今日も今日とて、仕事もないのに人が集まっている生徒会室。 翔耀は他の学校よりも生徒自治色が強いが、そこまで強い権力があるわけでもない。 運営に関わる仕事を任されるわけでもなく、行事などがある時はそれなりに忙しいが、普段はそこまででもない。 けれど、生徒会メンバーは何かと生徒会室に集まっていた。 今日の加奈は恐ろしいほど、上機嫌だ。 「えっへへー、有川の道場に連れていかれた初めて!の人になっちゃった!」 「初めての友達、だろ」 冷静につっこみを入れる吉川。 友達、の部分を強調している。 裏拳を顔面に入れる加奈。 「でね、でね、有川のお師匠さんに『有川をよろしく』って言われちゃった!」 「よかったわね〜」 「よかったよかった」 今日のお菓子、甘いものが苦手な加奈に合わせて作られた甘さ控えめの練りきりを食べながら、適当に相槌を打つ他二人。 練りきりは夏らしく、紫陽花と朝顔。 前衛的過ぎるそれは、有川が説明するまで誰も理解できなかったが。 「ちょっとちゃんと聞きなさいよ!」 机を叩きながら抗議する。 しかし他の三人は聞く気配もない。 爆発しそうになる加奈の横に、静かに湯飲みが置かれた。 今日のお茶は神崎が家から持ってきた玉露だ。 「こぼれるから、暴れるな」 「ご、ごめんなさい」 加奈は大人しく座りなおす。 物を大事にする有川は、物を粗末にするような行動は許さない。 「本当に、有川の言うことだけはよく聞くな」 「惚れた弱みだねえ」 だけ、を強調する吉川と、じじくさくお茶をすする神崎。 加奈は何かを言い返そうとしたが、横に座った有川を気にして、押し黙った。 「ね〜ね〜、響ちゃん、いつもいつもお菓子作ってくれるけど、大変じゃない?いや、私は嬉しいんだけど〜」 綺麗な漆塗りの菓子楊枝で、練りきりを口に運びながら問う寺西。 有川は自分の分の和菓子を切り分けながら、首を少しかしげた。 「いや、俺は特にやることないから、毎日色々考えるのは、楽しい」 「趣味ないの〜?」 「……料理、かな」 首をかしげたまま答える。 「いいな〜、響ちゃんたら理想的!お嫁に来て!」 向かいに座っている有川の手をとろうとして、小さな手に阻まれた。 「触んじゃないわよ!これは私の、私のもの!私が嫁にもらうの!」 「いいじゃない〜、ちょっと触るくらい〜」 机の上で寺西の手をしっかりと掴み、威嚇する。 寺西も負けずに掴み返す。 ぎりぎりと音をたてそうなほどに、机の上で繰り広げられる攻防。 張本人であるところの有川は眉をひそめ、目の前の闘いを見つめている。 一見不機嫌なように見えるが、これは困っている表情だとこの部屋にいる全員は分かっている。 その表情のまま、斜め向かいに座っている神崎を見た。 神崎は面白そうに事の成り行きを見守っていたが、その視線に気づく困ったように苦笑する。 「はいはい、醜い争いはそこまでそこまで。響ちゃんが困ってるでしょ」 のんびりとした声で言い、二人の手を丁寧に引き剥がした。 加奈はちらりと有川を見て、そのひそめられた眉に仕方なく引き下がった。 寺西は元からふざけていただけなので、あっさりと引き下がる。 「……よかった、叶ちゃんはすごい」 息をついてから、神崎のほうをみて少し顔の力を抜いた。 真っ直ぐな、きらきらとした視線で見られ、神崎が相好を崩す。 「あー、もう!本当に響ちゃんはかわいいなー」 端正な作りの顔を崩して、綺麗に光る白い髪をぐしゃぐしゃとかき回す。 「だから、触るなってば!」 それを叩きのける加奈。 呆れた顔でそんなやりとりを見ている吉川。 生徒会の、いつもの風景だった。 「そういえばさ、加奈ちゃん」 梅雨を抜けきらない今の季節、外は静かに雨が降っている。 お茶も終わり、一瞬会話の切れた隙を見計らっていたように、神崎が口を開いた。 「何?」 名指しされた加奈は、隅についている小さな流しで後片付けをしてる有川の後姿をなめるように眺めながら問い返す。 「響ちゃんといい感じになるのはいいとして」 「うん」 「婚約者はどうするの?」 『こんやくしゃあ!!??』 寺西と吉川が声をあげると同時に、流しからがしゃんと大きな音がした。 一時、そんなに広くない室内が静まり返る。 沈黙を破ったのは吉川だった。 「お前……そんなものがいたのか……。どんな人間がお前なんかの……」 続いて寺西も身を乗り出す。 「え〜、その人可哀想〜、加奈ちゃんのお婿さんになるの〜」 「どういう意味よ!」 『そういう意味』 二人の声がそろう。 吉川にだけ手元にあったペンケースを投げつけた。 これはさすがによけた。 そんな一連の動作を気にもせず、神崎がのんびりと先を続ける。 「いや、婚約者の方は結構加奈ちゃんのこと気に入ってるんだよ。あんま異存もなさそうだし」 『えええええ!!!!』 これまたハモる二人。さっきから見事な息のあいようだ。 「どこのもの好き、ていうか命知らずというか……ゲテモノ好き?」 頭をひねりながらぼそりと漏らす吉川に、今度はノートがとんだ。 これは受け止められる。 「…ていうか会長、加奈ちゃんの婚約者知ってるの〜?」 人差し指を口元に当て、寺西はかわいらしく小首を傾げる。 対して神崎はいつもどおりの胡散臭い微笑を浮かべ、お茶をすすっている。 「知ってるよー」 加奈も神崎をちらりと見て、鼻をならした。 「知ってるに決まってるじゃない」 『俺の(叶の)兄貴だもん』 『ええええええ!!!!』 これまた何回目になるのか、一斉に声を上げる。 「あんた達、気があうわね」 そんな二人の様子を眺めながら、呆れたようにこぼす加奈。 「だって、そうでしょ〜、会長のお兄さんてことは〜、加奈ちゃんと会長、兄妹になるの〜?」 「会長の家、代々続く名士でしたよね…?何やってるのかよく分からないけど金はある、ていう」 「なんか経済界を裏で操る〜、みたいな?しかも政治屋さんとのつながりも強いのよね〜?」 「そこの長男の妻…」 「日本の将来はお先真っ暗ね〜」 「おいこら!」 好き勝手に騒ぐ二人に、立ち上がってつっこむ。 それでも二人の勢いは止まらない。 「加奈ちゃんちもいいお家だもんね〜。しかも従兄弟か〜、お家のつながりを強くするにはいい縁談かもね〜。でも政略結婚バリバリ〜。ちょっとかわいそう?」 「かわいそうなのは、会長のお兄さんだと思います」 「私もそういう意味よ〜」 神崎が微笑みを崩さないまま、口をはさむ。 「いや、兄さん、加奈ちゃんのこと気に入ってるから。物腰柔らかないい人だし、結構お似合いだと思うよ」 「え〜、おっとりとした人〜?ますます可哀想〜」 「そんな人とこいつで家業やってけるんですか?」 「あっははは、大丈夫大丈夫。兄さんまだ大学生だけどしっかりしてるし」 神崎の兄の話題で、場はどんどんヒートアップしていく。 たまりかねて、加奈が机を両手で思い切り叩いた。 「ちょっと、私は湊(みなと)と結婚するつもりなんかないからね!」 『ええ〜』 なぜか不満そうに声を漏らす三人。 「もったいないよ〜、加奈ちゃんが結婚できる機会なんてもうないかもよ〜」 「……相手が可哀想だけど、お前にとっては最後のチャンスかもな」 「兄さん楽しみにしてるのにー。俺と兄妹になれるよ?」 「まったく嬉しくない!!!だいたいあれはあんたの親父とうちの親父が酒飲んだ勢いで勝手に決めたことでしょ!あんなの拘束力ないわよ!」 机をバンバンと叩きつけてもどかしそうに怒鳴りつける。 興奮のため、小作りな顔は真っ赤になっている。 「でもおじさんも親父もすごい乗り気だよ?」 「私は、自分で、結婚する相手ぐらい、決めるの!ていうか有川を嫁にもらうの!」 文節ごとに区切っての大主張。 最後にちょっぴり一番の希望が入っている。 「あれ〜、そう言えば響ちゃんは〜?」 寺西がのんびりと言って、流しの方に顔をむける。 それまでの流れで全く有川が騒ぎに参加していないのを気づいた。 つられて全員がそちらをむいた。 有川は流しに向かったまま、動かない。 一番流しに近い位置にいた吉川が席を立ち、止まったままの有川に近づいた。 背後から顔を覗き込む。 「おい?て、あ、さっき大きな音がしたと思ったら、ジノリのカップが割れてるぞ」 「ええ〜、もしかして響ちゃん動揺?」 「え、うそ。もしかして脈あり?」 吉川がぺちぺちと放心していた有川の頬を叩く。 そこでようやく気づいたように目の焦点が合う。 「おい、大丈夫か?」 「あ……大丈夫」 男にしては小柄な吉川を見下ろして、子供のような仕草で頷く。 その声も、どこか呆けている。 「ちょっとちょっとちょっと!!!有川、動揺した?動揺したの!?驚いた!?」 加奈がどこか期待した弾んだ声を出し、ものすごい勢いで流しに近づいた。 吉川と向かい合っていた有川の顔を、首を痛めそうなほど無理やりこちらに向ける。 有川は目を軽く見開いて驚いた様子のまま、こくりと頷く。 「驚いた」 「きゃー!!!!」 狂喜の声を上げて有川の首に思いっきり抱きつく。 後ろでは寺西も手を叩いて煽っていた。 「やった、やったー!嬉しい!私の気持ち通じたの?」 しかし、抱きついた加奈の腕を有川はゆっくりとはずす。 「やっぱりいい家は、違うんだな」 こくこくと自分に納得させるように何度も頷く有川。 「へ?」 外された腕の行き場をなくしたまま、加奈は宙に手をさまよわせた。 間抜けな声を出し、有川を見つめる。 「驚いた。もう、婚約者がいるんだな」 無表情でありながら、感情をよく表す瞳も眉も、今は何も映していない。 その時の有川は、本当に何もない表情だった。 しばらくそのまま見詰め合うが、やはり感情が見えない。 黙って、加奈を見つめていた。 「有川…?」 それが不思議で、加奈にしては珍しく頼りない声が出る。 その声が耳に入ったのか、有川がゆっくりと表情を作った。 いつもの、優しい笑顔に。 「割ってしまった」 「は?」 「カップ」 いつもの急な話題転換についていけず、加奈は再度間抜けな声が出た。 「幹ちゃんのカップ……」 有川はそれには気づかず、流しの方へ目を移すと、困ったように首をかしげた。 「ええ〜!私のカップなの〜!?」 情けない声を上げる寺西。 有川はますます困ったように眉を下げる。 「……ごめん」 寺西の方を向いて、軽く頭を下げる。 その様子に、寺西は怒るに怒れなくてちょっと笑った。 大男のくせに、叱られた子供のようだ。 「いいよ〜、もう、響ちゃんはかわいいな〜」 くすくすと笑って、手をひらひらと振る。 釣られて神崎も笑う。 吉川も頬を緩めた。加奈もいつもの様子に安堵して肩の力を抜く。 和やかな雰囲気が生徒会室を包んだ。 それきり、生徒会はいつものように他愛のない話で埋め尽くされた。 神崎の兄の話が出ることもなく、有川はいつもどおりかわいらしかった。 その後、有川の様子が変わったことに、加奈が気づくまでそう時間はかからなかった。 |