「うわ、すっげー人混み」
「カップル率たけー、ムカツク」

結局集まったのは、いつものメンバー+α。
橋本、菊池、鈴木に近藤、山本、佐々木、市川だった。
吉川とか小早川は彼女持ちのため、別行動。
二人を見つけたら襲撃して全力で邪魔することを事前に決めていた。

花火の打ち上げの少し前に来たところ、すでに座って見れる場所はなく、沿道も人で溢れかえっている。
小さいものとはいえ、さすがに花火大会。
いつもは静かな河川沿いもテキ屋が軒を連ねソースを焼く匂いや、甘い匂いが漂ってくる。
色とりどりの浴衣を着た可愛らしい女の子達がきゃいきゃいと騒いで通り過ぎ、目を楽しませる。
橋本達は最初から座ってみることを諦め、屋台を冷やかしながら花火が打ちあがるのを待っていた。
人が多いせいか、湿度も温度も高く汗が垂れてくるが、それでもやはり浮かれた空気にメンバーも皆テンションがあがっている。

そんな中、1人だけ暗い顔をして俯き加減にとぼとぼ歩いている人間がいた。
昨日は眠れなかったのか、目の下にクマを浮かべている。

「なんか橋本、顔色悪くね?」
「は!?いや、いやいやいやいやいや!!」

山本がその顔を覗き込んで問いかけてきたので、橋本は全力で首をふった。
そんな余計に挙動不審な動きに、市川も笑って橋本をからかう。

「なんだ、下痢でもしてんのかよ。お前拾ったもん食うなって言っただろ」
「俺は犬か!」

しばらくそんな会話で笑いあっていたが、山本はちょっとだけ心配そうに首を傾げる。
橋本はその視線から逃れるように、顔を背ける。

「でも、本当にテンション低くね?どうしたの?」
「いや、なんでもないです!本当に何でもないです!全くなんとも何事もなく、今日はいい天気で明日もいい日です!」
「いや、そんな全力でなんかあったってアピールされると突っ込まないといけない気になるんだけど」
「だから何もないって!お前らは前だけを向け!俺のことなんて気にするな!」

あからさまに不自然に否定する橋本に、そこまで興味を持ってなかった山本も市川も逆に興味を持ってしまう。
にやにやといやらしく笑いながら後ずさる橋本にじりじりとにじり寄る。

「なんだよなんだよ、橋本くーん!吐いちゃえよー!」
「だから何もねーよ!!!」

橋本は左右を見渡して逃走経路をシミュレートした。
こんなやりとりはいつものことだが、これだけは知られるわけにはいかない。
今何に悩んでテンションが低いのか、昨日の夜、なぜ眠れなかったのか。
そんなことを、ここで吐くわけにはいかない。

わきわきと手を動かして気味悪く近づく二人を殴り倒して逃げようと決心したその時。
後ろから首に腕をかけられ、引き寄せられた。
よく馴染んだ柑橘系のコロンの匂いが鼻腔をくすぐる。

「こいつ、さっき犬のフン踏んだんだよ」
「き、菊池」

橋本が首をねじって後ろを向くと、すぐそこに見慣れた色素の薄い目があった。
笑いながら、身に覚えの無い橋本の恥をないことないこと言いふらしている。

「うっそ、橋本君不潔!エンガチョ!寄らないで!」
「踏んでねーよ!てめー、大嘘ぶっこいてるんじゃねー!!」

見事にそれにのった面々は、橋本から今度は逃げ出して、汚物扱いする。
橋本は、顔を赤くしながら、菊池や山本に食ってかかった。

「市川、お前イカ焼き食いたいとか言ってなかったか?」
「お、あった?食べる食べる!」
「あ、リンゴ飴だ、行くぜ!」

更に騒がしくなったところを、いつも静かな近藤の声が控えめに割って入る。
それで皆、興味をずらっと立ち上る屋台へと移す。
橋本は、そっと胸を撫で下ろした。

「近藤、お前なんか食べないの?」
「そうだな、広島焼き食べるかな」
「あ、おれたこ焼き食べたいんだよね、半分こしよ、半分こ。あなたと私で半分こー」

近藤の隣にいた鈴木が、にこにこと笑いながら屋台を指差す。
嫌がる近藤の腕を無理矢理取ると、まるで恋人のように親しげに頬を寄せた。

「あ、でねでね、近藤。デザートは、お、れ」
「腹壊すからいらない」
「いやーん、なんでも腐りかけが一番おいしいのよ。熟れ頃食べ頃つっこみ頃ー」
「最初から毒のあるもんは食えねーよ」
「いいじゃないの、一緒にいきましょうよー。手に手をとって、一緒に天国へれっつらごー」

近藤が眉間に皺を寄せて、この世の不幸をすべて背負ったかのような深い深いため息をついた。
それを見て、鈴木がゲラゲラと笑って更に近藤にベタベタとし始める。
そして近藤はますます眉間の皺を寄せた。
しばらく鈴木が一方的にイチャイチャとしていたが、満足したのか、橋本に近づいてきた。

「…近藤とお前ってそんなに仲良かったっけ?」
「そうよー、ラブラブなのよ、私達。その内押し倒して孕んで責任とってもらうわ!」
「……いや、普通に怖いから」

鈴木の言葉はおふざけなのか真剣なのか区別がつかないから、怖い。
というか真剣におふざけをやるのが、怖い。
なぜだか鈴木に懐かれている近藤の苦労を思って、橋本は心の中でエールを送った。

「まあ、お前らに比べたら全然だけどね。今日いよいよ初夜でしょ」
「ぶっ!」

やっと先ほどの動悸を押さえ込んだところだったのに、また蒸し返され盛大に噴出す。
鈴木が内緒話をするように、橋本の腕に絡みつき耳元に囁く。

「ちゃんとあいつらの面倒は俺らが見てやるから、しっかり決めろよ」
「てめー!裏切りやがって!」
「誰も裏切ってねーよ。最初からとっととやれって言ってるじゃん。まあ菊池君にはちょーっと袖の下もらっちゃったけどね」
「ちっくしょー!!この金の奴隷がー!!!」
「あらいやだ、あたしは金なんかで動かなくってよ。私は私の奴隷。私の欲望の奴隷よ」
「なんだそのうまいこと言ったみたいな顔は。何もうまくいってねーからな。結局楽しけりゃいいんだろ」
「あったりまえじゃーん!楽しいこと以外、この世に大切なものなんてないでしょ!」

眼鏡を光らせ、清清しい笑顔で言い切られる。
そこまできっぱり言われると、なんとなく納得していまうのが不思議だ。
結局、口で鈴木には叶わないことを橋本は再確認する。

「まあ、処女を失う怖さは分かるけどね。アレでしょ、マリッジブルー。この人に捧げていいのかしら?私、この人についてっていいのかしら。大事にしてくれるのかしら、痛くないのかしら、気持ちいいのかしら、不安だけどちょっぴり楽しみ…」
「いい加減にしろ!」

夢見る乙女のようにくねくねと気持ち悪く動く鈴木に、とうとう我慢できなくなって頭をはたく。
結構本気で殴ったのに、鈴木は堪えた様子もなく楽しげに笑い続けた。

「でもさ、あのいっつもクールぶってた菊池君がさ、つっても最近化けの皮はがれまくってる菊池君がさ、ミスターカッコツケスキーキクッチーがさ」
「それは英語なのかロシア目指してるのかはっきりしろ」
「あら、何橋本君のくせに生意気なつっこみ」
「俺が馬鹿みたいに言うな!」

相変わらず、鈴木の会話はあっちにいったりこっちにいったりで脈絡がない。
そして、橋本がそれに一々対応して熱くなってしまうしまうのも、相変わらずだった。

「まあまあ、あ、また睨んでる」
「は?」
「ほら、菊池君がこっち見てるでしょ」
「へ?」

顎で前方を指す鈴木につられて、そちらを見る。
すると、菊池がこちらを振り返って胡乱な目でこちらを睨みつけていた。

「何あいつどうしたの?」
「いやーん、もう本当に最近の菊池君てばおもしろすぎてたまりません!」

鈴木は何がツボに入ったのか、更に笑い続ける。
笑い声が耳元で響いてうるさくて、橋本は顔をしかめた。
それに、菊池が不機嫌な理由も、鈴木が笑っている理由も分からない。

「何が?」
「そんでお前がそこまで鈍いのがもうすっげーツボ」
「は、ケンカ売られてんのか!?」
「菊池君、面白いと思わない、最近?」

声を潜めて、耳元で囁かれる。
耳朶に息がかかって、橋本は少しだけ身じろぎをした。

「面白いかあ?」
「こんの、ド鈍。そーだな、こんなことしちゃったりして」

首をかしげた橋本に、何を思ったか鈴木がその体に手を這わせ始める。
脇の下に手をいれ、撫でくりまわしてくすぐる。
たまらず、橋本は身をよじって暴れた。

「うお!くすぐってー!!ちょ、ま、ぎゃはははは!」
「更にこんなことしちゃったり」
「あっ、ちょ、ま!」

更に弱い、首筋や脇腹を指でつーっとなぞられ橋本は思わず声を上げる。
そこで、ばりっと音がしそうな勢いで抱き合うような形でじゃれていた二人は引き離された。

「いい加減にしろよ、お前」
「やめとけ」

低い声が静かに響く。
いきなり後ろから引っ張られ、何事かと橋本が辺りを見渡すと、橋本の首根っこを菊池が掴んでいた。
同じように、鈴木の腕を近藤が掴んでいる。
双方の後ろから引き剥がされた形だ。

「…菊池?」
「…………」

菊池はむっつりと黙ったまま、橋本の腕をとる。
何がなんだか分からないが、なんか怒っているようだ。
思わず黙り込んでしまった橋本と逆に、鈴木は嬉しそうに声を上げていた。

「きゃー近藤君!これはじぇらすぃーとしてうけとってもいいのね!」
「菊池がキレる前に止めとけ。こんなに日に余計ないざこざ起こすな」
「ち、相変わらずつまんねー奴だなー、素直になっちゃおうぜ、ユー!」

橋本は菊池に腕をとられたまま、引っ張って歩かされる。
はしゃぐ鈴木の声と、相変わらず冷静で平坦な近藤の声が遠ざかっていった。

「な、なんだよ菊池!ちょ、菊池!」
「お前もう鈴木に近寄るな」
「は?何言っちゃってんの、なんだよいきなり」
「うるさい」

早足で歩く菊池に引っ張られるまま、橋本も早足になる。
意味が分からず菊池に問いかけるが、その背中が明らかに怒っていて答えるのを拒絶する。
だから、橋本も強く言うことができずにただなすがまま引っ張られた。

「おーい、菊池君」
「…………」
「菊池ってば!はぐれるっつーの!」

すでにあの二人の掛け合いも聞こえない。
せっかく皆できたのに、このままでは花火が始まってしまう。
それなのに、橋本の声に菊池に振り返ることもしない。
人混みを掻き分けただひたすら歩く。
周りの人たちは、何かを食べたり、立ち止まって話していたりする。
その一様に楽しげな様子に、橋本は少しだけ寂しい気持ちになる。
色々あるが、一応楽しみにしていたのだ、花火大会を。
一緒に、楽しみたかったのだ。
それなのに、なんだか前を歩く男は怒っていて、橋本は少し怒りながらも、戸惑う。

俺、悪いことしてないよな!?
何もしてないよな!?

どうにも、真意を図りかね、目の前の不機嫌な背中に橋本はもう一回声をかけた。

「おーい……」
「………」
「なー、なんか食おうよ、腹減った。俺甘いもん食いたい」

取り繕うように、なんも考えずにいった言葉に菊池の足がぴたりと止まった。
早足で歩いていた橋本は反応できず、その頭に鼻をぶつけそうになる。

「な、なんだよ、急に止まるなよ!」
「あれ、おごってやる」

橋本の抗議はやっぱり無視して、菊池がおもむろに一つの屋台を指差した。
それでもようやく反応してくれたのが嬉しくて、橋本はそちらに目をやる。
そこはお祭りではなんも珍しくない屋台で、金髪の兄ちゃんが勢いよく女の子達に声をかけていた。

「は?チョコバナナ?」
「そう、チョコバナナだ」
「……えーと、どっちかつーと俺、カキ氷とか食べたいんだけど」
「いや、チョコバナナだ。それ以外認めない」
「え、いや、なんで、そんな断言!?」
「とにかくチョコバナナだ」
「何、お前いつの間にそんなにチョコバナナを愛するようになったんだよ!?」
「どうでもいい、お前はチョコバナナを食え、さあ食え」
「え、いや、つーか訳わからなすぎて引くよ!なんなんだよ、そんなに食いたきゃお前が食えよ!」
「いや、お前が食え」

そういい残すと、更に抗議する橋本を置いて屋台に歩いていってしまった。
橋本が呆然としているうちに、菊池は一本のチョコバナナを手に帰って来た。
特に変わったところのない、チョコとカラースプレーをかけられたバナナだ。

「……本気で買ってきやがるし」

菊池は黙ったまま割り箸がささったバナナを突き出す。
その気迫に押されるように、橋本はそれを受け取った。
もはや何がなんだか分からない。

「よし、食え」
「…まあ、別に嫌いじゃないからいいけど」
「…………」

仕方なく、橋本はそれを口にした。
ぱくりと齧ると、バナナの濃厚さと少しビターなチョコの苦味が口に広がった。
お腹が空いていたからか、そのしつこいぐらいの甘さが美味しかった。

「この上のカラフルなチョコ好きなんだよなー」
「…………」

アイスなどにもかかっているカラースプレー。
味なんてほぼ感じないがそのチープな豪華さが橋本は好きだった。
細かいチョコを舐め取ると、その下のチョコも溶けてくる。
半分ぐらいまで食べてから、自分を、ただじっと見ている菊池に気付く。
その目があまりにも真っ直ぐで、橋本はなんとなく居心地の悪さを感じた。

「…あのさ、そんなに見られると、食いづらいんだけど」
「…………」
「なんだよ、お前も食いたいのか?ほら」

もう半分になってしまって、チョコバナナというよりバナナになりつつあるそれを差し出す。
しかし菊池はそれを受け取ろうとせずに、橋本に視線を合わせた。
日常ではほとんど見ないような、真剣な顔。
なんだか思わず、橋本の背筋が伸びる。

「橋本」
「……なんだよ?」
「勃っちゃいそう」
「ぶはっ!」

思いよらない言葉に、橋本が盛大にバナナを噴出した。
気管に入ったバナナに息が出来なくなり、咳き込み、むせ返る。
苦しさから、涙がにじんできた。
しかし菊池は止まらない。

「やべー、マジもう今すぐヤリたい」
「げほっ!ゲホゲホ!ぐっ、ゲホ!」
「なあ、家いかね?」
「ケホッ!行くか!!つーかアホか!何考えてんだ、お前!!」
「バナナ食ってるお前見て、欲情した」
「何言っちゃってるんだお前ー!!!正気に戻れー!!!」
「俺はこの上なく正気。お前とヤリたい」
「おいおいおいおい、なんかお前ホント最近アホになってないか!?今日特にやばくないか!?お前もっと賢い奴だったよな!?そんながっついてなかったよな!?なんかマジ頭悪そうだぞ!?!?」
「なんでもいいや。なあ、キスしたい、舐めたい、いれたい」
「この人混みの中で何言っちゃってるんだ、このエロガキはー!!!」

むしろ橋本の大声で、辺りの人間が何事かと振り返っていく。
興味深げに見る人間もいれば、若い奴らのケンカかと気にせず去っていく人間もいる。
しかし、今の橋本にはそんなことを気にする余裕は無い。
必死に、目の前の何か乗ってはいけない列車に乗ってしまった男を止めようとする。

「花火!花火を見るんだ!俺は今日、花火を見るんだからな!」
「俺の家からでも見えるし。問題ない」
「いや、あるから!」
「俺の部屋からでも見える」
「いつもの、いつもの菊池に戻ってくれ!!お前そんな奴じゃなかったはずだ!!俺はいつものお前が好きだ!!お前今、俺以上に馬鹿っぽい!」
「ほんとに、馬鹿になってる」
「いや、あっさり認めるな!そんな目で見るな!つーかキモイ、その台詞!」

橋本は半ば涙目でいつのまにか距離をつめていた菊池を押しやる。
なんだか分からないが急に頭が春になってしまった友人を止める言葉を考える。
しばらくそんなことをしていたら、聞きなれがふざけきった声が二人の後ろから聞こえた。

「あ、見つけた見つけた。しけこむにはまだ早いわよ、二人とも!まだ宵の口よー。今から張り切ったら腰がもたなくってよー」
「す、鈴木!」

後ろを振り返ると、予想通りの間の抜けた眼鏡顔。
制服をきたら優等生なのに、趣味の悪いガラシャツを着ている彼はまるでチンピラだ。
しかし、いつもは鬱陶しいその笑顔が、今の橋本には救世主のように感じた。
急いで鈴木の下に駆け寄ると、思い切り抱きついた。

「鈴木!鈴木ー!!!よかった、会いたかった!!」
「え、な、何その熱烈歓迎…、そんなに歓迎されるとなんか逆にがっかりというか、嫌がる君達を見たかったというか…」
「うわーん!!!よかったきてくれて!!」
「あ、はい、どういたしまして、え、いや本当に何?」
「…菊池が、馬鹿になった」

自然になだめるように、橋本の背を撫でる鈴木の前に、これ以上にないほど凶悪な顔の菊池が現れる。
もはや不機嫌を隠そうともせずに、地を這うような低い声で鈴木を睨みつける。

「一々邪魔なんだよ、お前は」

ここまであからさまに感情をあらわすことの無かった菊池に、鈴木は思わず言葉を失う。
いつになく真面目な声で腕の中の橋本に問いかけた。

「……どうしちゃったの、あれ」
「……俺にもわかりません」

橋本は、ただ、そうとしか答えられなかった。





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