次の日、俺はまた人目を惹く下級生の前に現われていた。
場所も昨日と同じ裏庭。
今日はすでに昼食を終え、教室に戻ろうとしていたところだった。
儚い美貌の少年は、俺を見てにっこりと花のように笑う。

「………おい」
「あれ、秋庭先輩、どうされたんですか?俺に何か用事ですか?」

小柄な桜川は、俺のもとへ駆け寄ると見上げて小首を傾げる。
その子供のように無垢な笑顔に、思わず心臓が少しだけ跳ねる。
人好きのする、庇護欲を誘う頼りない仕草。
まるで昨日のことは夢だったのではないかと、ふと思ってしまう。
けれど、一度目をつぶってその勘違いを振り払う。
俺はもう騙されない。
その小さな口には、大きな牙が隠されているのを体に思い知らされている。

「猫をかぶんな」
「どうしたんだよ、秋庭ちゃん、俺にまた抱かれに来たの?」

その寒気のする口調を黙らせるために、睨みつける。
すると桜川は片頬をあげてにやりと笑った。
途端に儚げな美少年は男臭い肉食獣に変貌する。

「結構よかったぜ、あんたの体。しまりがよくって最高。あんたもあんだけいったんだ、満足だろ」
「うるせえ!!!」

先ほどの殊勝な態度はどこへ行ったのか、耳元で囁くように卑語を吹き込む。
この豹変ぷりに、桜川の本性を思い知った俺でもまた新たに戸惑いを覚える。
自分の迷いを振り払うように叫ぶと、桜川は一つ笑って体を一歩引いた。

「俺の体、忘れられなかったんですか?先輩?」
「うるせえ!今度こそ俺がやってやる!見てろ桜川」

そうだ、今度こそ桜川をねじ伏せて、俺のを突っ込む。
突っ込まれるんじゃない、突っ込む。
優しくなんてしてやるものか、痛くて泣いても押さえつけてメチャクチャにしてやる。
思い知らせてやる。

昨日は油断していたからあんなにあっさり負けた。
今は油断の一つもない。
それに今回はどんな汚い手を使ってでも勝つ。

決意を胸に俺が重心を落として戦闘態勢に入ると、桜川の自然体を作る。
余計な力が一切入っていない、改めて観察すると見とれてしまう程、綺麗だった。

「へえ、あんだけ痛めつけられてまだやる気なんだ。いいぜ、来いよ」

嘲るように笑って、俺に軽く手招きをする。
人の神経を逆なでするツボを押さえていて、冷静になれと言い聞かせていてもじんわりと思考が熱くなる。
しかし怒りで支配される前に、水を差す焦った声が聞こえた。
それはいつもの桜川の金魚のフンだ。
視界から消し去っていたが、そういえばやっぱりこいつもいた。

「瑞樹!」
「下がってろ秀一、お前、こいつに敵わないだろ」
「だがっ」
「うるさい。俺はこいつと楽しんでから行くから、教師によろしく」

あっさりと犬を切り捨てる桜川。
その冷たい言葉に、眼鏡は怯むように言葉をつぐむ。
唇を噛み、まるで子供のようにショックを現す。
傍目にも明らかな主従関係。
どうしてこれで今までこいつがナイトだなんて思っていたか不思議だ。
全く、桜川の見た目に惑わされていた。
なぜか八つ当たり的に俺を睨む眼鏡に、俺は嫌みに笑って見せた。

「お目付け役も加勢していいぜ。かわい子ちゃん。そいつ役に立たないけどな」
「おまえっ!」
「お前、こいつのオンナなのか?嫉妬に狂った眼をしちゃってまあ」
「っ!」

俺の言葉は効果的だったらしい。
一気に眼鏡は怒りで顔を赤くした。
なんて分かりやすい馬鹿。
桜川と比べると子どもと大人ぐらいに、扱いやすさが違う。
いっそ本当にこいつが加わってくれれば、やりやすくなるかもしれない。
桜川のいい足かせになりそうだ。
しかし、桜川の冷静な声が、俺の目論見を打ち消した。

「さがれ、秀一」
「瑞樹!」
「俺の言うことが聞けないのか」
「………っ……い、や」
「じゃあ、さがれ」
「分かった……」

悔しそうに唇をかみしめ、犬は静かに頭を下げる。
そして俺を視線だけで焼き殺しそうなぐらいに睨みつけ、足音も乱暴に走り去っていった。
その子供のような態度に、桜川は困ったように頭をかいた。

「あんまり俺の弟いじめるなよ、秋庭」
「あいつお前の弟なの?」
「ま、弟分てところだ」

見た目だけで言えば、ものすごい滑稽な言葉だ。
10センチ以上違う身長差に、まるで少女のような容姿の桜川。
怜悧に整った顔を眼鏡で冷たく見せ、綺麗に筋肉のついた背筋をピンと伸ばした、若武者のような清潔感をもつ男。
一緒に並べば、まんまナイトとお姫様だ。
けれど俺はもう知っている。
その実、傍若無人な暴君と、それにつき従う犬でしかないということを。

去っていった犬の背中が見えなくなると、桜川は再度ため息をついた。
そして楽しげな表情に戻ると、再度俺に手招きする。

「じゃあ、来て、先輩。俺もう待ちきれない」
「いいぜ、天国までいかせてやるよ」
「ありがとう、先輩。優しくしてね」

そんなふざけた言葉にも、みるみる空気は変わっていく。
張りつめた気配に、俺は自然と力が入る。
力みすぎだと分かっていても、桜川からは殺気に似た何かが満ちていく。
いや、似たじゃない、殺気だ。
無邪気に見えた笑顔は、血に飢えた肉食獣の獰猛さを宿す。

俺は、気がつけば先に動いていた。
それが無謀だと昨日の時点で分かっているのに、まるで気圧されたかのように。

桜川はやはり力の入らない自然体で、その動きをじっと見ていた。
すでに動き出したので、もう考えている暇はない。
腹を決めて、やろうとしていたことをやるだけだ。

左足を軸として右足で鳩尾を狙う。
リーチの長さでは圧倒的に俺が勝っている。
寄せ付ける前に、一発入れる。

桜川はあっさりその足を、わずかな動きで避けた。
しかし、これが避けられることぐらい分かっている。

本命はこの後。
どんなことをしてでも勝つ。
汚かろうがなんだろうが、知ったことか。

ポケットに隠していた防犯用散涙スプレーを取り出し、桜川の前に付きつける。
前に俺がやられた手だ。
唐辛子か何かのスプレーは、鼻と目にダメージを与えしばらく攻撃力を無効化する。
あの時は目が見えないままにも暴れて、なんとか勝てた。
しかし鍛えてあるものの筋肉量の少なく小柄な桜川なら怯んだその一瞬に一発いれればそれで終わりだろう。
そして、ボタンを押そうとしたその瞬間。
スプレーを持った手に何か鋭い襲撃が走り、それを取り落とす。

桜川はリーチ外だ。
届くはずがない。
が、気付いた時にはそれが目の前に来ていた。
脳天に再度衝撃が走り、俺はたまらず目をつぶる。
その間にも、攻撃を加えられた。
鳩尾と、脛、脇腹、首。

桜川の攻撃には無駄がない。
的確に急所を仕留めて、人体を無力化する。
そしてその小柄な体からは考えられないほど、重い。

数瞬の間に攻撃が済まされ、俺は気がつけばまたも地に転がっていた。
痛みに顔をしかめ、俺のあばらを足で押さえつけてながら見下ろす桜川を見上げる。
子供のように無邪気に笑う桜川は何かを持っていた。
右手に持って、肩をとんとんと叩いているそれは。

「……特殊警棒?」
「ほら、俺ってか弱いでしょ?護身用なんだ」

にこにこと笑う少女のような男は、それを俺に見せつける。
手の振りと、手のあたりの仕掛けで長さが変わるらしいそれは木刀の半分ぐらいになる。
リーチに入っていない桜川からの攻撃は、これだったのだ。
しかも鋭すぎる攻撃。
こいつ、得物を持っても強いのかよ。

「ひ、きょうくせえ」
「あんたみたいなのから、この体を守るためにはしょうがないでしょ?」
「明らかに過剰防衛じゃねえか」
「ていうかお前のこれはなんだよ」

そして地面に転がったスプレー缶を取ると、呆れたように溜息をつく。
まあ、確かに俺も人のことを言えた義理は全くない。
が。
人が駄目でも俺はよし。
俺は自分と地球にだけは優しい男だ。
恥ずかしくもなんともない。
堂々と言い切る。

「護身用だ」
「まあね、秋庭ちゃん弱いしね」
「くっそ」

胸を軽く足で小突かれ、咳きこんだ。
そのまま膝で腹を押さえつけると、体をまさぐられる。
またここでヤられるのか、と身構えると、それに気付いて桜川は笑った。
その小馬鹿にしたような嘲笑に、悔しさに自然と顔が険しくなる。
それにまた、桜川は天使のように笑った。

「ここじゃやらねえよ。単に他に武器を持ってないか見てるだけ」

そして隅々までチェックをすると、秋庭は立ち上がった。
制服についた埃をはたくと、小さくなった武器とスプレー缶をジャケットにしまう。

「さて、この前はいきなりアオカンで悪かったな。今日はベッドでかわいがってやるよ。来な」
「誰がいくかっ!」
「じゃあ、寮のフリースペースででも犯すぜ?俺は構わないけどな。いい加減猫被ってるの疲れたし」

再度ポケットから警棒のようなものを取り出すとにっこりと笑う。
俺の武器はとりあげられ、痛めつけられた体は昨日のダメージも残っている。
もともと、実力差ははっきりとしている。
ここで抵抗したら、本気で痛めつけられてまな板ショーの主演になるだけだ。
こいつはそれぐらいやる。
絶対やる。

「………っ」
「どうする、あんたがつっこまれてアンアンよがってるの、他の奴らに聞かせたい?興奮して、他の奴らも参加してくるかもな。妬けちゃうけどそれも楽しそうだな」

俺は爪が食いこんで血がにじむほど拳を握りしめる。
それを口に出すのは、全身からそれこそ血が吹き出しそうなほどの屈辱だ。
さすがにそれは出来ずに、俺は桜川の足を退けるとゆっくりと立ち上がる。
面白そうに俺のすることを眺めている桜川だが、隙はひとつも見つからない。
逃げるのは、不可能だ。
俺は唇を噛みしめると、寮内へと足を向けた。
くすり、といつもの儚く笑う桜川の声が聞こえた。






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