部活が終わって、辺りはすでに夕暮れ時。
部活の仲間が全員帰ってしまったグラウンドは、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
私はまだまだ攻撃力のある太陽から逃れるように校庭の隅の日蔭の花壇に避難していた。

「三田」
「あれ、藤原君?」
「お疲れ様」

聞き慣れた声がして、無意味にいじっていたケータイから顔を上げるとそこには穏やかに笑う藤原君がいた。
相変わらず隙のない完璧な笑顔だなあ、なんて思った。
しかし、夏休みの学校にいるなんて珍しい。

「藤原君も部活帰り?」
「そ。久々に部活」
「文化部も活動あるんだね」
「うん。たまにね。夏休み明け文化祭だし」
「あ、そっか」

藤原君は写真部に所属している。
ガタイもいいし運動も出来るから運動部の方が似合いそうなのに、割とインドアも好きらしい。
前は似合わないし少し暗いって思ってたけど、今ならなんとなく分かる気がする。
ちょっと前に見た彼の写真は、とても温かくて、藤原君の人柄がにじみ出てる気がした。
優しくて少し情けない、この人の見る世界は、きっとあんなに優しいんだろうって思った。

「三田は、終わったんじゃないの?」
「あー………」
「ん?」

嫌なつっこみに、思わず言葉を濁してしまう。
いや、別に隠すことじゃないんだけど。
でも、なんとなく言いづらい。

「…………」
「あ、野口待ってるの?」
「な!」
「あ、やっぱり」

言い当てられて一気に脳みそが沸騰する。
藤原君は無邪気に正解を言い当てたことを喜んで笑っている。
くそ、普段はめちゃめちゃ鈍いくせに。

「な、なんで、わかったの」
「野口からこの前迎えに行ったって聞いたから」
「………」

くそ、口止めしておけばよかった。
いや、してたら余計に面白がられたな。
ちくしょう。
何気に野口って、なんでもかんでも藤原君に話すんだよな。
やっぱり一応友達なんだな。
一方的に野口が藤原君を弄ってるイメージなんだが、ちゃんと仲いいんだな。

「うまくやってるんだな。よかった」

なんて思ったら相手も同じことを考えていたらしく、にこにこと笑いながらとんでもないことを言われた。

「べ、別に、そうわけじゃない!」
「あいつ、癖が強いからちょっと心配だったんだよな」

私の言葉なんて聞きもしない空気の読めない男は、独り言のように続ける。
癖が強いどころの話じゃないぞ、あの変態は。

「でも、三田と付き合うようになってよく笑うようになった」

抗議をしようと思ったのに、言葉を失ってしまう。
藤原君の言葉がもう一度聞きたくて、聞き返してしまう。

「………そう、かな」
「うん、それにすごい楽そう」
「楽?」
「前はなんか、無理してるっていうか、作ってるっていう感じがしてたから」

まあ、作ってたのかな。
親友が好きだったんだから、そりゃ無理してるよね。
あいつならそれも快感だったとか言いそうだけど。
しかし、この鈍感男がそんなことに気づいていたのが驚きだ。
肝心の野口の気持ちは気付かない上に、告白されたことすら忘れているが。

「………藤原君って、鈍いんだか鋭いんだか」
「へ?」
「なんでもない」
「そう?」

不思議そうに首を傾げる藤原君。
でもそれ以上追及する気はないらしい。
かっこいいし成績いいから誤魔化されちゃうけど、この人何気にあまり物考えてないよな。
でも、あの頃はそんなことにも気付かなかった。
完璧な人だと思っていた。
たまにドジをしても、そこがギャップがあって、好きだったんだよな。
この人の何もかもが、好きだった。

「ああ、それに三田も」
「私?」
「うん、三田も楽そう。無理してる感じがなくなった」

けぶるように目を細めて笑う。
黒く穏やかな色を湛えた目が、私を真っ直ぐに見ている。
その優しい笑顔に、小さくコトリと心臓が震えた。
ああ、この笑顔が、少し前まで、好きで好きでたまらなかったのだ。
優しい、優しくて優しくて蕩けてしまいそうな、笑顔。

「二人が仲良くしてるなら、嬉しい」

優しい、穏やかな声。
優しい貴方が好きだった。
その優しさを手放したくなくて、必死でもがいた。

「………藤原君は」
「うん」

ああ、なんか変な気持ちになってしまった。
もう、終わったことなんだ。
これは、ちょっと夕暮れ時の感傷に浸っているだけ。
元カレ、だもんね。
この人と付き合っていた時が、あったんだ。
もう、なんかすごい昔のように感じるけど。

「三田?」

首を振ってざわつく心を誤魔化すと、藤原君が不思議そうに覗きこんでくる。
私は藤原君を見上げて意地悪く見えるように笑った。

「ふった女に罪悪感抱かなくて済む?」
「ち、ちが!」

想像通りいきなり直立不動になって勢いよく頭を振る。
ああ、なんかバネじかけのおもちゃみたい。

「違うよ!」
「違うの?」
「ちが」

更に追い詰めると、藤原君の顔はどんどん暗くなっていった。
俯いて、地面を見つめて肩を落とす。

「ちが、く、ないかも。そういうところ、ある、かも」
「あるんだ?これで心おきなく美香と仲良くできる?」
「………うん。ごめん、そういうところ、あるかも。ごめん」
「わあ、藤原君最低」
「………うん」

しゅんと肩を落として頷く元カレに耐えきれなくて笑ってしまった。
ああ、本当になんて優柔不断で情けなくて、そして優しい人。

「はは」
「え?」
「なんか、野口がいじりたくなるの、分かる」
「え?え?」

いきなり笑いだした私に、藤原君が事態を理解できずに瞬きをする。
この人が好きだった。
この優しい人が好きだった。

うん、そうだ。
好き、だった。

「大丈夫だよ、藤原君。もう、大丈夫」
「………」
「藤原君なんて優柔不断のうじうじ野郎、もうなんとも思ってない。美香に熨斗つけてくれてやる」
「………三田」

うん、大丈夫だ。
さっきのざわつきは、本当にただの感傷。
この人の性格はとても好きだ。
やっぱりこの人が好きだ。

でも、前みたいに一人占めしたいとも、美香から奪いたいとも思わない。
美香と笑っていてくれたら嬉しいと、思う。

「でもね、本当に藤原君のこと、好きだったよ。藤原君のおかげで、私すごい頑張れた。少しだけ、素直になれた。美香と、前より、仲良くなれた」

でも感謝だけは伝えたい。
あなたに合わなきゃ、私はいまだに意地汚い卑怯な野良犬だった。
今もまだ野良犬だけれど、根性だけは少しだけ変わった。
人を羨んでばかりで何も行動しなかった私は、あなたと出会って、努力することを知った。
少しだけ、素直になった。
それはね、あなたがいてくれたから。
いまだに私はコンプレックスだらけだけど、前の私より、今の私の方がちょっと好き。

それだけは伝えたかったの。

「最初から駄目だって分かってたけど、それでも、好きだったよ。ありがとう」

藤原君はびっくりして固まっていたけれど、そこでようやく強張った顔を緩めっていた。
不器用に、私の好きな優しい笑顔に、その表情を変える。

「俺も、好きだったよ。好きになりかけてた。三田は最初からすごく素直だった。とても、かわいかった」

それは、藤原君の前でだけは素直な女の子らしい自分を作ってたから。
でも、そんな風に女の子らしい自分をを作ることに拒否感がなくなったのは、あなたのおかげ。

「ありがとう、三田」

そこでつい、私は吹き出してしまう。
オレンジ色に染まる放課後の校庭。
そんなムードのあるシチュエーションで、私たちは改めて別れの言葉を口にする。

「なんか、変なの」
「な」

藤原君も笑う。
ああ、なんか、すっきりした。
胸の中に最後まで刺さっていた小骨のようなものが、すっと消えた。
うん、もう、平気。
もう、大丈夫。
心から、藤原君と美香を、応援するよ。
少しだけ寂しくて、でも温かい気持ちのまま、背の高い人を見上げる。

「ねえ、美香のどこが好き?」
「え?えっと、どこって、えっと、サバサバしてるとことか、明るいところとか、笑ってるところとか」
「一つ」
「ええ!?」

遠慮なくノロケようとする馬鹿に、釘をさす。
まったくもう、本当にこのバカップルは。
藤原君は眉を寄せて少しだけ考えてから、ぽつりぽつりと答えてくれる。

「色々なところ、好きだけど、あの強いところが好き、かな。俺、優柔不断だから雪下みたいにはっきりきっぱりしてると、一緒にいて楽なんだ」

そう言えば、同じようなこと野口にも言ってたっけ。
藤原君は基本的に厳しい人が好きなんだな。
マゾか、この人。
まあ、でも、それは分かる。
美香といると、ムカついて悔しくなるけど、あの子の強さはとても心地よい。

「そっか」
「三田の時は、逆に俺がしっかりしなきゃ、守らなきゃって思ったけど」
「普通逆じゃない?」

ガサツで乱暴もので男子に囲まれていた私。
女らしくてかわいくて甘い甘いお菓子のような美香。
藤原君は小さく笑う。

「最初はそう思ったけどね」
「美香の方が女らしくてかわいいのに」
「三田の方が、女らしいかな。雪下はあれでいて、男らしいから」

服装とか化粧とか顔とかスタイルとか、見た目的なもので言えば圧倒的に美香が女らしい。
でも、確かに、性格で言えばその通りだ。
美香はきっぱりはっきり竹を割ったような、男らしい性格だ。
うん、性格は私の方がずっと、女、だ。

「………なんかさ、ずっとそう言われたかったんだ」
「ん?」
「態度はこんなガサツで女らしくないけど、実は女らしいんだぞって」
「女の子らしいと思うけど」

うん、その言葉が、欲しかった。
私の女っぽいところ認めてもらいたかった。

「うん。でもなんか嬉しくないね」
「え?」

ずっとずっと藤原君にそう言われたかった。
野口にも言われたかったのかもしれない。
あいつは絶対言ってくれないけど。
それなのに。

「だってさ、私、強くなりたいから頑張ってるのに、本当は弱いって見破られるの、なんかヤだね」

私が乱暴に振る舞って、強気なことを言うのは、女らしくすることへの照れとか意地もある。
けれど、何よりも、私は強くありたいからだ。
美香みたいな、かっこいい性格に、なりたいからだ。
だから、こんな風に言われると、すごい複雑な気分だ。

「そっか」
「………うん。我儘だね。女扱いされなくてもムカつくんだけど」
「難しいな」
「難しいね」

結局私は、我儘なんだな。
男らしく振る舞うところも認めて欲しいけど、女の部分も忘れて欲しくない。
野口、あんたの言うことは正しいよ。
私ってなんてベタベタな、いやらしい女。

「とりあえず、私と藤原君は、そもそもうまくいかなかったね。お互い優柔不断で女々しい」
「………三田は弱いけど、強いよ」
「………ありがとう。でも、これでよかったね」
「うん、三田には野口の方が似合う。野口といる時の方が、ずっと三田らしいと思う」

そうなのかな。
どうなんだろう。
今の私はいっぱいいっぱい。
私らしくない行動をいっぱいとってる気がする。
辛かったけど、藤原君といた時の方が、恋人らしかった。
優しくしてもらえた。
嬉しかった。
今はいつでも振り回されて、落ち着く暇もない。

「そう、見える?」
「うん」
「………そっか」

もう野口と付き合うのなんて、やめたいって毎日思うけどね。
ぐるぐるして、ばたばたして、泣いて喚いて。

「藤原君も、美香といる時の方がずっと自然だよ。とても楽しそう」
「そ、そうかな」
「うん。それでいつもよりずっと情けない」
「う」

美香の前の藤原君は、とてもリラックスしている。
美香に、甘えているんだろうな。
ドジをやっては叱られて、それでも嬉しそうに笑っている。
その笑顔は、私に見せていたものより、ずっと情けなくてそして楽しそう。

「でもね、かっこよさも優しさも二割増しぐらい」
「………ありがとう」

そしてとてもとても優しそう。
見ていて妬けて、羨ましくて、そしてこっちも嬉しくなるぐらい。

「美香も、藤原君の前だと、ずっと男らしくて、そんでもってかわいい」

輝くように笑う美香は、いつもの5割増し美少女。
ああ、本当にずるいな。
恋人の前でかわいくなる、美香。
私は、こんなにジタバタ這いずりまわって情けない姿しか見せてないのに。

「………あのさ、変なこと聞いていい?」
「何?」
「私ってさ、その、ちゃんと」
「うん」

私のうじうじした問いかけに、藤原君は辛抱強く待っていてくれる。
そっと見上げると、穏やかな黒い瞳がじっと見ていた。
その視線に促され、私は嫌がる口を、なんとか開く。

「その、野口の前で、変じゃないかな。いつもよりブスになってないかな」
「え?」
「えっと、その!なんかやっぱガサツだし、女々しいけど普段は乱暴で女らしくないし!野口の前だと、なんかいつもより、ずっとずっとブスになってる気がする」

泣きわめいて、文句ばっかり言って、殴って罵って。
一人で空回って、ガキっぽい行動して、本当に自分が嫌になる。

「こういうのって、やっぱり、嫌かな」

ああ、これ、野口に言ったら、笑われるんだろうな。
いつものように皮肉げに笑って、言うのだろう。

なんて言ってほしい?否定を期待してる問いかけだよね?いいよ、言ってあげる。そんなあんたが好きだってね。

「三田はかわいいよ」
「………本当?」

でも、優しい藤原君は、そんな性格の悪いことは言わずに、欲しい答えをくれる。
こう問いかけたら、こう答えてくれるって、分かった。
でも、分かっていても、たとえ嘘でも、欲しかった。

「うん、かわいい。すごくかわいい」
「なんか投げやりだ」
「そんなことないよ。本当にかわいい」

藤原君の大きな手が、そっと私の髪を撫でる。
ああ、久々の藤原君の手だ。
前は心臓が壊れるんじゃいかってぐらい、ドキドキした。
でも、なんか今は、嬉しくて、落ち着く。

「………ありがとう」
「うん。かわいいよ」
「………うん」

むなしいことだって分かってるけど、肯定は嬉しい。
くじけそうでささくれだった心に、じんわりと温かいものが広がっていく。

「三田は、かわいいよ」
「ありがとう」

藤原君の手が、私の頭を優しく撫でる。
気持ちよくて、そっと目を閉じる。

「何してんの?」

その言葉に、急いで目を開いた。
いつの間にか、2メートルほど離れたところに、眼鏡の男が立っていた。





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