鷹矢に外に連れ出されると、思ったよりも強い日差しに眩暈がした。
見上げると冬の白みがかった空が広がっている。
ああ、綺麗な、ライトスカイブルー。
いい天気だったんだな。

「腹減ってる?」

鷹矢に腕を引かれるまま、駅に連れて行かれる。
聞かれて考えるが、よく分からない。
喉は、とても渇いていた。

「………分からない」
「最後にいつ食べた?」
「昨日の、昼、かな」

朝昼兼のブランチだった気もするけど、よく覚えていない。
昨日の朝は、お菓子作りして、楽しくて、そうだ、昼過ぎには鷹矢が来たんだった。
じゃあ、昨日も今日も、鷹矢に会ってるのか。
なんだかひどく、遠い昔のような気がする。

「じゃあ食おう。パスタでいい?」
「うん」

駅前で特に選ぶこともなく、傍にあったイタリアンの店に入った。
昼からちょっとずれているせいか、店の中は空いていてすぐに入れる。
出された水を一気に飲み干すと、鷹矢が自分の水もくれた。
二杯めの水も飲み干して、ようやく頭がすっきりとしてくる。

「………」

着たままだったコートを脱ごうとするが、指がかじかんでうまく動かない。
氷が入った水のグラスが、冷たかったことにようやく気付いた。
そういえば、外も寒かったんだな。
あんまり分からなかった。

適当に頼んだパスタは、すぐに出てきた。
学生街らしく、洒落っけはないがボリュームはたっぷりだ。
学食で食べることが多いので、この店に来たことはなかったけど美味しそうだ。

「ほら、冷えない内に食べろよ」
「うん」

食欲は感じなかったが、フォークで巻き付けて口に運ぶ。
温かいスパゲッティを咀嚼すると、口の中にクリームソースの甘みが広がった。
水を飲んで冷えていた胃がじんわりと温まって行く。
スパイスの黒胡椒が、空腹を呼び覚ます。

「………うまい」
「よかった」

俺が食べ始めたのを見届けてから、鷹矢も自分の分のペペロンチーニを食べ始める。
先輩と同じように、食べ方がとても綺麗だ。
こんな古びた店でも、まるで一流のイタリアンの店のように感じる。

「うまい、な」
「うん、美味しい」

段々と、自分が腹が減っていたことを、思い出す。
アルデンテのスパゲッティが、刻まれたマッシュルームが、胡椒の効いたクリームソースが、胃を満たして行く。

「これ、どうやって作るんだろ。クリームソース、おいしい。マッシュルームと玉ねぎと、ソースはホワイトソースベースに胡椒と白ワイン、かな」
「ん?どうした?」
「家で作れたらいいなって」

ミートソースとかナポリタンとか簡単な家庭的なものは作るが、あまりこういう気の効いたものは作らない。
今度、家で作ってみようかな。
鷹矢が、考え込んでパスタを噛みしめる俺を見て笑う。

「へえ、俺そんなこと考えて食べたことなかったな。やっぱり料理作る人間は違うな」
「うまいもん食ったら、作りたいと思わない?」
「俺、料理作ろうと思わないし」

そうか、そういうものなのか。
つい美味しいものを食べると、材料とか作り方とかを考えてしまう。
まあ、それが再現できるかと言われれば別なんだけど。

「料理、好きなんだな」
「うん、好き。おいしいもの食べるの、好き」
「お前、おばちゃんみたいに人に食わせようとするしな」
「自分の作った料理、おいしいって言ってもらえると嬉しい」
「峰兄は言うの?」
「聞けば言ってくれる。聞かなきゃ何も言わないけど。文句言わずになんでも食ってくれるし、聞けば美味しいまずいってはっきり言ってくれるから参考になる」

ある意味、作りがいのある人だ。
まあ、何も聞かなきゃ無反応なので、その点ではつまらないのだが。
でも、たまにアドバイスをくれたりするのでありがたい。
料理なんてしないくせに、舌と勘がいい。

「お前の料理、和食が多いけど洋食も作るんだ」
「うん、たまには。教えてくれた人が年配の人だったから和食が多いけど」
「誰が教えてくれたの?」
「千代さん。俺の今の保護者のところでずっと働いている家政婦さん」

初めて食べた、千代さんの料理を思い出す。
あれは、公園で食べた、耕介さんのお弁当だった。
大きなおにぎりの具は、牛肉のしぐれ煮で、初めて食べた味にびっくりして、それでもとても美味しかった。
初めて耕介さんの家で食べた料理は、具だくさんの炊き込みご飯と豚汁。
それにかぼちゃの煮つけとおひたしと魚の煮つけ。
食べきれないほどいっぱいにテーブルに乗った料理に歓声をあげた。
出来たての料理を食べたのは久しぶりで、誰かと楽しく会話をしながら食べるのも久しぶりで、本当に本当に、美味しかった。

「へえ、教えてくれたんだ」
「うん。一人暮らししても困らないようにって、家事全般教えてくれた。すごい、料理がうまい人」
「お前の料理を食えば分かる。それに、丁寧に教えてくれたんだな。いい人だな」

顔をあげると、鷹矢は穏やかに笑っていた。
胸が、ずきんと、痛くなった。
そう、千代さんは厳しくて怖くて、でもとても優しくて、いい人だ。

「………うん。すごい、優しい人」

鷹矢は朗らかに笑って、頷いてくれる。
胸がずきずきずきずき、痛む。

「お前の保護者も、いい人なんだろうな。お前が困らないように全部整えてくれている」
「………うん。すごい、いい人」

ああ、痛い。
なんだろう、さっきまでの痛みとは、全然違う。
けれど、胸が痛い。

「名前、なんていうの?お前の保護者」
「………耕介さん」
「そう、耕介さんのこと、好き?」

耕介さん。
俺の大好きな耕介さん。
俺をずっとずっと守って導いて愛してくれた、大事な大事な人。
俺の全てだった人。
ずっとずっと、一緒だと信じていた人。

「好き」
「そう」

鷹矢はただ頷いて、いつのまにか食べ終わっていたのかフォークを置く。
そして俺の目をまっすぐに見て聞いてくる。

「その人は、お前のこと大事にしてくれる?」
「うん」
「そっか」

大事にしてくれた。
とてもとても大事にしてくれた。
赤の他人の、馬鹿な子供にしか過ぎない俺を慈しみ守ってくれた。
俺を心から、愛してくれた。

「………耕介さんは、俺のことすごく大事にしてくれて、過保護なぐらい守ってくれて、ずっと、一緒にいてくれた」
「そうか。ずっと、一緒にいたんだな」

そう、10年間、出会ってからずっと、一緒にいた。
ずっと一番大切な人だった。
誰よりも俺を愛してくれて、俺も誰よりも好きな人だった。

「………」

鷹矢は、食後のコーヒーを頼む。
それから黙りこんだ俺に、まだ半分も食べていない皿を顎でさす。

「冷めるよ」
「………うん」

ズキズキと痛む胸を抱えながら、俺はまたフォークでスパゲッティを口に運ぶ。
スパゲッティはとてもとても、おいしかった。



***




叫び声と笑い声が響きわたって、ガタガタと機械の音が耳に痛い。

「鷹矢、男二人でジェットコースターって痛くない?」

その後連れてこられたのは、遊園地と呼ぶほどでもないがいくつかのアトラクションが設置されている入場料のいらないテーマパーク。
ビル街の中にあるジェットコースターには、春休みだからか学生らしい人間が並んでいた。
カップル、カップル、女同士、男の集団、カップルカップル、女集団。
男二人と言うのは俺たちしかいない。
俺は別に構わないが、割と寂しい人達のようだ。
鷹矢は辛そうに顔を顰める。

「言うな、分かってるから。ここに男二人でいる今の時点で大分痛いから」
「じゃあ、なんで?」

鷹矢は先輩と違ってこういうことを結構気にしそうなタイプなのに。
すると一つ下の友人は、困ったように苦笑する。

「大声出したらすっきりするかもしれないだろ?お前カラオケってタイプでもなさそうだし」
「俺、カラオケ好きだよ」
「え、お前歌うの!?もしかしてJ-POPとか歌ったりするの!?」
「普通に歌う」
「マジか!?クラシックしか聞かないとか言うのかと思った!」
「ああ、なんかよく言われるな、それ」

クラシックも好きだけど、別になんでも聞く。
カラオケにも友達と行くが、確かに歌うと驚かれたりする。

「じゃあ、そっちの方がよかったかな」
「でも、俺ジェットコースター乗ったことない。乗ってみたい」
「乗ったことないの!?」
「うん。遊園地ってそう言えば行ったことないな。小さい頃はあったのかもしれないけど、覚えてない」

実の父がいた頃に行ったことはあったかもしれない。
でもその頃はジェットコースターなんて乗れなかっただろうし。
黒幡の家に来てからも、遊園地はいった覚えはない。
一回皆で動物園には行ったことあったっけ。
でも、それ以外は一緒に出かけたことなんて、なかった。

「今の保護者とは?」
「耕介さんがジェットコースターなんて乗ったら死んじゃう」
「はは。今何歳なの?」
「64歳」
「まだまだいけるだろ」

どうなんだろう。
確かに年の割には若々しいと思うのだが、それとは逆に落ち着き過ぎてて年よりも上に見える時もある。
耕介さんがジェットコースターに乗ってる姿なんて全く想像つかない。
やっぱり死んじゃいそうだ。
新堂さんはガンガンいけそうだけど。

「耕介さんとはどんなところ行ったの?」
「美術館とか、博物館とか、海とか、公園とか、コンサートとか」
「格調高いな。楽しかった?」

耕介さんは色々なものを見せてくれた。
狭い、真っ暗な世界しか知らなかった俺に、綺麗で広くて色彩に溢れた世界を見せてくれた。
世界はどこまでも広大なのだと、教えてくれた。

「………うん。楽しかった」
「そっか、よかった」
「………」

そんな話をしている間に、俺たちの順番が来た。
今戻ってきた人たちは髪をぐしゃぐしゃにしながらも笑顔で、とても楽しそうだ。

「ほら、乗るぞ!」
「うん」

鷹矢が張りきってジェットコースターの椅子に乗りこんでいく。
俺もその後ろに、少し心が浮き立つのを感じながら続いた。



***




「なんでお前、真顔で乗ってるんだよ。やたらと姿勢いいし」

一周して帰ってきたら、髪がぐしゃぐしゃになっていた。
同じようにぐしゃぐしゃになっている髪を直しながら、鷹矢がなぜか不満そうになじってくる。

「いや、どういう反応したらいいのか分からなくて」
「怖くなかったの?」
「景色が綺麗だった」
「なんでそんな余裕あるんだよ」

ジェットコースターのてっぺんでは、ビル街が一望出来て、とても綺麗で清々しかった。
思い切り風を受けてぐるぐる回って、重力で脳みそを掻きまわされるのは気持ちが良かった。
冬に乗るには少し風が冷たくて寒いが、頭がしゃっきりとしてくる。

「楽しかった?」
「すっごい楽しかった」

初めて乗ったジェットコースターは思ったよりもとても楽しかった。
早く動いて回るだけの乗り物の何が楽しいのか分からなかったが、かなり気持ちがいい。
心と頭が、空っぽになったような感じがする。

「………鷹矢」
「ん?」
「もう一回乗っていい?」

恐る恐る聞くと、鷹矢はにっこりと笑ってくれた。

「いいよ」


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