「あんたみたいに人生のなんの役に立たない棒振りしてるのとは訳が違うのよ」 一通りの稽古を終えて汗を拭いていると、視界の片隅に見知った姿が映った。 剣道場の入口に、背の高い眼鏡の女が立っている。 「日和」 慌てて近づくと、日和が軽く手を上げる。 人が大勢いるせいか笑顔を浮かべているが、やはり面倒そうだ。 こいつがここに来るなんて珍しい。 俺が会いに行かない限り、こいつと会えることなんてほとんどない。 「どうしたんだ?」 日和は黙って手に持っていたバッグを差し出した。 それは俺の家のもので、日和がここまで訪れた理由がすぐに判明した。 「はい、これ。あんたのお母さんに頼まれた」 「ありがとう」 少し落胆したが、納得はする。 それはそうだ、日和が自発的にここに来るはずがない。 外面だけはいいから、母に頼まれたのだろう。 分かってはいても、少しだけ期待してしまうのには自分でも呆れる。 「それじゃ」 義理は果たしたとばかりに日和がさっさと帰ろうとする。 ちょうど休憩に入っていた部の人間たちもこちらを見ている。 目立つごとが大嫌いな日和としては注目を浴びるのが心底面倒なのだろう。 「もう行くのか?」 「ここにいても仕方ないし」 「でも」 しかし、久々に会えた日和ともう少し話したくて引き留めてしまう。 その時、日和の後ろから耳障りな甲高い声が聞こえた。 「しつこい男は嫌われるわよ?」 勝気そうな顔をした、背の低い女。 馬鹿にするように笑って、俺を見上げている。 一応幼馴染と言えるような立場だが、親しみといったものは一切持つことはできない。 「いたのか」 「いるわよ。頭だけじゃなくて目まで悪くなったの?頭も顔も目も悪いなんて三重苦で可哀そうね」 ぺらぺらと小さい舌はよく回る。 こんなにもよく話せるものだと、時折感心すらする。 「あ、ちょっと待ってて」 日和はその時、後ろから通りかかった教師に呼ばれてそちらに行く。 必然的に、残されたのは俺と真理子の二人。 きゃんきゃんとよく吠える女は、日和の後ろ姿を目で追っていた俺を見て嗤う。 「あんたって本当に日和が好きよね。あの女のどこがいいの?」 「お前には関係ない」 「ま、興味もないけど」 この感情は好きという感情だろうか。 自分でもよく理解していない。 日和に認めさせたい。 あの何にも感情を表わさない無関心な女の、関心を向けさせたい。 そうすれば、きっと勝利のあの高揚した気分を味わえるだろう。 この感情は、他の誰にも抱くことはない。 これは好きという感情なのだろうか。 「本当にあんたって、頭と顔と目に加えて、性格も悪いわよね。なんもいいとこない」 犬に吠えられても、特に何も感じることはない。 ただ噛みついてくるのがうざったいだけだ。 「お前に言われたくないな。頭の悪さはお前の方が数段上だろう。俺にはあんな順位はとれない。尊敬する。無駄に外見を磨く暇あったら勉強でもしたらどうだ」 「ばーか。顔がいいってだけで人生にかなりなアドバンテージを得てるのよ。私の持った才能の一つよ。磨かないでどうするのよ。勉強する暇があったら長所を磨くわ」 「所詮皮一枚。いつかは老いて醜くなる。その時お前のアドバンテージはどう作用するんだろうな」 しかし自分の容姿に絶対の自信を持っている女は、馬鹿にしたように笑う。 老いることなんて恐ろしくはないと言うように。 「この私の美貌よ?モデルとかしてもいいし、金持ちの男をたらしこむなりしてもいい。私の才能は金になるの。金があれば美しく老いることが出来るわ。そしたら美貌も更に磨かれて更に多くの賞賛や金が舞い込むわ。そして私はもっともっと綺麗にかわいくなるの」 目を輝かせて語る真理子は自信に満ちていて傲慢だ。 他の人間が言えば失笑してしまうが、しかしそれに見合うだけの美貌は確かに備えている。 特にこういう人を馬鹿にしきった表情をした真理子は、とても綺麗だと俺ですら思う。 「あんたみたいに人生のなんの役に立たない棒振りしてるのとは訳が違うのよ。剣道強くてなんか得することあるの?将来それを役立てるっていったってせいぜい教えるとか就職活動に役立つぐらいでしょ。私以上に役立つ才能なんて持ってるの?」 ただただ人を馬鹿にするだけに生まれたような女に、いっそ感心してしまう。 思わずじっと真理子の顔を見つめてしまった。 その視線をうけて、不快そうに顔を歪める。 「何よ」 「いや、よく回る舌だなと思った」 「はあ!?」 「それだけ詭弁をふるえるなら十分だ。それを活かせばその方が金になるんじゃないか?」 「ばっかじゃないの!確かに私は頭もいいけど、金っていうのはただの指標。別に金が欲しい訳じゃないわよ。私は私が一番綺麗でいればいいの!」 こいつは自分の容姿が一番だと信じている。 一番を求めて尽力する姿は、嫌いではない。 いけ好かない、日和の言葉を借りれば面倒な女だが、特に嫌いではない。 俺には理解できない価値観だが、共感できるところもなくもない。 「だから何よ。その笑い方ムカツク」 「お前の言うことも一理あると思う」 笑った俺を見とがめて、ますます真理子が眉を顰める。 しかし馬鹿にする気なんて全くない。 ただ納得しただけだ。 確かに剣道を続けて、俺はその先に何を見出すのか。 俺の人生で一番になり続けるには、何をしたらいいのか。 それを考えていくことは必要だ。 俺は、負けるわけにはいかないのだから。 「俺は今後、何で一番になるかを、考えていかなければいけない」 「何それ」 そこで小さく笑う声が、聞こえた。 同時に二人そちらを見る。 そこにはどこかぼんやりとした女が小さく笑っていた。 「日和、何が楽しい」 「二人の会話は面白いね」 「そうか?」 「うん。仲いいね」 仲をよくした覚えは全くない。 嫌いではないが、出来れば関わりたくない相手だ。 同じことを思ったのだろう、真理子が心底嫌そうに声を上げる。 「はあ!?」 けれど日和は楽しそうにこちらを見ているだけだ。 人とは違う感性を持つ日和には、そう見えるのか。 「こんな奴、本当に大っ嫌い!」 「俺は別に嫌いじゃない」 その言葉に、少し意外そうに真理子が俺を見上げる。 常に何かと戦っているような闘争心溢れるこの女を嫌いではない。 いつでも怯えて周りを気にしている、俺の母親なんかよりは好感が持てる。 「牙を抜かれた犬よりは、噛みつき癖と吠え癖のある駄犬がいい」 そう言うと、駄犬は甲高く吠えた。 |