鷹矢は元々用事があるついでに寄ってくれただけだったので帰ってしまい、一人夕飯の準備をする。
貸してくれたゲームは難しいが、中々楽しい。
パズルゲームや、有名な名前だけは知っている冒険をするゲーム。
丁寧に教えてくれて、二人でああでもないこうでもないと遊ぶのは楽しかった。
鷹矢がメシを食っていってくれなかったのは寂しいが、今日も夜一人だし、じっくりとやってみよう。

味噌汁の様子を見ていると、ダイニングテーブルに置いていた携帯が揺れてうるさい音を立てる。
慌てて火を止めて携帯を取ると、表示されているのは非通知番号。
普段、非通知なんてかかってこないので、不思議に思いながら取る。

「はい」
『もしもし、守?』

聞こえてきたのは、とても懐かしい、女性の声。
長い間聞いてなかったけれど、不思議としっかりと覚えている声。

「………はい、守です」

震えそうになる声をなんとか押さえながら、答える。
相手がほっとしたように息をついたのが、かすかに聞こえる息遣いから分かった。

『この前はごめんなさい。急にかけてくるから混乱しちゃって』
「あ、いえ。こちらこそ、ごめんなさい。急にすいませんでした」
『いいえ』

どうやって話したらいいのか分からなくて、敬語になってしまう。
昔はどうやって話していたっけ。
俺は、この人にどうやって接していただろう。
今はもう、思いだすことが出来ない。

「………」
『………』

しばらく言葉を探すように、お互い黙りこむ。
何を言っていいのか分からないのが、伝わってくる。

「えっと」

この前は、何を話そうとしていたんだっけ。
ああ、そうだ。
本当に会いたいと思っているのかを、聞きたかったんだ。
それと、愛について聞きたい。
お菓子は、好きなのだろうか。
アレルギーなどはないのだろうか。
ケーキやクッキーを持っていても迷惑じゃないだろうか。

「あの」
『元気で、やっているの?』

まず愛について祝福を述べようとするが、その前に向こうから聞いてきた。
見えないのは分かっているのに、頷いてしまった。

「あ、うん。元気です」
『今は、大学生、なのかしら?』
「うん」
『そう、柏崎さん、だったわよね。柏崎さんは大学まで行かせてくださったのね』
「うん」

うまく言葉がまとまらなくて、馬鹿みたいに頷くことしかできない。
けれど、体をいたわるような言葉に、唇が震える。
胸が熱くなってくる。

『よくしてもらっているの?』
「………うん、とても優しくて、よくしてもらっている」
『不自由してるようなことはないのね』
「うん」

何一つ不自由なんてしていない。
俺は幸せで怖くなるぐらいだ。
そう伝えたいけれど、どう言えばいいのか分からない。
脳みそがいっぱいいっぱいで言葉が浮かんでこない。

『あなたは、元気でやってるのね』
「うん」
『よかったわ。安心した』

少しだけ笑いを含んだ、穏やかな声。
堪え切れなかった涙が、一筋零れる。
心配、していてくれたんだ。
俺を、覚えていてくれたんだ。

お母さんは、俺のことを、忘れていなかった。
それがこんなにも、切なくて、苦しくて、嬉しい。
こんなにも嬉しいなんて、思わなかった。

お母さんお母さんお母さん。

「おか………」
『あのね、守』

お母さん、と呼びかけそうになった時、また言葉が遮られる。
母の声が少しだけ低くなる。

『あなたが出て行ってから、うち大変だったの。変な噂たっちゃって前の家にもいれなくなって引っ越ししなきゃいけなくなったし、和君は学校に行けないくらい落ち込んじゃうし、お義父さんもお母さんも本当に色々大変だったわ。あなたは知らないでしょうけど』
「………」

俺が口を挟む隙を与えないぐらい、早い口調で母が話す。
和樹が引っ越ししたと言っていたのは、そういう理由だったのか。
そういえば、俺が出て行った後の家が、どうなったのかなんて、知ろうともしなかった。
そりゃ、虐待の疑いのあった子供が傷だらけで歩いていたのは見かけられていただろうし、家からいなくなったのだって、すぐに知られただろう。

『ようやくね、落ち着いてきたの。今、家族としてようやくまとまって、皆で頑張って行こうって、気持ちを一つに出来たの。まるで一緒に住み始めた頃みたいに笑いが絶えない、家族になれたの。今、私たち、とても仲良くて、幸せな家族になっているの』

一緒に住み始めた頃。
笑う家族の会話に入れず黙っていると家族としての努力が足りないと怒られ、作り笑いをしていたら話に入ってくるなと和樹に怒られた。
確かに笑いの耐えない、温かい家族だった。
目の前にいる人達とはとても理想的な温かい家族だった。

『だからね、ごめんなさい。今、あなたがまた間に割って入ってきたら、家族がバラバラになってしまうかもしれない。だから、悪いけど、うちに接触するのは控えてもらえる?もう、バラバラにはなりたくないの。お母さん、とても大変な思いをして家族としてやってきたの。だから、壊したくないの』

母の言葉は必死な想いに満ちていた。
今までの苦労が思い出されたのか、少し涙ぐんでいるのか、鼻を啜る音がした。
とてもとても、苦労してきたのだろう。
大変だったのだろう。
母は、大切な家族を守るために今も必死だ。
今の幸せを守るために、必死だ。

だから、どうして俺が今になって電話をかけてきたのか、なんて質問すら浮かばないのだろう。
ただ、家庭を壊そうとする異分子を排除したくて、たまらないのだろう。

『本当に、ごめんなさいね。でもあなたも幸せなんでしょう?金銭的なことで困ってるなら、私がなんとかするから絶対にお義父さんに連絡したりはしないでちょうだい。今苦しいから満足なことはできないかもしれないけど、なんとかするから。でも、柏崎さんって裕福な方なんでしょ?不自由してないのよね?』

そうか、金が欲しくて電話した、と思われたのか。
電話をかけ直す前に色々考えたのだろうな。
俺が今度は、母の何を奪おうとやってきたのか、って。

大事な家庭をぶち壊した駄目な実子が、今もまた再び家庭を壊しに来た。
きっと母にとっての俺はひどく恐ろしいものに映っているのだろう。
母は夫と子供達を守るために、今必死に戦っている。

母は家庭を守る勇気ある勇ましい女戦士「。
俺は母を脅かす、凶悪なモンスター。

『………聞いている?ごめんなさいね。冷たいようだけど、私は、今の家族を守るの精一杯なの。本当にごめんなさい。でもね、あなたが出て行ってから本当に大変だったのよ。私、とても苦労したの。あなたがあんな………』

あんな和樹を怒らせるようなことをして?
あんな騒ぎを起こして出て行って?

なんて続けたかったのだろうか。
母がそこで言葉を切ってしまったので分からなかった。
ふっと一つため息をついて、声を改める。

『あなたには悪いとは、思ってるの。でも、今まであなた幸せだったでしょ?それなら………』

それ以上は、もう聞きたくなかった。
分かった。
もう分かったから。
もう分かったから、これ以上、聞きたくない。
お願い、聞かせないで。
俺が悪かったから、これ以上は言わないで。
もうあなたを脅かすようなことは、しないから。

「突然お電話してすいませんでした。もう、かけることはありません。勿論、黒幡の義父にも連絡したりはしません。これまで通り、接触することはありません。もう、そちらに近付くことは、今後一切ありません」

驚くほど落ち着いた声で、告げていた。
感情が一切籠らない、平坦な声だった。
母はほっとしたのか、大きくため息をついたのが分かった。
安心してくれて、よかった。
その言葉だけでも信じてもらえてよかった。

『………本当に、ごめんなさい』
「いえ、申し訳ありませんでした。電話ももうしないので、ご安心ください。それでは失礼します」

そこでこちらから電話を切った。
もう、謝罪も言い訳も聞きたくなかった。
これ以上あの人の言葉を、聞きたくなかった。
非通知の文字と、通話時間が携帯に表示されている。
通話時間は5分もない。
7年ぶりの会話と、絶縁宣言はたった5分で完了してしまった。

「あっは」

思わず笑ってしまう。
携帯か家の電話か分からないけれど、電話番号すら俺には伝えたくなかったのか。
ああ、最初にかけた時にかけ直すと言ったのは、俺にかけさせないためか。
万一にでも義父が出たりはしないように、牽制していたのか。
もしかしたらあの時は近くに義父がいたのかもしれない。
だからあれ以上会話したくなかったのかもしれない。

「あははは、あは、はは」

笑いが止まらない。
ああ、面白いな。
愉快で仕方ない。

俺ってなんて馬鹿なんだろう。
馬鹿な上に悪者だ。
平穏な家庭をかきみだして壊そうとする空気の読めない極悪人。
なんてひどい奴なんだろう。
そりゃ、そんな極悪人、大事な母の家族に、合わせる訳にはいかないだろう。
母はなんて立派な母なんだろう。

「はははははは、あはははは」

愛のことを聞く暇もなかった。
妹が生まれたなんて、教えてももらえなかった。
家族ではない極悪人に、教える義理はないよな。
そういえば俺が大学に入ったことすら、知らなかったみたいだった。

「あっははははは、は、はは」

何を思いあがっていたんだろう。
分かりあえるなら、向こうが後悔しているなら、俺と家族になりたいと言ってくれるなら。
何を調子に乗って上から目線で語っていたんだろう。
俺みたいなゴミに、そんなことを言う権利なんてないのに。

「ははは、はっ」

俺はとっても悪い奴。
人を傷つけ、人を不幸にするだけの存在。
いるだけで迷惑をかける人間。
母にも義父にも和樹にも、耕介さんにも先輩にも。

そんな俺が我儘ばっかり言うから、こんなことになった。
また人を不幸にするだけだった。

だからこの痛みは、与えられて当然の痛み。
高望みをした馬鹿に与えられる、当然の罰。
だから、もっともっと痛みが欲しい。

粉々に壊れて、何も感じないようになるくらい、痛みが欲しい。
今のこの痛みを上回るぐらいの、痛みが欲しい。

俺は凶悪なモンスター。
だからお願いです勇者様、どうか俺を倒してください。



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