「お前、本当に生物として終わってるな」


日和



生徒会室をノックすると、中から朗らかな声が入室を促した。
許可を得たので黙って扉を開ける。

「日和か」

中にいた人物は一人。
生徒会室を私物化して、ソファに座って本を読んでいた。
柔和な笑顔を見せていたが、私の顔を認めてすっと無表情になる。
笑顔を作るのが勿体ないというように。
というか勿体ないのだろう。
別にそれは全然問題ない、ていうかどうでもいい。

「………」

黙って近づいて、2通の手紙を差し出す。
いつのものことなので、健一郎も何とも聞かずに受け取った。

「またか、どうも」
「3組長野、6組矢野」
「了解」

その手紙を託した人間を端的に伝えると、一つ頷いた。
記憶力のいい人間だ。
それだけで誰だか分かったのだろう。

「今時ラブレターもないもんだけどな」
「………」

私もそれはそう思う。
なんともレトロだ。
ていうかいっそそれぐらいするならお約束を踏襲して下駄箱にでも入れて欲しい。
人に渡すのはやめてほしい。
と思うが口を開くのも面倒くさい。

「随分疲れてるみたいだな」
「………」

私が口を開かないので、健一郎は軽く肩をすくめた。
長い付き合いだ。
健一郎は別に私が答えなくても何とも思わない。
まあ、長い付き合いでも真理や翔太は答えを促すのだが。
健一郎は自分が座っている長いソファを軽く指さした。

「寝ていっていいぞ」

その言葉にありがたく私はソファに座り込んだ。
家に帰って家族の相手をするのもまた疲れる。
眠りはしないが、しばらくは何もしたくない。
ひじ掛けにもたれかかって目を閉じる。

「………」

健一郎は特に私に気をはらわずページをめくっている。
その静寂が心地よい。
これが真理や翔太だったら質問攻めにされていただろう。
この男のこういうところは好きだ。
私の存在なんてどうでもいいという態度がとても気持ちがいい。

「………」

ページをめくる音をただ聞いていると、段々と眠くなってくる。
何もせずにまどろむ時間は何よりも大好きな時間だ。

「食うか」

うとうとと半覚醒の状態を楽しんでいると声をかけられる。
ソファの前のテーブルには焼き菓子が並んでいた。

「食べる」

少しだけ復活してきたので、起き上がってフィナンシェを一つ貰う。
また誰かに貰ったのだろうか。
この男は見た目も頭も運動神経もいいし、その外面のよさもあるのでモテる。
それはもう、迷惑な程に。

「健一郎、早く彼女作らない?」
「作らない」
「そう」

それなら、この苦行はまだ続くのか。
先ほども女子に取り囲まれた。
健一郎には彼女がいるのか、もしかして私と付き合っているのではないか、真理との仲はどうなのか、どういう性格なのか、何が好きなのか、牽制、興味、敵愾心、へつらい、伺い。
あらゆる感情で健一郎の情報を私から引き出そうとする。
相手にしていると、大分体力を削られる。
この男が特定の人間を作らないのは知っているので無理強いすることもできない。
無理強いするのも面倒くさい。

「健一郎ってゲイ?」
「どうだろうな。別に翔太にだって欲情したりしない」
「そう」

いっそ、男が好きなのだという噂を流したら楽にならないだろうか。

「変なこと考えるなよ」
「分かってる。一回考えたけど、多分そっちの方が面倒くさい」

気付いたのか、健一郎が制止する。
けれどそんなことになったら、余計に色々聞かれるかもしれない。
それはそれで、面倒くさい。

「ああ、でも、翔太が俺の下で泣き叫んで許しを乞うとか考えると割と勃ちそうだ」
「そう」

それは健康的なことで何よりだ。
翔太の泣くところなんて見て楽しいのだろうか。
まあ、楽しいかもしれない。
けれどその感情に触れるのは面倒くさそうだ。
並みいるかわいらしい女の子ではなく、執着するのがあの面倒くさい子。
どうも昔プライドを傷つけられた辺りから来ているようだが、難儀なことだ。
もっと楽できる道がいくらでもあるだろうに。
健一郎も大概歪んでいる。

「お前は真理子に欲情したりしないのか」
「ない。面倒くさい」
「お前、本当に生物として終わってるな」

誰に対してもそんな感情を抱いたことはない。
真理を見ているのは好きだが、触れたいとか必要以上に接したいとも思わない。
それが人として間違っているということは、私もよく分かっている。

「ほら、最後」
「ありがとう」

健一郎が手にとったクッキーを口に入れてくる。
私は逆らわずに、そのまま直接口に入れた。
有名店のクッキーはさくさくと歯触りがよく甘くておいしい。

「真理とかどう?」
「観賞用だな」

それは心から賛同する。
あの子を観賞しているのは、とても楽しい。
綺麗で可愛くて歪つで醜い。
興味深い観賞物。
あの子はずっと見ていても飽きることはない。

「………疲れた。あんたが早く誰かと付き合ってくれればいいのに」
「そしたら今度は翔太の話か、俺がいつ別れるかを聞かれるさ」
「………」

確かにそうなのかもしれない。
健一郎に近づかないようにしたら全て解決だろうか。
今度からそうしてみようか。

「疲れた」

横になりたくて、そのまま私は健一郎の膝に倒れ込む。
体を支えているのすら面倒だ。
このまま呼吸も思考も何もかもを停止してしまいたい。
でも苦しかったり痛かったりするのも面倒だ。
健一郎は特に何も言わずにページをめくっている。
そのまままたとろとろと眠くなってくる。

「健一郎、いるか。日和がここにいると聞いた」
「入っていいぞ」

その時ノックがして、よく知った声が聞こえた。
ああ、起き上がらないとなあと思ったが、起き上がるのが面倒だった。
ここで起き上がらないと余計に面倒なことは分かっていたが。

「日和!」

扉が開けられたかと思うと、想像通りの焦った声が聞こえた。
わずかに少年の面影を残した、高めの声。

「何してるんだ!」

つかつかと近づいてきたかと思うと、思い切り腕を引っ張られ起き上がらせられる。
いつもまっすぐに私を見ている目が、怒りと苛立ちに揺れている。
掴まれた腕が痛い。
ああ、本当に面倒な子だなあ。

「健一郎」
「俺じゃない、そいつが勝手に寄りかかってきた」
「………」

健一郎が小さくため息をついて、私を顎で指す。
翔太の視線が私に移る。

「日和」
「その通り」

本当のことだったので、ただ頷いた。
疲れたから横になったら、ただそこに健一郎の足があっただけの話なのだが。

「帰るぞ!」

ぐいっとひっぱられてソファから引きずり降ろされる。
ああ、面倒くさい。
でもここで抵抗するのも面倒くさい。
今日は面倒くさいことばかりだ。

「それじゃ、ご馳走様」
「じゃあな」

ずるずると引きずられるように生徒会室から引っ張っていかれながら手を振る。
健一郎も本に目を落としたまま、ひらひらと手を振った。
ああ、せっかく居心地がよかったのに。
健一郎一人しかいないあの空間は好きなのだが、なぜだか翔太がどこからともなく現れてぶち壊す。

「お前は人に警戒しなさすぎだ」
「そういう訳じゃないけど」

むしろ必要以上に警戒しているだろう。
何かトラブルになっても、深く踏み込まれても面倒だ。
翔太が、不快そうにその太い眉を吊り上げる。

「どうして健一郎にはそうやって無防備なんだ」
「………」

無防備。
そうか、そういえばそうかもしれない。

「確かに、そうかも」

頷くと翔太はますます嫌そうな顔をした。
自分で言った癖に、自分で不快になるなんて難儀な子だ。

「健一郎はあんまり面倒くさくない」

健一郎は何も聞かない。
何も求めない。
何もしない。
何も与えない。
ただそこにいる。
まるで空気のようにそこにいる。
そう、まるで空気だ。
だから、面倒じゃない。

「いてもいなくても一緒だから」






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