「どういうことだ?」 父の前に引きずり出されて、平伏させられる。 食事の邪魔をされた父は不機嫌そうに、俺を眇める。 蛇と呼ばれている父は、それだけでもすごい威圧感を持っている。 「兄弟を病院送りにして、何をしてるんだ。信二は声が出ないかもしれないらしいぞ、恭三は、前歯が折れて10針縫うそうだ」 「兄弟ゲンカだ」 もう何もかも、どうでもいい。 父が怒ろうが、俺を殴ろうが、どうだっていい。 あいつはもっと痛かった。 あいつはずっと痛かった。 俺なんかのせいで、あんな姿になった。 だったら、飼い主の俺が、それ以上の目にあうのは、当然だ。 だが、殺されるのだったら、その喉を食い破ってやる。 この身をこの世に生み出したことを、後悔しろ。 内臓を食い千切って、逃げてやる。 殺されるまで、ケダモノらしく生きてやる。 しかしその言葉に、父は眼を丸くする。 そして、次の瞬間笑いだした。 大きな、部屋が揺れるような響く声で。 「あっは、ははははは、兄弟ゲンカとな」 「ああ」 「いい度胸だ。お前は、母親に本当にそっくりだ」 そうだっただろうか。 あの女の記憶は遠い昔で、もう顔すら覚えていない。 ただ、いつでも窓の外を見て、犬を抱いていた。 父は表情を動かさない俺を見て、意地悪そうににやりと笑う。 「だが、知っているか。儂らの世界ではルールがある。身内に手を出した以上、落とし前を付けるのは当然だ。ルールを破ったものは、その報いを受ける。それが当然だ」 それは知っている。 教育係にも、師範にもそんなことを言われた気がする。 俺の家の稼業は、そういった種類の世界だ。 「指を切ればいいのか?」 その言葉に、また父は大きな声で笑う。 さぞ愉快そうに。 何がそんなに楽しいのか、よく分からない。 ただ、その大きな声が不快だった。 「たかが、兄弟ゲンカだろう?そこまでしなくてもいいさ。だが、そうだな。腕の一本でも折っておくか」 長兄の腕と足。 次兄の喉と肩。 末弟のあばらと歯。 その報いが、そんな軽いものでいいのか。 それなら、もっと早くやっておけばよかった。 ああ、本当に息を潜めていたなんて馬鹿馬鹿しい。 俺はその言葉を聞いて、左手を差し出す。 「ん?」 「左手でいいか?右手は生活しづらい」 「あ、ああ」 「なら、やってくれ。腕を自分で折るのは難しい」 やれないことはないだろうが、綺麗に折るのは難しいだろう。 だから、差し出した。 何も思わなかった。 骨が折れるぐらい、何度も経験した。 痛みに慣れることはないが、それで済むなら安いものだ。 あいつらにはまだ思い知らせていない。 まだ足りない。 だから、まだ、死ねない。 あいつらも、こいつも、全て食らいつくす。 父は、自分で言い出したことなのに、驚いたように口をつぐんだ。 しばらく黙りこむ。 そして傍にいつも控えている中年の男に視線をおくった。 「おい」 「はい」 そいつは俺のそばに来ると、俺の手を取った。 一礼して力を込める。 「なるべく綺麗に折りますから」 俺はただ頷いた。 更に力を込めようとした時、それを制する声が響いた。 「ああ、待て」 「はい」 父は面白い事を思いついたように、笑っていた。 そして顎で促し、男を俺から離れさせる。 「やっぱり、指でいい。兄弟3人分。3本指を折って見せろ」 「自分でか?」 「ああ、腕よりも、末端の方が痛いぞ。出来るか」 「それがオトシマエだろう」 俺は上着を脱ぐと、口に咥えた。 痛みで歯を噛み砕かないためだ。 食いしばりすぎると、歯が砕ける。 舌を噛んでも厄介だ。 右手で左手の小指と薬指と中指を掴んだ。 思いきりよくいかないと、治りが遅くなる。 綺麗に折ったら、くっつくのも早いだろう。 ひとつ息をつく。 父と、傍らの男が見ている。 目を閉じて、あいつのことを思った。 あいつの痛みは、こんなものではなかった。 そして、右手に力をこめた。 ごきり、と嫌な音が全身に響いて、痛みが脳天を貫く。 自然と涙が出てくる。 痛みに頭がぐらぐらとする。 全身の毛穴が開いて、脂汗が出てくる。 ぐぅっと、情けない声が出た。 しばらくそのまま痛みに耐えてから、口から上着を吐き出した。 上着は涎でべたべただった。 痛みに上がってしまった息を整えてから、父に視線を送る。 「こ、れで、いいか?」 父は静かな目で俺をじっと見ていた。 俺はその眼を見返す。 しばらく見つめあっていると、父はにやりと顔を歪めた。 「ああ、それでいい。落とし前は済んだ」 「分かった」 立ちあがろうとして、ふらついた。 痛みに腕がしびれてきている。 倒れそうになった体を、傍らの男が支えた。 「おい、森口。医者につれていけ」 「はい」 そしてそのまま抱えあげられる。 不快だったが、手当てをされるようなので逆らう理由はない。 その男の腕に、身を委ねる。 「………京介様は、お父上とお母上そっくりですね」 1日の疲れと痛みで、急激に意識が遠ざかって行く。 最後に、そんな言葉を聞いた気がした。 絶対的な服従。 盲信的な信頼。 飼い主を信じて、火の中に飛び込むような。 飼い主に殉じて、餌を食わなくなるような。 そんな、犬が欲しい。 そうしたら、今度は守るから。 最後まで守り通すから。 絶対に、誰にも傷つけさせない。 俺に忠誠を誓う限り、俺はその犬を守り続ける。 だから、犬が欲しい。 絶対的な服従。 盲信的な信頼。 そして、死なない。 そんな、犬が欲しい。 |