新しい家族が出来た時、母さんは言った。

「いい、守。和君とちゃんと仲良くするのよ。お義父さんの言うことをちゃんと聞くの。仲のいい家族になろうね」
「うん。分かった、お母さん。頑張って仲良くするね」

頼もしい義父と快活な義弟と、仲良くしたかった。
だから、自分なりに頑張った。
しかし馬鹿な俺がやることはいつだって空回り。

義父さんに絵を描いて見せて、女の子みたいだと言われた。
義弟に勉強を教えて、生意気だと言われた。
義父さんの言うとおり野球をして、下手だと言われた。
義弟と鬼ごっこをして、とろくてつまらないと言われた。

うまくやれない俺は、母の悩みの種だった。
それに母は反抗的な義弟に、いつも困っていた。
悪戯をして、母を罵って、暴れる義弟。
仲良くできない継母と子に、機嫌を悪くする義父。
いつも疲れた顔をして、落ち込んで泣く母を、下手くそに慰めた。

「ありがとう。守。ごめんね、あなたにも苦労かけてごめんね。一緒に頑張ろう」
「ううん。大丈夫。早く仲良くなれるといいね」

そう言うと、母は疲れた顔で、それでも笑った。
私も頑張るねと言って、抱きしめてくれた。

「お母さん、和樹君が、俺の絵、破ったんだ」

そう訴えたのは、いつだっただろう。
和樹はいつも俺に対して乱暴だったけど、大体のことは我慢できた。
俺が反抗すると、母が困るから。
和樹が余計に癇癪を起こし、それに対して義父が母を怒る。
それは見たくなかった。
でも、絵を破られるのは我慢できなかった。
哀しくて、悔しかった。
出来れば怒って欲しかった。
そんなことするな、と和樹に怒って欲しかった。

「………ごめんね。ちょっとだけ我慢してね。仲良くなったらきっと、和君も優しくなるから。お母さんも頑張るから我慢して。一緒に頑張ろうね」
「………うん、分かった」

母がかばってくれなかったことに、がっかりした。
でも、哀しい顔で慰めてくれたから、それで満足した。
母が抱きしめてくれるなら、それでよかった。

「ごめんね、我慢して、守。あなたのためなの。いい子にしてたら、きっと皆と仲良くできるから」
「うん、お母さん。分かった」

絵を描くのを反対され、外に出ろと言われ始めた頃、母は初めて和樹にお義母さんと呼ばれた。
思えばあの頃から、母は俺を抱きしめてくれなくなった。
一緒に頑張ろうって、言ってくれなくなった。

「守、お願いだからいい子にして。お義父さんの言うこと聞いて?和君はあんなに元気で明るくてお友達がいっぱいいるよ。和君を見習って、守もいい子になって」
「はい、お母さん」

和樹は相変わらず俺の物を壊し、学校では無視し、噂を流された。
絵を描いていると暗いと言われ、義父にも明るくしろと言われた。
でも、俺は外で遊ぶのがやっぱり苦手だし、友達も出来なかった。
家の中で、学校の中で、どうやって笑えばいいのか、分からなくなっていった。
表情を失くす俺に、家族はますますつまらない奴だとため息をついた。

「どうして、仲良くできないの?どうして守はいい子にできないの?」
「ごめんなさい。お母さん」

母はちっともいい子になれない俺に苛立っていった。
俺は母の言いつけを守れない、暗くて馬鹿で反抗的な嫌な子供だった。
謝っても口先だけで、いい子になんてなれなくて、悪い子だと怒られた。

「仲良くしろって言ってるでしょ!どうしてあんたはそう反抗的なのよ!」
「………ごめんなさい」

耕介さんと出会った頃から、俺はますます母さんの言うとおりにはできなくなってしまった。
だって、耕介さんの与えてくれる世界はとても綺麗で、とても楽しくて、とても解放的だった。
やっぱりその魅力的な世界を失うことは出来ないと、思ってしまった。
母の言ういい子には俺はどうしてもなれないのだと、分かってしまった。

「余計なことはしないで!和君を刺激しないように大人しくしてなさい!」
「………」

母にも和樹にも義父にも、何かを望むことはなくなった。
俺の方が彼らが望むものは与えられないのだから、俺が彼らに何かを望むのは間違っている。
お互いに、俺たちは望むものが違っているのだと、感じていた違和感を形にすることが出来た。
それでも俺は浅ましく、我儘にもあの人達に望んでばかりだったのだけれど。
自分が出来ないことを意地汚く、あの人達に望んでしまったのだけれど。

「そんな目で見ないで!あんたが悪いんでしょ!あんたがいい子に出来ないから全部全部悪いの!あんたが悪いのよ!」

俺の望んでいるものを知って。
俺の話を聞いて。
俺の傷から目を逸らさないで。
ほんの少しでいいから、俺を見て。

「あんたのためなのに!どうして謝れないの!全部全部、あんたのためなのに!あんたが全部悪いの!なんでそんなに我儘なの。そんな目で見ないで!あんたが悪いのよ!あんたが、大人しく出来ないから!」

我儘を言ってごめんなさい。
ごめんなさい。
望んでばかりでごめんなさい。
貴方達の望む人間になれなくてごめんなさい。
悪い子でごめんなさい。
いい子になれなくてごめんなさい。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

俺だけが悪くないのは分かっている。
でも俺だって悪いのも分かっている。

恨んでばかりでごめんなさい。
反省できなくてごめんなさい。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。



***




「………また、ワンパターンだな」

いつの間にか夜が明けていた。
居間で座りながら呆けていたらしく、気が付いたら先輩が前に立っていた。
のろのろと見上げると、疲れた顔にそれでも壮絶な凄みを湛えた強い目が俺を真っ直ぐに見ている。
明りをつけていない薄暗い部屋の中、自分から光り輝いているような、全てを持っている選ばれた人。
空っぽだった心が、圧倒的な力に引き寄せられる。

「せ、んぱい」

ストーブがつけっぱなしの部屋にずっといたせいだろう。
喉が掠れて、出した声は酷くしゃがれていた。
ごくりと唾を飲み込んで喉を湿らせ、もう一度目の前の絶対者を呼ぶ。

「先輩、先輩、先輩」

この誰も寄せ付けない、誰にも頼らない、孤高の人に縋りつきたかった。
薄汚くて情けない俺とは正反対の強い強い美しい人に、断罪してほしかった。

「………」

先輩は俺の顔を見て、うんざりとしたようにため息をつく。
そのため息に怯えて震えると、けれど座りこんで視線を合わせてくれた。

「どうした」

面倒くさそうに聞いてくる声に、頬に触れる手に、冷え切った心に熱が灯る。
無意識に先輩のきたコートの裾にしがみつく

「せ、んぱい」
「なんだ」
「先輩、俺を犯してください」

誰よりも綺麗で誰よりも強い先輩。
その圧倒的な力で俺を抑えつけて。
薄汚くみすぼらしい俺を、粉々に打ち砕いて。

「お願いします。犯してください。酷く抱いてください。痛くしてください。痛みをください。殴ってください。ぐちゃぐちゃにしてください。顔が腫れるほど殴って、物が食えなくなるぐらい蹴って、火を押し付けて傷をつけて」

内臓が傷つくぐらい蹴って、歯が折れるぐらいに殴って、気を失うまで水に突っ込んで。
俺は凶悪なモンスターだから、どうか俺を苦しめて倒して。
あんたになら、それが絶対にできるから。

「俺は悪い子なんです。お願いです。罰を与えてください。俺を叱って、俺を殴って、俺をいい子にしてください」

俺がサンドバックでいたなら、あなたは俺を愛してくれていましたか。
俺を捨てないでいてくれましたか。
俺にもそれくらいの価値は、ありましたか。

「お願いします。あんたの作品を壊すぐらいなら、俺を殴って。俺を壊して。俺をめちゃめちゃにしてください。俺はあんたのおもちゃです。モノのように扱って、精液で腹の中を一杯にして。あんたの匂いをしみつけて、抱き壊して」

あんたのその手で触れてくれたら、俺は少しは綺麗になれますか。
あんたの精液を体中に飲み込んだら、あんたに少しは近づけますか。

あんたの作品になりたかった。
あんたの手で生み出されたかった。
その手から作り出されるグロテスクで美しいものになりたかった。
その存在で人を引き付けねじ伏せる、雄弁なもの言わぬものになりたかった。
息するだけの無駄な物体よりも、呼吸せぬ価値あるものになりたかった。

「先輩、お願いします。先輩先輩先輩、俺は穴がついてる人形です。好きなように遊んで壊してください。お願いです。先輩、お願い、俺に痛みをください。もっともっと、沢山の傷をつけて」

この痛みを忘れるぐらい、圧倒的な快感と痛みをください。
何も考えたくない。
もう、何も考えたくない。
壊れて物になれたら、どんなに楽になれるんだろう。

「………」
「先輩」

じっと俺を見ている美しい人に、もう一度頼む。
すると無表情だった先輩が、すっと目を細めた。

「はあ」

そして心底うんざりしたようにため息をついた。
髪を乱暴に掻き上げる、その苛立った仕草に、熱を持った心が凍る。

「おい」
「………は、い」
「ふざけんな、このマゾ野郎。俺はお前のバイブじゃないんだよ。オナニーしたいならきゅうりでも突っ込んでろ」

いつだって手を伸ばせば腰を引き寄せてくれた人に、冷たく突き放される。
いつものセックスに至るまでの言葉遊びではなく、心底怒りを覚えているのが、言葉の端々から感じられる。

「………どうして、ですか、お願いします」
「俺は人を物扱いするのは得意だけど、人に物扱いされるのは不得意だ」
「先輩、穴があればいいでしょう?どんな女だって、穴がついてれば突っ込んできたじゃないですか。俺だっていいじゃないですか。前戯しろなんて面倒くさいこといいません。血が出てもいいです。裂けてもいいんです。殴ってもいいんです。手足を折って、血を流して、痛みをください。お願いです。お願い、先輩、お願いです」

頬から離れて行く手に縋りついて、何度も口づけて懇願する。
けれど先輩はあっさりと俺を振り払う。

「放せ」
「せんぱいっ」

離れて行く温もりを追いかけて手を伸ばすが、先輩は素早く立ち上がってしまった。
俺を冷たく見下して、感情のこもらない声で言い捨てる。

「壊れた玩具は、必要ない」
「………せん、ぱい」

どうしてそんなことを言うの。
あんたも俺がいらないの。
俺が必要だと言ったのに、やっぱり俺を捨てるの。

「何があった?」
「先輩、捨てないください。なんでもします。なんでもしますから。いい子にするから、捨てないで」

俺のみっともない懇願に、先輩はますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。

「あー、面倒くせえな。本気で捨てるぞ。俺は人形で遊ぶ趣味はない。ダッチワイフで遊ぶほど、性欲処理には困ってない」
「せんぱい」

前髪を強く引っ張られ、膝立ちのような形で起き上がる。
ぶちぶちと髪が抜ける音がして、その痛みが心地よかった。
息がかかるほど至近距離に、冷たい顔をした先輩がいる。

「お前の頭は木のクズでもつまってるのか?お前の口は飾りか?」

先輩が、何に怒っているのか分からない。
俺が駄目な奴だから、いけないのだろうか。
ついに先輩に、愛想をつかされたんだろうか。

「馬鹿なんだから、人一倍そのスカスカの頭で物を考えろ」

俺は馬鹿だから、いつも正しい答えを選べない。
何が悪かったのか、何が正しかったのか分からない。
今も先輩を怒らせている。
俺は馬鹿でどうしようもない悪い子。

「本能で動き過ぎなんだよ、動物かお前は。少しは自分の頭で考えろ」

そうして投げ捨てるように、髪を離される。
膝立ちになっていたせいで、反動で壁に背中を打った。

「せ、んぱい」
「人に思考を全部押しつけるな」

それきり、先輩は興味をなくしたように俺に背を向ける。
追いかけることなんて、出来ない。
これ以上、先輩を怒らせたくない。

「先輩、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

捨てないで、俺を捨てないで。
お願い、俺を捨てないで。

ごめんなさい。
なんでもするから、見捨てないで。


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