季節はすっかり夏で、クーラーなどない公立の学校ではうだるような暑さが続いていた。
試験を今日でようやく明け、後は楽しい夏休みを待つばかり。
解放感に満ち満ちた教室で、橋本は浮かれながら菊池に声をかけた。

「なあ、菊池、今日丸屋いかね?」
「あー、わり、今日はデート」
「えー、またかよ、お前近頃付き合いわりーぞ」
「悪い悪い、また今度な」

菊池にすげなく断られた橋本は、口を尖らせ不満を示しながらも納得する。
彼女のいない橋本は、彼女というものに信仰に近い憧れを持っている。
デートというなら、橋本はいつだってひいた。
女の子は、大事だ。
仕方なく橋本はすぐ傍にいた鈴木に声をかけた。

「鈴木ー、今日丸屋いかね?」
「あれ、何、今日も菊池にふられたの?」
「おデートですって、ちくしょ!」
「あー、なんか近頃あいつあっち優先すること多いよな。お前避けられてね?」
「は?」

思いもしなかったことを言われて、橋本は間抜けな声を上げた。
それは全く思いもよらなかったこと。

「え、いや、だって普通彼女優先だろ?」
「そっか?あいつどちらかと言うと友人バイト優先タイプだろ。デート入っててもお前に付き合ってたりしたじゃん」
「え、で、でも、ほら、その、予定がたまたまかぶったとか」
「でも、俺とか近藤とかの誘いは乗るぜ?」
「…………」

慌てて色々と思いつくことを言ってみるが、鈴木に軽く一蹴される。
しかし、認めたくなくても、次々と嫌なものが脳裏に浮かぶ。

「お前ら結構2人でいること多かったから、気になってたんだよね」
「そう言えば、この前学校の帰りに菊池の家に寄ろうという話をしてた時、いきなり腹が痛くなったと猛ダッシュされた」
「橋本君を家に寄らせたくなかったのね」
「それきり、一緒に帰っていない」
「うわ、そりゃあもう確定だな」
「この前『暇だー』とか言ってたから遊びに誘ったら、『いや、俺デートあるから』とか断られた」
「………」
「俺、菊池に避けられてた!?」
「いや、気付けよそれ」

そう言われれば近頃菊池と一緒にいることが少ない気がする。
仲間内で騒ぐ時は一緒だし、学校内ではいつもどおり話していたので気付かなかった。
しかし、2人きりで放課後に残ることや、遊びに行くこと、まして家に行き来することがなくなっていた。

橋本は、間違いなく、菊池に、避けられていた。

「なんだろう!?俺、なんかしたか!?」
「えー、顔が悪いとか?」

一発殴って黙らせる。

「あれか、この前菊池の大事にしてたCD叩き割っちまったことか」
「わー、橋本君最悪」
「最後の一つのカツサンド横取りしたことか!?」
「橋本君ひどーい」
「間違ってゲームのセーブデータ全消去しちゃったことか!?」
「橋本君ドーテー」
「関係ねえ!!」

更に一発入れる。
鈴木はひどーいとかいいながら、堪えた様子は全くない。
さも楽しそうに大爆笑してる。
鈴木はそういう奴だ。
楽しければ、なんでもいい。
フォローをいれることを、期待した橋本が馬鹿だった。

「それだけやったら当然だね、マジ嫌われてんだよ」
「てめーは少しはフォローしやがれ!」
「えー、じゃあ、あれだよ、菊池君生理なんだよ。機嫌悪いんだよ、今」
「フォローになってねええええ!!!!」

鈴木の下ネタも、ふざけた会話もいつもは楽しいが、今はそれどころではない。
背中に蹴りをいれてから、橋本は混乱した頭を抱えて教室を後にした。

正直、橋本は真剣に焦っていた。
菊池とは、一番仲がいいと思っていた。
ものすごい口にするのは恥ずかしいし、性に合わないしむずがゆいが、いわゆる、もしかしたら、親友、なんて奴だと思ってた。
こいつとなら、学校変わったら途切れる付き合いとかじゃなくて、ずっとやっていけるんじゃないか、なんてことを考えていた。

しかし、今、その考えは、打ち砕かれようとしていた。




***





色々とぐるぐるとした結果、橋本は一番分かりやすい行動にでた。

すなわち、本人に真意をただす。

あんまり深く物事を考えない橋本には、それしかもう考えられなかった。
どうせ嫌われてるなら、しっかりと本人から聞きたい。

通いなれた、マンションの一室。
両親は共働きだから、この時間にいるとしたら、菊池1人のはずだ。
橋本らしくなく緊張して、チャイムを押す指が、ためらう。
しかし一つ深呼吸すると、思い切りよくチャイムを押した。

『はい』

間違いなく、菊池の声だ。
すでに時間は結構遅い。
デートという話は、おそらく嘘だ。
努めて橋本は、明るい声を出す。

「きっくちくん、あそっびましょ」
『………間に合ってます』

ガチャ、とインターフォンが下ろされた音がした。

「てめえ、人がせっかくフレンドリーを演出してやってんのに、何シカトしてやがる、このボケ!」

そのひどい仕打ちに怒りが頂点に達した橋本は、菊池の家のドアに蹴りを入れる。

「こら、このヤリ○ン!腐れチ○コ!女タラシ!女の敵!」

それでも一向に姿を現さない菊池に、橋本のテンションはヒートアップしていく。
ガンガンと、盛大な騒音が響き渡る。
菊池より先に、隣人とかがでてきちゃうんじゃないかなー、と思い始めた頃、ようやくドアが開いた。
その勢いに、思わず橋本が顔を打ちそうになる。

「人聞きの悪いこと言ってんじゃねえ!!」
「お前が出てこないのが悪いんだよ!」
「やかましい、とっとと帰れ!」
「誰が帰るか!」

開いたドアの隙間に足を滑り込ませる橋本。
咄嗟に閉めようとしていた菊池は、その足に阻まれる。

「てめえは、悪質セールスマンか!」
「うるさい、潔く家に入れやがれ!」
「ぜってえごめんだ!この変質者!」

ドア一枚を隔てての攻防にお互いが熱くなった時、後ろから咳払いが聞こえた。
買い物袋をさげたおばさんが、2人を胡散臭げに見て去っていく。
その恰幅のいい後姿を見ながら、2人はしばし無言になった。

「………」
「………」
「……分かった、とりあえず、入れ」
「最初からそうしてればいいんだ」
「やかましい!」

えらそうに言い放つ橋本に、菊池の裏拳が綺麗にきまった。



***




菊池の部屋は、クーラーが効いていて涼しかった。
タバコのヤニと匂いが染み付いた5畳のフローリングは、それでも綺麗に整頓されている。
部屋の主は制服姿のままで、雑誌が床には広がっている。
出かける様子がないのは明らかだった。

「で、なんの用だよ」

ベッドにもたれかかり、ふてくされたように、そっぽを向きながら菊池は吐き捨てた。
そのあからさまな拒絶に、橋本はさきほどまでの怒りがしぼんでくる。
本当に、菊池に嫌われたのだろうか。

「えーと、その」
「用がないならさっさと帰れ」
「お前、俺のこと避けてるだろ」

結局うまい言い回しが見つからなかった橋本は、ストレートに切り込んだ。
そっぽを向いたままだった菊池は、一瞬息を呑む。
しばらく間があき、大きくため息をついた。

「人がせっかくうまいことフェードアウトしていこうとしてたのに、いきなり蒸し返してんじゃねえよ」
「あー、やっぱりマジだったのかよ!」
「気付けよ!空気を読めよ!」
「何避けてんだよ!」

膝歩きで菊池に詰め寄ると、襟元を捕まえて視線を合わせる。
菊池はその距離に一瞬目を見開いたが、小さく息をつき目線をそらせた。

「それくらい分かれ」
「心当たりがありすぎてわかんねえよ!」
「お前俺に隠れて何やってんだよ!」

菊池の襟元を捕まえたまま、更に距離をつめる橋本。
菊池はびくりと体を跳ねさせると、乱暴にその手を振り払った。
払われた手にショックを受け、橋本は固まる。
そして、ぺたりと座り込んだ。

「えーと、もしかして、俺、マジで嫌われてる……?」

まるで捨てられた犬のような頼りない声を出す橋本。
菊池はちくりと罪悪感がうずいた。
しばらくそっぽを向いていたが、恐る恐るとこちらを伺う橋本の情けない様子に更にため息をつく。

「……俺はさ」
「え、あ、うん」

ようやく口を開いてくれた菊池に、橋本が顔を上げる。

「美人でしっかりものの嫁さんと結婚したいわけよ」
「は?」
「年上の奥さん貰って、かわいい女の子産んでもらって、まあ2,3流あたりの会社に勤めて、大きくなった娘にパパ臭い、とか言われて、娘の結婚式では涙して、老後は奥さんと少ない年金と貯蓄でささやかに年に一度は海外旅行とかの生活をしたいのよ」
「なんだ、その微妙に具体的なような妄想のような計画」
「それでだ!」
「は、はい!」

居住まいをただして、橋本に向き合う菊池。
つられて橋本は背筋を正した。

「このまんまお前といたら、やばいと気付いた」
「へ、何が」
「……お前、俺とやったあれやこれや、忘れてないだろうな」
「え!?」
「キスとか相互オ○ニーとかフェ○とか!!!」
「あ、ああ」

思わず顔を赤らめる橋本。
しかし菊池の顔はいやになるほど真剣だ。

「なんでこんな順調に段階踏んでんだよ、このまんま放置したら、最後までいっちゃうだろ!」
「そ、そういえば!」

そこで橋本も事態にようやく気付いた。

キス。
触りあい。
フェ○。

少々順番と展開はおかしいとしても、順調に大人の階段を昇ってしまっている。
このままでは、最後の一線を越えるのも、そう遠い日ではない気がする。
初めてのキスから、一月ほど。
その間に、こんなにも2人の仲は縮まっていた。

「こ、これは……」
「お前のことだから、気付いてないとは思ってたけどさ」
「あーでも、お前、いやだった…?」
「………」
「俺、別にイヤじゃないんだけど」
「………イヤじゃないのがまずいんだろうが」

そう、菊池も橋本も、お互い嫌悪感が全くなかった。
むしろ、楽しかった。
気持ちよかった。
ドキドキした。

「え?」
「それで最後までいっちゃったらどうするんだよ。お前女の子と付き合いたくないの?」
「つ、付き合いたい」

そう、橋本も気付いた。
このまま菊池と突っ走ってしまえば、橋本は女の子の前に菊池と初体験突入だ。

「まだ、引き返せる。このまま突っ走ることは、避けたい。今なら若い性の暴走ですませられる。ちょっと苦い青春の1ページだ」
「そ、そうだな」
「それで、だ。とりあえずお前と2人きりになる事態を防ごうと思う」
「……学校とかでもか?」
「思い出せ、最初は教室だ」

最初のキスは、教室だった。
夕暮れの教室。
はやる感情と、うるさいぐらいの鼓動。
溶け合う唾液と吐息。
部活の喚声が、イヤに耳について。

思い出して、体が熱くなる。

「そう、だな」
「そうだ。つまり、お前と2人きりの状態がやばいってことだ」
「……でも、なんかつまんねーな」
「…………」

それは菊池も内心、頷いていた。
鈴木や近藤と遊んでも、どこか物足りない。
橋本が隣にいることが、こんなにも菊池の中でウェイトを占めていた。

だからこそ、一緒にいてはいけないと、気付いた。

「まあ、しばらくしたら、冷めるだろ。俺もお前も、お手軽に気持ちいいから血迷ってるだけだって」
「……そっか、そうだよな」
「だから、しばらくは、2人になるのを避けよう」
「………分かった」
「お互いの明るい未来のためだ」
「ああ、そうだな」

お互いの同意。
お互いの未来のため。

それでも、お互いどこか納得できないものを抱えていた。






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