『あっ…』

本日の手作りお菓子、季節はずれのジンジャーマンクッキー。
アイシングで様々な絵柄が描かれ、バラエティ豊かに簡素なパイプテーブルの上を彩っている。
季節を意識しているのか、傘や紫陽花と思わしきものもあり、手の込みようが伺える。
しかし絵心はそんなにないのか、人らしきものの目鼻がピカソもびっくりな位置にあったりする。
それもまた、手作りらしさがあふれてて微笑ましいと評判はよかった。

その内の一つ、パジャマを着た男の子(らしきもの)のクッキーを同時に取ろうとした有川と加奈は、指が重なり、また同時に動きをとめた。
一瞬止まった後、慌てて更に2人同時に手を放す。
「あ、ごめ、ごめんね!ど、どうぞ!」
「…いや、俺の方こそ。加奈がどうぞ」
まだ沢山残っているクッキーを前に譲り合いをする2人。
有川は無表情ながら顔がほのかに赤い。
加奈は真っ赤である。身振り手振り、リアクションもでかい。
「え、じゃ、じゃあこれもらうね。へへ」
照れたように一つ頬をかいて、もう一度手を伸ばす。
「これ、なんか有川みたい」
パジャマを着ている男の子(らしきもの)を口元に運びながらそう言う加奈。
随分抽象的なのだが、しかめた眉や、引き結んだ口がなんだか有川らしかったのだ。
有川はそのクッキーからそらすように目を泳がせた。
「……実はそう」
「え?」
「それ、俺」
「ええ?」
もう一度、ためらうようにぼそりと答えた。
加奈は慌てて、スカイブルーのガラス皿に盛られたクッキーをもう一度見直す。
「あー、じゃあこれ私だ!髪が一番長い奴。このパジャマみたいのが学ランだとすると、この冷蔵庫みたいのがセーラー服なんだ。あ、でこれが叶?はは、目が細い。この目がおっきくて一番かわいらしいのが慎二かな。でもってこのわかめかぶってるみたいのが幹だ!」
「そう」
こっくりと頷き、ますます顔を赤くする。
梅雨と生徒会の面々、というテーマだったようだ。前衛的過ぎて理解が遅れたが。
「イヤだったか?」
勝手にモデルにしてしまったことに気を悪くしていないかと不安そうに尋ねる。
有川は一見無表情だが、その目とわずかな動きはとても感情豊かだった。
その素直な感情の動きを真っ直ぐに伝えてくる有川に、加奈は自然と頬が緩む。
ほわほわとしたとらえどころのない、でも幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
「ううん、かわいい!これ好き。有川だと思うと余計においしい!」
にこにこと満面の笑みを浮かべながら改めて食べようとする。

そうして静かにお菓子をつまむ姿は、深窓の令嬢といった趣だ。
肩にかかる程度の硬質で真っ直ぐの、くせのない黒髪。
黒目がちの大きな瞳。鼻と口は小作りで、それこそ日本人形のようだ。
立てば芍薬座れば牡丹、ただししゃべればぺんぺん草。

そんな加奈を見つめながら、有川は目元を和ませる。
加奈よりも頭1,5個分大きい長身。一見細身に見えるが、綺麗についた筋肉は夏服の薄いシャツから伺える。一つ一つのパーツが大きい顔は、整っているのだが、それよりも背筋の伸びた姿勢のよさからの隙のない雰囲気が印象的だ。もう一つの特徴は、光沢のある、根元から真っ白なその髪。
無表情で近づきがたく見えるが、性格はいたって素直で真面目。放っておけば騙されかねない。

そうしてクッキーを口にしようとした加奈は、再び動きを止めた。
クッキーを持っていない左手で、今度は自分の姿をしたお菓子を手に取った。
椅子から腰を浮かし、向かいに座っていた有川の口元に運ぶ。
「有川、あーん」
対する有川は、首をわずかに傾げる。白く輝く髪が、さらりとゆれた。
「口開けて、はいあーん」
にこにことしながら、更に近づける。
気圧されたように、わずかに口をあけた。
そこに無理やり甘い焼き菓子が押し込められた。
驚き、動きを止めるが、一口で食べるには難しい大きさのクッキーを咀嚼する。
加奈はますます笑みを深めた。そして自分は有川の姿のものを食べる。
先に食べ終えた有川が不思議そうに恐ろしいほど上機嫌な加奈を見る。
「…加奈?」
「へっへへー、有川が私を食べて、私が有川を食べるの。きゃーらぶらぶ!意味深!」
「………」
無言のまま、顔を赤くする有川。
一月前に出会ってから、徐々に徐々に反応を顕著に表すようになった想い人を、幸せいっぱいで加奈は見つめた。


「て、も〜やってらんな〜い!!!!」
「あー、熱いね。ただでさえ梅雨時でうっとおしいんだからやめて欲しいねー」
「………」
完全に2人の世界に入っていた加奈だったが、実はまわりに人がいた。
というか最初から集まっていたので当たり前だ。
ここは生徒会室で、真ん中に置かれた大きな机に有川と加奈の他、生徒会メンバー残り3人が座っていた。

こらえきれにように叫んだのは寺西。
生徒会副会長の2年生。綺麗にグロスの塗られた肉厚の唇は、いつもは薄く開けられ男性諸氏を悩ますのに、今は大口開けて大絶叫。しかし独特の間延びした喋り方は相変わらずだ。光沢のある明るい髪の色は軽くウェーブがかかっており、自己主張の激しい胸元までかかっている。凹凸の大きな体が、苦しそうに薄手の制服で押し込められていた。

神崎は呆れた顔で、ぱたぱたと手で自らに風を送る。
生徒会長である、加奈より二つ上の従兄弟。
血のつながりを感じさせる艶のある硬質の黒い髪。ただし目は、ぱっちり二重な加奈と比べて、一重の切れ長の目をしている。深い闇色をしているところは同じだ。
きっちりと着こなした学ランと古風で日本的な整った顔は、品のよさを感じさせる。
けれどいつでも浮かべている穏やかな笑みのせいか、どこか胡散臭さをかもしだす。

残るメンバーであるところの吉川は、我関せず、と無言でクッキーを食べている。
ふわふわとした癖のある茶色の髪。くりくりとした大きな目。一般男子高校生よりも小柄な体。女の子と見紛うかわいらしい外見を本人は気にいってはいない。
外見とは裏腹になかなか真面目で挑戦的な性格のせいで、格好の弄られ役だった。


「もう〜、あんまりイチャイチャされると後ろからとび蹴り食らわしたくなるわよね〜」
「本当にねえ、いやだねえ、最近の若い人は一目もはばからず」
お茶を飲みながら、なおも言い募る2人を加奈は鼻で笑う。
「ふん、なんとでも言いなさい。ひがみは気持ち良いわ。人の嫉妬が私の幸せ!」
「うわ〜、最低〜」
「加奈ちゃん、自分に正直なのも良いけどいつか刺されるよ」
「負け犬はせいぜい吠えなさい!」
有川は困ったように赤面したまま、黙り込んでいた。

「で、しないんですか。試験勉強」
そのまま言い合いにもつれこみ、加奈と寺西のお菓子の取り合いに移行し、有川が止めに入り、神崎が茶化していたところで吉川の呆れたような声が割って入った。
今日生徒会室に集まったのは他でもない、3日後にせまった実力テストの勉強をするためだった。
「そうだった〜、加奈ちゃんと遊んでる暇なんてなかったんだった〜」
「遊んでやってるのはこっちよ!」
相変わらず気の抜けるような話し方をする寺西に、食って掛かる加奈。
「はいはい、そこまでそこまで。加奈ちゃん勉強しなきゃやばいでしょー」
「うっ」
思わず息を呑み、クッキーを飲み込みそこねる。お茶を飲んで胃に流し込む。
「そ、そうだった。お小遣い値下げの危機なのよ!これ以上、下げられたら私干上がっちゃう」
「この前の中間やばかったもんね。叔母さん怒ってたし」
「くっ、母さんめ!なんでもかんでも叶に話しやがって」
叶の父親と、加奈の母親は兄妹である。
昔から親しく付き合っている頼もしい甥と、加奈の母親は今でも仲がいい。
「しょうがないでしょう、あんな点数取っちゃったなら。極端な成績だったねえ。理科と社会以外はほぼ真っ赤って。あれに体育があったらまた別だったんだろうけどねえ。叔母さん泣きそうだったよー。俺頭下げて頼まれちゃったし」
「くくう、しょうがないわね!さあ、私に勉強を教えなさい、叶!」
教えてもらう立場なのに、とても偉そうな命令口調。
幼い頃から傍若無人な従姉妹に慣れている神崎は、はいはいと苦笑して教科書をとりだした。
「……仲いいんですね」
そんな様子を見ていて、ぼそりとつぶやく有川。
神崎は一瞬きょとん、としてから、細い目を更に細める。
「まあ、物心つく前からの付き合いだからね。腐れ縁だねえ」
「な、何?有川?私と叶が仲いいのイヤ?イヤなら言ってね。こんなのとの付き合いいつでも切るから!」
心弾ませながら身を乗り出す加奈。
有川の隣で神崎がひっどーい、と不満を言っているのも聞こえない。
「いや、とてもいいと思う。見ていてこちらが嬉しくなる」
そういって目元を和ませる。心からの言葉のようだ。
加奈は机につっぷした。
「……そんなこったろうと思ってたけど」
「まあまあ、ゆっくり行きましょう、ゆっくりと」
そんな加奈の頭を斜め前からぽんぽんと神崎が叩いた。


*



「かいちょ〜う、これ、これ教えて〜」
「何ー、どれどれ」
数学の教科書を開きながら指をさす寺西。
神崎は隣の寺西を覗き込む。
ようやく始まった試験勉強。主に神崎は教師役。加奈は集中して教えてもらい、他の人間はマイペースに勉強している。
「もう、なんでこの前中間があったばかりなのに、またテストなの。いい加減にしてよ!実力なんて分かりきっているじゃない!」
教科書とにらめっこするのも飽き、ほおり投げる加奈。
丸めたノートでその頭を叩く従兄弟。
「そんなこと言っていても勉強は進みません。お小遣いを減らされたくなかったら一つでも公式を覚えましょう」
「あんたはいいわよね。学年トップって、いくら渡してるのよ」
恨めしそうに上目遣いに睨み付ける。
実は中学校時代から、神崎はいつでも学年トップの座を争う順位をキープしていた。10位以内から落ちたことはない。
「人聞き悪いこと言わないの。実力です、実力。努力が実をむすんでいるんです」
言いがかりをつけられても穏やかに笑っている。
「その笑顔がうさんくさいのよ……」
ちなみに加奈は学年約150人のうち、ほとんど半分以上に登ったことがない。
理科、社会、保険体育、技術家庭科(主に技術)の成績はダントツでいいのだが、それ以外が超低空飛行のせいだ。
吉川は30位以内となかなかの好成績。寺西が50位の辺りをうろうろしている。
「響ちゃんは〜、この前どうだったの?」
突然話をふられて、有川は無言で見つめていた英単語から目を離した。
有川は高校から入ってきた編入組なため、あまり成績等知られていない。
「……41位」
「へ〜、結構すごい〜」
「おー、頑張ってる頑張ってる、えらいえらい」
隣に座る神崎に頭を撫でられた。
有川はちょっと赤くなって撫でられた頭に手を置く。
「有川がそんなに上なら私も頑張る!」
気合を入れなおし、ほおり投げた教科書をもう一度置き直す。
「その調子その調子」
神崎が手を叩いて応援した。

「そういえば〜、一年生のトップって誰なの〜」
数式を解き、ノートから目を離さないまま聞く寺西。
しばらくシャープペンを動かす音しかしなかった部屋にはいやによく響いた。
沈黙にも飽きたらしい。
「知らない」
瞬間的には集中力のある加奈が、教科書に熱中しながらにべもなく答える。
神崎も知らないなー、とシャープペンを指で弄ぶ。
仕方なく、1人ずっとノートに向かっていた吉川が口を開いた。
「俺のクラスの麻生って女です」
「麻生〜?聞いたことない〜。編入組〜?」
「はい、高校から入ってきたみたいですね。入学式で新入生代表やってたから、たぶん入試もトップでしょうね」
1人真面目に勉強して、緊張した肩をほぐすようにまわす。
「すご〜い、奨学金組かな?」
「いえ、違うみたいですよ」
そこで神崎が唐突に手を叩いた。
「ああ、思い出した。麻生ってどっかで聞いたことがあると思ったら、麻生グループの1人娘さんだ。随分優秀だって聞いたけど本当だったんだ。なんでこんな微妙な自称名門校に入学したのか、って誰か言ってたな」
「麻生グループ、てあの?」
興味を惹かれたように顔を上げる加奈。
「そうそう、戦前から戦後にかけてでものすごい勢いでのし上がった麻生家だ。巨大複合企業の。先々代が創始者だったけかな。先代と現在の社長さんもやり手で有名だねえ。随分強引みたいだけど」
「え〜、あの麻生自動車とか、この前合併しちゃったけど麻生銀行とかファッションビルのSOOAHとかもあそこだよね〜。すっご〜い、でもその割には全然学校では話題にならないねえ〜。ものすごいお金持ちの才女って言ったら、噂の的じゃない?会長みたいに」
すでにシャープペンを放り投げて、寺西は話に熱中していた。
神崎も机に片肘をつき、頬杖をついている。嬉しそうに一方の手をひらひらとさせる。
「やっだー、幹ちゃんたらもう、褒め上手!まあそんなことあるけどね」
吉川は一息いれるつもりなのか、机を立ちメーカーに作っておいたコーヒーをカップに注いだ。
「まあ、そんなに目立つ奴じゃないし。なんかすっげー地味なんですよね。眼鏡で三つ編み、もう見たまんまガリ勉って感じの。寄ってく奴もいるみたいだけど、あんま誰かといるところって見ないな。ほとんどいつも教室の隅で1人で本読んでる。付き合いづらそう」
立ったまま、カップに口をつけ、一口飲む。
寺西が手持ち無沙汰にやわらかい髪を指に巻きつけてははなす。
「なんだ〜、じゃあ会長みたいに美人〜とかじゃないんだ〜、ガリ勉さんか〜、つまんな〜い」
「麻生さんちは成り上がりさんだから、随分名誉とか重んずるみたいだしねー。1人娘さんとして成績維持しなきゃいけないのかもねー」
「あはは〜、それこそ袖の下が物をいってたりして〜」
「うちの学校ならいけそうだしね。あ、だからここに入ってきたのかな。ここにいい証拠がいるし」
そう言いながら加奈が神崎を指差した。
「やだなー、俺は違うって。いや、本当」
そんな無責任な会話をして、笑っていた時だった。

ばん、と音をたてて有川が机を叩き、立ち上がる。

「有川?」
不思議そうにそちらに目をやると、立ち上がった本人はどこか不機嫌そうに眉をひそめていた。
「どうしたの?」
加奈が心配そうに声をかける。
長身の影は、周りの人間には聞こえないぐらいの小さな声で何かを言った。
「え?」
すると、一瞬うつむいてから胸元をにぎりしめた。
その様子を見ながら、加奈はそのシャツの下にあるのが、綺麗な黄緑色の石であることを思いだす。
「有川?」
もう一度、声をかけた。
有川は目を瞑って、一回大きく息を吐いてから顔を上げた。
「いや、なんでもない。………でも、あまり知らない人について色々言うのはよくないと思う」
今まで機嫌よく楽しそうにしていた目の前の人物が、突然怒っているように眉をしかめているのに、加奈も周りの人間も困惑した。
誰も口を開かない。
その様子をみて、有川は感情を収めるためか、もう一度息をついた。
「……悪かった。今日は道場に行くから、これで帰る」
そう言ってさっさと荷物をまとめると、一つ頭をさげ、誰も口をはさむ隙を与えずに生徒会室を後にした。
最後まで、眉をしかめたままだった。

「どうしたんだろ?」
気まずい雰囲気を残したままの小さな教室。
勉強を進めるでもなくなり、ぼそりと神崎がつぶやいた。
誰も答えられず、首をかしげる。
「有川は、真面目だから噂話とか嫌いなんじゃないですか?」
とりあえず、前後の話の関係からの予測を話す吉川。
コーヒーメーカーの傍に立ったままだったので、4人分コーヒーを入れなおし、配る。
加奈は一言礼を言って受けとると、温かい飲み物を飲み込んだ。
砂糖もミルクも入れないままの真っ黒な飲み物は、いやに苦く感じた。
「そうなのかな」
「うーん、考えててもしょうがないから、明日本人に聞こう。それなんか気に触ったっていうのなら謝ればいいし」
努めて楽観的に、いつもの笑みを浮かべながら神崎が言った。
残りのメンバーもとりあえずそれに納得し、頷いた。

でも、いつも穏やかな有川の、怒ったような顔が加奈の胸にしこりのようにいつまでも残っていた。


*



しかし次の日、朝一番に会いにいった長身の男はいつもどおりだった。
それどころか、昨日突然帰ったことを先に謝られ、なぜ怒ったのかを聞く機会を失ってしまった。





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