「友ちゃん、好きです」 それは、もういつからか思い出せもしない昔から繰り返された言葉。 いつでも傍にあって、いつだって与えられた言葉。 俺にとっては当然なもので、日常で、その言葉の重みなんて、考えたこともなかった。 それは、俺に与えられて当然なもの。 この女は、俺の傍にいて、当然のもの。 みのりが傍にいる日常。 それが、俺にとって、自然なことだった。 いつからみのりが傍にいたかなんて、あまり覚えてない。 気付いたらそこにいた。 それが自然になるぐらい、そこにいた。 今考えると、少し怖いぐらい、それが普通だった。 ウザくて、面倒くさくて、たまにかわいくて楽しい。 正直、みのりを『女』として意識したことなんてない。 繰り返される告白は、風の音と同じようなもの。 いつもは気にならない。 たまにうるさくて、たまに心地いい。 気が向いたらからかって遊ぶ。 傍に纏わりつかせることにそこまで拒否感もなかった。 懐かれるのは、そう悪い気はしない。 友達やカノジョと遊ぶ時はついてこないし、わがままも言わない。 ただ好きだと繰り返すだけ。 気を使わないでもいいし、邪険にもできた。 よく言えば、妹みたいなもの。 悪く言えば、ペットだ。 じゃれ付いてくる仕草がかわいくて、たまに構う。 そんなもの。 みのりは、俺にとってそんな存在だった。 「今まで、ありがとね、友ちゃん」 俺が始めて『みのり』を認識したのは、その時。 その言葉を告げられて、初めてあいつを1人の人間として意識した。 それは、もういつからか思い出せもしない昔から繰り返された言葉。 いつでも傍にあって、いつだって与えられた言葉。 俺にとっては当然なもので、日常で、その言葉の重みなんて、考えたこともなかった。 それなのに、その言葉が表すものは、別離。 俺の傍にいるはずのものが、離れていこうとしている。 勝手なことをしている。 こいつは、俺の傍にいることが、当然なのに。 その感情は、イラつき。 怒り。 裏切られた、という失望。 飼い犬に、手を噛まれた。 「ありがとう、友ちゃん、好きでした」 繰り返された告白が、過去形になる。 そんなのは想像もしていなかった。 そんなことは俺は、許していない。 誰の許可を得て、俺を諦めているんだ? お前は、俺を好きでいることが当然なくせに、何を、俺から離れていこうとしているんだ? 「それじゃあね。ばいばい」 今まであんなに粘着に纏わりついていたくせに、あっさりと微笑んで。 駆け出していく背中。 かわいがっていたペットに裏切られた。 許せなかった。 追いかけて、殴りつけたいような衝動。 かわいがってやってたのに。 纏わりつかせてやっていたのに。 俺の後をついてきているのを、許してやっていたのに。 なんでそんな簡単に、俺を諦めているんだ。 俺は、みのりが許せなかった。 カノジョもいたし、他にやることもいっぱいあった。 みのりへの怒りは消えないけど、どうでもいい、って気になった。 離れるなら離れればいい。 勝手に纏わり着いて、勝手に離れて、なんて身勝手な奴。 せいせいした。 長年のストーカーから解放された。 これで終わりだ。 そんな風に思っていた。 思い込もうとしていた。 けれど、徐々に浮き彫りになる、物足りなさ。 「友ちゃん、好きです」 そう繰り返す言葉。 少し舌たらずで、頭悪そうで、甘い声。 半歩後ろを追いかけてくる、小走りの足音。 気まぐれで振り向くと、いつでも息せき切って、それでも嬉しそうに笑う小柄な影。 そんな、いつでも傍にあったものが、ない。 ないことに、違和感を覚えてくる。 だんだんと大きくなっていく、空虚感。 カノジョは勿論好きだったし、友達と遊ぶ時はみのりの存在を忘れた。 それでも、その違和感は徐々に大きくなって。 みのりがいない日常が落ち着かなくなる。 繰り返された日常が、突然消える。 いつもあったものが、近くにない。 みのりがいない生活なんて、考えたこともなかった。 なくなった時、どうなるかなんて、考えたことが、なかった。 「あの子、お前のこと諦めたんだ」 「あ?」 「いつもお前にくっついていた子」 「知らねえ」 みのりの名前を聞くと、イラついた。 家で、親からその名前が出たときは、切れた。 人を苛立たせることしかできない、あんな裏切り者。 たまに出される、その話題がとんでもなく腹立たしかった。 「もったいね、結構かわいいのに」 「は、みのりが?」 「かわいいじゃん。ていうかどんどんかわいくなってくよな」 「……あいつがぁ?」 「お前を諦めたみたいだから、特攻しようかって奴いるらしいぜ?」 「………」 「まあ、ちょーっと愛がディープで怖いけど、一途っていっちゃ、一途だしな」 「ストーカーだぜ?」 「お前がめっちゃひどかったから、同情票も集まってんだよ。健気で可哀想ってな」 「あいつウザイじゃん」 「言うほど纏わりついてないじゃん。朝ぐらいだし。すっげお前に気つかってたよ、カノジョ。俺もマジ可哀想ってたまに思った」 「…………」 「確かにちょっとウザイけどねー」 途端に生まれる、独占欲。 人が欲しがると、ゴミでも惜しくなる。 ましてみのりは、俺のものだ。 人のものになるなんて、許せない。 俺から離れていって、他の奴のものになる。 そんなことは、許せなかった。 だから、声をかけてやった。 100歩どころか、1万歩ぐらい譲ってやって。 カノジョとも別れたし。 暇つぶしにいいかなって。 俺から、声をかけてやった。 もう一度、俺にすがるなら、それでいい。 許してやる。 そんなことを思って。 けれど。 けれど、声をかけた途端、あいつは、逃げた。 多分笑顔を作ろうとしたんだろう。 顔を引き攣らせて、唇を震わせて、それでも無理で。 ずっと、俺を追いかけていた、小柄な影。 それが、俺の姿を見て、逃げ出した。 言葉がでなかった。 追いかけることもできなかった。 みのりへの怒りが消えていく。 代わりに浮かんできたのは、じっとしていられないほどの焦り。 罪悪感。自分への苛立ち。 そして、やりきれない後悔と恥ずかしさ。 俺は、あいつの何を、見ていたんだ。 もしかして、ずっと、あんな顔をさせていたのか。 あんな、今にも、泣き出しそうな、途方にくれたような顔。 ずっと泣きたかった? ずっと隠していた 俺を、本当に、好きだった? みのりの気持ちなんて、考えたこともなかった。 あいつが、どんな気持ちで毎回告白してたかなんて、これっぽちも考えてなかった。 あいつが俺の傍にいることは、本当に自然すぎて、それが当然のものだと思っていた。 好きになるって気持ちは、俺にもわかる。 人並みに、人を好きになった。 それが叶わなかった時の痛みと辛さと哀しさも、分かる。 ただ、それを、みのりが感じているとは、思ったことがなかった。 何度振られても笑顔なあいつを、軽薄な奴だと思ったこともある。 真剣さがない、となじったこともある。 可愛がってやってた? 誰がだ? 俺に好きな女の子ができた時から、あいつは距離を置くようになった。 繰り返される告白は相変わらずだけど、カノジョといるときは付きまとわないし、一緒に遊ぼうということもなくなった。 一緒の高校にくるって言われた時も、何も感じなかった。 それが当然のことだと思っていた。 一生懸命頑張った、といわれても、俺は、褒めてやったりしただろうか。 あいつが頭悪いの知ってるくせに、どれだけ努力したか、見ていただろうか。 あいつの行動を、言葉を、意味を、少しでも考えてやっていたことが、あったか? ペットみたいだ? ペットのほうがまたマシだ。 ペットは可愛がられる。 飼い主は、ペットを褒める。かわいがる。 俺は、それすらしていない。 何がペットだ。 何が当然のことだ。 俺は、みのりを、なんだと思っていたんだ? 真剣にふってやってさえいない。 もう付きまとうな、といった覚えもない。 俺を諦めろ、ときっぱりと突き放したこともない。 俺はあいつと向き合ったことがないんだ。 あいつを、人間として、みたことがなかったんだ。 無条件に俺を慕うあいつが気持ちよくて、優越感がくすぐられて。 突き放してやることすら、しなかった。 叫びたくなった。 恥ずかしくて、消えてしまいたかった。 情けなくて、泣き出しそうだった。 何よりみのりに、謝りたかった。 ようやく気付いた。 気付いてしまった。 ああ、最低だ。 最低なのは、俺だ。 俺はなんて、最低な奴。 お前のくれるものの、重みをこれっぽちも、分かっていなかった。 正直、あいつが俺の何に惚れてるのかさっぱり分からない。 趣味が悪いというか、気がしれない。 あいつに優しくしてやったことなんてない。 あいつを喜ばせるようなことをやってやったことなんてない。 俺がしてきたのは、あいつを傷つけることだけ。 だから、卑怯だって、分かっていても、謝りたかった。 そんなの俺の自己満足だって分かっていても、傷つけた分を謝りたかった。 いや、違う。 許して欲しかった。 俺を許してほしかった。 そして引き止めたかった。 みのりを。 もう一度、俺を好きだと言って欲しかった。 笑顔を見せて欲しかった。 隣にいて、欲しかった。 自分勝手にも、ほどがある。 これだけ酷いことをしておいて、今更惜しくなって手を伸ばす。 なんて最低。 それでも、みのりは許してくれた。 俺を今でも、好きでいてくれた。 俺のつたなく軽薄な謝罪を、聞いてくれて、受け入れてくれた。 あの喫茶店で泣き出したみのりに、申し訳なくて、仕方がなかった。 「みのり、手」 そう言うと、みのりは必ず驚いたような顔をする。 俺が、そんなこと言うとは思わなかったというように。 何度言われても、慣れないというように。 そして1テンポおいてから、恐る恐る手を伸ばす。 とても幸せそうに、微笑みながら。 それを見るたびに、胸が締め付けられる。 ごめん。 ごめんな。 「友ちゃん、好きだよ」 「そっか」 「うん」 そしてやっぱり、幸せそうに笑う。 その笑顔が、何よりも俺を苦しめる。 ごめん。 ごめんな。 小さな頼りない手を、強く握る。 寄り添う、温かい体温。 今までのカノジョは勿論好きだった。 付き合ったことを、後悔なんてしていない。 そりゃ後悔するような付き合いもあったけど、それでもなかったことにしたいとは思わない。 それでも、お前のその笑顔を見るたびに後悔する。 お前をずっと苦しめてきたことを後悔する。 もっと早く、お前に気付きたかったと、思う。 「あ、そういえば、この前行こうって言ってたイベント終わっちゃったね」 みのりがそんなことを言った。 お互いの都合がなかなかつかず、流れてしまった約束。 「また来年もやるだろ。来年一緒に行こう」 「………」 みのりは頷かない。 ちょっと寂しそうに、それでも嬉しそうに微笑むだけ。 みのりは先の約束はしない。 1年後も一緒だなんて、思っていない。 みのりは、俺を信じていない。 ごめん。 ごめんな。 俺は、どれだけお前を傷つけたんだろう。 どれだけの約束を、破ったんだろう。 「3267回」 ぽつりと、みのりが何かを言った。 「またか、なんなんだ、それ?」 たまにみのりの口から漏れる数。 それはだんだんと減っていく。 なんだか不安になる、カウントダウン。 なんの数か聞いても、みのりが答えることはない。 微笑んで、手を握る。 「えへへ、秘密。友ちゃん好きです」 「うん」 「好きです」 繰り返される告白。 俺に惜しげもなく与えられていた、大切な言葉。 沢山の想い。 ごめん。 ごめんな。 お前を、見ていなくてごめん。 お前の告白を、ないがしろにしてごめん。 ごめん、みのり。 小さな手。 頼りない手。 少し舌たらずで、頭悪そうで、甘い声。 半歩後ろを追いかけてくる、小走りの足音。 振り向くと、いつでも息せき切って、それでも嬉しそうに笑う小柄な影。 お前が信じてくれるまで、俺はこの手を放さない。 お前が頑張ってくれた分、俺も努力し続ける。 お前がくれた想いを、俺がいつか返すことができるだろうか。 ごめん。 ごめんな。 想いをくれて、ありがとう。 告白してくれて、ありがとう。 見捨てないでくれて、ありがとう。 勇気を振り絞ってくれて、ありがとう。 「好きです、友ちゃん」 俺も、お前が、大好きです。 |