朝8時6分、次の交差点まで約3分。 几帳面な彼はいつも8時に家を出る。 そうして、8時10分にあの交差点を通る。 だから私のはこのペースで歩けば、彼に会うことが出来る。 背筋が綺麗に伸びた、けれどちょっと右に重心のよった歩き方。 時間通りに見えた姿に、私は自然と頬が綻ぶ。 意識せずに小走りになり、彼の背中を追いかける。 本当は、小走りになる必要はないのだけれど。 彼は待っていてくれるから。 後、8680回。 「おはよう、友ちゃん」 「おはよう、みのり」 いつもどおりの無表情だけれど、その目は私に向けられている。 その目が柔らかくて、私は嬉しさでいっぱいになる。 幸せだけれど、まだ信じられない。 とても嬉しいけれど、とても不安。 学校に向かって歩き出す。 背が高い友ちゃんについていくには、私は自然、早足になる。 友ちゃんの半歩後ろ。 友ちゃんの背中。 大好きな背中。 今、私は、この背中を見ていても許される権利を手に入れている。 幸せだけれど、まだ信じられない。 とても嬉しいけれど、とても不安。 それでも、その背中をまだ見ていられるのは、飛び上がりたくなるほどの喜び。 その喜びを、大事に大事にかみ締める。 後、どれくらい一緒にいられるのかな。 すぐ飽きられるかもしれない。 それでなくとも、友ちゃんのお付き合いは、最短で1週間、最長で9ヶ月13日。 最短だったら、後3日。 最長だったら、9ヶ月と10日。 いや、もしかしたら、明日にでも別れはくるかもしれない。 幸せだけれど、まだ信じられない。 とても嬉しいけれど、とても不安。 それでも。 だからこそ。 私は今のこの幸運を、この喜びを、温める。 友ちゃんが、ぴたりと足を止めた。 後ろを歩いていた私は、予想外の動きに大好きな背中にとっこんでしまった。 「ふが」 鼻が痛い。 さすりながら友ちゃんに視線を移すと、誰よりも見慣れた人は無表情で右手を私に差し出している。 「?」 意味が分からず、その上に右手をのせる。 「違う。お手してどうするんだよ」 「え?え?」 言っている意味が分からず、首を傾げると、友ちゃんは私の左手をとった。 「よし」 「え?」 そうしてもう一度背を向け、歩き出す。 今度はちょっと、ゆっくりと。 これは。 もしかして。 「だ、だめだよ、友ちゃん」 「何が?」 「え、いや、だって、これ、手をつないでるみたいだよ?」 「つないでるんだよ」 慌てる私とは対照的に、友ちゃんは落ち着き払ってる。 そういえば、友ちゃんが慌ててるところとか、中学校にあがってからはあんまり見たことがない。 ちょっと哀しい。 友ちゃんの、色々な表情が、見てみたいな。 一緒にいられる間に、もっともっと、見られるといいな。 大きな堅い手は、あったかくて、胸が苦しい。 心臓がバクバクして、顔が、あっつい。 「いや、私と手をつなぐって、なんか変だよ」 「なんでだよ」 「だって、私と、友ちゃんだよ?」 「何がおかしいの?俺達、付き合ってるんだろ?」 「え、あ、でも、なんか……」 後、8679回。 手をつないでくれた。 あ、もう一つ、付き合ってるって言ってくれた。 後、8678回だ。 友ちゃんは早歩きで歩いて、私はその後ろを半歩遅れてついていく。 私は大好きな背中を見て、友ちゃんは後ろを振り返ったりしない。 それが、私達のスタンス。 変わらない位置。 ずっとずっと、追いかけてきた背中。 それなのに、こんな風にされると、怖くなってしまう。 この幸せが、すぐに壊れてしまうから。 一つ優しくされるたびに、カウントダウンが早まっていく。 これが10000回頑張ったご褒美なら、きっと10000回優しくされたら、終わってしまう。 幸せすぎて、壊れてしまうのが、怖いよ。 本当は、付き合ってもらえるだけで、いい、って最初は思ってたんだけどね。 私はとても欲張りで。 この幸せが壊れるのが、とても怖いよ。 いつか来る別れが、より自分を傷つけるものになるのが、分かる。 綱渡りの幸せ。 マイナスのカウント。 後、8678回。 友ちゃんがくれる、喜びが、嬉しくて、怖いよ。 私は、次は、笑って友ちゃんから離れることが、できるかな。 怖いよ、友ちゃん。 大好きで、怖いよ。 怖くて、仕方ないよ。 もう、毎日嬉しい事がいっぱいで、ものすごい勢いでカウントが減っていく。 このまんまだと、9ヶ月はいかないかな。 2週間、もつといいな。 友ちゃんは、私が色々言っていることを無視して、歩き出す。 温かい手、大きな手。 どこか現実感がない。 ずっと、夢見ていた手。 幸せだけれど、まだ信じられない。 とても嬉しいけれど、とても不安。 不安定で、どこかぼんやりとした世界。 友ちゃんの手に、ちょっと力がこめられる。 それが、大丈夫だよ、って言ってるみたいで。 重くて冷たい不安が、ちょっとだけ薄れる。 「友ちゃん、好きだよ」 「そっか」 「大好きだよ」 「そっか」 「そうだよ」 「うん」 だから、何度でも言うよ。 友ちゃんを好きでいて許される間に、何度でも言うよ。 いつか壊れてしまう幸せでも、それでも何かが残ると、いいな。 少しでも、この幸せが、長いといいな。 私がいたこと、忘れないでいてくれると、いいな。 あんな奴もいたな、って思い出してくれるといいな。 日課のように、告白するよ。 告白して許される権利を、私は胸に抱きしめる。 いつか来る別れにも、後悔をしないといい。 うざくてごめんなさい。 わがままでごめんなさい。 あなたを好きでごめんなさい。 受け入れてくれたあなたが大好きです。 優しくしてくれるあなたが大好きです。 10000回の勇気が届いていたらいい。 10000回の勇気をあなたにもらった。 あなたを好きで、よかったです。 大好きです。 友ちゃんが大好きです。 ずっとずっと、大好きです。 |