義也が目を覚ますと、ズキズキと首の後ろ辺りから頭にかけて鈍い痛みが走った。
ぼんやりとした意識のまま、痛みと息苦しさが覚醒を促す。
自然に頭に手をやろうとして、それが出来ないことに気付く。
どうやら腕は後ろに回されているようで、動かした途端軋んで痛みが走る。
ようやくはっきりしてきた意識は、義也の置かれている状況を認識し始める。

縛られてる?

義也はそこでようやく瞼を開けた。
口は何か布を詰め込まれていて、叫ぶことも話すこともできない。
起きた時から感じていた息苦しさはこれだったのかと思い当たる。
後ろ手に縛られると同時に、足も縛られている。
その状態で、埃臭いマットに転がされていた。
自由にならない体を無理矢理動かして辺りを見回すと、そこは明かりがほとんど差し込まない薄暗い室内。
頬に砂がすれてじゃりじゃりと不快な感触がした。

室内には、学生の義也にはよく見慣れたものが置かれている。
義也が転がされているマット、跳び箱、ボール、点数ボード。

体育倉庫?

更に辺りを見回そうと、義也が体をひねった瞬間だった。
ざらりとした、いやらしい声が降りかかる。

「ああ、起きたのかい?」

別に、嫌な声というわけではない。
けれど、その中に含まれるなんとも言えない悪意のようなものが不安を誘う。
影が差して、釣られるように上を見上げた。
そこには、義也の学校の制服を着た少年。
校章がないので、何年かは分からないが見覚えはなかった。
ただ、義也よりは年上に見えたので、3年かと思う。
無害そうな少年、しかし手には小さなナイフが握られている。

「う、ふうう」
「ああ、しゃべれないのか。ごめんね、叫ばれたら困っちゃうから」
「ふぉふぁへははれは!」

ごめんね、といいながら少年には全く悪びれた様子はない。
布を口につっこまれたままふがふがと情けなく話す義也を馬鹿にしたように笑っている。
誰かは分からないが、義也にはなんとなくこの少年の正体が分かる気がした。

こいつが植木鉢の犯人か。

別にものすごい不細工であるとか、いかにも犯罪者といった風貌ではない。
どこにでもいるような、中肉中背、一般的な顔立ち。
街を歩いていても、誰も気にかけないような、これと言って特徴のない少年。
けれど、その目はドロッとどこか濁っている。
何をしてもおかしくない、そんな不安を誘う目をしていた。
何よりも、その手のナイフが怖い。

「情けないねえ、色男が台無しだ」
「ふううはい!!」
「なんて言ってんの、かっこ悪いー」
「ふー!!!」
「桜ちゃんに手を出すからそんなことになるんだよ」

やっぱりあいつかー!!!!

心の中で義也は大絶叫した。
一瞬自分を妬む人間か、とも思っていた。
しかし予想通りやっぱり桜の関係者だったことに胸を撫で下ろす。
自分の関係者が人に危害を加えているのと考えるのは、嫌だった。
桜の関係者であることに、すでに驚くことも呆れることも怒ることも通り越し、諦めにいたる。
こいつもどうせ、桜の取り巻きストーカーの1人なんだろうと予想する。

「桜ちゃんも、君のどこがいいんだろう」
「ひふは!」
「ちょっとぐらい顔がよくて頭がよくスタイルが良くてモデルやってて家が金持ちなぐらいで」
「…………」

複雑な気持ちで一瞬黙り込む義也。
その間にも目の前の少年は、どこか遠くをみながらうろうろと義也の周りを歩き回る。
その動きも落ち着きがなく、目もぎょろぎょろと忙しなく動く。
冷静に話そうとしているようだが、その行動に不安がいや増す。

「ねえ、僕の桜ちゃんとはどこまでいったの?キスした?それとももうエッチした?」
「ふふは!」
「僕がちょっと放っておいたから、つい君みたいのと浮気しちゃったんだよね。悪いことをしたよ。でもそんな素直になれないところがまたかわいいんだよねえ」
「……………」
「僕をすごい信頼してくれてさ、色々頼みごとをしてくれたり、甘えて色々おねだりしてくれたり、それでいて女子高校生と付き合っているって噂がたって僕に迷惑がかからないようにってデートを遠慮したりする控えめなところもいいし、今時の子には珍しく手を繋ぐことも照れちゃう潔癖で純粋なところもいいよね」

もはや義也にはなにも言えなかった。
とりあえずお前は騙されてると、全力で訴えたかったが猿轡されていてそれも叶わなかった。
少しだけ同情を含んだ視線で、自分を見下ろす男を見返す。
けれど少年は気付いた様子もなく、自分と桜の仲を語り続ける。

「聞いてる?あの娘をもう汚したの?」
「…………」

桜と一緒に暮らし始めて何をされたか義也は思い返す。
変なメシ食わせられて、風呂を覗かれて、怖い目にあった。
女の怖さを改めて知った。
汚すというか、汚された気がする。

「ああ、この口でもう彼女に触れたのか」

そう言って男は義也の口にかましていた布を取り去る
急激に酸素が入ってきて、義也は軽く咳き込む。
咳き込んで軽く涙目になっていると、男は義也の体を抱えあげた。
小さく華奢な体の彼には義也は少し重かったらしく、軽くよろめく。
そうして、少年は何を思ったか顔を近づけてくる。
義也は自分の血の気の引いていく音がしたような気がした。

「ちょ、止めろ!早まるな!何をしてる!」
「ああ、桜ちゃん…」
「やめろ!やめろ、やめろ!!!」

いもむしのように縛られた体で身をよじて逃れる。
義也の全力の抵抗も男は意に返さずじりじりとその時は近づいてくる。

「これも愛の試練なんだね」
「んー!!!!!!」

義也の必死な、けれどささやかな抵抗もむなしく、男の唇が義也の形のいい唇に重なった。
感触がどうのこうのといったことも感じなかった。
ただ頭が真っ白だった。
ある意味義也には幸運だったかもしれない。

俺のファーストキスー!!!!!

気色悪さとショックと絶望で、本気でその時義也は涙目だった。

「君も、綺麗な顔しているね。その体で、桜ちゃんを抱いたの?」
「やめろ!!!!やめろー!!!!助けろ、桜!!!!」

そんなことをつぶやいて、なおも目の濁った男は義也の服にナイフを当てる。
義也に見せ付けるようにゆっくりとナイフでボタンを切り裂かれる。
第2ボタンまで来た時我慢出来ずに義也は全力で叫び声をあげた。

「桜ー!!!!」
「はい」

緊迫した場にはそぐわないいつも通りの女らしく穏やかな声。
少しだけ頼りない、おずおずとした少女の、声。
首をひねると、体育館倉庫の扉はいつの間にか開き、その入り口に地味な少女が佇んでいる。

「義也さんが再起不能になってしまう前にやめて頂けませんか?」

少女、桜は義也にちらりと視線を送ると、軽く顎を引いて頷いたように見えた。
そして再びナイフを持つ男に体を剥きなおす。

「ああ、桜ちゃん…、会いたかったよ…」

喜びに満ち溢れ感極まった声で、にたりと笑う。
男は義也なんか忘れ去ってしまったように、その体を放り出す。
乱暴に転がされたが幸い下はマットで、義也はそこまでダメージを受けずにすんだ。

なんとか男が桜に気をとられているうちに逃れようと身をよじるが、やっぱり縛られた手足は解けそうにない。
唇を噛んで、二人の動向を見守る。
とりあえず、男を刺激しないようにジリジリと転がって身を離す。

義也は苦々しい思いで、自分の変化を感じ取った。
桜が現れたことで、ほっとしてしまった自分に気付いてしまった。
女に、しかも桜なんかを見て安心してしまった自分が情けなくて腹立たしかった。
そもそも、この事態を招いたのは桜だ。
理不尽な気持ちでいっぱいになりながらも、もう大丈夫だと、そう思ってしまった。
それがひたすら悔しかった。

「やっぱり貴方でしたか、前レギュラーストーカーNO1、山本さん(仮名)」
「そうだよ。会いたかっただろう?ごめんね、遅くなって。しかしいけない子だね、僕がいないからって僕の気持ちを試すようなことをして」
「植木鉢、爆発物の小包、車での襲撃、切り刻まれた人形やら○○な○○○やら素敵なプレゼントの数々、ありがとうございました」

植木鉢は知っていたが、そのほかは初耳だった義也は目を見開く。
そんな危険な事態に陥っていたのに、桜の態度は全く変わらず、気づくこともなかった。
桜は戸惑う義也を知ってか知らずか、淡々と微笑すら浮かべて少年に対峙している。

「僕のプレゼントは気に入ってもらえた?君に喜んでもらえるように頑張ったんだ」
「以前にも申し上げたとおり、私へのプレゼントは換金が容易なものでお願いいたします。そんなものに金をかけるくらいなら現金でくださった方が何倍も嬉しいです」
「あはは、桜ちゃんは相変わらず冗談好きだなあ」

変態電波ストーカーに、極悪性悪女。
その噛みあってない会話を端から見ていて、義也は小さく震えた。
男が怖かったがそれと同じぐらい、いやそれ以上にその男に平気で対している桜も怖い。

「学校内の襲撃だから、学生だと思いきや、制服まで新調されたんですね」
「10歳以上も若く見られるんだから、僕も捨てたもんじゃないだろう?君にもふさわしいよ」
「そういえば貴方は服装倒錯の趣味もありましたね。私のストーカーチームの中でも群を抜いた奇抜ぷりと、手段を選ばない目的到達への努力は中々気に入っていたのですが」

義也は男が学生じゃないことにまず驚く。
どっからどうみても、少年に見えていて、学生であることは疑いもしなかった。
それと同時にわざわざ制服を仕立て学校にやってくる粘着さ加減もひたすら怖い。
義也の学校の警備体制の建て直しを切に願った。

「現レギュラーストーカー勢のフォーメーションでもしっぽを掴ませないその潜伏と隠蔽の手口、さすが山本さん(仮名)というところでしょうか。正直、貴方はあまり敵に回したくなかった」

珍しく苦悩したように、眉を寄せる桜。
いつもより、心なしか少し早口になっているように感じる。
桜のそんな焦った様子は、始めてみたかもしれない。
それで、義也は今置かれている状況がそんなにいいものではないことを悟る。
つっこみどころ満載の会話だが、刺激することを恐れて口を挟むこともできない。

「桜ちゃん、迎えに来てあげたよ。寂しかっただろう?ちょっと時間かかってごめんね」
「相変わらずのそのかっとび具合。裸ネクタイで橋からつるしたり、貴方のストーカー行為の証拠やら写真をご家族にばら撒いて、しばらくは病院から出てこれないようにしても無駄だったのですね…」
「皆が僕らを引き裂こうとするね。まるでロミオとジュリエットだ。でも、僕は君のためならどんな障害だって乗り越えて見せるよ」

全く話が通じていない、いやすべてを自分のいいように解釈する山本(仮名)に義也の背筋は怖気が走った。
笹岡なんてかわいいもんだ、と言った桜の言葉をここにきて理解する。
本当に、話して無駄な人間というのは、存在するのだ。

「清清しい周りの見えなさぷり、近視眼的視野の狭さ、変わりませんね、山本さん(仮名)」
「僕は変わらないよ。君が愛した僕のままだ。君への愛も変わらない」

うっとりと桜に向かい、山本(仮名)は語りかける。
ナイフを片手に愛を囁くのも何もないものだが、桜はにっこりと微笑んだ。
山本(仮名)に向かって手を広げて、優しい、慈母のごとき笑顔を向ける。

「ええ、私も貴方に会いたかったです、山本さん(仮名)」
「うん、分かってるよ。寂しかっただろう?」
「ええ、とても。早くこちらに来てくださいませんか?」

本当に恋人に話しかけるように甘えを含んで首を傾げる桜。
義也は止めようか止めまいか迷う。
いくら桜でも、相手は男でナイフを持っている。
そんな男を近づかせていいものだろうか。
一瞬の迷いの後、声を上げようとした義也。
けれど、かすかに義也のほうを向いた桜は、目でその行動を制した。

「勿論だよ、今行くよ」
「早く来てください、早く貴方に傍に来て欲しい」
「ああ!」

聞いている方が赤面してしまいそうなほどの、甘い言葉。
山本(仮名)は喜色を浮かべて、駆け出す勢いで入り口に向かう。
けれど、3歩近づいたところでぴたりとその動きを止めた。
1歩引いて、ナイフを持ち直す。

「……でも、君はちょっぴり悪戯好きだからな。何か悪戯を仕掛けてあるんじゃないかな?」
「私を疑うんですか?ショックです、貴方なら私を信じてくれると思ってたのに」
「勿論信じてるよ。でも、君はたまにとても素直じゃないから」

山本(仮名)の行動が正しい。
こんな時になんだが、義也は心の中で山本(仮名)の判断に賛同した。
さっきは焦ったが、桜が何も考えなしにこんな危険な男に近づくわけがないのではないかと考えてしまう。

「私が何かするかと思ってるんですか?ひどい…」
「ごめんね、君を信じてるんだけれどね、万が一に備えて、僕はこの男の傍から離れないよ」

本性を知ってる義也でさえ、あやまりたくなるような傷ついた声を上げる
悲しげに顔をゆがめられると、無条件に頭を下げたくなる。
けれど山本(仮名)は中々慎重で、じっくりと探るようないやらしい目で桜を検分する。

「ごめんね。でも、何の悪戯もないって分かるまで、僕はここを動けないな」
「…分かりました。私が何もしないって証拠を見せます」

やっぱり悲しそうに目を伏せると、桜はゆっくりと自分の制服に手をかけた。
止める間もないまま、ブレザーを脱ぎさる。
パサリと音を立てて、土の上に紺色のブレザーが落ちる。
その音で義也はようやく我に返った。

「やめろ!おい、桜、止めろ!!」
「君は黙ってろ!嫉妬は醜いよ!」
「うるさい、この変態!!」
「何!」
「うせろ、この変態ゲス野郎!!」

すでに狂気を隠そうとしない血走った目で、山本(仮名)は義也にナイフをむける。
義也はそれでも、山本(仮名)を罵る言葉をやめない。
そんな義也に近づき、怒りに震えるナイフを山本(仮名)は振りかざそうとする。

しかし、それを止めたのは柔らかで女性的な声だった。

「ひどい、山本さん(仮名)。私が目の前にいるのに、そんな人を相手にするんですか?」
「ああ、ごめん、ごめんね、こいつがあまりにうるさいから」
「私だけを見ていてくださるんじゃなかったんですか?」
「勿論だよ!」
「ありがとうございます」

そのまま桜はスカートのファスナー手をかけ、躊躇いなくそれを地面に落とす。
シャツ一枚になると、今度はそのボタンを外し始める。

「おい、桜!桜止めろ!」
「義也さんは少し黙っててください」

いつになく硬質で冷たい声で、制止される
それでも義也は桜を止めようと必死だった。
一応どんなに性格悪くてふてぶてしかろうと、桜は女だ。
こんなことを、させてはいけない。
それでもそんな義也の叫びもむなしく、桜は下着姿になってしまった。
日に焼けてない白い肌が、太陽の下で眩しかった。

「はい、これで、私が何も用意してないって、分かってくださいました?」
「…………」

脱ぎ終わると、山本(仮名)に向かって笑いかける。
そして、顔を赤らめて自分の身を抱きしめるように小さく震える。
地味で清純そうな少女の、そんな仕草は思わず息を呑む色気があった。
山本(仮名)がごくりとつばを飲む音が響く。

「ちょっと、恥ずかしいから、早くこちらに来てくれませんか…」
「……分かったよ。でもナイフ持ってることを忘れないでね」
「ええ、勿論。私が貴方に何かするわけないじゃないですか」

そうして、下着姿のまま桜は山本(仮名)に向かって照れたように小首をかしげた。
山本(仮名)は息が荒く、興奮している。
桜に近づいたら、何をするか分からない。
相変わらずマットに転がったままの義也は喉が張り裂けそうなほど叫んだ。

「おい、桜!!桜!!」

自分を守る為にやっているのだとしたら、十分だった。
これ以上、女に、桜に、こんな真似をさせたくなくて、義也は必死に桜を止める。

「桜、俺はいいから、逃げろ!桜」

その時、桜は義也に向かって微笑みかけた気がした。
いつもの胡散臭いまでの完璧な笑顔ではなく、ごく稀に見る子供のような邪気の無い笑顔。
そして、山本(仮名)が、入り口に近づき、ドアから出ようとする。
その薄汚い手が、桜の白い肌にかかろうとする。
見てられなくて、義也は目を強く瞑った。

そして。






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