「秋庭、次、桜川がいつ帰省するか分かるか?」

部屋で消灯時間までだらだらとしていると、隣にいた柳瀬が不意にそんなことを聞いてきた。
そういや、あいつ一月に一回実家に帰るとか言ってたっけ。
なんか、それが家との取り決めだとかなんとか。
まあ、よく覚えてない。

「あ、わかんね」
「そうか、聞いておいてくれ。分かったら教えてくれ」
「なんで?」
「知りたいから」

こいつは桜川には一切興味がないはずだ。
好みじゃないと言っていた。
てことは、この質問の意図は一つだ。

「あの犬絡み?」
「そう。ということでお前にも関係がある」
「ふーん、何企んでんの?」
「人聞き悪いな」
「だってお前がそんな風に楽しそうにしてる時って、悪巧みしてる時じゃん」
「警戒心の強い臆病な犬を懐かせようとしてるだけだ」

完全な犬扱い。
さすがにちょっとあの犬に同情する。
滅多に動くことはないが、こいつが動き始めて、成果が出なかったことはない。
どんな手を使ってでも、何もかもを思い通りにする。
そんな奴に見込まれて、可哀そうに。

「たまに本当にお前怖いわ。たまにっていうか割といつでも怖いわ。性格悪いっていうか性根腐りすぎだろ」
「そうか」

たまに、どうやったらここまで歪めるんだろうと不思議に思う。
こいつの実家のことを考えると、そういうものなのかもしれないが。
まあ、いい。
とりあえず、こいつは俺の敵ではない。
今は共闘する仲間ですらある。

「そういや、そんな怖い柳瀬君に相談なんだけど」
「なんだ、性根が腐ってて性格悪いアドバイスでよければしてやらないこともない」
「まさしくそういうアドバイスが欲しい。俺は性根が真っ直ぐだから、悪巧みとかできねーからさ」

柳瀬が本から目を離して、俺に視線を向ける。
軽くため息をついてから肩を竦める。

「確かに、お前は性根は真っ直ぐっていうか、ばか、いや、馬鹿正直だからな」
「お前今馬鹿って言おうとしただろ!?ていうか言っただろ!?ていうかそもそも言い直してねーよな!」
「よく分かってるな」

怒るな、落ち着け、俺。
こいつが俺に味方してくれることなんてあんまりない。
今がチャンスなんだ。
落ち着け、冷静になれ。

「お前はあの犬より単細胞だよな」
「おい」

やばい、無理そうだ。
物ぐらい投げてしまいそうだ。

「桜川に勝ちたいなら、卑怯なこともしてみろ」

けれど柳瀬は、俺の質問を聞くまでもなく、聞きたかった答えを返してくれた。
でも、そんな答えが欲しかったわけじゃない。

「卑怯なことぐらいしてるよ!いっぱいしたよ!それでも勝てねーんだよ!」

武器を使った、大勢で立ち向かった、寝込みを襲った。
それでも、あいつに敵うことはなかった。
柳瀬は、ふっと表情を緩めて笑う。

「秋庭のそういうところは、本当に好ましいな」
「お前に好かれても嬉しくねーよ!」
「そうか」

柳瀬は俺の言葉なんてどうでもいいように、また本に視線を移す。

「お前は育ちがいいから、下衆な性格なくせに、変なところで正直なんだよな」
「だからおい」

やっぱり喧嘩を売られてるのか。

「いつでも馬鹿正直に真正面から立ち向かってるだろ、お前。どんな手を使っても勝ちたいなら、物陰から闇討ちぐらいしてみろ」
「やみ、うち」

闇討ちというと、あれか。
隠れて、いきなり襲うあれか。
あの最上級卑怯なあれか。

「おおお、思いつきもしなかったぜ!さすが卑怯だな、柳瀬!」
「それはどうも」
「そういう悪役的なこと考えさせたら右に出るものはいないな!」
「お褒めに預かり恐悦至極」

柳瀬は、淡々と本を読みながら答える。
やっぱり、心底卑怯なやつは違うぜ。
俺みたいな正直者には思いつかないことばっかりだ。
こいつだったら闇討ちの一回や二回はしたことがあるだろう。

「お前闇討ちとかしたことあんの?」
「あるな。ガキの頃リンチされて腕折ったんで、お礼に一人一人個別に手足砕いた」
「………」
「代わりに親父に三日間物置に閉じ込められてメシ抜かれたけどな。水はあったから助かったが」
「………」

どう反応したらいいんだ、これは。
割と育ちがよくてお坊ちゃま育ちの俺には、こいつのたまに出てくる話はヘビーすぎて、ついていけない。
俺の知らない世界だ。
よし、聞かなかったことにしよう。
そんなもん知りたくもない。

「よーし、闇討ちしよう!」
「頑張れ」
「おう!」

柳瀬のぞんざいな応援を聞きながら、俺は明るく宣言した。



***




そして、決行の日はやってきた。

犬は、柳瀬が呼び出したと聞いた。
グッジョブ、柳瀬。
たまには感謝してやらないでもない。

基本あまり群れることのない桜川は、犬がいなければ個人行動も多い。
そして更に、俺がわざわざ桜川を人気のない場所に呼び出した。
待ち合わせ場所のだいぶ前の草むらに隠れて、息を潜める。

そして待つことしばし、桜川は無防備にすたすたと歩いてくる。
後少しだ。
通り過ぎたところを、後ろから襲う。
桜川は強いが、体は小さい。
一発いれれば、かなりなダメージを喰らうはずだ。
桜川が俺に気づかず通り過ぎる。
よし、いける。

「もらったあああ!」

桜川の後ろへ素早く飛出し、蹴りつけようとする。

「え」

しかし桜川はくるりと振り返ると、いつのまにか手に持っていた特殊警棒で俺の足を払う。

「ちょ、ま」

バランスを崩したところで、反応する暇なく素早く懐に入られる。
そして思いきり鼻に頭突きを喰らった。

「つ、ったあああ!」

脳天まで痺れるような痛みを感じて、その場に崩れ落ちる。
鼻がじんじんとして、涙が滲んでくる。
いてえ。

「………お前、実は本当に馬鹿なのか?不意打ちの前に声かけてどうすんだよ」

桜川の、心底呆れかえったような声。
そうだった。
闇討ちってもしかして、黙ってするものだったのか。

「………闇討ちなんて、したことねーからな」
「お前、本当に育ちがいいよな」

じんじんと痛む鼻を押さえて見上げると、桜川は警棒で肩を叩きながら呆れた目で俺を見下ろしていた。
くっそ、なんかいつもより余計に悔しい。

「お前は、したこと、あるのか?」
「まあな」

柳瀬もこいつも、なんでそんな経験があんだよ。
俺もそこそこ喧嘩も卑怯な真似してきたけど、こいつらの場馴れっぷりはなんなんだ。
チートすぎるだろ。

「つーかまあ、お前図体でかいんだから見えてんだよ。そもそもそっからだよ」
「くっそおおおおお」

背が高く筋肉のついた自分の体が憎い。
桜川みたいに小さかったら、うまくいっていただろうか。

「ああ、もう」

桜川が深く深くため息をつく。
そしてしゃがみこんで、まだ鼻を押さえていた俺の頭を乱暴に掻きまわす。

「もう、本当に可愛いよなあ、お前」
「はあ!?」

こいつには何度か言われてるが、何度言われてもぞわぞわする、慣れない言葉。
俺みたいな男に可愛いって、こいつの目は節穴か。
ていうか自分こそ、そこらへんのアイドルよりよっぽど可愛い顔しやがって。

「駄目な子ほど可愛いってこういうことか。俺秀一にも弱いし、こういう庇護欲そそるのがタイプなのか」
「うっせー!誰が庇護対象なんだよ!」
「まあ、お前を庇護する気はさらさらねーけどさ」

なんだよ、あの犬より俺の方が下だってのか。
すげー、イラつく。
やっぱあの犬はムカつく。

「あー、でも、可愛いな。はー、馬鹿だよなあ」

体の割に大きな手が、両手で俺の頭をぐしゃぐしゃにしてしまう。
なんだ、ムカムカが少し薄れてしまう。
いや、なんでだ。
意味わかんねー。
なんでちょっと、嬉しくなってたりとかしてんだよ。
いや、本当に意味わからない。

「さてと」

混乱する俺を置いて桜川は立ち上がり、にっこりと笑った。
天使のような、綺麗な笑顔で。

「じゃあ零、可愛がってやるよ、闇討ちなんて面白いことしやがったお返しにね」

なんでこうなった。
どうしてこうなった。
今度こそこいつを倒して、俺がこいつを犯す予定だったのに。

それもこれもそうだ。
全部全部柳瀬のせいだ。



***




酷い目にあった。

久々に色々なところを縛られて、好き勝手に遊ばれた。
色々言わされて、色々な格好をさせられた。
ああ、もう、本当に、俺何してんだろ。
そろそろ、もう、諦めてもいいんじゃないだろうか。
こんな目に遭ってまで、何してんだろうなあ、本当に。
なんか、哀しくなってきたぞ。
もう、ゴールしてもいいかな。

「じゃあな、零、またな」

ドアの前で、ちゅっと音を立てて頬にキスをされる。
くっそ、こんな時だけそんな可愛いことしやがって。
見た目だけなら、本当に天使なんだよ、こいつは。
だから、諦めきれない。

「………そういや、お前今度いつ帰るの?」
「は?」
「実家帰るんだろ?」
「ああ、来週の金曜の夜から行って土曜に帰る。なんだ、寂しいのか?」
「ちっげーよ、ばーか」

来週の金曜日土曜日か。
柳瀬に言っておくか、一応。
つーか、こいつから雨宮引き離して、俺はどうしたいんだろうな。
それが、なんか俺の得になるのか。

「おい、秋庭?どうしたアホ面して」
「だれがアホ面だ!」

こんな奴なんて、どうでもいいのに。
いや、でも、せめて一勝するまでは、諦めきれない。
負けたままでいられるか。
そうだ、負けっぱなしではいられない。
そういうことだ。

「あ」

そこで廊下の向こう、桜川の後ろに二人の人影が見えた。
柳瀬と雨宮だ。
雨宮は少しふらついていて、柳瀬が付き添っているようだ。
柳瀬に何か言われて、犬は顔を赤くしている。
それはまるでじゃれているようにも見える。

なんだよ、あいつらは結構仲よくなってんのかよ。
あの犬、節操ねーな。
桜川にも飼われてるくせに。

俺はこんな目に遭ってんのに。
そうだこれもそもそも柳瀬のせいなのに。
なんだかイラついてきて、近づいてきた犬に、嫌味を投げつける。

「今度は柳瀬に飼われてるの?」
「な」

雨宮は顔を赤くして、目を吊り上げる。
単純な犬。

「誰かに依存してないとダメなの、お前って」
「ふ、ざけんなっ」

すぐに激昂して殴りかかってこようとする犬から一歩体を引く。
よし、ムカつくから柳瀬にも嫌がらせしてやる。
今回のことは闇討ちしろなんて言ったあいつの責任だ。

「なんというか、柳瀬には気をつけろよ。安心して懐けるような奴じゃねーぞ、あいつ」

まあ、これは、こいつのためでもあるよな。
マジであいつからは逃げた方がこいつのためだろうし。
あー、俺優しい。
こんな奴のために忠告しちゃう俺超優しい。

「一応、忠告だ」

それだけ言い置いて、さっさと踵を返す。
よし、少しだけすっきりした。

お前も苦労しやがれ、柳瀬。



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