頭が痛くなってきた。 いつもは茶々をいれてくる神崎も、今は何も言わない。 「あー、もう!」 加奈は椅子から立ち上がった。 そうして机に頭をぶつけそうな勢いで頭を下げる。 「ごめん!」 「加奈?」 有川は不思議そうな顔をしている。 「私考えなしで、考えるより先に口から言葉が出ちゃうの!更には口より先に手が出ちゃうの!だから、その、何か嫌な思いしたらはっきり言って…。聞かれたくないこととか。私……結構無神経だから…。言われなきゃ、分からないから……」 最初は怒っているような口調だったが、段々と弱くなっていく。 最後の方は、泣きそうな情けない顔をしていた。 最初は呆気にとられていた有川だが、次第に表情がやわらぐ。 そして笑みを浮かべた。 いつもの目元を和らげるだけではない。 あまり見ることのできない、穏やかな、柔らかい笑顔。 「大丈夫。俺は嫌な時はちゃんと言う。嫌な思いなんかしていない」 「…で、でもさ」 「平気。ありがとう、加奈」 笑みがもっと深くなる。 「加奈は、やっぱりかわいい性格だと思う」 その笑顔に、その言葉に、加奈は胸が熱くなった。 心臓が、痛い。思わず加奈は胸を押さえた。 喉から胸にかけて、食べ物を飲み損ねたかのように苦しくなる。 心臓から伝わって、目も熱くなった。涙が出そうになった。 こんな感情は知らなかった。 今まで生きてきて、初めてだった。 有川をいつも想う時、見る時の楽しいドキドキ感とはまた違った熱さ。 温かいのに、哀しいとすら、表現できそうな感情。 「加奈ちゃん、自分が無神経だって知ってたんだ」 知らない感情の動きに戸惑う加奈に、神崎ののんびりとした声が割って入った。 条件反射で憎まれ口を叩く。 「うっさい!私だってたまには反省するのよ!」 それで、さっきの感情はなくなった。 いつも通りの自分に戻る。 正直、安堵した。 少し、怖かった。 「それが続いてくれればねー……」 「あんたも十分無神経よ!」 手元にあったスプーンを投げつける。 頭を少し動かすだけでよけられた。なおかつ受け止められた。 「こらこら、モノは大事にしましょう」 「そうだぞ、加奈」 有川にまで言われて、加奈は黙った。 大人しく座りなおす。 「でもさ、息子さんが1人暮らししたら、お父さん寂しいんじゃない?」 神崎が今までのことがなんでもないようにのんびりと言った。 本当に世間話のようなので、失礼とも感じない。 「いや、家には親戚がいるから。それに父親とは元々あまり話さない」 「へー、そうなんだ。…じゃあ、響ちゃんは?」 机に左肘をつき、頭をのせる。そうしてゆっくりと有川の方を向いた。 「響ちゃんは1人で寂しくないの?」 まっすぐに有川を見つめた。 有川はまた少し、うつむいて右のこめかみを押さえた。 しかし、すぐに前をむく。 「いや、別に。俺のこと、大事に思ってくれる人がいるし」 それに、と有川は続けた。 「それに、友達もいるし」 どことなく、嬉しそうな雰囲気。 加奈は目の前の有川の手を両手で握り締めた。 「うん!友達!私いるから!大丈夫!」 『まだ』友達だけどね。 有川の手は、大きくて温かい。何かしら武道をやっているらしく、豆が出来て硬くなってごつごつしていた。たくましい、手。 加奈の手なんか簡単に隠れてしまうその手を、加奈は逆に包みこんだ。 神崎が横から手をのばして、西日を受けてオレンジになっている白い髪をなでる。 「そだねー。友達友達。仲良くしようね」 軽い口調、いつもの胡散臭い笑顔。 それでも髪を撫でる手は、丁寧で優しかった。 「……ありがとう、加奈。叶ちゃん」 教室内を温かい空気が流れた。 温かく優しかった日差しは、そろそろ暮れはじめている。 明かりをつけなければ暗いほどだったが、3人は気にしなかった。 そこで、がらりを教室の戸が開いた。 「……何やってんの、お前ら」 「きゃー、ふしだらな三角関係!」 呆れた顔をした吉川と、興味津々な寺西がそこにいた。 |