私はその時浮かれていた。 人生のうちで一番くらいに浮かれていた。 素敵な彼ができた幸せに酔っていた。 だから気付かなかった、彼のあの時の、ぎこちない反応を。 いつもなら被害妄想なほどに疑り深いくせに、藤原君については私は楽天家になってしまうらしい。 よく考えれば、最初からわかったはずなのに。 出会いの時点から、分かっていたはずなのに。 彼が、私なんて見てないことを。 「で、どうするの?」 「………どうしよう?」 「俺に言うなよ」 藤原君と付き合い始めて3日目。 放課後、部活が急遽なくなった私は、教室へ急いでいた。 藤原君が待っていてくれているはずだったから。 初めてできた彼氏は、私には本当にもったいない人で。 優しくて優しくて優しくて、大好きだった。 浮かれた私は、教室から聞こえた彼に声に、嬉しくなる。 けれど、その暗い声に違和感を覚えた。 「でも、なんか、あんなに頑張ってる三田に、何も言えなくて」 私の名前が出て、私は固まった。 今思えば、その時そのまま教室に突入してしまえばよかったのだ。 そうすれば、そこで終わっていたのだ。 でも、私は扉を開けられなかった。 なぜか手が、動かなかった。 ここにいてはいけないと、どこかでうるさくアラートが聞こえていた。 でも私は逃げ出すことも、中に入ることもできなくて。 幽かに空いている隙間から、そっと教室を覗きこんだ。 薄暗い教室には二人の男子。 「なら、そのまま付き合うしかないだろ」 「………」 藤原君と話してる相手は、野口。 彼と仲がいいとは知っていたが、それまでそんなに野口とは付き合いがなかった。 だからその口調に、少しだけ違和感を覚えたのだ。 突き放すような、冷たい言葉。 黙り込んでしまった藤原君に、野口は肩をすくめた。 呆れたように溜息をつく。 「なんだよ、嫌ならさっさと本当のこと言えってふれよ」 「でもっ」 「いい奴になろうとするなよ。告白で頷いちゃった時点で、お前はどう転んでも悪者なんだよ」 親友が悩んでいるのに、親身になる気はまったくないらしい。 ズバズバと野口は切り捨てる。 筋違いなことに、私はその時野口に敵意を覚えた。 藤原君があんなに苦しんでいるのに、なんて冷たい。 「つーか、メアド間違えるって、お前肝心な時抜けてるよな」 「雪村だと、思ったんだよ……」 そこで、ようやく私は理解した。 ようやく、気づくことができた。 三田由紀。 雪村美香。 私のメールアドレスは、yuki-mi***@***.nel.jp。 この前、メールアドレスを交換しようって話になって、それなのに藤原君は携帯をその時持ってなくて、美香と二人で紙に書いた。 名前は書かなくてもわかるだろうと思って、書いてない。 そういえば、勘違いできる、メールアドレスだ。 ようやく、気づけた。 すべてすべて、私の勘違いだったのだ。 野口は頭を抱え込んだ藤原君を嘲笑う。 面白そうに、さらに弄ぶ。 「かわいそうになあ、三田、あんなに浮かれてるし」 「言えなかったんだよ、本当に嬉しそうで……」 だって、嬉しかった。 私はずっと、藤原君が好きだった。 なぜか藤原君にだけは、私の被害妄想は働かないらしい。 だから、ボーリングの時、誰に本当は飲み物を持ってきたかったのなんて、気づかなかった。 だから、なぜあの時並んで座ったのなんて、わからなかった。 どうして、クラスで話しかけてきたのかなんて、わからなかった。 なぜ、優しかったのかなんて、分からなかった。 全部全部、それが美香にむけられていたなんて、気づかなかった。 「お前、それ優しさじゃないからな。ただの優柔不断」 「野口って、正直すぎてほんと、時々きつい」 「それが俺の愛情表現だから」 その時、物陰に隠れていた私は少しだけ動いてしまった。 揺れた影に気づいたのか、野口が顔を上げる。 私を認めて、細い眼を目を見開く。 でも、驚きは少しだけ。 藤原君をちらりと見る。 背を向けて頭を抱えている彼は、私には気付かない。 野口に酷薄な笑みをうかべて、肩をすくめる。 明らかに、面白がっていた。 泣きそうだった。 泣き喚きたかった。 教室に乗り込んで、藤原君を問い詰めたかった。 でも、泣かなかった。 野口に涙を見られたくなかった。 血がにじむほど、唇をかみしめた。 私は見なかったことにして立ち去った。 なにより、知らなかったら、藤原君と付き合える。 勘違いで浮かれて、美香に向けられた優しさを自分のものだと思いこんで。 なんて、馬鹿なんだ。 なんて、勘違い女だ。 なんて、可哀そうなんだ。 なんてなんて、みじめなんだ。 所詮野良犬は、野良犬で。 血統書付きに愛されるはずなんかないって、わかっていたはずなのに。 それでも私は藤原君に対してだけ楽天的な勘違い女で。 でも、このまま気付かないふりをしていたら、この関係を続けられるだろうか。 藤原君も、いつかは私を好きになってくれないだろうか。 私がもっと可愛くなれば、好きになってくれないだろうか。 美香みたいには無理だとしても、少しは女らしくなるから。 私も、負け犬から抜け出す努力をするから。 そして私は一念発起した。 絶対絶対、かわいくなろうと。 きっときっとかわいくなるから。 だから、私を、好きになって。 |