「そうだ、これから予定なんかある?」
「別にないけど」

なんとか今日の分のノルマは終わりそうで、気が付けばもう4時近く。
でも夏の昼は長くて、まだまだ太陽は空のてっぺんでギラギラしてる。
これからどこか行こうと言われても、別に問題のない時間。

「シプソフィラいかない?」
「しぷそ………?」

聞いたことのない名詞に、ジュースを啜っていた野口に聞き返す。

「この前行ったBar」
「絶対嫌」

誰があんなところ行くか。
もうあんなみじめな思いをするのはごめんだ。
あのおっさんの顔を思い出すだけで、体中を掻きむしりたくなるほど恥ずかしくて悔しい。
私の即答に、野口はいつものように冷たく笑った。

「ミツルはいないよ。ジンさんが三田に会いたいんだってさ」
「ジンさん?」
「あのバーテンさん」

脳裏に、ほっそりとした黒いバーテン服姿の、泣きボクロの男性が浮かぶ。
優しく穏やかに笑っていた、美人な人。
まあ、あの人には特に嫌な印象は持っていない。
最後、笑われたけど。

「………」
「この前は悪いことしちゃったから、お詫びしたいって」

と、言われても、別にいらない。
それよりも、あそこに行って前のこと思い出すほうが嫌だ。
馬鹿にされて笑われて悔しくて逃げ出して。
そんで。

「………」
「顔赤いよ?」
「赤くない!別にいい!」
「来ないってことは、ジンさんのこと嫌いなんだ。ものすごい失礼なことされたから怒ってるんだ」
「え、いや」

別にそこまでの怒りも憎しみもあの人には抱いてないし。
あのおっさんなら嫌いだし怒ってるけど。

「って、思うってジンさんが」
「………」
「一生気にするって。後悔に苛まれるって」

野口は真顔でさらりと告げる。
ああ、あの人もやっぱり野口の関係者なんだなあ。

「………」
「大丈夫、あの人女の子には優しいから」

まあ、あのおっさんと違っていい人そうだったけどさ。
かっこいい人だったし。
なんか、そこまで言われて、行かないのもこっちが後味悪い。

「………分かった」
「よかった。じゃあ、ジンさんに連絡する」

ああ、でもやっぱりあそこには、行きたくないな。
携帯を取り出す野口を見て、少しだけ後悔をした。



***




そして訪れた黒い壁に黒い扉の、シックなお店。
今日は制服じゃないけど、ショートパンツとキャミの私にはやっぱり場違いすぎる気がする。
なんかこう、大人っぽいお姉さんとかがかっこよくカクテルとか飲んでるイメージ。
私に似合うカクテルを、とか言っちゃうような。

「ああ、いらっしゃい」

とかどうでもいいこと考えてる間に、野口はさっさとドアを開けてしまった。
カウンターの向こうには、ほっそりとした男性がにっこりと笑っている。
やっぱりなんか、泣きぼくろがすごい似合う、男なのに、色っぽい人だ。
雰囲気がちょっと、野口に似ているかもしれない。

「連れてきたよ」
「よかった。この前はゆっくり話せなかったし、失礼なことしちゃったからね。また会いたかったんだ」
「………いえ」

人好きにする笑顔とゆったりとした声で、迎えられる。
なんか、無条件に気を許してしまいそうな穏やかな雰囲気。
緊張が、少しだけ抜ける気がする。
まあ、店の中にあのおっさんがいないっていうのが一番大きいのかもしれないけど。
ほっとして、野口に手をひかれるまま、スツールに腰掛ける。

「飲み物、何がいい?」
「あ」
「また、僕が勝手に作っていい?」
「………お願いします」

カクテルの名前なんて分からないし。
コーラとかでいいんだけど、それを頼んでいいのかも分からない。
バーテンさんはかしこまりました、と言って後ろの棚にずらりと並んだ瓶に手を伸ばした。

「あ」

それから急に声を上げると、バーテン服のポケットから紙きれを取り出す。
そしてその紙を、隣に座った野口に渡した。

「良はお買いもの行って来て」
「客にお使いさせるの?」
「この前のお代、もらってないよ。せめて労働で返してね」
「はいはい」

野口は座ったばかりの椅子から、かったるそうに立ち上がる。
バーテンさんは穏やかながら有無を言わせぬ様子で、当然と言うようににっこりと笑う。

「じゃ、そのリストのやつ、全部受け取ってきて。店は変わってないから」
「………この炎天下に三店も周るんだ」
「背も高くなったし、腕もたくましくなって、前より荷物持てるね」
「りょーかい」

小さくため息をついて、野口はジーンズのポケットに乱暴にメモをつっこんだ。
野口のその様子は、普通に子供のようで、なんだか変な感じだ。
こんな風に文句言ったり、ふてくされる野口を、初めて見た気がする。

「じゃ、行ってきます」
「え、えっと、じゃあ、私も」

ここにバーテンさんと二人きりにされても困る。
椅子から立ち上がろうとすると、バーテンさんは綺麗に笑ってそれをとどめた。

「寂しいから君は僕の相手してね。お使いなんて良にやらせればいいよ」
「相変わらず容赦ないな」
「良は早くいってらっしゃい」
「はい」

私がすがるように見上げると、ちらりと眼鏡の男は笑った。
ぽんと、頭を軽く叩かれる。

「大丈夫、女の子には、優しいから」

には、を強調して、野口は夕暮れの街の中に滑り込んでいった。
残ったのは、私とバーテンさん。
どうしよう。

「良のこと、一応頼ってはいるんだ」
「え、え」

気が付くと、野口が出て行ったドアをじっと見ていた。
声をかけられた慌てて前を向く。

「ごめんね、ちょっと君とお話したくて。あ、お名前は、三田さんだっけ?」
「は、はい、三田由紀って言います」

バーテンさんはにこにこと笑って手を動かしている。
その流れるような動作はとても綺麗で、見とれてしまう。
テレビなんかで見る、このシャカシャカって、やっぱり、かっこいい。

「由紀ちゃん、だね。よろしく、僕は仁三郎」
「え」
「仁三郎」

じんざぶろう。
思わず聞き返してしまうと、今度は一語一語はっきりと発音された。
聞き間違えではないらしい。
その重々しい名前は、目の前の中性的な雰囲気の綺麗な男性には全く似つかわしくなかった。

「似合わない?」
「えっと、あの」

私はきっと間抜けな顔をしていたのだろう。
仁三郎さんはにこにこと笑って首を傾げた。
その様子もなんだかかわいいっていうか悪戯っぽくて、ますます名前とは不釣り合い。
似合うっていっていいのか、似合うっていったらまずいのか。

「皆に似合わないって言われるんだよね。だから仁って呼ばれてる」

うん、それなら分かる。
仁、ならこの人にはまだ似合う気がした。

「僕は気に入ってるんだけどね。ドスが効いてるでしょ?」
「ドスって」

なんだか、この人にはまた似合わない単語が出てきて思わず噴き出してしまった。
すると仁さんも嬉しそうに目を細める。

「笑った。よかった、由紀ちゃんは笑ってる方がかわいいよ」
「あ………う………」

なんて気障で嘘くさい言葉なんだろう。
他の奴に言われたら思わず笑ってしまうだろう。
それなのにこの人に言われると嘘くささとかがまるでなくて、すっごい照れてしまう。

「本当に、良の気持ちが分かるなあ」

仁さんはくすくすと楽しそうに笑っている。
顔が熱いから、きっと赤いんだろうな。
このすぐに赤くなる顔、どうにかしたい。

「………いじりやすいってことですか」
「構いたくなるってことだよ」

それってやっぱりいじりやすい単純な奴ってことじゃないかな。
どこまでも、かっこよくできない。
この店に相応しい女になんて、いつになったらなれるんだろう。

「はい」

オレンジ色の飲み物の入ったグラスをカウンターに置かれる。
緊張で喉が渇いていたし、ストローでかき回して一口二口啜る。
フルーツと牛乳の、甘い味が喉に広がった。
なんかフルーツ牛乳みたい。

「えっと、オレンジジュースと、牛乳………?」
「それとラズベリーシロップ。駄目だったら言ってね」
「いいえ、おいしいです」
「よかった」

甘くてフルーティーで、おいしい。
なんか懐かしい味っていうか、やっぱりフルーツ牛乳みたいだ。
おいしい。
おいしい、けど。

「………私って、こういうイメージですか?」
「え?」
「なんか、牛乳っていうか乳臭いっていうか」

なんだか、牛乳っていうのか、気になった。
ガキっぽいって、ことなのかな。
フルーツ牛乳だし。

「………」

一瞬目を丸くした仁さんは、その後、小さく噴き出した。
あ、また変なこと言っちゃった。
思いっきり墓穴だ。
恥ずかしい。

「あ、ごめんね」
「………いいえ」

謝りながらも仁さんはクスクスと笑っている。
こんな質問がもうガキっぽい。
ああ、恥ずかしい。
もうやだ、逃げたい。

「そうだね、ミルク、由紀ちゃんに似合うかも」
「………そうですか」
「ミルクって、子供っぽい?」
「………もういいです」

笑い交じりの質問に、ますます逃げたくなる。
忘れて欲しい。
消えたい。
ていうかもう、野口置いて帰ろうかな。

「あのね」

仁さんは、俯いた私に内緒話をするようなひそやかな声で囁く。
もういいのに。

「ミルクを使ったカクテルにね、オーガズムってあるんだよ」
「………オーガズム?」
「快感の絶頂」

快感の絶頂って。
えっと。

「イくって意味。あ、人前ではあんまり口にしない方がいいよ」

言われた意味がようやく分かって、また顔に血が上ってくる。
この人はこんな綺麗な顔して、こんな涼しい態度で何を言ってるんだ。
ていうかやっぱり野口の関係者だ。

「ミルクって子供にも大人にもぴったりな飲み物だよね。ミルクのイメージの女の子って、意味ありげだね。僕は好き」

えっと。
いや、そういうこと言われてもどう反応したらいいものやら。
ちらりと見上げた仁さんは優しげに笑っていた。

「どうしたの?誰かに子供ぽいって言われた?」
「………だって」
「うん」

柔らかく小さな子供に聞くような声色に、本当に子供のように拗ねた声が出てしまう。
仁さんは呆れるでもなく、聞いていてくれる。

「なんか、私、あいつに振り回されてばっかりで、一人であたふたして、子供っぽくて、なんか、やだ」
「あいつって、良?」

黙って頷く。
あいつは余裕綽々で、私をいっつもからかってばっかり。
私はあいつに振り回されて、いつでもいっぱいいっぱい。
気分のアップダウンが激しくて、毎日毎日ジェットコースター。

「あいつ一人、涼しい顔して、いつも余裕たっぷりの大人みたいで、なんか、対等じゃない」

前は、それでも対等だったのに。
付き合うまでは、言いたい放題言えて、気楽だった。
まあ、あいつの意地の悪い言動に、振り回されていたのは変わらないけど。
あの頃は藤原君で、なによりいっぱいいっぱいだったからな。
でも、今みたいに疲れることはなかった。

「良が大人?」

笑いを含んだ声に、顔を上げる。
仁さんは少しだけ意地悪そうに、唇の片側をつりあげる。

「あいつがね」

そして肩を軽く竦めた。
その仕草は、なんだか野口のものを思い出す。

「随分背伸びしてるんだね、良は」
「背伸び?」
「僕があの子を知ってるのはせいぜい一年前ぐらいまでだけどね。まあ、少しは成長したみたいだけど、そんなに変わってないと思うよ」

仁さんは悪戯っぽい顔で、私の目を覗き込む。
目元のほくろが、やっぱり色っぽい。

「あの子は、君と同い年だよ。全然変わらない」
「でも、いつも余裕たっぷりで、慌てたりしないし、冷静だし………」

色々な人と付き合ってて、経験だって一杯あって、人生の酸いも甘いも噛みしめたって顔してる。
私を手の平で転がして楽しんでいる。

「良はね、大人になりたくて、大人に憧れて、背伸びをしている、子供だよ」

けれど、仁さんはそれを一蹴して笑う。
本当に小さな子供の悪戯を微笑ましいというように。

「まあ、初恋があんなだったから、ちょっとひねくれちゃったけどね。それでも、根本的なところは、君とほとんど変わらないと思うよ」

そして、その長くて少しだけ節立った指で、私の頬をそっと撫でる。
ひんやりとした感触に驚いて、体が震える。

「むしろ、由紀ちゃんの方が大人だよ」

どの辺がそうなのか、さっぱり分からない。
まあ、この人とか、あのおっさんからしたら、確かに野口なんて子供みたいなんだろうけどさ。
私には、野口はやっぱり、全然大人に感じる。

「良が、冷静なのが嫌なの?」
「………私ばっかりアタフタして、振り回されて、なんか、私ばっかり、損っていうか」

損得の問題じゃないとは思うけど、やっぱりずるいと思う。
私がこんだけ必死なんだから、あいつも少しは焦ってほしい。
そう思うのは、違うだろうか。

「付き合う前は、もっと色々言えたし、楽だったし、楽しかった。今は、あいつの言うことに一々ぐるぐるして、疲れる」

あいつの言葉に一喜一憂して、振り回されて。
付き合わなければよかった、って何度思っただろう。
あのまま友達でいればよかったって毎日思ってる。

「………あいつも、同じように振り回されればいいのに」

あいつが焦ってあたふたしてる姿なんて、思い浮かばない。
私みたいに必死になることなんて、ないだろう。

「どうせ、私は三番目に好きな奴だし」
「何それ?」
「あいつが言ったんです。あいつは一番好きな人間に執着すると、メチャクチャにしちゃうから、三番目に好きな私ぐらいと付き合うのがちょうどいいって」

一瞬の沈黙。
その後仁さんは大きく大きくため息をついた。

「全くもう」
「………」
「好きって感情に、そんなに簡単に順位付けなんて出来ないと思うけどね」
「なんか、私ばっかり………」

好きだって言われても信じられない。
冗談で言ってるんじゃないかって思う。
冗談じゃないとしても、あいつにとっては単なる遊びなんじゃないかと思う。

「由紀ちゃんは、いい子だね」

何、会って二回目の人にこんなに愚痴ってるんだろ。
でも、美香に言っても、そんなの野口君に言えばいいじゃんって言われるだけだし。
まあ、そうなんだけどさ。

「あの子は本当に馬鹿」

冷たい指が、今度は私の頭を撫でる。
子供扱いは嫌だが、優しいその手を振り払うことはできない。
なんか、こんな風に慰められるのって、はじめてかも。
藤原君の時の野口は、ただ私を追い詰めるだけだった。
今の美香は、性格の違いから、噛み合わない。
まあ、はっきりきっぱりした美香の性格だったら、こんなに悩まないんだろうけどさ。

「由紀ちゃんに甘えてるんだろうね。噛みついてじゃれついて、どこまで許されるのか測ってる」

そんな甘え方、嬉しくない。
私はただ普通に優しくしてほしい。
一緒に楽しく過ごしたい。
やっぱりあいつは野良猫だ。
獲物を半殺しにして楽しむように、人を弄んで遊んでる。

「由紀ちゃんが本当に怒ったら、きっと慌てるだろうけど」

いや、絶対慌てない。
あのムカつく笑い方をして、余裕綽々で私を嬲るだろう。

「馬鹿で、人との距離のとり方が下手で、甘えたで寂しがり屋」

仁さんから見た野口は、そうなのだろうか。
私が見ている野口とは、全然違う。
さっき見た野口は、私の前の態度とは確かに全然違った。
子供っぽい態度。
私が見たことのない、野口。
なんか胸のところが気持ち悪い。
なんだろう、これ。

「でも、悪い子じゃないんだ」
「………でも、あいつやだ」

駄々をこねる私に、仁さんが困ったように笑う。

「由紀ちゃんみたいな子が良の傍にいてくれて、僕は嬉しいんだ」

今すぐあいつを捨ててやりたい。
あんたなんて大っ嫌いだと言って、思いっきり叩いてやりたい。

「あの子は、由紀ちゃんが大好きだから」
「………嘘だ」
「嘘じゃないよ、この前もすごい嬉しそうだったよ」」
「この前?」
「由紀ちゃんが、ミツルさんの手を払った時」

ああ、またへこんでくる。
あの時のことは思い出したくない。
あんな子供っぽい態度。
大人な人達に囲まれて、私だけガキみたいに癇癪を起した。

「珍しく、分かりやすく嬉しそうに笑いながらすぐに飛んで行ったよ。ミツルさんを放ってね」

あのおっさん、放っていったのか。
確かに、すぐに追いかけてきてくれた。
少なくとも、追いかけて来てくれるぐらいには、私のことが好きなんだろうか。
でも人を小馬鹿にしたような態度だった。
あれもあいつにとっては遊びの一環なんじゃないだろうか。

「どうか、見捨てないでやって」

そんなこと言われても、いつか見捨てられるのは私じゃないだろうか。
私がジタバタしている間だけ楽しんで、もしもえっちとかしちゃったら、あいつはそれこそ飽きちゃうんじゃないかな。

「ただいま」

ガチャン、とドアが開く音がする。
この蒸し暑い陽気のなかでも涼しい顔をした男がするりと入ってきた。

「まあ、あいつが何かしたらいつでもここにおいで」

話はこれで終わりと言うように、仁さんの手が最後に私の頭を一撫でした。
両手に抱えたビニール袋と紙袋をカウンターにおいて、野口が首を傾げる。

「何話してたの?」

仁さんは袋の中のフルーツなんかを確認しながら、答える。

「良が由紀ちゃんに悪さしたらいつでも殴り倒してあげるって話」
「やめてよ、俺ひ弱なんだから」
「後は、良に飽きたらいつでも僕に乗りかえてって。ね?」

悪戯っぽく笑って、視線を送られる。
冗談だと分かっていても、心臓に悪い。
こんなかっこいい人に言われると、勘違いしている訳じゃないがドキドキしてしまう。

「駄目だよ。これは俺のもの」
「うひゃあ!」

後ろから細い腕が回されて、飛び上がる。
耳元に、野口のかすれた声が吹き込まれる。

「ね、三田?」

急いで腕を振り払って、ものすごい上がった心拍数を抑えるように心臓を抑える。
ああ、もう、私そのうち心臓麻痺とか起こすんじゃないだろうか。

「私はものじゃない!」
「じゃあ、俺が三田のもの」
「………そんな重そうなものいらない」

野口がもう一度私の後ろから覆いかぶさってくる。
振り払おうと身をよじっても、今度は離れようとしない。
顔は見えないが、どんな表情をしているか分かる気がした。
チェシャ猫のように、にやにやと笑っているんだろう。

「もらってよ。俺を私物化して?」
「あんたもものじゃない!」

私も野口もものじゃない。
どうしてこいつはこう、極端ていうか変態臭い言い方しかできないんだろう。

「ものでいいのに。息もできないほどあんたに縛られたい」

むき出しの首筋に、野口の息があたる。
ああ、全身の血が沸騰したようだ。

「………仁さん、私、自信ないです」

助けを求めて、カウンターの向こうの人に縋る。
けれど泣きぼくろを下げて、仁さんは楽しそうに笑うだけだった。

「疲れたらいつでもここにおいで」

今、私は疲れてます。





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