そして、ずるずると今のまま来てしまった。

自分からは終わらせられなくて。
私は努力をしたけれど、やっぱり美香には敵わなくて。
藤原君の目はやっぱり、美香に向いていて。
そしてそれから気づいたけど、美香も藤原君の前ではとびきりかわいくて。
でも、優しい人たちは私に気を使って何も言わなくて。
優柔不断な私たちは、誰も動くことができなくて。

苦しくて苦しくて苦しくて。
でも、どうしようも、できなかった。
そんな私たちを、野口は嘲笑う。

「勘違いで付き合ってたなんて、今更、言われたくもないし、知られたくもない!」
「だから消極的に嫌われてふられようってか」
「………あんたなんて大嫌いだ」
「別にあんたに嫌われてもいい」
「てめえ、少しは慰めるとかしろよ!私かわいそうじゃん!」
「まあな。マジ可哀そう。わざとまずい料理作って、約束破って、いろいろ嫌がらせして」

まずいクッキーを渡した。
体操着を破った。
待ち合わせの場所に行かなかった。

私を好きになってほしくて。
でも、早く私に愛想を尽かして本当のことを言って欲しくて。
早く、自分の本当に好きな人のところに行ってほしくて。
でもやっぱり、隣にいてほしくて。

どうして、この男は、私が触れられたくないところをついてくるんだ。
本当にこの男が大嫌いだ。
大嫌いだ大嫌いだ大嫌いだ。

「つーかこのままだと藤原もかわいそうだよな。このまま嫌がらせされ続けるの」

そんなの、私が一番分かってる。
一番かわいそうなのは、美香と藤原君だ。
私は勘違いで二人の間に割り込んだ、馬鹿女。
私が勘違いさえしなければ、二人は今頃美男美女の人も羨むカップルだ。
私だけが不協和音。
なんて、みじめだ。

「………どうしろってんだよ!!」
「あんたが楽になればいいと思んだけど」

楽になれるなら、なりたい。
どうしたら、こんな気持ちから抜け出せる。

「どうしたら、楽になれるのよ……」
「決めろよ。自分をだまし続けるか、終わらせるか」
「………だましてていいの?……藤原君をこのまま付き合わせてもいいの?」
「別にいいと思うよ。あいつの場合は自業自得。最初に頷いたのも、今何も言えないでずるずると付き合ってるのも。全部あいつが悪い。どっちが悪いかと言われれば、間違いなくあいつ。だからいいと思うよ。あんたがそれでいいなら」
「…………っ」
「中途半端だから、あんたも藤原も傷つく。どうしたらいいのかわからなくなる。付き合うって決めたなら、根性入れて、あいつを落とせ。そのうちあんたを好きになるかもしれないじゃん。でも、今みたいに嫌がらせ続けるなら可哀そうだからやめてやれ」

自分からは手を放せない。
だって、藤原君が好きだから。
だって、悪者になりたくないから。
知ってることは言いたくない。
私が、それを利用していたことを、知られなくないから。
私が、みじめでかわいそうだから。

「………だって」

顔を歪めた私をどう思ったのか、再度野口はため息をつく。
そして冷たく低い声で、私を断罪する。

「臆病者」
「っ!」
「卑怯者」

私は目の前の、陰険な顔を拳で殴ろうとした。
でも、野口はなんなくそれをうけとめてしまう。
こいつは殴られてもくれやしない。
藤原君と違って、優しさのひとかけらもない。
最悪の男だ。

「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだよ!」
「一番近くで見てる第三者だから」
「私可哀そうじゃん!勘違いで付き合ってさ、浮かれてさ、それ知っちゃってさ!今は彼のために身を引こうとしてるっ て、どんだけかわいそうなんだよ!健気じゃん!なんでお前にまでそんなに言われなきゃならないんだよ!慰めろよ!少 しは!労われよ!」

野口は私の拳を握ったまま、かすかに笑った。
優しさにひとかけらもない男。
上辺だけの優しさなんて、ひとつもない男。
嘘が上手な彼とは全く違う、正直すぎる男。
だから、野口は嫌いだ。

「慰めたらどん底じゃん。たぶんますますへこむよ?それに、そんなに言うんだったら、そのまま付き合ってればいいん じゃん。全部あいつが悪いんだし」
「やだよ!!」
「後味が悪いから?」
「私がみじめだから!」

どうして、野口には、隠していたいことを言ってしまうんだろう。
言いたくないのに、隠していたいのに。
見たく、ないのに。

傍にいてほしいけれど、いてほしくない。
同情でなんて一緒にいてほしくなくて。
私の隣にいるくせに、私ではない女を見てる。
私のことなんて、好きじゃないのに好きなふりして最低だ。
義務感で、一緒にいてほしくない。

「私、一応、これでも女の子なんだから。藤原君、好きだけど、好きだから、義務感なんかで、付き合って欲しくない。 でも一緒にいたい。でも、そんなの私可哀想じゃん。本当は好きになってほしいと思ったけど、でも無理じゃん」

だって、どうしたって彼は私を見ない。
いつだって、私の隣を見ている。

「美香にかなうはずないんだから!」

だから私は二人とも好きなのに、二人を嫌いになっていく。
私を間にはさんでお互いを見る。
私は毎日、美香に敗北感を覚える。
美香が好きなのに、どんどん嫌いになっていく。
筋違いだと分かっても、嫉妬することがやめられない。
彼の口から美香の名前が出る度、傷つく。
みじめになる。
自分の勘違いが哀れになる。

「ずっと美香に嫉妬して、自分のブスさを思い知って、そんなのみじめじゃん!私だって、好きな人には自分を好きにな ってもらいたい!お情けなんかで付き合って欲しくない!」

私は、泣いていた。
絶対に野口の前でなんか泣きたくなかったのに。
泣いて、叫んでいた。
負け犬が、吠えていた。
可哀そうな私を同情しろと、訴えていた。
どうしようもなく、みじめだ。
どこまでも、私は負け犬で野良犬。

「私だって、女なんだから!少しくらい、プライドあるんだから!」

みっともなく泣きじゃくって、私は教壇の下で叫び続ける。
声は上ずって、みっともなく裏返っていた。
野口は相変わらず静かに私を見ている。

「だからふられようとしたの?」
「だって、私からふったら、二人とも普通に幸せになるだけじゃん。私、ただのバカじゃん!少しだけでもいいから、罪 悪感持ってほしかった。でも、二人とも好きだし、くっついてほしいとも思った!でも、やっぱりやだ!」

みじめになりたくない。
可哀そうになりたくない。
悪者になりたくない。
二人に馬鹿にされたくない。

でも、そんな私が一番みじめ。

「悪かったな!性格悪くて悪かったな!どうせ美香みたいになれない!美香みたいにかわいい子になれない!性格悪いよ !悪かったな!」

私の拳を握ったままだった野口は、その手を下ろさせるとそっと上から大きな手をかぶせる。
まるで、労わるように。
相変わらず嘲るように笑っていたけれど。

「俺、あんたのそういうところ好き」

楽しそうに、笑う。
どうしてもその酷薄な笑いは、性格が悪そうだった。
からかっているようにしか、聞こえない。
でも、感情が高ぶった私は、ただ泣き続けていた。

「いいね、性格の悪いやつ、俺大好き。親しみが沸く」

そうしてくすくすと笑って、私の手を弄ぶ。
気まぐれにすりよってくる猫のように。

「あ、勘違いするなよ。別に恋愛感情じゃないから」
「誰がするか!」
「惹かれるのは、性格のいい奴なんだよな。憧れる。でも、ほっとするのはお前みたいな人間」

そこまで言って、野口は眼鏡の下から覗きこんでくる。
細い眼は、やっぱり感情がわかりづらい。

「俺があんたにきついのって、きっと同族嫌悪」
「……なんだよ?」
「俺も性格悪いし、卑怯だし、臆病ものだから」

性格が悪いのは、思い知っている。
こいつほど性格が悪い奴も、そういない。
でも、卑怯と臆病というのは、こいつには意外な気がした。
私は野口が何を言いたいのかわからず、みっともなくしゃくりあげながら目の前の男をじっとみる。
野口はちょっと笑って、軽くそれを言い放った。

「俺もね、藤原が好きなの」
「え?」
「ずっとさ、好きなんだ。ひいた?」

突然のカミングアウトに、私は一瞬泣くことも忘れて頭が真っ白になる。
野口は気持ち悪く小首をかしげて、くすくすと笑う。

「………ひいた」
「いいね、正直で」

私の感想に、野口は堪えた様子はない。
ただくすくすと笑っている。

「男が好きなの?」
「どっちも好き。で、今はあいつが好き」

なんでもないことのように、言い放つ。
躊躇いや照れは、感じない。
その潔さが、少しだけ、羨ましく感じた。

「でも告白もできない、触れない。友達ってポジションを失いたくないから。それで悔しくして仕方ない。卑怯で臆病。でもだったらとびきりいい女で、あいつが好きな女とできてほしい。それなら諦められるから」
「だから、私に冷たかったの?」
「そ、あんたなんかとくっついてほしくなかったから」
「本当に性格わりーよ!お前は!」

思わず抑えられていた手と反対の手で、平手打ちを喰らわせた。
今度は野口はよけなかった。
甘んじて、私の平手をうけてくれる。
でも、笑いは納めない。
チェシャ猫のようににやにやと笑う。

「でも、俺あんたも結構好き。あんたのその底辺駆け回ってるドブネズミみたいなところ、大好き」
「私はあんたがだいっきらいだ!!」
「そうだろうね。でも、俺はあんたが好きだよ」

私は野口が大嫌いだ。
逃げることを、許してくれなかったから。
私の隠していたいことを、暴いてしまうから。
優しい言葉を、かけてくれないから。

本当のことしか、言ってくれないから。

「ね、そろそろ楽になろうよ。あんたも、あいつも」
「…………」
「しょうがないから、俺が手伝ってあげる」

野口が私のもう一方の手を取る。
珍しく、本当に珍しく優しく表情を和らげる。

「こうなったらもう断絶ぐらいな勢いでやってみない?」
「………どういうこと?」
「あいつから彼女も親友もとってやるよ。あんたもみじめにならない。あんたはあんなイケメンを捨てる、希代の悪女だ」

涙の止まった私に、野口は楽しそうに笑う。
いつもの嫌みな冷笑じゃない。
子供のような、無邪気な笑顔。
言ってくることは全く無邪気ではないけれど。

「俺、藤原のこと大好きなんだけど、時々とんでもなく嫌い」
「…………」
「幸せに育ちまくって、みんなに愛されて、優しさに見せかけた優柔不断で、周りを傷つける。あんたも俺も泣いてるの に、気づかない。自分の不幸にだけ酔ってる。そんなところ、大嫌い」

とらえどころがなくて、無邪気で、残酷。
気まぐれですりよって、気まぐれで爪をたてる。
本当に、猫のような男。

「だから、どうせやるなら、とことんまでやってやらない?」
「………お前、本当に屈折してる」
「これが俺の愛情表現」
「歪んでる」
「だよね。よく言われる。でも楽しそうじゃない?元はと言えば、あいつが全部悪いんだし」
「………」
「俺も、早くあいつをふっ切りたいしね」

そこで少しだけ、切なげに瞳を揺らす。
私の、勘違いだったかもしれないけれど。

「どう?」

色々な事がいっぱいあって、自分の中で処理をしきれない。
でも、そう促されて、私の中で、少しだけ前向きな意志が湧いてくる。
一人では、どうしようもできない。
でも、この性格の悪い猫のような男が、手を貸してくれる。

もう、このままの気持ちでいるのは、いやだ。
二人が私をはさんでお互いを見ているのを眺めるのは、嫌だ。
一緒にいるのに、いつだって疎外感を感じる。
二人を邪魔してる自分に罪悪感を覚える。
彼の口から美香の名前が出てくるたび傷ついて、美香に嫉妬する。
彼の優柔不断が、憎らしくなる。
そんな、自分はもう嫌だった。
もう、みじめに、なりなくなかった。

分かっていた。
もう、終わりにしなきゃいけない。
このまま続けるのは、限界だった。

だったら。
それだったら。
この冷たい手の持ち主が、背中を押してくれるなら。

「………よし、のった」
「だから、あんたのこと好きだよ」
「嬉しくない」

私は泣きすぎてしゃがれた声で、笑う。
そして、共犯者の手をとった。





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