「う、植木鉢なんてやってないよ、私!」
「本当か?」
「や、やってないってば、危ないじゃんそんなこと!」
「カミソリは危なくないのか」
「そ、それは、そのっ……」

教室の隅、怪しげにこそこそと話し合う数人の人影。
どこから見ても整った顔立ち、均整のとれた長身を持つ義也。
その義也に責められ、泣きそうに綺麗な顔をゆがめるのは笹岡。
少々派手めな化粧は、顔のパーツの一つ一つが大きくくっきりとしている笹岡によく似合う。
そしてその2人を穏やかににこにこと見守っているのは桜。
長い髪をゆるく二つにゆう、どこか目立たない印象の地味な少女だった。
華やかに2人に囲まれる光景は、どうにも不釣合いな印象だ。

「本当に本当か?」
「本当だってば!」

疑り深く、目を細めて笹岡を見据える義也。
笹岡は長年の想い人にそんな目で見られ、涙目になって否定する。
そこにゆったりと柔らかな声が割って入った。

「まあまあ義也さん、笹岡さんのおっしゃってることは本当だと思いますよ」

そう言って義也をなだめる桜は、どこまでも少女らしい温かさを持っていた。
義也にはその少女らしさがすでに薄ら寒い。

「なんでそう思うんだよ」
「私も最初は笹岡さんが行ったことだと思っていたのですが、よくよく考えればあの場には義也さんもいらっしゃったんですよ」
「ああ?」
「もし義也さんに当たったなら、大変です。私に落とすことはあっても、笹岡さんが義也さんに植木鉢を落とすことはないでしょう」

ね、首をかしげて笹岡に慈愛に満ちた表情で微笑みかける。
笹岡はその母親のように愛情深い笑顔に、こくこくとすごい勢いで頭を上下した。

「そ、そうよ!私、義也に怪我させたりしない!」
「ええ、女性心理としては攻撃するならまず女性ですよね。それにそんな姿を義也さんに見せようとは思わないでしょう」
「うんうん、やるなら義也に見つからないようにするし!」
「うふふ、笹岡さんたら正直者ですね」

穏やかに受け答えをする桜と、ぶっちゃけすぎな笹岡。
義也は頭痛を抑えるように眉間を押さえた。

「女って……」

元々好きではなかった女という生き物に、更に恐怖を覚えそうだ。
苦悩する義也に、桜は口元を押さえて小さく笑う。

「ふふ、義也さんたら。女心が分かってませんね」
「一生分かりそうにない」
「でも笹岡さんは可愛らしいじゃないですか」
「そのどこに可愛らしさを感じればいいんだ」
「やり方が稚拙で大雑把なところです、もっと陰険でうまくやる方は沢山いらっしゃいますからね」

その言葉に自分が桜にした数々の嫌がらせを思い出しのか、言葉を呑む笹岡。
綺麗な顔をゆがめ、眉を垂れる。
しょんぼりと肩の力を落とすその姿は女王様然とした少女に似つかわしくなく、どこか痛々しい。

「ご、ごめん」
「いえいえ、貴女のそういう幼稚で少々迂闊なところが微笑ましくて好きですよ」
「吉田……」

謝る笹岡に、桜は笑顔を崩さない。
感じいったように自分より小さな桜を上目遣いに見る笹岡。
その目は許されたことによる、感謝と感動に満ちていた。

「いや、ちょっと待て、そこは感動するところなのか?」

少女2人のやりとりを黙って見ていた義也だったが、思わずそこを突っ込む。
しかしいつもの通り綺麗にスルーされた。

「では、植木鉢は笹岡さんの仕業じゃないんですね」
「うん、やってないよ」
「はい、分かりました。信じます」
「あ、ありがとう……」

そこで予鈴のチャイムがなった。
同時に言葉を呑み、チャイムが鳴り終わるのを待つ3人。
鳴り終わると同時に、笹岡は席を立つ。
朝の始業前の数分、これまでの嫌がらせの事情聴取を行っていたのだ。

「じゃあ、私、席に戻るね」
「はい、お忙しいところありがとうございました」
「……その」
「はい?」
「………ごめんね」

そう言って、よく見ないと分からない程度に頭を下げた。
桜はその言葉にただ温かな微笑みを深くした。
その微笑みに、笹岡は安心したようにはにかんで、自分の席に戻っていった。

「……また、気味悪いぐらい素直になったもんだな」
「気味が悪い、なんてそんな失礼ですよ」
「つっても、あのツンケンした女がさ」
「言ったでしょう、笹岡さんはかわいらしい人ですよ」
「お前に比べれば誰もかわいいがな」
「今度は間違えないでほしいですね」
「…………」

他意を感じさせず、桜は優しげにそう微笑んだ。
その視線は前方に座る笹岡の背中に向けられている。
義也はそんな桜を見て、なんだかもやもやとして感情が胸を覆う。
思わず、言うつもりのなかった言葉が口をついて出る。

「お前って、最低で最悪だけど、ある意味すごいよな」
「はい?」
「どんな人間でも受け止められるっていうのは、すごいな」
「………」
「お前のこと本気で嫌いでむかつくが、すごいと思う」

受け入れられる人間の幅が極端に狭い義也には、たとえどんな打算や裏があろうと、人を受け止められる桜は素直にすごいと思った。
見習いたいとも、そうしたいとも思わない。
けれど、桜が結果的に人を傷つけることをしていないのは確かだ。
していない、たぶん、おそらく、きっと。

「…………」

隣が急に無言になったので、義也は怪訝に思ってそちらに視線を向ける。
桜はいつもの笑顔を取り払い、目を丸くして口を軽く開いた間抜けな顔をしていた。

「……なんだよ」

いつも感情の波をみせない桜の、そんな呆けた表情は初めてで義也は思わずマジマジと見入ってしまう。
その視線に気付いたのか、一瞬の後、桜は笑った。
どこか胡散臭いいつもの穏やかな女らしい微笑みではなく、子供のような無邪気な笑顔で。
思わず、息を呑む義也。

「…………」
「義也さんて、本当にいい方ですね」
「……お前に言われても全く嬉しくない」
「でも、とてもお優しいです」

とても嬉しそうににこにこと笑う桜。
珍しく裏のなさそうなストレートな褒め言葉に、義也は照れくさく決まり悪くなり目を逸らした。
桜は、そのままの笑顔でおっとりと続ける。

「いつか騙されないように気をつけてくださいね。義也さんいいカモになりそうです」
「やかましい!!」

余計な一言に、義也は隣に左ストレートを放った。



***




昼休み、なんとなく初日に昼食を取った裏庭に来て2人並んで弁当をつついていた。
桜の作った弁当を教室で食べるのも気が引けたし、話したいこともある。
ちなみに今日の弁当には、梅干に見せかけた杏のシロップ漬が入っていた。
油断して白米と一緒に食べた義也は大打撃を受けた。

「にしても、それじゃああの植木鉢は誰の仕業だったんだろうな」
「そうですね、笹岡さんの言葉に嘘はないと思われます。となると、事故か…」
「にしてはタイミングよすぎだろう」
「ええ、あの位置からは自然に植木鉢が落ちることはありませんし、事故という可能性は否定しきれませんが」
「……お前、最初から事故じゃないと思っていたのか?」
「ええ、まあ。あの後確かめに行きましたし」

あの時、何気なく事故として片付けようとした桜。
義也はあの桜の言葉に納得していた。
それなのに、桜はすでにあの時気付いていたのだ。
それを、義也には黙っていた。
なんとなくのけ者にされたような理不尽な怒りがわいてきて、声が低くなる。

「なんで言わなかったんだよ」
「あの時は笹岡さんだと思っていましたんです。だから、わざわざ義也さんに知らせる必要はないと思いまして」
「だからって」
「義也さんには害がないと思いましたし、笹岡さんもあなたには知られたくなかったでしょうし」

ただむかつく人間なだけだったらいい。
だが、たまにこんな思いやりを見せる桜が、だから義也は苦手だった。
人のことを考えない、打算だらけな人間なだけだったらよかったのに。

「それに植木鉢なんて大きな弱みになりますし。握っておけば後々有利ですよね」

そしてそう続ける桜に、黙って頭をはたいた。
こんな奴を見直すんじゃなかったと何度目かの後悔をする。
桜の行動の85%ぐらいは、間違いなく打算だ
そう深く胸に刻みなおす。

「にしても、そうなると一体……」
「もしかして、義也さんを狙ったものだったんでしょうか」

意外な桜の言葉。
食後のほうじ茶を飲んでいた義也は思わず目を見張った。
デザートのうさぎの林檎を齧りながら桜は首をひねる。

「俺か……?」
「ええ、ありえない話でもないかと」
「俺は誰かに恨まれる覚えなんて……」

そこで義也は言葉を切る。
ないとは言い切れない。
派手な外見派手な肩書き。
バイト先でも優秀な義也は商売仲間にも恨まれることがあるだろう。
成績もいいから、学内で妬まれるこもあるだろう。
そう考え始めるとぞわぞわと、嫌な寒気が背筋を走った。

「ああ、ただ単に可能性です。そんなに深く考え込まないでください」
「だけど……」

派手な外見や肩書きと違って、義也の中身は善良な小市民だ。
誰かに植木鉢を落とされるほど恨まれると思うのは、いい気持ちはしない。
気味が悪く、少し悲しい。

「やはり私狙いな可能性が大きいわけですし。それに、恨みとは限りませんよ」
「どういうことだ?」
「少々重過ぎる愛の結果、ということも」
「……女性心理では女は女を狙うんじゃないのか?」
「ケースバイケースです。女性が女性を狙うのは定石ですが、あなたを殺して私も死ぬ、という方向性の愛もあるわけですし」
「……………」
「笹岡さん以外にも義也さんのファンの方は沢山いらっしゃるでしょうし」

恨まれるのはいやだか、そんな理由で殺されそうになるのはもっといやだ。
先ほどよりも寒気が激しくなり、暖かい陽気の中、義也は腕をさすった。
体を温めるため、もう一杯ほうじ茶を注ぐ。
一口すすって、ふと一つ思いつく。

「でも、それだとお前のストーカー軍団も怪しいんじゃないか?」
「義也さんの家にお世話になる前に、危険な方々は皆さんお引取り願ったんですが」
「というか絶対こんなことするの、お前の取り巻きだろ」
「別に私が巻き付かせている訳ではないのですが……」
「ちゃっかり利用してんじゃねえか」
「でも、それで言ったら義也さんのファンの方々も相当な人が結構いらっしゃいますよね」
「……」
「私の郵便物の危険チェックのついでに、義也さんのも少々調査させていただいたのですが」

義也は思い出したくもないことを思い出しそうになり目を逸らし聞こえないようにする。
しかし桜はその様子に気付いているのかいないのか、にこにこと先を続けた。

「髪の毛が入っていたり、好きですと便箋に10枚ほど書き連ねているのはまあ序の口として」
義也はそっぽを向いて聞こえない振りを続行する。

「○○○な○○が入っていたり、○○○○をした○○○が……」
「うわああああー!!!!!!」

我慢できたのはそこまでで、義也は頭を抱えて叫び声をあげた。
まだ自分でファンレターを読んでいたあの頃の恐怖を思い出す。
今は事務所経由でチェックされたものしか読まず、自宅に直接きたものについてはそのまま、家に入れることなくゴミ置き場行きとなっていた。
義也を女性嫌いにした一因でもある、あの恐怖の日々をいまだに忘れることができない。

「あらあらあら、そんなに怯えないで下さい」
「女ってのはなんでああ怖いんだ!」
「ふふ、性別なんて関係ないですよ。男性もやる時はやりますよ?私が頂いた印象的なお手紙やプレゼントでは、○○○の○い○○とか○○○した○○とか○○な……」
「もうやめてくれー!!!」

義也はすでに誰もが振り返る綺麗な顔に涙を浮かべている。
その過剰な反応に、珍しく桜は本気ですまなそうに頭を下げた。

「う、うう……」
「ご、ごめんなさい。そんなに怖がるとは思わなくって」
「○○が……、○○が……」

いつも不機嫌に眉をしかめている義也が、目をうつろにしてぶつぶつと何かをつぶやいている。
桜が気遣うような視線を投げかけているのにも気付かない。

「あの、義也さん?義也さん?」
「もういやだ、頼む、やめてくれ……」
「えーと、困りましたね」

頭を抱えて自分の世界に入ってしまった義也に、桜がめったになく困ったように首をかしげた。
義也は涙をうかべたうつろな目で膝を抱えている。
なにやら触れてはいけないところに触れてしまったようだ。

「大丈夫ですよ」
「え?」

ふわりと、温かなものが義也を包む。
ほのかに落ち着く匂いが、鼻腔をくすぐった。

「大丈夫です、私が義也さんを守りますから」
「………」

自分よりも頭2つ分小さな体が、義也の長身を頼もしく包み込む。
端からは桜が義也にしがみ付くような格好だが、明らかに抱きしめられているのは義也だった。
その柔らかさと温かさは、ささくれだった義也の心をなだめていく。
ぽんぽんと、背中をゆっくりと叩く華奢な手。

「大丈夫ですよ、大丈夫です。怖いものは私が全部追い払いますから」

穏やかで染み渡るような静かな声。
その声にあやされるように、義也は目を閉じた。
なんだか、懐かしい記憶が呼び起こされそうだった。

しばらくそうしていただろうか、さきほどより少し強い声が義也の意識を促す。

「落ち着きましたか?」
「………っ」

その声に意識を取り戻した義也は、慌てて飛びのいた。
今、自分のしていた行動が信じられなかった。
よりによって、目の前の小さな少女にすがっていた。
一番信用してはいけないであろう少女に。

「な、な、な、な、俺は!」
「さて、そろそろ昼休みが終わってしまいます」
「〜〜〜〜っ」

動揺する義也を気にすることなく、桜は立ち上がるとスカートを軽くはたいた。
にっこりと穏やかに笑うと、義也を振り返る。

「ということで、義也さんも危険かもしれないのでお気をつけ下さい」
「え……」
「ターゲットは私だとは思うのですが、義也さんも身の回りには十分に注意なさってくださいね」

気遣わしげに注意されるのは、どこかくすぐったく決まりが悪い。
先ほどの出来事もあり、気まずさから義也はぶっきらぼうに低い声で返す。

「…………お前に言われるまでもない」
「ええ、でも義也さんは少々迂闊で人が良すぎて騙されやすいですから」
「やかましいっ」
「それにマザコンでファザコンですし」
「関係ない!」

それでもつっこむ言葉と頭をはたく手はいつもより弱弱しかった。
桜は女性らしい仕草で髪を押さえると、穏やかに笑う。

「それでは私はお先に失礼します」
「その……」
「はい?」
「………お前ならなんの心配もいらないと思うしこんなこと言う必要もないと思うんだが」
「はい」
「…………………気をつけろよ」

その言葉に、桜は溶けてしまいそうな笑顔で応えた。
義也の分もお弁当を取り上げると、静かに人気のない裏庭から立ち去る。
義也は何も言えず、ただその華奢で頼りない後姿を見つめていた。
どう考えても自分より小さく、弱弱しいもろそうな体。
しかし、それを支えているものはしなやかで強靭で、けれど柔らかなもの。

「………毒されてる。目をさますんだ、俺」

頭を力強く何度もふって、今まで桜にされた数々の嫌がらせギリギリアウトの行為を思い出す。
そして徐々にムカつきと腹立ちを蘇らせ、眉間のしわを復活させた。

「よし、これでいい。あいつはこの上なく油断のならない女だ。忘れるな」

自分に何度も言い聞かせ、必死にさきほどの温かな感触を頭から追い払う。
そうしてなんとか桜へ対する感情を怒りへとシフトさせると共に、予鈴がなった。

「……帰るか」

そう1人でつぶやくと、義也も軽くズボンをはたき立ち上がった。
人気のない裏庭。
休み時間も終わりに近づき、すでに喧騒もない。

昇降口に向かうため、義也が角を曲がった時だった。
頭に、強い衝撃をうけた。
痛みを感じたと同時に、自分の体が倒れていくのを感じる。

何が起きたか、認識することもないまま、義也の意識は黒く染まった。






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