「鷹矢、いらっしゃい」

用事のついでに寄ってくれた鷹矢を、玄関先まで出て迎える。
先輩によく似た面差しの、けれど少年らしさと柔らかさを残した青年が笑って手を上げる。

「こんにちは。はい、これ、頼まれてたゲーム。本体ごといいよ。俺最近やってないから」
「ありがとう」

テレビゲームをやったことがないと言うと、鷹矢に貸すと言われた。
渡されたものは携帯用のゲームらしく、両手に少しあまるほどの大きさだ。
パソコンのトランプゲームくらいはやったことがるが、俺に出来るのだろうか。

「とりあえず上がって。お茶淹れるな。何がいい?」

二月の初旬ははまだまだ寒く、鷹矢の鼻も真っ赤になっていた。
ココアやはちみつ入りの紅茶なんていいかもしれない。

「なんか、いいことあった?」
「え?」
「すごい、表情が柔らかい」

鷹矢は靴を脱ぎながら、何気なく聞いてくる。

「………」
「なんだよ」

思わずその顔をじっと見つめてしまうと、怒ったように頬を赤くして唇を尖らせた。
そんな様子は可愛らしくて年下って感じなのだが、時折ひどくしっかりしている。

「俺って、本当に分かりやすいんだな」
「え?」
「先輩にも言われた」

この前、先輩にも言いあてられた。
俺はあまり表情が動かないから分かりづらいと、友達には言われてばかりだったのに。
実家にいた頃も、何を考えているのか分からないって何度も言われた。
耕介さんや新堂さんや千代さんには丸わかりだったが、それはあの人達だからだと思っていたのだが、実はとても分かりやすい人間だったのだろうか。
顔をぺたぺたと触っていると、鷹矢は不思議そうに首を傾げる。

「無表情な分、わずかな違いが分かりやすいのかな」
「でも、友達にもあまり言われないんだけど。池の人達が、鋭いのかな」
「まあ、峰兄は鋭いと思うけどね。あの人、人のことどうでもいいくせに、すごい観察力とか洞察力はあるんだよね」
「器用な人だよな」

先輩を心酔する鷹矢らしい言葉に、少しだけ笑ってしまう。
けれど確かに先輩は人の感情を読み取る能力なんかはすごい。
まあ、読み取ってそれに気を配るかといえば話は違うのだが。

「なんか、甘い匂いがする。また何か作ったの?」

居間に入ると、鷹矢が小さく鼻を鳴らす。
最近は色々試作を作っているので、台所に甘い匂いが染みついてしまいそうだ。
年代物のオーブンレンジしかないが、最新式のオーブンが欲しいと思っているところ。

「にんじんのクッキーとフォンダンショコラあるんだけど食う?」
「今日は和菓子じゃないんだ。もらいもの?」
「ううん、作った」
「とうとうそこまで!?」

目を丸くして、驚いた声をあげる鷹矢。
先輩と同じことを言っている。
俺は思わず吹きだしてしまった。

「なんだよ」
「先輩にも同じようなこと言われた」

なんだかおかしくて、笑いが止まらなくなってしまう。
顔以外は全然似ていない兄弟だけれど、やっぱり兄弟なんだな。
血のつながりがある、家族だ。

「なんか本当に楽しそうだな」
「そう、かな」

笑っていると、鷹矢も表情を緩めて笑ってくれた。
先輩と同じ造作をしているのに、どうしてこうも受ける印象が違うのか。
鷹矢の笑顔はとても優しくて可愛くて、ほっとする。

「甘いものってさ、小さい子好きだよな?」

俺はさっき焼いたばかりのケーキと、冷蔵庫にいれてあったショコラを取り出して皿に盛る。
それを興味深そうに見ていた鷹矢が、曖昧に頷く。

「え、うん。好きなんじゃないのかな?従兄弟とか見てても、お菓子好きだと思うよ。まあ、教育方針で食べさせないって家もあるみたいだけど」
「あ、そっか。どうなんだろ」
「何、誰かにあげるの?」
「うん」

愛は、お菓子を食べても大丈夫なのだろうか。
あ、それよりアレルギーとかあったら大変だ。
卵アレルギーとかだったら、覚えたレシピを全て一からやりなおさなきゃいけない。

「お前ってどうしてそう、食べ物尽くしにしようとするんだろうな。本当に思考がおばさんくさい」
「………駄目かな」

俺があげられるものって考えると食いものしかないんだよな。
おもちゃとか服とかは何を好むのか分からないし、持っているかもしれないし、お花なんて小さい子はどうでもいいのではないだろうか。
となるとやっぱり食いものになってしまう。

「いや、まあ、いいと思うけど。お前のメシうまいし」
「うまい?」
「うん」

普段から鷹矢は何かを食わせると美味しいと言ってくれる。
大川や松戸も言ってくれるが、やっぱり美味しいと言われるのは嬉しい。
千代さんと比べたら全然まだまだだが、俺が人に褒められる数少ないものだ。

「鷹矢、マジ大好き」
「………そういうことは峰兄に言っておけ」
「あの人の手と才能は大好き」
「………」
「あ、後、いやなんでもない」

体とセックスも好きって言おうとしたが、この前鷹矢にそういうのはやめろとたしなめられたのを思いだした。
確かに俺だって耕介さんが新しい恋人が出来たとして、セックスの話とかされたら嫌だ。
嫌だってレベルじゃなくて嫌だ。
俺はとても無神経だったらしい。

「なんだよ」
「いや、言ったら怒られる」
「うん、なんとなく予想ついたから言うな」
「分かった」

紅茶を淹れて、居間の方に運び、午後のお茶にする。
やっぱり食べるところをじっと見てしまう俺に、鷹矢は何か言いたげな顔をしていたが諦めてお菓子を食べる。

「どう?」
「うん、フォンダンショコラの方は俺にはちょっと甘いけど、野菜の方は野菜の甘みも出ててうまい」
「これなら、小さい子も食べれるかな」
「ショコラの方はまだ早いんじゃないか?俺には甘いけど、苦みもあるし。もうちょっと食べやすいのにすれば」
「そっか。そっかな。うん、せっかくならこれリキュール系入れた方がおいしそうだし、こっちはホワイトデー用にする」
「うん」

ラム酒をいれて甘さをもっと控え目にすれば、大人向けのケーキになるかもしれない。
それじゃ、愛にはクッキーの方にしよう。
あ、かぼちゃのケーキも作ってみようかな。

「誰にあげるの?」
「妹」
「妹いるの?」
「いたらしい」

見たこともない、小さな少女。
俺と半分だけ血のつながった、家族。
あの笑顔を思い浮かべると、心がきゅーっと熱く鳴る。

「は?」

鷹矢がフォークを動かすのを止めて、こちらに視線を移す。
まあ、当然の反応だ。
俺だって驚いたし。

「この前、義弟、来てただろ。それで少し話をしてるんだけど、母と義父の間に子供生まれたらしくてさ。愛っていうんだって。四歳。あ、写真あるんだ。すごいかわいいんだ」

携帯を取り出して、フォルダの中にいれてある少女の写真を出す。
手をいっぱいに伸ばして無邪気に笑う少女は愛らしく、この顔を見たら誰だって笑ってしまうだろう。
小さな小さな、俺の妹。

「な、かわいいだろ」

けれど鷹矢は笑顔にならずに、写真ではなく真面目な顔で俺を見ていた。
目を少しだけ細めているその険しい表情は、どきりとするほど先輩に似ていた。

「………義弟って、この前の奴だよな?」
「うん」
「それで、かなり酷いことした奴、だよな」
「うん」

いまだに和樹のしたことは忘れられない。
体にいくつもついている傷も、忘れることを許さない。
今の和樹があんなに親しげに接して来ても、やっぱり嫌悪感や恐怖感は消えない。
目の前にいると、緊張して吐き気がする。

「実家、帰るのか?」
「………うん、義父さんと、母さんも会いたいって言ってくれているらしくて。だから、一度、行こうかと思う。この子にも会ってみたい」

会いたいと、言ってくれるのなら、会ってみたい。
もしかしたら、あの頃とは違った関係が、築けるかもしれない。
大人になったら変わるって、皆言っていた。
それなら俺たちだって、いい関係を築くことは出来るのではないだろうか。
新しい家族は、それを助けてくれるのではないだろうか。

「………そう、か」

鷹矢は難しい顔をしたまま、そっと目を伏せた。
その顔を見ていたらなんだか無性に不安になって思わず声をかけてしまう。

「鷹矢」

すると鷹矢は顔を上げて、静かな顔でゆっくりと話し始める。
真剣な顔は、ひどく大人びていて俺よりも年上に見える。

「お前がいいなら、いいんだけどさ」
「うん?」
「そのこと、峰兄は知ってる?」
「言ってない。先輩には関係ないことだし」
「………」

これは俺の家族のことで、先輩には関係のないことだ。
あの人は俺の家族に興味もないだろうし、言ってどうなるというものでもない。

「じゃあ、お前の保護者には?言ったか?」
「………」
「言ってないんだな?辛い目に遭ってたお前を実家から助けてくれて守ってくれた人なんだろ?」

鷹矢の言うことはもっともで、今度は俺が言葉を失う。
あの実家から引き離してくれた耕介さんに、和樹のことも家族のことも何も言っていない。
それがどんだけ恩知らずで、そして失礼なことかは、分かっている。
鷹矢はややきつい口調で、答えられない俺を更に追い詰める。

「なんで言わないんだ?」
「………多分、止められると、思うから」
「なんで止められるか、分かってるか?」
「………」

鷹矢は、逃がしてくれない。
耕介さんが止めようとする理由、それは分かりきっている。

「俺を、心配して、守ってくれようとして、止めると思う」
「だよな」

分かってるならいい、と言って一つ頷く。
優しくて少し気が弱いようにも見えていた鷹矢は、一転とても大人びた顔で俺の目をじっと見ている。
俺は叱られた子供のように情けなく視線を逸らす。

「それでも守は、今まで散々助けてもらった保護者に何も言わずに実家に行くの?」
「………」

もともと隠し事を嫌う人だ。
和樹と会ったことも告げなかったことに、とても怒るだろう。
新堂さんもきっと怒る。
俺を心配して、守ろうとして、怒ってくれる。

こんなことで二人を煩わせたくない。
もう十分迷惑をかけている。
だから、あまり迷惑をかけたくない。
それはある。

そして、止めて欲しくない。
あの二人に止められたら、きっと俺は従ってしまうから。

「ごめん、言いすぎた」
「いや」

鷹矢が黙りこんでしまった俺を見て、少しだけ口調を和らげてくれた。
言いすぎなんかじゃない。
鷹矢のいうことはもっとも過ぎて耳が痛かっただけだ。
むしろ言ってくれたことには感謝をしている。

「守は、家族に会いたいの?」

穏やかな声のまま、聞いてくる。
それは何度も何度も、俺自身が反芻したこと。
俺はあの人達に会いたいのか、会いたくないのか。

「………迷ってた。今も迷ってる。会いたくない。でも、会ってみたい。でも、あの人達が本当に俺に会いたいって言ってくれるのか、信じられない。今だって半信半疑。なんで和樹があんなに屈託なく話しかけてこれるのかも分からない。俺はいまだに過去を引きずってるのに、和樹は忘れてしまったみたいだ。いまだに和樹と一緒にいると、気持ち悪くなる」
「………」

俺を家族の中のサンドバッグにして、幸せになろうとしていた家族。
俺が和樹に殴られて責められていれば、義父も母も幸せだった。
あの家では、それが当然のことだった。
異常な常識が支配していた空間。
思いだしたくもない、真っ暗に塗りつぶされた家。

「でも、この前、母さんに電話したら、俺のこと、覚えててくれたんだ。また電話してくれるって、言ったんだ。和樹が、家族としてやりなおしたいって、言ってくれたんだ。妹がいるんだ。俺の、血のつながった、妹。会いたい。会ってみたい」

それでも、最初は、家族になろうと努力した人達だ。
一時でも家族になろうと誓った人達だ。

「信じられない。やっぱり信じられない。あの人達のことを信じられるのか、分からない。でも俺は」

何度も期待して、打ち消して、それでも期待して、また打ち消して。
頭が痛くなるほどに考えた。
そして、分かってしまった。

「信じたいと、思ってる」

俺はあの人達に、まだ期待している。
俺があの人達を諦めきれないように、あの人達も俺のことを後悔して、受け入れてくれないだろうか。
妹が生まれて、何かが変わったのではないだろうか。
あの小さな女の子をきっかけとして、俺もあの輪に入ることができないだろうか。
和樹があんなに親しげになったように、義父や母も、笑いかけてくれるんじゃないだろうか。

「………」
「馬鹿、だよな。分かってる、馬鹿だよな。でも、期待してるんだ。あの人達が少しでも後悔していてくれて、俺ともう一度向き合いたいって思ってくれているんなら、俺も向き合いたいって。家族になりたい、って」

あの人達と笑って会話が出来るようになりたいって、あの頃ずっと望んでいたのだ。
傷つけあう関係を作りたかった訳じゃないのだ。

「勿論、俺の一番大切な人は耕介さんだ。それは変わらない。それはもう、変えることはできない。でも、でも………」

耕介さんは俺の一番大切な人。
万が一家族として黒幡の家と付き合えるようになっても、あの家に帰ることは考えられない。
俺の帰るところは、耕介さんと先輩のところ。
誰よりも大切な、二人の人間。
それでも、母や義父や和樹と達とわだかまりをなくして分かりあえたらと思ってしまう。

「分かった」

鷹矢がため息交じりに頷いた。
俯いていた顔をあげると、鷹矢はやっぱり難しい顔をしていた。

「………」
「でも、会いに行く前に、必ず保護者と、峰兄には言っておけ。お前は二人に世話になってる身だろ?それは、義務であり責任だと思う」
「………うん」

確かに、そうだ。
特に耕介さんには俺の実家のことであんなに迷惑をかけたのだ。
耕介さんと新堂さんには言わないと、失礼過ぎる。
それに黒幡の家と耕介さんがどういう取り決めをしているのか分からないが、勝手に動いたら何かまずいことになるかもしれない。
言おう言おうとは思っていたのだが、鷹矢に促されようやく決意する。

「でも、先輩は今、忙しいみたいだから、落ち着いたら、話す」
「………」

鷹矢はそれについては何も言わなかった。
その代わり、テーブルの上においた俺の腕をぽんと叩く。

「守、俺は多分恵まれてるし、お前がどんな気持ちを家族に持っているかは分からない」
「うん」
「でも、お前の友人として、お前が傷つくのは嫌だ。だから、お前が傷つくようなことはするなよ」

鷹矢のまっすぐで、そして温かい言葉に、胸がいっぱいになる。
前に松戸と大川にも同じようなことを言われた。
俺が傷つくことが哀しいと言われた。
俺も彼らを傷つけないようにしようと、誓った。
俺は、傷ついたりしたらいけない。
俺は幸せにならなきゃいけない。

「………うん」
「後、お前の保護者も友人も、そう思ってることは忘れるなよ」

強張っていた顔が、自然と緩んで笑顔を作る。
どうしてこんなに鷹矢はいい奴なんだろう。
俺みたいな奴に、こんな言葉までくれるなんて。

「多分、峰兄も心配してるから」
「それはどうだろう」

しかし続けられた言葉に、つい首を傾げてしまった。
言った本人も自信がなかったのか、ちょっとだけ視線を逸らした。

「………うん。まあ」

そして顔をお互い見合わせて、吹きだしてしまった。
温かさに満ち溢れた心に、勇気が沸いてくる。
今日にでも、耕介さんに連絡して、自分の気持ちを言おう。
連絡があったこと、会ってみたいと思っていること。
そして、今まで言わなかったことを謝ろう。
耕介さんは絶対に、分かってくれる。

「鷹矢って、本当に年上みたいだな」
「お前が頼りなさすぎるんだよ!」

そんなことを言うのも、先輩と鷹矢ぐらいだ。
心から信頼できる保護者に、人生を捧げてもいいと思える人、そして俺を心配してくれる優しい友人達。
俺は、なんて恵まれているんだろう。
本当、なんてなんて、恵まれているだろう。

俺はこの、大切な人によく似た友人に、心から感謝をした。



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