ずっと野口を避けていたが、今日はまたまた美香に呼び出された。
部活三昧で疲れていたから、本当は行きたくなかったが、実は強引な美香に強制的に連れ出された。

訪れたファミレスでは、当然のように藤原君と野口もセット。
そしてこれまた当然のように、美香と並んで座る藤原君。
そしたら当然、私は野口の隣になる。

久々の野口は相変わらず夏の暑さを感じない涼しい顔していた。
私を見ても軽く笑って挨拶をするだけ。
くそ、どうせ気にしてたのは私だけなんだろう。
この最低男。
本当は別の席に座りたいぐらいの勢いだったが、そんな訳にもいかない。
仕方なく、私は野口の隣のソファに腰掛ける。

「なんで二人ともそんな離れてるの?」

出来るだけ距離を離して座ると、美香からさっそくつっこみが入った。
そんなのこいつに近づくのが怖くて仕方ないからだ。
なんて、美香には言えない。

「三田が嫌がるから」
「………野口君、由紀に何したの?」

さらりと応える野口に、美香の目が細くなる。
睨みつけられ、軽く肩をすくめる野口。
そしてそのまま眼鏡の野良猫は、私に話を振ってくる。

「俺、何したの?」
「し、知るか!」
「特に避けられることしてないけど」

しれっと嘘を吐きやがる男に、頭に血が上る。
思わず隣の男に向き合ってしまう。

「嘘つけ!」
「合意の上のことしかしてない」
「あ、あ、あ、あ、あんなの!!」

確かに私はキスをしていいと言った。
確かに言った。
だけど、頬か額だと思ったのだ。
誰がいきなりディープキスをしていいと言った。
私の初めての唇のキスだったのに。
思いだすだけで、あの時の感触が蘇りそうでますます顔が熱くなっていく。

「………野口君?」
「何もしてないって。こええな」
「本当に?」

美香は身を乗り出して、野口に詰め寄る。
声が低くなっている。
非の打ちどころのないかわいい美香だが、整った顔はそんな風に真顔になると逆に怖い。

「三田に聞けば?」

野口はまた小さく肩をすくめて、顎で私を刺す。
美香が私に視線を映す。

「由紀、何されたの!?私に全部言って」

言えるか!
アホか!
このクソ野口!

「な、何もされてない」

私は思いっきり頭を横に振る。

「本当に?」
「本当!」

疑わしそうな美香に、今度は思いっきり頭を縦に振る。
言えるはずがない。

「ね、言ったでしょ?」

すると野口はにやりと性格悪そうに笑う。
そして一歩私ににじり寄ってくる。

「俺たち仲良しだよな、三田?」
「…………」

くそ、ここで否定して殴ったら、また美香に追及されるのか。
黙って少しだけソファの端に移る。

「野口君、楽しそうだね」
「うん」
「由紀のこと好き?」
「好き」

若干呆れたような美香の言葉に、野口は素直に頷く。
すると親友は小さく笑って、大きく頷いた。

「うん、じゃあ、いい」

いいのかよ。
私は全くよくないぞ。

「ほら、友達もああ言ってるし、こっちおいで」
「嫌だ!」
「何もしないから」
「嘘つけ!ていうかその言い方がキモい!」
「本当本当」
「信じられるか!」

また少しだけ近づいてくる。
私がギリギリまでソファの端に寄る。

「寂しいなあ」
「見るな触るな近づくな!」
「それが恋人にする態度か」

お前こそそれが恋人に対する態度か。
藤原君の方がもっともっと私を大事にしてくれたぞ。
たとえ嘘の恋人同士でも、あの時のほうがよっぽど健全な男女交際だった気がする。

「楽しんでるねえ、野口君」
「うん、楽しい」
「なんか明るくなったね」
「恋してるから」

また顔色一つ変えずに言いきる野口。
こいつはどうしてこう。
ていうかあまりにもストレートすぎて、本当かどうか逆に不安になってくる。
こいつは本当に、私のことが好きなんだろうか。
いや、好きなんだろうけど、それっとおもちゃとして好きとかそういう類いのものなんじゃないだろうか。
モノ扱いな気がしてくる。

「なんか悔しい!私たちもイチャイチャしよう!」

美香はなぜかそこでいきなり握りこぶしで主張し出す。
いきなりふられた藤原君は驚いて飛び上がる。

「ええ!?」
「ほら、肩組んで」
「ここで!?」
「じゃあ、ちゅーでいいよ!」
「そっちの方がハードル高いよ!」

美香のぶっとんだ発言に、藤原君が窓際に寄っていく。
ああ、あっちもかわいそう。

「あ、いいなあ。じゃあ、三田俺たちも」
「誰がするか!」

そしてもうギリギリまで端に寄ったところだったのを忘れて、更に席をずれようとする。
うわ、落ちるっと思う前に腕を掴まれ止められた。

「またそういうベタなことを」

白く細い手が、私の腕を掴んでいる。
心臓が口から飛び出しそうなほど強く跳ねあがる。
違う、これは落ちそうになった驚きだ。

「ご、ごめん」
「ごめん、俺非力だから重い。さっさと席に戻って」
「うるせー、死ね!」



***




バイトだという野口と、野口と家の方向が同じ方向な藤原君は一緒に帰って行った。
美香に二人きりにならないでいいの?と聞いたら、今日は由紀と話したいと答えが返ってきた。

「で、何されたの、由紀」
「何もされてない!」

即座に否定する。
けれどやっぱりごまかせない。
美香は大きな目で私をじっと見つめてくる。

「誰にも言わないよ?」
「う、うう………」

心配そうな親友の目に、逃れられないことを知る。
まあ、それに、誰かに少し話したかった。
一人でぐるぐる悩み続けるのは、疲れてくる。

「どうしたの?あ、勿論やっぱり話したくないなら、いいよ。でも困ってたら言ってね」

ちょっと寂しそうにそんなこと言われたら、もう抵抗できない。
あいつの元カレの話とかはしていいのか分からないから、昔の恋人ってぼかしてやんわりと話した。
それと、騙し打ちのキスのことも、一応伝えてみた。
恥ずかしかったから、かなりはしょったけど。
話し終ると、美香は困ったように笑った。

「なんていうか、野口君、楽しんでるねえ。ひどいというかなんというか」
「あいつは性悪すぎる!」
「由紀の反応が楽しくて仕方ないんだね。分かるけど」

分かるってなんだ。
そんなに私がジタバタする滑稽な姿は面白いか。

「由紀かわいくなったよ。前よりずっと素直になって、すっごくかわいくなった」

しかし美香は笑いながらそんなことを言う。
美香に言われても、なんとも複雑な気分なのだが。

「お化粧とか服とか髪とか頑張ってるのもあるけど、なんかそれ以外でもかわいくなった。本当に恋すると、女の子ってかわいくなるんだね」

にこにこ笑いながら、最高級の美少女に言われても、嬉しくない。
なんだかただただみじめな気分になっていくだけだ。
あの男にあった時のように。
私はみっともなくてみじめな、野良犬だ。

「私なんて………」
「すぐに私なんかっていじけるのはウザいよ。フォローなんてしてあげない」

しかし美香はばっさりそう言いきる。
一歩前に出て、くるりとふりかえり笑う。

「由紀はかわいんだから、卑屈になってウジウジするなんて許さない」

やっぱりその言葉はただのお世辞だと思う。
勝者の余裕で、負け犬を見下しているだけの発言だって思ってしまう。
ちりちりと悔しさに胸が痛くなる。

けれど、少しだけなんか、目が熱くなった。
どこまでも性格がまっすぐでかわいい美香。
美香みたいになりたい。
美香みたいになれれば、私ももっと自信が持てるだろうか。

「………あのさ」
「うん?」

そうしたらこんな苦しい気持ちは持たないだろうか。
もっともっと野口とも、楽しい恋が出来るのだろうか。
私なんて、本当は好きじゃないんじゃないか、なんて卑屈な思いは持たなくて済むだろうか。

「………駄目だ、なんかまとまらないや。まとまったら相談させて」
「うん」

でも、やっぱり相談は出来なかった。
まとまっていなかっていうのも本当。
美香には言いたくないっていうのが、少しだけ。

「ねえ、私も恋してるんだけど、かわいくなったかな?」

夕暮れのオレンジ色の空のした、美香もオレンジに染まっている。
赤く染まって見えるほっぺたは、やっぱりかわいいなと思う。
美香は藤原君と付き合い始めてから、ずっとずっとかわいくなった。
でも、悔しいから言ってあげない。

「あんたは強くなって図々しくなった」
「ひどい!」

でもね、それも羨ましい。
私はあんたみたいになりたかった。
いつだってあんたは私の憧れ。
理想。
そして大好きな親友。
褒めてくれたお礼に、少しだけ素直になるよ。

「かわいいっていうか、かっこよくて、綺麗になった」

自信に満ちていて、自分を持っていて、真っ直ぐで。
かっこよくて、綺麗。

「ありがとう」

美香は極上の笑顔でお礼を言う。
ああ、いいなあ。
なんでこんなにかわいいのかなあ。
美香がキャミから見える細い肩を小さく竦める。

「私もね、たまには不安だよ。藤原君優柔不断だし、由紀のことも好きだし、うじうじするし、行動力ないし」
「………」

ひどい言われようだ。
まあ、フォローできないけど。
あの人は優しくかっこいい駄目人間。
そんなところが、いいんだけど。

「だから頑張るんだ。もっとかわいくて、もっと強くなりたいな。藤原君がふらふらしないぐらい」

どうしてそんなに真っ直ぐなんだろう。
どうしてそんなに綺麗なんだろう。

「私もかわいく、なれてるかな?」

かわいいよ。
あんたはかわいい。
悔しくなるぐらい。
羨ましくて仕方なくなるぐらい。

そして、憧れてやまないぐらい。

「あのね」

美香がそっと、夕暮れの下、立ち止った。





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