昨年の冷夏が嘘のような、うだるような暑さ。 アスファルトは溶け出して、逃げ水で街は歪んで見える。 しかしクーラーの効いた部屋は寒いくらいだった。 今日も今日とて菊池の部屋、橋本と菊池と鈴木は相変わらず無意味な時間を過ごしていた。 「ねえ、あのさ、橋本君」 「なんだよ」 それは寝転んでゲームをしていた時、鈴木が不意に真面目な声を出す。 しかし鈴木はいつが真面目で不真面目なのか分からないというか区別がないので隣に座っていた橋本はそちらを見もせずに答えた。 「なんで俺は君達が遊ぶ度に呼び出されないといけないのかな」 「お前が一番暇そうだからだ」 「ひっど!俺はね!お前らと違って予定につまってるの!」 「うるせー!お前の都合なんて知るか!黙って付き合え!」 あんまりな言い草に鈴木がさすがに言い返すと、橋本も声を荒げる。 売り言葉に買い言葉で2人のテンションはヒートアップする。 コントローラーを叩きつけると、鈴木は橋本に指を突きつけた。 「出来立てのバカップルのイチャイチャに付き合ってる暇なんてないんだけど!2人で遊べよ、2人で!」 突きつけられた指に一瞬怯んだ橋本。 しかしすぐに負けずに立ち上がり鈴木を見下ろし仁王立ち。 「ばっかやろう、お前何言ってんだ!2人きりになんてなったら俺が菊池にやられちゃうだろう!」 きっぱりと言い切ると、鈴木も立ち上がって橋本に掴みかかった。 お互いにらみ合い、一触即発な雰囲気だ。 「いい加減往生際悪すぎんだよ!ケツの一つや二つ男らしく差し出せ!」 「俺の大事な処女をそんな軽々しく扱ってんじゃねーの!この鬼畜!」 「お前は箱入りのお嬢様か!お前の処女なんてもらってくれるだけありがたいと思え!」 「ひどい!あなたそんな人だと思わなかった!訴えてやる」 「ああ、ひどい男だ!悔しかったら行列のできる法律事務所でも連れてこい!」 「俺の揺れる男心を少しは思いやれ!デリケートなお年頃なんだよ!」 「お前ら、頭悪そうなケンカはやめろ」 そこでやんわりと明るい色彩の茶髪の少年が、割って入る。 手に持ったグラスの乗ったお盆を床に置くと、鈴木と引っ付いていた橋本を後ろから引き剥がした。 「つーかお前本当に縛っててもやっちまえよ、こいつ!」 「なんで鈴木がそんなテンション上がってんだよ」 橋本と鈴木の間に入って座り込むと、菊池はつまらなそうに肩をすくめる。 珍しく鈴木は本気で怒っていて、二人に詰め寄り眼鏡の下の目を吊り上げる。 「もー、お前らがさっさとバコバコやりまくってくれると信じてたのに!体験談聞きたいのに!さっさとやれよ!そして聞かせろよ!楽しみにしてるんだよ!つーか気持ち悪いんだよ!中学生出来立てカップルかお前ら!」 「たとえやっても体験談なんて聞かせねーよ」 どこまでも自分勝手な理由を連ねる鈴木に、菊池は冷たく切り捨てる。 しかし鈴木はめげずに、今度は菊池に指を突きつける。 「ていうか、お前は本当にチ○コついてんのか!この甲斐性なし!お前のチン○は飾り物かあ!」 「だってこいつ逃げまくるんだよ。しょうがねーだろ」 更に熱くなる鈴木とは正反対にどこか諦めたようにため息をつく。 最初はやろうとがつがつしていた菊池も、今ではすっかり諦めモードで迫ってくることもない。 橋本は大きく安堵のため息をついて、わが身の無事を神に感謝した。 橋本、グー。 菊池、パー。 勝負は、そこで分かたれた。 「のおおおおお!!!!!!」 「うおっし!!!!」 絶望の声と、歓喜の声が同時に響き渡る。 大音声に包まれた狭い部屋は、一瞬の後静まり返った。 「では、いただきます」 隙を与えずに、自失状態の橋本の足を払い、転ばせると素早く覆いかぶさる。 痛みに顔をしかめる暇もなく、その早業に橋本は青くなる。 迫り来る貞操の危機に、脳内ではアラートがうるさいほど鳴り響いていた。 「ちょ、早!早い!」 「冷めないうちに食べなさいって、親から教わったんだ」 「は、腹が減ってるほうがうまいぞ!もうちょっと待て!おあずけ!」 「十分、減ってる」 そう言って菊池は橋本の唇に、唇を重ねる。 体重をかけられ、腕を押さえつけられ、橋本は逃げることが出来ずにそのキスを受け止めた。 「ん!」 「…はぁ」 長い間執拗に舌を絡ませられ、橋本は頭がぼうっとしてくる。 体が熱を帯び始め、飲み込む唾液が甘くなる。 しかし、菊池の手が体を這い始めたところで水をかけられたように血の気が引き、我に返った。 這い回る手を、押さえつけてとめる。 「き、菊池君、きょ、今日はやめない?」 「やめない」 「いや、ほら、俺汗臭いし。私シャワー浴びたいなー」 「それくらい別に気にしない」 「えーとえーとえーと」 「そろそろ黙れよ」 やられてもいいと思った。 他の奴とやるくらいなら、やられるくらいなら、それでも構わないと思った。 が。 展開が早すぎる。 次々と言葉をひねり出し菊池を止めようとする橋本。 しかし菊池は気にせず橋本の服のボタンを外していく。 1つ外されるごとに、体温が1度づつ下がっていく錯覚に陥った。 「あ、その、俺今日危険日なの!今日はだめ!」 「大丈夫、避妊するから」 「いや、ほら男の避妊なんて100%じゃないらしいし!」 「男の責任はとる」 「男っていつもそう言っていざって時に逃げるのよ!」 寝転んだまま、覆いかぶさってくる菊池の顔を全力で押し戻す。 気にせずコトに及ぼうとしていた菊池だったが、さすがにそこで動きを止める。 自分の顔にかかる手を振り払うと、いい加減大人しくならない橋本への綺麗に整えた眉を吊り上げて苛立ちをあらわにした。 「……うっせーなあ!!つべこべ言わずにさっさとやられろ!」 「最低!菊池君最低!」 「やかましい!とっとと足を開きやがれ!」 「犯される!強姦魔!ヤリ○ン野郎!」 「最後には気持ちよくなるからお前だっていい思いできんだよ!」 「ちょっと待て、本気で最低だぞ、おい!男ってこれだから嫌なのよ!」 「うるせーな!そろそろ限界なんだよ!とりあえず一回やらせろ!」 寝転んだままドタバタと暴れ続ける。 恐怖から余裕のない橋本は、自分を押さえつける男にも全く余裕がないことに気付いていなかった。 進展のないまま硬直状態に陥ったその時。 どこか疲れた高い声が響き渡り、玄関のドアが開いた音がした。 「ただいまー」 パタパタと廊下を歩く音がする。 菊池の母親が帰って来たのだ。 「……っち」 「助かったー!!!!」 菊池は盛大に舌打ちをし、橋本は両手をあげて喜んだ。 その日から、全力で橋本は逃げ続けていた。 遊びに誘われたら、すかさず鈴木や他の友人を誘って2人きりにはならない。 家族がいない間の菊池の家には近づかない。 補習で学校へ行ったときも早々に帰り、教室で2人きりになるような事態は避ける。 最初は苛立ちを顕にしていた菊池だったが、3日もたつうちに何も言わなくなった。 ちょっと待ってくれる気になったのかと、肩を撫で下ろした。 そうして変化のない平和な時が流れていく。 「あ、そうだ、橋本、18日って暇?」 「………な、なんで?」 しかし、時折ふってくるこういう質問に、動揺せずにいられない。 最近では怖い質問をしてこなかったから、余計に緊張して背筋が伸びる。 「遅くなるかもしれないから、19日の午前中とかも大丈夫?」 「と、泊まり!?いや、だからなんで!?」 誘いの言葉にしてはあまりにも直球過ぎて、橋本は毛を逆立てて警戒する。 一歩許せばすべてが終わりだ。 自分の貞操を守るためには、最大限の防衛が必要だ。 そんな橋本の警戒心を分かっているのかいないのか、のんびりと菊池は続ける。 「ほら、18日花火大会あんじゃん」 「あ、そういえばあったな」 「それで、鈴木とか女いない奴らで皆で行こうかって」 話は橋本の予想としていたものと違う方向に向かい、橋本はほっとため息をつく。 皆がいるならとりあえず危険はない。 「うわ、切な!あれ、ていうか鈴木彼女いたじゃん」 「この前別れたらしいぜ。気が付いたら携帯見られて、2人目の彼女の電話されてて2人からきられた、と」 「救いようねー…。つーかざまーみろ!自業自得だ!あのエロ眼鏡!」 「そ、であいつがやけになって男全員で花火大会行くぞ!とか言い出して」 「しょっぱー。でも楽しそうだな。屋台とか出るし」 「まあ、男臭くて微妙にヤだけどな、こういうのもいいんじゃん?」 「そうだな」 女の子と遊ぶのはやっぱり嬉しくてドキドキするが、男同士が気楽なのもある。 気の使わない馬鹿馬鹿しい付き合いは、やっぱり楽しい。 何も意識することなく、だらだらと過ごせるのは同性の友達ならではだ。 「で、どうせあいつらと一緒にいったら遅くなるだろ、だから19も大丈夫って?」 「あー、大丈夫大丈夫。シフト入ってたけどずらしてもらうわ」 「ま、そんでそのままうちに泊まれば」 「そうだなー、それでいっか」 「よし、んじゃ連絡しとくわ」 「よろしくー」 皆と一緒に泊まるのなら、全く問題はない。 それに菊池の家は昼は危険だが、夜は両親がいる。 さすがに両親のいる家で、挑まれたりはしないだろう。 せいぜい酒を持ち込んで皆で静かに飲むぐらいだ。 橋本は楽しい花火大会の計画を思い浮かべ機嫌よく微笑んだ。 「それで橋本」 「ん?」 何気なく名前を呼ばれ、橋本は鼻歌交じりに返事をした。 菊池は、向かいあってにっこりと笑う。 「うちの親、17から20まで田舎に帰ってるから」 「………は?」 「家、誰もいないから」 「………へ!?」 「一緒に行く奴らが飲み会にもつれ込むなら鈴木の家に引き取ってもらうって、裏交渉済みだから」 「………ちょ、ま!!」 「いやー、ツテ頼って鈴木の欲しがってたDVD手に入れんの苦労したぜ」 にこにこと、いつもクールを装ってる男が子供のように笑っている。 しかしその笑顔は橋本には悪魔の笑顔に見えた。 背筋が寒くなっていく。 「き、菊池!」 「いい加減、覚悟決めろよ?」 橋本は、自分が罠にはまったことを、知った。 |