次の日、私は昼休みを人気のない体育館前に、藤原君を呼び出した。 辺りにちらほら人影は見えるが、まあ、知ったことか。 それくらいのペナルティ、食らってもらうのが妥当だろう。 突然連れてこられて藤原君は不思議そうに私を見る。 「藤原君」 「どうしたんだ、三田?と、野口?」 4人で一緒にいるとどうしてもペアになる私達だが、普段は毛嫌いして近づくことはない。 その野口と私が一緒にいることを、疑問に思ったようだ。 私は目をつぶって、自分を奮い立たせる。 藤原君の告白を受けた時よりも、きっと緊張している。 手と、唇が震えて、呼吸がうまくできない。 そんな私をまるで勇気づけるように、背中に大きな手を感じた。 服越しに、その冷たさが伝わってくる気がする。 促されて、私は眼をあける。 「あのね」 「うん」 頷いて、私に視線を合わせてくれる。 その優しい仕草が好きだった。 優しい声が好きだった。 優しいあなたが好きだった。 だから。 一発景気よくいってあげる。 にっこりと笑って、彼を見上げる。 「私、藤原君のことだいっきらい!」 今日は朝からものすごい気合いをいれた。 念入りに、勝負メイクをした。 学校に行くときにはつけないアクセサリを身につけた。 髪をいつもよりも丁寧にまとめた。 全部全部、藤原君と付き合い始めて知ったことだ。 あなたが教えてくれたことだ。 だから、私は私の精一杯で、あなたをふっきってやる。 今まで知らなかった。 化粧をすると、少しだけ強くなれる。 鎧を着ているみたいに、自分を守ってくれる気がする。 武器を持っているように、少しだけ力が手に入る気がする。 気合いが入る。 強い自分になれる、気がする。 「へ?」 「優柔不断で、頼りなくて、空気読めなくて、本当にむかつく」 これは、本心だ。 優しくて、私の意志を尊重してくれて、おおらか。 そんなところが、好きだった。 でも、だからこそ、そんなところが大嫌い。 「だいっきらい」 「………三田?」 彼は事態がわからないように眼を白黒させている。 私は、泣くのを我慢して、笑う。 ここで泣いたら、おしまいだ。 私はこんなかっこいい人をふる、悪女になるのだ。 だから、最後まで笑ってやる。 「でさ、私、野口と付き合うことになった」 「そういうことだ藤原、悪いな」 悪女は、二股をかけている。 私は藤原君にふられるんじゃない。 私が藤原君をふるのだ。 これで、藤原君は罪悪感を持たずに、美香のもとへいける。 これで、周りの人も、納得できる。 これで、私は、みじめじゃない。 後ろにいた野口の腕を引っ張る。 野口は藤原君に手をあげて、真顔で私の肩を抱く。 「だから、ばいばい。じゃね」 「じゃ、また明日」 最後まで笑顔で、私は藤原君に手をふる。 野口も真顔で、手をふっった。 藤原君は事態が飲み込めないように、呆然と立ち尽くしたまま。 それが少しだけ、いい気味だと思った。 楽しかった。 「上出来」 「ふっふふふ」 彼が見えなくなるまで離れてから、野口がそっと私から離れる。 そう言って、珍しく私を褒めた。 大嫌いな野口だが、褒められるのが嬉しくて、やり遂げたことが気持ち良くて私は自然に笑いが漏れる。 自分でも、よくできたんじゃないかと思う。 頑張ったと思う。 「いい感じだった。お前女優なれるよ」 「将来の選択肢にいれとく」 「そうしろ」 野口はそっけなくそう言うと、私の目尻を親指で拭った。 指についた水滴には、気づかないふりをした。 どうやら体育館にいた数人の人間が私たちのやりとりを見ていたようだ。 ざわざわと落ち着きなく、私達を盗み見ている暇人共の視線を感じる。 友達減ったりして。 ま、いいか。 美香からメールが入ったのは、放課後だった。 ずっと美香の何か言いたげな視線を感じていたが、私は綺麗に無視をした。 藤原君以上に、美香と対峙するのは、勇気がいる。 それでも、とうとう来たなら、逃げない。 向かえ打つ。 「次は、美香か」 「雪下か。俺はどうする?」 「男が入るとややこしくなるから、いいや」 「そうか」 「………でも、ついてきてもらってもいい?その辺で、隠れててほしいんだけど…」 ものすごい不本意だかったが、私は惨めっぽくそんなことを頼んだ。 気合を入れても、強がりを言っても、やっぱり怖い。 大事な、友達を失うかもしれないのだ。 それでもこのいけすかない男が傍にいると思えば、みっともない姿を見せることはないだろう。 こいつにだけは、負ける姿を見せたくない。 野口は何も言わず頷いた。 そのあと、冷笑を浮かべて私を見下す。 「乱闘になったら教師ぐらい呼んでやるよ」 「加勢しろよ」 「やだよ、怖いもん」 本気で怖そうに身を震わす野口に、思わず私も笑ってしまった。 野口はそんな私の背中をぽんと、叩くと静かに促した。 私は、その手に押されて、一歩踏み出した。 美香を呼び出したのは、ワンパターンにも体育館前。 告白も、藤原君との別れもここ。 だったら、美香との対決もここで決まりだ。 美香は珍しく表情に怒りを浮かべていた。 頬を紅潮させて、眉が吊り上っている。 そんな顔をしていてさえ、彼女はかわいい。 本当に美人って得だ。 「由紀、どういうこと!?」 「何が?」 「藤原君と別れたって!」 藤原君はもう、美香に言ったのだろうか。 どうやって話したのだろうか。 いや、噂を聞いたのだろう。 そのはずだ。 そうであってほしい、せめて。 じくじくと胸が痛む。 足の力が、抜けそうになる。 でも、足を踏ん張って自分を叱咤した。 自分で決めたことだろう、最後までやり通せ。 だから私は笑って見せた。 野口のムカつく笑顔が脳裏に浮かぶ。 あんな風に笑えているといい。 「うん、いらない。藤原君もういらない」 ぱんっ。 瞬間、何が起こったのか分からなかった。 乾いた音と共に衝撃が、頬を駆け抜ける。 私はいつのまにか、横を向いていた。 ゆっくりと正面を向いて、美香が手を振り上げているのが見える。 美香は泣きそうな目で、私を見ていた。 そうか、殴られたのか。 「いったー」 頬を押さえて、うめく。 実際痛かった。 殴り慣れてない人は、加減が下手だ。 にしても、やってくれるじゃないか。 「ひどい、由紀!藤原君、あんなに由紀のこと大事にしてたのに!」 「私、大事にされた覚えなんてない」 ずっとずっと、大事になんてされてなかった。 彼は、私なんて見てなかった。 最初から、嘘をつかれていた。 私は、大事になんてされてなかった。 最後まで、私のことを好きになってくれなかった。 「由紀のこと、あんなに好きで大事にしてくれてたのに!」 一瞬、涙がこみ上げてきて、歯をくいしばってこらえた。 美香の前でなんか、泣くもんんか。 泣いてたまるか。 私は、笑って、藤原君と別れるのだ。 藤原君と美香が付きあい始めたら、私のお古でよかったら、と嘲笑ってやる。 それから、祝福してやる。 「私野口と付き合うことになった」 だから私は、笑顔を必死に取り繕う。 そうだ、野口が見ている。 あいつの前でみっともない姿を見せられるものか。 私は最後まで笑ってやる。 負けるもんか。 「は!?なんで?藤原君から野口君に乗り換えるの!?」 「そう、あっちの方がいい」 事態が飲み込めないのか、美香は混乱してる。 叫んでも怒っても顔をゆがめても、やっぱり美香は綺麗なのだ。 血統書付きは、こんなにも違うものか。 野良が血統書つきになろうって思うのが、やっぱりそもそも間違いなのだ。 「あっちの方が、って、ものじゃないのよ!?藤原君は!?」 「でも、いらない」 「そんな人の心をふざけて捨てたりしないでよ!」 ぱん! 私の言葉に、もう一度美香が私の頬をひったたいた。 今度は構えてたぶん、先ほどよりも痛くない。 でもさすがに私も頭にきて、平手を返してやった。 ぱん! 油断していた美香の頬に、綺麗に決まる。 美香は驚いたように眼を見開いた後、顔を一気に赤くした。 「痛い!何するのよ!」 「それはこっちのセリフだ!人のことバカスカ殴って文句を言うな!あと、人が自分の男を捨てて何が悪い!」 「悪いよ!私は二人とも友達だもん!友達がひどいことしたら、されたら、怒るでしょ!」 美香は、本当にいいやつだ。 これもきっと、本心からだ。 美香は私を想ってる。 そして、藤原君を想ってる。 だからこそ、私はそんなあんたをなじってやる。 本音を引きずりだしてやる。 綺麗なあんたの、汚いところを、少しでも、見せてよ。 私をこれ以上、みじめにさせないでよ。 「嬉しいだろ!藤原君のこと好きなんだから!もっと飛び上がって喜べばいい!」 「っ……そ、れは……」 私の言葉に、美香は言葉を詰まらせた。 動揺して目を彷徨わせるのが、心地よかった。 私は大好きな友人を追い詰める、嗜虐的な気分に酔う。 「いっつももの欲しそうに見て、私がいるのに、嬉しそうにしゃべって、ひっついて!そんなに欲しけりゃ熨斗つけてくれてやる!あんな男!」 「でも!私は由紀の彼氏だから!…っ、だから、二人を祝福しよう、って、そう……」 「嘘ばっかり。隙があれば私からとろうと思ってたんじゃないの?」 うわ、なんて嫌な奴だ、私。 でもこれも本心。 ずっとずっと、思ってた。 信じきれなかった。 二人を、信じられなかった。 だから、苦しかった。 「そ、そんな、そんなこと思ってない!」 「どーだか。どうせ私はブスのデカ女で、かわいくないし、すぐにとれると思ってたんじゃねえの」 美香が顔をくしゃりと歪ませた。 その苦しそうな表情に、暗い喜びが湧きあがる。 もっともっと美香をいたぶりたい。 そしてジリジリとした、悔しさが胸を焦がす。 ああ、ずるいな。 怒りよりも悲しみを露わにする親友。 どうしてこんなに、綺麗なんだろう。 どうして私はこんなに、汚いんだろう。 「ずっと…、ずっと……、そんなこと、思ってたの……」 「ああ、思ってたよ。ずっとずっと思ってた。でも、そう思わせてたのはあんただ」 美香の大きくてキラキラ光る目から、綺麗な水の粒が落ちてくる。 ぼろぼろと、大きな大きな宝石のような綺麗な塊。 しゃくりあげながら、その唇は謝罪を紡ぐ。 「前にも言ったけど、私が、藤原君気になったのは、由紀と付き合い始めてからだよ」 「………」 「大好きな、由紀が幸せそうだから、藤原君が由紀に優しいから、だから、いい人だと思って、羨ましいなって思って、だから…」 「………」 「……私が、悪いの?私が、由紀に、いやな、おもい、させてた…?だから、由紀は別れるの…?」 「………………」 「ごめんね、ごめんねぇ……ごめんね……、でも、本当に、そんな、つもりじゃ………」 ここまでした私を罵るでもなく、恨むでもなく、怒るでもなく、呆れるでもなく。 ただ、自分自身を責める。 それが、何より私を責める。 どうしてあんたはそんなに綺麗なんだ。 私は唇をかみしめて、美香に指を付きつける。 「あー、むかつく!あんた完璧すぎてムカつく!美香のこと好きだけど、あんた隙がなさ過ぎて腹たつのよ!!どうせ、私はブスよ!どうせ私は性格悪いよ!!あんたと一緒にいるとコンプレックスの塊になるんだよ!」 「な、何が!何よ!なんなのよ!由紀は、私のことそんな風に思ってたの!?私は、由紀のこと、すごい好きなのに!」 「あー、思ってたさ!それがなんだ!それに気付かないあんたも悪い!」 「ひどい!」 ぱん! さすがに我慢できなかったのか、再度の平手が私を襲う。 そうこなくちゃ。 今度は私も我慢しない。 「いった!私より乱暴じゃん!何がかわいいだ何が血統書つきだ!野良犬なめんな!」 ぱん! 美香はびっくりした顔で涙でぬれた頬を抑える。 そして、顔を赤くして私に立ち向かってきて。 「痛い!訳わからないこと言わないでよ!いっつも卑屈で、自分で努力しないくせに人を羨ましがってばっかりいて!」 「うるさい!あんたに負け犬の気持ちがわかるか!」 「そうやって被害者意識強いところがうざいのよ!もっと自信もって胸張りなさいよ!藤原君は、あんたを選んだんでしょ!私じゃなくて!」 「もういらない!私は野口でいい!藤原君なんてあんたにあげる!」 「どうしてよ!やっと、気持ちに整理がついてきたのに………」 そんなの。 そんなの、本当は気持の整理なんてつけなくていい。 本当は、いらないのは。 気持の整理をつけなくちゃいけなかったのは。 「……本当は……藤原君は……」 言えるか。 言えるもんか。 いずれ知るのだとしても。 それでも、言えない。 そんな、みじめなことはいえない。 私は精一杯の気力を振り絞って笑ってみせる。 「とりあえず、いらないからあげる。私もういくから」 「由紀!」 そしてそのまま美香に背を向ける。 だって、これ以上ここにいたらみっともない姿を見せる。 私は悪女のまま、美香から離れるのだ。 そんな哀れなプライドが、私の精一杯だ。 でも、ひとつだけ言い忘れていたことを思い出して、私は振り向きざまに美香に指を突き付けた。 美香は、まだ泣いていた。 悔しそうに、腹立たしそうに、悲しそうに。 ああ、本当に完璧すぎてムカつく。 結局どこまで行っても私の方が汚くて悪者なんだ。 ああ、ほんっと、ムカつく。 ああ、本当に。 ごめんね、美香。 「美香!」 「な、なに………」 「あんたのこと嫉妬して、ムカついてるけど、大好きだから!あんたが私のこと嫌いになっても、大好きだから!」 美香の答えを聞くのが怖くて、私はその場をかけ去った。 体育館裏のしげみまできて、私はようやく座り込んだ。 走ってきたせいで、息が苦しい。 肺が悲鳴を上げている。 酸素が足りなくて、頭が痛い。 足の裏が痛い。 胸が痛い。 痛い。 痛い。 「言いすぎじゃないの?」 「………私怨がこもった」 「止めようかと思ったけど、マジで怖くて出れなかった」 「ぷ」 地面に落した視界の隅に、泥で汚れたスニーカーが入る。 私を見下ろしている男は、いつものように冷たい笑いを浮かべているのだろう。 見なくても、分かるような気がした。 頭にぽんと、手がおかれる。 「恵まれてる奴らって、恵まれてない奴らの薄汚い感情なんてわからないんだよな」 「どうせ野良犬は野良犬だよ!血統書付きにはなれないさ!」 「そうそう。ま、恵まれた奴らの残飯漁ってたくましく生きましょうよ」 相変わらず、女に言うセリフじゃない。 でも、それが今の私に小気味よかった。 綺麗な人間は好きだ。 憧れる。 汚い感情なんて、いらない。 汚い自分は嫌い。 汚いものなんて、捨ててしまいたい。 でも、汚れていると、ほっとする。 薄汚い人間といると、落ち着く。 自分と同じ、汚いものを持っている。 それだけで、私の心は軽くなる。 私は最後の気合いを振り絞って立ち上がると、眼鏡の男に視線を合わせた。 挑むように睨みつけ、そのシャツをつかむ。 「………野口、傷ついてる女に胸を貸すぐらいの甲斐性はあるか?」 「俺は藤原と違って甲斐性の塊だからね。出世払いでいいよ」 「ツケにしといて。まあ、仕方ないからあんたで我慢してやる」 「戦友の友情ってことで、利子はサービスしてあげるよ」 そう言って、野口は私の頭を引きよせ、自分の薄い胸に押しつけた。 これで、顔は見えない。 見えるのは、野口の白いシャツ。 頭をなでる手は、温かい。 人の体温が、心地よい。 それがたとえ野口でも。 だから、私はもうこらえられなかった。 「う、うわあああああん」 「少しはかわいく泣いてよ」 「うっ、ひっ、うっく、ばながんでやる、このへたれ」 「はいはい」 私はまるで涙腺が壊れたように、涙を流し続けた。 きっと私の泣き顔は、美香みたいにきれいじゃない。 鼻が真っ赤になって、鼻水でちゃって、目は腫れちゃって、顔が歪んで、さぞ汚いだろう。 でも、頭を撫でてくれる手がある。 だから、私はそのまま泣き続けた。 不器用な元カレと親友が妬ましく憎くくて悔しくて。 そして、申し訳なくて、悲しくて、二人が大好きで。 二人が苦労すればいいと祈って、でもその後は幸せになってくれればいいと、そう祈りながら。 |